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U−20W杯ナイジェリア戦(&アジア杯展望)
2007年07月09日 (月) | 編集 |
さあ。オシムジャパンはどうする。

U−20W杯 日本代表 △0−0△ ナイジェリア代表(カナダ・ビクトリア)


前の試合で”弦”の反発と漠然と表現したことですが。

同じ「組織的」なサッカー、同じ自動性でも、例えばトルシエの”オートマティズム”というのはかなりの部分一つの決まった形であり、こうやってこうやってこうやるという過程全体を予めある程度描いてしまう、広義の「攻撃パターン」と表現して大きな問題のないものだと思います。
トルシエ以降の僕が思い浮かぶ最も組織的な”代表”チームである、小野代行監督による’02トゥーロンU−21のチーム(山本アテネチームの原形)も、基本的にはそうしたオートマティズム、特に細かいポストを使った追い越しアタックの連鎖を、チーム全体で徹底的にパターン化したというそういうチームでした。

こうしたタイプの自動性からは二つの特徴が抽出出来て、一つは『形』である、絵であるということ、もう一つは自分本位の(?)『能動的』なものであるということ。

比較対象として考えているオシム吉田U−20の二つのチームの場合、事情は少し違います。
そこにあるのはあくまで相手とのせめぎ合いの中でのとっさの、その場に応じた対処の、反発の、ケースバイケースの運動法則であって、”追い越しアタック”という共通の、他にほとんど選択の余地のない金科玉条はあるにしても、状況抜きでの勝手な(?)攻撃の『形』をきっちり決めているわけではないわけですね。
実際にはサッカーのプレーの種類なんてのはあるようでないので(笑)、目に見えるプレーの”形”としては似たようなものになってしまうことが多いわけですが、少なくとも内実としてはそういうこと。

それはある意味では受動的・・・・という言い方は少し違うと思いますが、リアクションと表現出来なくもないもので、だから”弦”の「反発」なわけですが。
それが悪いかというとそんなことは全然なくて、そもそも現実の中で人が生きるというのはよっぽどの大富豪やイッちゃってる人以外にとっては(笑)普通は”リアクション”でしかあり得ないわけで、それは勿論サッカーのゲームという「現実」においてもそう。そういう意味では「攻撃パターン」やそういう類の”オートマティズム”というのは所詮は理想的な抽象に過ぎなくて、そうした分かり易い『形』性に焦点を据えないオシムの理論は確かにより深く現実的であるし、科学的でもあると思います。

・・・・ただし理想的な抽象だろうが何だろうが、どのみちそれだけでチームを作るということではなく、いかにそうしたものを(も)手かがりにチーム作りという作業全体をマネージしていくか、あるいはその抽象をアジャストして行くかが監督の手腕・能力なわけで、そういう意味で例えば山本アテネ代表監督なんてのは抽象と現実or全体との橋渡しが出来なかった人なんだろうと思いますが、ともかく方法論として直接の優劣は言えないと思います。
逆にオシムの指導法などは科学的過ぎてこれまた非現実的に感じる、不自然だという疑問・反感を僕は何度か言葉にして来ましたが。

ちなみに”弦”というイメージには二つの意味が含まれていて、一つはかかる力に応じて伸縮してその都度適切な「反応」を返す自然界の物体ということと、もう一つはいち「攻撃パターン」にとどまらない、攻防共通のプレーの『理』のようなもの、それの浸透されたチーム・チーム状態ということです。
オシムが教えようとしているものも、吉田U−20が会得しているものも、そういう表現が一つ可能なもののように思いますが。


この日のナイジェリア戦も例によってブラック・アフリカンの、南米のそれのようには正確ではないけれどわけの分からない勢いを持った波動アタックに押し込まれる時間帯が多かったですが、それでも”弦”が崩れることはなかったように思います。最初から疲労の色が濃かった内田あたりは、ちょっと物理的限界で崩壊の引き金を引きそうな気配もありましたが。(笑)

驚くべきは守勢をやり過ごした次の瞬間には、必ず何事も無かったように(笑)晴れ晴れと攻勢に転じていることで、それは単なるパターン化されたカウンターアタックということではなくてそれぞれが確信を持って抱いている広がりのある攻撃ヴィジョンで(注・僕には見えません)、混戦の中多少体力的にキツくても、必ずと言っていいほど攻撃的なトラップをして来るので、途中風間さんも注意を促していましたが少々ヒヤヒヤするところも確かに。

訓練・共通理解が行き届いているというのと同時に、なんかほとんどアフリカ人的な楽天性・破天荒さを感じたりもするんですが。なんなんだこいつら。(笑)
ただこう、メンバー入れ替えて決勝トーナメントに備える筈が、結局嬉々として燃え尽きてさっぱり休養になってないように見えるのが何とも。まあやりたいようにやってくれればいいですが。僕には分かりません、こんな連中。(笑)


もう一度オシムジャパンの話をすると、生徒が出来上がった、既に頭がある程度硬くなっている年代の選手たちであるせいか、吉田U−20に比べると幾分”パターン”を”教えている”というニュアンスが濃いかなとは思いますね。方針というよりは便宜、仕方なく生まれているニュアンスでしょうけど。頭と体がセットではなくて、まず頭に教えてそれを出来るだけ血肉化するという筋道。
ここらへんは”トータル・フットボール”の母体となったアヤックスやオランダ・サッカーの一貫した指導体制は言うに及ばず、小粒で従順なある意味お誂え向きの素材をある程度時間かけて指導出来たジェフの時に比べた場合の厳しいところ。ユーゴスラビア代表は・・・・見てないので分かりません。

ともかくちょっと暗くて硬い、教えられたこと以外出来ない、生まれないというところがあるので、そこらへんがこの先どうなって行くか。
オシムが、オシムだからこそ日本をこんな風に強くしてくれるというほどの信頼も展望も今のところ僕は抱けてはいないんですが、他に何がいいともオシムじゃ駄目だとも別に思っていないので、少なくともこんなところ(アジア杯)で潰れて欲しくはないですね。

消えるにしても何にしても、見せられる物は見せてからにして欲しい。
というわけで頑張れ。


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