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『ウミショー』&『さよなら絶望先生』
2007年07月31日 (火) | 編集 |
7月”小”改編期に始まったアニメの中で見ているもの。どっちも関東ローカル局共通。


『ウミショー』

ウミショー

(公式)
正式には『ケンコー全裸系水泳部ウミショー』。”ウミショー”は”海猫商業”の略ですね。
原作は少年マガジン連載のはっとりみつるの作品。(未見)

優柔不断な男子高校生が主人公。
舞台となるウミショー水泳部には、おおむね巨乳の天然っ子、ツンデレっ子、不思議っ子各種美少女取り揃えて、勿論主人公はわけもなくモテる、日々エッチなトラブルもわんさかという、こうして書いてると卓袱台引っくり返したくなって来る典型的な厨房(工房ですが)願望充足漫画、キャッチーなパーツのつぎはぎ企画、”ザ・ラブコメ””ザ・少年漫画”なんですが・・・・。

いいんだな、これが!爽やかなんだな!正に「健康的なお色気」なんだな。

企画として”そういう”ものであるのは疑いの余地がないと思うんですが、そうした類型性をものともせず、あるいはだからこそ、作者のしっかりした力量と厭味や濁りのない、真直ぐな人柄が1コマ1コマに浸透して、なんかやたら幸せな気持ちになるというかガードを解いてしまうというか。
いや、エッチはエッチなんですよ?勿論。下心も読者サービスも満載なんですよ?でも全部ひっくるめて爽やか、好感度120点というそういう作品。

みんなエッチは好きだろーーー?イエーーーイッ!
女の子ってかわいいよなっ?イエーーーイッ!
かわいい女の子のかわいい裸が見たいよなっ?イエーーーイッ!
・・・・みたいな。(笑)

でもほんと女の子かわいいです。深いところで。この作者はちゃんと”見られる”人です。
メインのヒロインの”あむろ”ちゃんの、馬鹿明るい中でたまに見せる思慮がどきっとするというか、内面の何かを予感させられて哀しくなるというか。



『さよなら絶望先生』

さよなら絶望先生 特装版1 さよなら絶望先生 特装版1
新房昭之 (2007/09/26)
キングレコード

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(公式)
原作は久米田康治の、先頃講談社漫画賞少年部門を受賞した作品。同じく少年マガジン。
1回だけ読んだことがあって、確かに面白かったです。

超ブラック&シュールな原作をどうアニメ化するのかと思ったら、なるほどね!金巻兼一(コメント欄併せて)を持って来たか。ていうか”ありき”の企画なんじゃないかな。
・・・・と思うくらい、『エル・カザド』でも精彩を放っている、金巻さんのドライでシャープなセリフのセンスがここぞとばかりに爆発しています。『エル・カザド』と違って演出の水準も問題ないので、むしろ”本領発揮””満願成就”というべきか。まあ原作あっての話ではありますが。

これはしかし、『少女革命ウテナ』に迫るか越えたか。『怪物王女』迫ったかと思ったら気のせいだったので(笑)信頼が薄いかもしれませんが、1ヶ月見守ったので大丈夫でしょう。
ちょっと全体として張り切り過ぎ狙い過ぎの感は少しあるんですが、そう引きかけた矢先に必ず問答無用の爆笑シーンが来るので、最終的にはやられます。

賞取っただけあって実は”テーマ”性みたいなものも、見ようによってはとてもしっかりあって、”ポジティヴ馬鹿””引きこもり””ストーカー””帰国子女””不法滞在外国人””ネット番長”など、様々な「問題」性、属性をそれぞれに体現した女生徒が、全く熱血ではない死にたがりの「絶望先生」との関わりの中で・・・・どうなるのかはよく分からないんですが(笑)、とにかくシンボリックにそうした問題を毎回焦点化して行きます。

で。かわいいんですよ。またもや。その女生徒たちが。とんでもなく。殺人的に。
引きこもりだろうがストーカーだろうが。
ここらへんのキャラ特性とそれぞれの”美少女”ぶりの極め方というのは、もうなんかこの作者凄いです。『ウミショー』同様、”極めれば花”みたいな話ですけど。ちなみに保健の先生もかわいいです(笑)、キャラ立ってます。

演出及び声優の演技もかなりイッちゃってますね。特に”ポジティヴ馬鹿”「風浦可符香」
fuura

と、”不法滞在外国人”「関内・マリア・太郎」
sekiutsu

のは、突き抜け過ぎててたまに聞いてて眩暈がします。酷い・・・・


ともかく、おすすめ。
ちなみに『絶望先生』の方は、いずれDVD買おうかなと思っていますが。あのシーンをもう一度。何回でも。


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コメント
この記事へのコメント
激遅コメント失礼します。
見ていないアニメが溜まっているとはいえ、2、3個くらいはシーズン中の視聴をした方がいいよなぁ。
ということで、お勧めとされる『さよなら絶望先生』に白羽の矢を立て、視聴してみました。

正直、あまり期待していなかっただけに少々驚きました。特に「小学館漫画賞」はGood。(笑)
4話めのOPも良かったです。逃走シーンがどっかしらで見たような気がしていてモヤモヤとしてますが。まぁ、それを言ったら全体にちりばめられた元ネタの方が問題が大きいです。解説Wikiを読みこんで1話辺りの消費時間がとんでもない事になっていたりしますし。

5話目をまだ見てないんですが、はたして1~2話のテンションを維持できているのか。
まぁ、こちらの予備知識が整うまで封印されそうな予感はあります。
とりあえず、5話目見たら『ウミショー』でも見てみようかな。


> そんなものがあるのかと。知っているのかと。あるいは(例えば)"感情"と"論理"は、そういう単純に牽制し合う関係にあるのか。
この辺りちょっと考えが足りていなかったようです。
そもそもは仕事において品質とコストに対する言い訳的な仮説だったような。それを十分な検証なしにいつしか正しい事であるかのように思っていた模様。他にも危険な思考がありそうだなぁ・・・。


> 見えもしない「全体」を予め計算するのではなくて、現れたものをその都度「全体」として包括して行くという作業を、言わば永遠に続けて行くわけです。

PDCAチックですね。
けどまぁ、ある程度「全体」見てくれないと困るんだけど、って事例も多くある事もまた事実で。この国の政治とか特に心配。(笑えない)


>> 見方の問題で両方が成立しうるか、と思いましたが、直観がすべての論理を内包しているとは思え無いので、こっち側の印象が間違いなのかなぁ。

>ちょっとここは何回読んでもよく分かりませんでした。(笑)
"バランス"云々とちょっとごっちゃになっていたもんだと思います。
そもそも、野生?の犬猫と、ペットとしての犬猫の違いが見えていなかったような。
2007/08/08(Wed) 04:40 | URL  | そう゜ #SfxLvLC6[ 編集]
絶望先生
>はたして1~2話のテンションを維持できているのか。

どうやら楽しかったキャラクター紹介編は終わったようで、ここからが本格的に「お話」作りの腕が問われるところ。微妙に担当脚本家による当たり外れも見えて来ましたし。
全体が何点とかよりも、楽しい「瞬間」を楽しみに見ている感じですかね。

予備知識?何のこと?という感じですが。(笑)
そういうの好きなんですね。

>ある程度「全体」見てくれないと困るんだけど、って事例も多くある事もまた事実で。この国の政治とか特に心配。

この(政治の)場合みたいなのは、要するに前回
http://atlanta.blog24.fc2.com/blog-entry-677.html#comment603
「日常的」と一括した事例に当たるわけですよ。最初から別に真理の認識(笑)を目指しているわけではないので。
前段の話とまとめると、「作業仮説に作業仮説以上の役割を背負わせてはいけない」みたいなことになりますか。作業仮説であることから注意を逸らせてはいけないと言うか。

>直観がすべての論理を内包している

特にここらへんが。なんか面白そう(な誤解?)ですが、どこに対する何なのかという。


『ウミショー』はあむろちゃんに魅力を感じるかどうかが、ほぼ全てかと。
2007/08/09(Thu) 21:28 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
ユレタユレタ
>> 直観がすべての論理を内包している
> 特にここらへんが。なんか面白そう(な誤解?)ですが、どこに対する何なのかという。
この辺、なぜそう思うに至ったかがあやふやですが、「直観」を並べていって「論理」が表現可能か?と思ったためではないかと。
あるいは動物が絡んでいるため、上記の「論理」を「本能」に置き換えた場合に矛盾を感じたのかもしれません。
とか思い出していたら、またややこしくなってきた。

> 『ウミショー』はあむろちゃんに魅力を感じるかどうかが、ほぼ全てかと。
原作はふつーに読んでいたり。(というか、この作者の前の奴も・・・)
で、まぁあむろちゃんはいいんですよ。
でも、Boysにバカが多くってそこがどうにも馴染めんというか。その方が話が転がりやすかったとしても。
なのでこちらもあまり期待はしてないクチです。

・・・というか、前回のコメントから1週間以上経っているのに、まだ見ていないってのはどういうことだろう?って、あぁ、映画見まくってたんだっけか。


2007/08/16(Thu) 05:46 | URL  | そう゜ #SfxLvLC6[ 編集]
何がユレタ?
>直観がすべての論理を内包している
>「直観」を並べていって「論理」が表現可能か?

正直この二つが「論理」的にどういう関係にあるのかよく分からないので、あえて整理して問う意欲があるようなら(笑)またお願いします。
「直観」的には要するに論理に直観から独立した/対等以上の”地位”を与えたいという、そう゜さんのそういう心理が発させている言葉たちのように見えますけどね。
ちなみに僕はもう最近では、「直観」すら特に重視・特別視はしていません。「論理」同様の、便宜的な(中間)”形態”の一つではないかと。(また悩ませるだけですかね(笑))

>あむろちゃんはいい

ということの中には、そのあむろちゃんが愛している/かわいがっている”Boys”の”バカ”に対する肯定も、究極的には含まれているべきかと。
あむろちゃんの目で見る、あるいはあむろちゃんに託した作者の目が肯定できて、初めて全体が肯定出来るというか。
そういう意味での一貫性、肯定可能性は僕は感じていますけどね。

まあ作者は基本天然みたいですけど。(笑)
2007/08/17(Fri) 14:06 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
ぢめん
気分とかポリシーとかの内面的なものじゃありませんので、あしからず。

> 正直この二つが「論理」的にどういう関係にあるのかよく分からないので、あえて整理して問う意欲があるようなら(笑)またお願いします。

ちょっと思い出してきたので追記。
そもそも考えていた筈のイメージ?は、言葉で表現しやすいものもあれば、絵の方が表現しやすい物もあるように、相互に補完しあう関係なのかなぁ、と。
「直観がすべての論理を内包している」とすると、直観ですべての事へ対応可能なように感じられますし。
当時は単純に上記のイメージと、「ベクトルに対してならば平面」のイメージをぶつけた感想とみれば良さそうです。

> 「直観」的には要するに論理に直観から独立した/対等以上の”地位”を与えたいという、そう゜さんのそういう心理が発させている言葉たちのように見えますけどね。

確かに、「となりの庭は・・・」の状態で、自分には薄そう(?)な「直観」に、「対等」+α位の期待は抱いているかとは思います。が、それほど極端な期待をかけているつもりは無いんだけれどなぁ。


> そのあむろちゃんが愛している/かわいがっている”Boys”の”バカ”に対する肯定も、究極的には含まれているべきかと。

んーむ。原作と視点が違う、とみるべきなのか。
まぁ、『ウミショー』見たらまた感想?書きます。
2007/08/18(Sat) 00:32 | URL  | そう゜ #SfxLvLC6[ 編集]
ははあん
ややこしいので「直観」と「論理」の二つだけの関係で言いますと。

まずこの二つは択一の関係にはなくて、「直観」(ないしはその素)は常にある、でその内の何割かが時と場合と必要性と技術的可能性に応じて「論理」化されると、こういう風に考えた方がいいと思います。
じゃないと言葉/論理を習得していない幼児や動物は、生活上に必要な最低限の認識が得られなくて困ってしまいますから。(笑)

だから”直観が論理を内包”しているのではなくて、直観の上に論理が被さっている、または直観という”氷山”の”一角”として論理が存在していると、そういうイメージの方がふさわしいかと。
論理化されようがされまいが、直観は常に機能して生物の活動を支えている。ただ論理化された場合はそこに更に高い制御性や発展可能性が生じて、より生存に有利であると。

・・・・ただこれはあえて二分化した、あるいは「直観」を広義に定義した場合で、実際には「直観」もそれなりに形式化された認識のツールである、原・認識/情報が意識に与えられるorヒトの脳によりカスタマイズされたパターンの一種である。そういう意味では「論理」と見ようによっては並列的なものであると、そう僕が考えているのは今まで書いて来た通りですね。

直観そのものをというより、直観という形式を通して透かし見える比較的ダイレクトな原・情報を論理化していると、そういう感じですかね。
だから直観の精度が高まると、論理の精度も高まると考えられるわけです。
”指針”=直観、”施策”=論理、という感じ?
2007/08/18(Sat) 14:19 | URL  | アト #/HoiMy2E[ 編集]
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