ヴェルディ、代表、グラドル、漫画、アニメ、等
タイトル浮かばない
2007年08月19日 (日) | 編集 |
例の「オシムとメディアリテラシー」の話その後。
題材は一応僕のTBを承けて書かれた形の、酩酊さんの『代表なんて見なけりゃいいじゃん』

そもそも僕のあれは酩酊さんに向けて書いたものではない(コメント欄のやりとりがありそうでない、サンプルとして面白いものだったので紹介したかっただけ)ですし、酩酊さんのも言及部分について以外は僕に向けて書かれたものではない、もっと不特定多数に向けて元々書く予定だったのを僕がつついて(笑)早めたという性格のものだと思うので、スルーでもいいようなものなんですが。

それでもいくつか行きがかり上コメントしておきたい、その方が色々と視界が良くなるだろうと思われる点があるので、やっておきます。


(大きな問題)

>それ(メディア対応の拙さ)が何か問題なの?監督業と関係あるの?

監督業一般は置くとしても、(代表監督)”オシムの監督業”には関係があると思います。
なぜならオシム自身が、そういう日本のメディアやサッカー世論や民度の向上をライフワーク的に位置付けている、今回の自分の代表監督業の重要な一部として打ち出そうと意図的にやっているように見えるからです。

勿論これは全ての(代表)監督に多かれ少なかれ関わることで、例えばオフトは「個別の選手についてコメントしない」というポリシーを有言実行して、ともかく一つの見識を示しました(加茂も形としては同じ)。あるいはトルシエはもっと積極的にメディアを通した発言を利用して、特に協会との駆け引きや選手・ファンの教育・啓蒙をやろうとしたところがあったと思います。
ブラジル人2人は・・・・基本的に顔が本国の方しか向いてないのでよく分かりません。

オシムのやっていることも内容的にはトルシエとさして変わらないと思いますが、トルシエのそれがあくまで自分の代表運営を円滑にする為の方便というニュアンスの範囲に留まっている(大部分の監督はそうでしょう)のに対して、オシムにはそれ以上のもの、”使命感”とでも言うべき意気込みを僕は感じます。年齢的に最後の大仕事だと位置付けているのかなとか思いますが。

その意気込みに対してその効果や是非を自分なりに判断・反応するのは、むしろオシムに対する礼儀というか敬意の表し方だと思うのですがいかがでしょう。
・・・・まあ最初の(段落の)段階で「見えない」と言われてしまったら、この話はそれで終わりですが。


>私には理解不能なのだが、日本代表は「我々の代表」らしい。

うーん、難しく考え過ぎ、あるいは僕の知らない(笑)特定のタイプの”敵”との戦いに疲れ過ぎなんじゃないでしょうか。
各国の代表チームがそれぞれの国の(関心ある人々の)、「我々の代表」であるのは単なる定義でしょう。その内実は国情や時代状況によって様々だとしても。実際には代表チームが勝とうが負けようが、それによって直接の利害が生じるのはごく一部だとしても、これはそういう”態”のゲームです。ゲームのルールです。いかにそのルール下で有意義に遊ぶか、あるいは生きるか。
まあクラブチームでもそれは基本的に同じですね。

そういう緩い定義からすれば、代表が「我々の代表」であったとしても、そこから即ち、

>>代表を率いる監督も「我々」の代表でなくてはならない。
>>彼は「我々」のことをよく知り、その心が分かる人でなくてはならない。


ということにはなりませんね。これはより細目の、あるいはルールを元とした”ゲーム”の解釈・プレイスタイルの問題です。その一つです。
「代表への感情移入」という一事でもって、余りにも色んな人を一括りにし過ぎてるんじゃないでしょうか。

>>しかし「我々」っていったい誰だ?
>>そこにおいて「我々」は成立していない。
>>人々の多様性を考えると、否定的にならざるをえない。


だから「我々」は「我々」です。特に”成立”の要件はありません。むしろ”多様性”を緩く一括りにした(ここは括っていい。定義だから)ものが「我々」であって、否定の理由にはならないと思います。


(中くらいの問題)

>ただ単にオシムの物言いや立ち振る舞いが気に入らないというだけで、
>感情的にサッカーの内容にまで文句をつける輩が後を絶たない。


そうなんですか。幸いにして僕の生活圏には見当たりません。(笑)
2ちゃんですか?mixiですか?まあいいですけど。(笑)
ここらへんはターゲッティングというか、モチベーションの方向付けの問題ですが、後で書くようにそのレベルにいちいち反応するのは非生産的だと思うというのと、そこに怒っている最中だからこそ、逆にオシムの方の問題には目が行かないんじゃないかなという感じもします。言わば対立構造のステージの問題ですね。


>では、なぜ代表を見るのか
>>それは単純にオシムのサッカーが好きだから。
>>面白いからそれをより深く理解したいと思っているだけだ。


これは。個人のスタイルの問題として言っているなら構わないですが、上の「我々」性への極端な否定を念頭に置いて読むと、「こういう見方こそが正しい」と言っているようにも読めます。そうなんですか?
仮に酩酊さん個人の問題だと限定したとしても、ならば逆にそこまで言うならば、いっさいの「代表論」という切り口は封印する方がいいのではないかということになるかと思います。”たまたまオシムが監督に就任した1チーム”として、技術・戦術論のみを語る。『嫌なら見るな』という酩酊さん自身の煽り(笑)をそのまま援用すれば、『「代表」チームとしての関心が無いなら「代表」チームとしては語るな』という話。

ま、売り言葉に買い言葉というだけですが。
ただそれぞれのチームの存在意義に、一応の定義というか枠があるのは当たり前で、例えそれが『幻想に基づいた協会のドル箱・広告塔』であったとしても(笑)、ないよりはマシなわけです。定義を持つ気が無い人が持っている人に定義について議論を吹っかけるのは、最初から成立しない話のような気がしますが。


(個人的な問題)

>曰く、外人だから日本人の心が分からない。

僕はむしろ外人一般ではなくて”オシム個人が”ということを問題にしたわけですが。
更に言うならば、”オシム(のメデイア)改革”の用に足りる水準かという意味で。

>しかし、残念ながら今はそういう時代ではない。

必ずしもそうは思わないですね。
「そういう時代」に培った”日本”や”日本人”や”歴史的文脈”やらにこだわる見方が、最も代表を面白く見る方法で、かつ強化の実効性とも重要な関係があると思っているからやっているわけで。デフォルトでは与えられない今だからこそ、意志的にやる価値があるとも言える可能性はある。
・・・・ただ基本的には”メディア”について始まった話なので、サッカーの内容の話とは一応分けるべきでしょうね。そこらへんは追い追い、僕もやっていきますよ。

>むしろ、理解の進みそうな建設的な批判は大歓迎。

これがね、逆だと思うんですよ。(あえて言えば)「批判派」は批判が目的で、現象としての欠点をついて場合によっては駄目の烙印を押せばそれでいいわけで、”建設”する義理も酩酊さんの”理解を進める”義理も無い。そもそもがそういう立場。
むしろ『オシムが面白い』or『オシムの方法が有益である』ことの立証責任は、「擁護派」の方にあるんではないでしょうか。そしてそれは現状全く十分でないように思います。名前は挙げませんが僕の巡回範囲では、「大丈夫」とか「悪くない」とか「基本的には間違ってない」とかそんな受け身の話ばっかりで、積極的に良いところを書こうとしている人がまず見当たりません。

・・・・何が言いたいかというと、自ら低レベルと断じているような相手への反論になんてかまけてないで、もっと目の前の試合、目の前の具体的なプレーについてのクリエイティヴな論考を読ませてくれよ酩酊さん!ということです。(笑)
あるいは相対的にオシムのサッカーをよく理解していると任じているのなら(皮肉ではありません)、その頭の中身を個別の試合に即してもっと丁寧に開陳してみて下さいよという。

擁護派というより正確には「反・批判派」なんですよね。それだと仮にどんなに正しくても、終着点としては「擁護」という目的以外見えて来ない。
僕はどちらかというとオシムもオシムのサッカーもあまり肌には合わないようですが、ご存知の通りそれぞれの試合について極力是々非々でやっていますし、なるべくなら良いor面白いアングルを見付けようと努力しているつもりです(例え的外れだったとしても)。僕程度でもこれくらいやっているんだから・・・・ねえ?という。(笑)


結果的には結構論争的な感じになっちゃいましたが、これくらいはまあ機械的な範囲です。型稽古です。(笑)
少しでも酩酊さんやオシムをめぐる議論の整理に役立っていることを望みますが。


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