ヴェルディ、代表、グラドル、漫画、アニメ、等
河野、飯尾ら、ヴェルディのちびっ子系選手
2007年08月22日 (水) | 編集 |
ちょっと変則ですが、京都戦のエントリーであまりにもバタバタと書き過ぎたので移転・加筆・修正。
・・・・それにしても妙に人が来ていて、所長さんの為の客寄せという本来の目的(笑)の為には更新の必要を感じないんですが、その沢山来てくれている人に二日連続空振りさせるのも失礼なのでこんなのでも書いておこうかと。今晩は当然書く暇無さそうですし。
オシム(のサッカー)についても書こう書こうと思っていることはあるんですけど、せっかくなら最新試合を見てからの方が。


まず河野について移転。

河野活躍!、は、いいんですけど、どうも見てると玉乃とダブって少し悲しい気持ちになるところがあります。ウチでモノになり切れなかったなあというのと、早熟の天才を謳われながら、ついぞ代表レベルの活躍の機会に恵まれなかったなあというのと。
実際問題河野にしろ今のウチだと、すばしっこいタイプの選手って使い所が難しいですよね。消費or消耗して終わりという感じが。まあ先の話ですが。
空母が無ければ活きない航空機の機動力、みたいな。廣山とかは補給も指揮も自分でやっちゃうタイプですけど。(笑)


それから飯尾について引用。

正直形は良かったですが、入ってからの怯えたようなプレーを見てると、飯尾の起点から流れの中で点が入る予感はほとんどしてなかったです、個人的には。
技術や基礎能力だけじゃFWは出来ないんですよね、かわいそうだけど。なんだかんだ国際レベルのFWにはなった柳沢って、実は上出来以上の凄い選手なんじゃないかなとか思ってしまいます。


今週のサカダイのインタビューで河野が「愛媛戦はピッチが広く感じた」と語っているのは、基本的には”気圧された”という自らの心理的な問題のことなんでしょうけど。
ただ多くの時期のヴェルディに、このテのすばしっこくて細かいプレーをする選手に「ピッチを広く」感じさせてしまう土壌はあるように思います。京都戦に限らず、藤田もよく感じていることでしょう。

つまり”細かい”あるいは”瞬間的な”プレーが効力を発揮するには、それ以前に大きい部分の作りをちゃんとして、状況を追い込んでおかないといけないわけで。ここまではやっておいた、さあ行って来いと。
いちから細かくてはすぐ躓いて、引っ掛かって、力尽きてしまいますから。文字通り「大勢」は大きく作るもの。

それは河野や玉乃で言えばドリブルや瞬間的な速さの稼動距離や位置の問題になるでしょうし、飯尾のチェイスやスペースメイク力、(ポストの)ポジショニング・センスの繊細さで言えば、それが時のチーム戦術と整合性があるかまともな関連性があるかという問題になるでしょう。豚に真珠というか。(笑)
要はたいていの場合ヴェルディは組織力がない、あるいはチーム作りが雑という言わずと知れた問題ですが。

思い付きですが割りと気に入っている例え(笑)をまた使うと、機動部隊運用の為の空母が足りないか適切に位置付けられていない艦隊のような。今年は特に突出した巨大戦艦が一隻いますけど(笑)。あらゆる作戦を無化する、設計思想自体が我が帝国海軍(?)のものとは根本的に異なる。
・・・・・まあラモスの場合は基本構造が大づかみ、パワー型という隠れた特徴もあるかと思いますが(悪いと言っているのではないです)。”出来不出来”とはまた別に。フッキもそうですが、それ以前に海本というのが象徴的な選手。藤田の押し並べての冷遇がその裏の面。大野もある意味の被害者。

基本的に大きく、はっきりプレーしないとウチでは難しいんですよね。あるいは全部自分で面倒見るか。


で、それはそれとして僕の再三の飯尾への厳しい視線には一つ理由があって、それはデビュー当時の飯尾はもっとちゃんとした”FW”だったからです。別にバシバシ点を取っていたということはないですが、基本的に”前へ””ゴールへ”向かう姿勢があった、”ゴール前”での存在感があった。河野じゃないですが『突貫小僧』的なそういう愛され方を、他サポも含めてされていました。
また今でこそサイドに流れたりスペースを作ったりという、ある意味で「ヴェルディらしくない」プレーが一番の特徴になっていますが、中央密集での凄まじく細かいワンツー・プレーでゴールに迫るような”ザ・ヴェルディ”なプレーを、総体として決していわゆるヴェルディ(というかヨミウリ)らしくはない、李さんのチームの中で披露したりしていました。

それが今日のようなプレイスタイルになったのは、直接的には元々体格的にかなり恵まれない方だったところに(それゆえもあって)数度の故障をして、接触プレーを避ける方に避ける方に意図的にか無意識にか流れて行ったという、そういう面が大きいのだとは思います。瞬発力自体は特に落ちているようには見えませんし。
まあ元々”ストライカー”ではなかったと思いますけどね。かなり神経質なメンタルも含めて。当時セットのように使われ、後に別の意味で(笑)大きく変わって行った桜井同様、李さんの指示、チーム構成の厳密さから、必然的にああいうシンプルさに特化したプレーが導かれていたというのもあったと思います。

ただ経緯はともあれ、余りにも、余りにも、ストライカーでない、FWでなくなってしまった。それこそユース代表時代不動の2トップを組んでいた、当時は双子のようなところもあった佐藤寿人のご存知のリアル・ストライカーへの成長・変貌ぶりなどと比べても、やはりちょっと残念な思いは拭えません。例え今もいいところがあるにしても、全体として「いい」という方向で語る気にはなかなかなれません。
仮にもFWをやってる限りはね。心が折れたままの選手、と映ります。

京都戦についても「ボールのないところ」や「ボールをもらう」プレーまではいいんですよね。確かに良く機能していました。でももらった瞬間から一気にトーンダウンする、「どうしよう」という不安な顔になる。やってやる、攻めてやるではなくて、「いかにこのプレー機会を大過無く終わらせるか」という、そういう発想が優勢になってしまうように見える。
なまじ頭の良い選手なのでね。色々考える、というのと、誤魔化しようを知っているというのと。

とにかく、今年限られたプレー機会の中で、チームの必要に応じて廣山があっという間に見せてくれた”ストライカー”的なプレーの進歩ぶりなどと比べても、もうちょっと何とかしなくちゃいけないんじゃないの?と思わざるを得ません。
点を取る取らないは結果ですが、何らか中央/ゴール前での存在感が無いというのは致命的でしょう。サイドも、CBも、それぞれしなくちゃいけない”勝負”というものがあるわけですよね。それを中心に、その他のプレーの肉付けをしていく。一方で”献身的な”運動量で鳴らす飯尾ですが、ある面では自分の都合だけでプレーしているところがある。厳しい言い方をすると。


ま、雑談です。(え?)
「駒」としては、そういう選手だと分かって使えばいいだけの話ですけどね。
でも体が動く内に、もう一度何か変わるのを見てみたいとは思います。このままじゃ寂し過ぎる。


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