2007年07月20日 (金) | 編集 |
(前)編から。
次に2.「パスサッカー」なり「攻撃的スタイル」には、大きく分けて2種類の流れがある。ですが、これは簡単に言うと
(1)ブラジル−ポルトガル(−オランダ)のライン
(2)アルゼンチン−スペインのライン
の2つですね。
数年前、何かのインタビューでジーコが「(ブラジル以外で)評価する代表チームは?」みたいな質問を聞かれて、挙げた名前がまずポルトガル、オランダ。なるほど。次にフランス。いかにも。それからドイツにイングランド。イングランド?随分リップサービスしますね、それじゃ主要国全部になっちゃうじゃん。で?次は?・・・・終わり?!
何とイングランドまで挙げておいてスペインもアルゼンチンも黙殺。アルゼンチンへのライバル心があるとは言え、口調としては淡々とシリアスなものだったので、徹底してるなと。サッカー観出てるなと逆に感心したんですが。
大雑把に言えば足元志向vsスペース&ランニング志向ということでしょうけどね。
協会きっての理論家である小野剛さんは、実際にオランダなど国名を挙げて前者を”プレイスメント”志向と呼び、「日本はその方向を取らない」と以前はっきり言っていました。(力関係はその都度色々でしょうが)
さてこの場合問題となるのがオシムの『走る』サッカーという通り名でしょうが。
走る、んです、確かに。でもそれは”止まった”状態、ステーションパス的な状態を基準にして、それへコントラストをつけるような形で行なわれる。特に「追い越す」というプレーはそうですね。
だから走らないオシムのチームは確かに「足りない」状態ではあるわけですが、基本形は確保されている、崩れてはいない。
それに対して後者の方向性は走ること、というより止まらないことを前提としているので、走らなければ始まらない、止まってる状態は純然たる失敗なわけです。
かなり単純化してありますが、そういうことです。
まとめて言うと、オシムはジーコの「思考単位として独立した個人」を基準とした「足元パスサッカー」というスタイルを、それをより効率的に行なえる(ジーコにはなかった)関係性作りでサポートしつつ、そこに『走る』『追い越す』『飛び出す』という発展的かつ補完的なオプションを恒常的なものとして付け加えている。・・・・現象としてはそういうことかと。どういう文脈でやってるのかは知りませんが。
そしてそれは「集団思考」に「個人」が嬉々として組み込まれる、また本質的にスペース志向である近年の日本スタイルとは必ずしも一致はしないが、一方でめきめきと攻撃知性・個人戦術を向上させつつある日本人選手たちの腕の(脚の)振るいどころでもある、そういう幸福な部分もあるということです。
ちょっとね、オシム・ジェフとユーゴ代表に詳しくないのでそこが不安なんですが、場合によってはそれはまとめて無かったことにしてもいいかなと。(笑)
日本代表は日本代表であるし、今のオシムは今のオシムであるし、最初に言った通りこれは基本的に「日本の代表サッカー史」目線での現象学であるので、その”窓”から見えたものは見えたものであると、居直るつもりでいます。
就任後オシムがなぜか”美しい”サッカーに重心を移した、こっそり心変わりしたという疑惑も一つあるんですが・・・・。色々含めて、「あったかも知れないジーコジャパン」を楽しんでみようかなと。
全然違ったらごめんなさい。(笑)
次に2.「パスサッカー」なり「攻撃的スタイル」には、大きく分けて2種類の流れがある。ですが、これは簡単に言うと
(1)ブラジル−ポルトガル(−オランダ)のライン
(2)アルゼンチン−スペインのライン
の2つですね。
数年前、何かのインタビューでジーコが「(ブラジル以外で)評価する代表チームは?」みたいな質問を聞かれて、挙げた名前がまずポルトガル、オランダ。なるほど。次にフランス。いかにも。それからドイツにイングランド。イングランド?随分リップサービスしますね、それじゃ主要国全部になっちゃうじゃん。で?次は?・・・・終わり?!
何とイングランドまで挙げておいてスペインもアルゼンチンも黙殺。アルゼンチンへのライバル心があるとは言え、口調としては淡々とシリアスなものだったので、徹底してるなと。サッカー観出てるなと逆に感心したんですが。
大雑把に言えば足元志向vsスペース&ランニング志向ということでしょうけどね。
協会きっての理論家である小野剛さんは、実際にオランダなど国名を挙げて前者を”プレイスメント”志向と呼び、「日本はその方向を取らない」と以前はっきり言っていました。(力関係はその都度色々でしょうが)
さてこの場合問題となるのがオシムの『走る』サッカーという通り名でしょうが。
走る、んです、確かに。でもそれは”止まった”状態、ステーションパス的な状態を基準にして、それへコントラストをつけるような形で行なわれる。特に「追い越す」というプレーはそうですね。
だから走らないオシムのチームは確かに「足りない」状態ではあるわけですが、基本形は確保されている、崩れてはいない。
それに対して後者の方向性は走ること、というより止まらないことを前提としているので、走らなければ始まらない、止まってる状態は純然たる失敗なわけです。
かなり単純化してありますが、そういうことです。
まとめて言うと、オシムはジーコの「思考単位として独立した個人」を基準とした「足元パスサッカー」というスタイルを、それをより効率的に行なえる(ジーコにはなかった)関係性作りでサポートしつつ、そこに『走る』『追い越す』『飛び出す』という発展的かつ補完的なオプションを恒常的なものとして付け加えている。・・・・現象としてはそういうことかと。どういう文脈でやってるのかは知りませんが。
そしてそれは「集団思考」に「個人」が嬉々として組み込まれる、また本質的にスペース志向である近年の日本スタイルとは必ずしも一致はしないが、一方でめきめきと攻撃知性・個人戦術を向上させつつある日本人選手たちの腕の(脚の)振るいどころでもある、そういう幸福な部分もあるということです。
ちょっとね、オシム・ジェフとユーゴ代表に詳しくないのでそこが不安なんですが、場合によってはそれはまとめて無かったことにしてもいいかなと。(笑)
日本代表は日本代表であるし、今のオシムは今のオシムであるし、最初に言った通りこれは基本的に「日本の代表サッカー史」目線での現象学であるので、その”窓”から見えたものは見えたものであると、居直るつもりでいます。
就任後オシムがなぜか”美しい”サッカーに重心を移した、こっそり心変わりしたという疑惑も一つあるんですが・・・・。色々含めて、「あったかも知れないジーコジャパン」を楽しんでみようかなと。
全然違ったらごめんなさい。(笑)
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