ヴェルディ、代表、グラドル、漫画、アニメ、等
仙台戦#3
2006年07月13日 (木) | 編集 |
ようやく半分か。
体感的にはプロ野球のペナントレースに近くて、あれはあれで適度に”山”や”谷”の入り込む余地のある、なかなかはまりの良い長さのように思うんですが、サッカーの1試合1試合の消耗度と重さからするとやはりちょっとトゥー・マッチか。”山”や”谷”を越えたらそこには果てしなく”沼”が広がっていたという感じ。(笑)

なんだかんだ創設当初の「10チーム総当り×2の1ステージ」(が2ステージ)って、結果的に一番いい長さだったなあと今頃思ったりするんですが。日程は多少無理矢理でしたが。
トータルでは本当は長いんでしょうけど、2ステージに分かれていることがあまりそれを感じさせなかった。


仙台の「攻」「守」の技能自体はそれぞれにかなり高いんですが、どうもその「攻」「守」があくまで「攻」+「守」でしかなくて「チーム」としての力になり切ってないようなそんな印象を受けました。
とりあえずは外国人に頼り過ぎてる弊害ということなんでしょうが、その更に奥にはどうもやはり”ブラジル”的な指導法の限界というか、日本人との相性の問題があるような気がします。簡単に言うと「仲間」や「家族」(といった中間集団)を中心に「社会」や「全体」を成り立たせることに文化が機能してないんだと思うんですよね。「個人」と「全体」の両極からしか思考が出来ない。

理由・起源はよく分からないですけど。元々そうなのか、明治の文明開化やら昭和のアメリカ化やらの自己洗脳過程で取りこぼしたのか。ヨーロッパと比べても弱い気がする。思い付きの粗雑な理念型ですみませんが。あくまでサッカー目線の限定された観察に基づいているもので。
典型的じゃない、あるいは自分の”ブラジル”性を客観視出来る監督なら、普通に能力分の成果は出るんでしょうけど。フェリペは国際人ですよね。

ヴェルディはともかくも前2試合の延長線上ではきっちり戦えているようで(いつ終わるかいつ終わるかとドキドキ)、とりあえず何かが生まれる、蓄積される条件はキープされていること。マルクスが加わっても(”マルクス・シフト”が機能しても)その分海本が大人しくなっちゃってるので、攻撃的なプラスはあるようなないようなですが。
CBは今後もとにかく個人能力&コンディションでその都度選ぶのがいいようですね。なんかFWの選択基準みたいな気がしないではないですが、しかたがない。

『八百長コール』をしたからということではなくて、仙台の応援のセンスが以前より落ちているように感じました。フィールドとの寄り添い感が薄くなっている。あれじゃ怖くない。


J2第27節 東京V○2−1●仙台(仙台)

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