2007年08月23日 (木) | 編集 |
”公式戦”に敬意を表してこっちからにします。・・・・が、こ、これは。厳しい。
北京五輪最終予選 日本U−22 ○1−0● ベトナムU−22(国立)
「嫌だから見ない」という選択の必然性が、すぐそこまで迫って来る。(笑)
目に見えるものだけで言えば、変わらず3−5−2で、平山の軸も不動で、家長が柏木に変わっただけで、そもそも何かが大きく変わると考えられる材料が見当たらないような気がしますが。「トップ下家長」自体が、元のチームを”変える”為に投入されたカンフル剤だったわけですし。
あれだけ悲愴感溢れる大騒ぎして、仮にも3つも準備試合があって、出て来た答えが結局これというのは自信があるのか発想がループしているのか。
まあ変えりゃあいいってもんでもないんですけどね、ただ例えば”企画”を”審査”される立場たる反町監督(実際そんな風に見える)が、馬鹿な想像ですが仮に事前にこの試合/この予選に向けての「企画会議」に出席していたとして、こんな企画を”プレゼン”しておいそれと通るとはとても思えませんが。(笑)
すいません、馬鹿なこと言って(笑)。でもどうにも不思議というかずっこけてしまったもので、単純に。思い切ったことを”試す”とすれば、逆にこの相手しかいなかったわけですしね。
また逆に前のやり方がこの相手に「通じた」として、それがその後の相手に通じる保証も何ら得られないわけですし。うーむ。
・・・・で、通じたんでしたっけ?
まあいいですよもう、このチーム自体は。何か一定レベル以上のものを見せて来るまで、むしろ放置するのが思いやりという感じ。無理にアングルを探しても。
あのですね。「嫌」だから、あるいは「嫌い」だからというのは「見ない」・・・・というより正確には「語らない」(「見る」だけなら誰にも影響無いわけですし)理由には必ずしもならないと思うんですよね。「嫌」だ「嫌い」だというのは立派な感想・反応ですし、「主張したいこと」の元にもなり得るわけで。ネガティヴではあっても。
では何がいけないか、黙するべきケースかというと、それは「興味がない」「見出せない」場合。余りにも知らない、知る気もない場合がこれに準ずる。
これはまた、スポーツに限らず企業的なタイプの”マスコミ””ジャーナリズム”の一番不愉快な部分、下種に感じる部分でもあります。自分の何らか個人的に思い入れのある対象に対して、何ら興味も見識も知識も無い人間に、「こういうことがありました」という以上の”コメント”をつけられる瞬間の不快感、殺意。『取材不足』みたいなものも、広い意味ではここに入るかも知れません。
ある自分も一家言あることについて誰かが自分とは全然違う、あるいは間違っていると思われる意見を述べているのを聞いた時、そりゃまあぶっちゃけ腹が立つことは少なくないですよ。実際には。人間だもの。(笑)
ただそれが何がしかその人なりの「意見」、個人的なコミットメントのあるものであるならば、腹は立っても怒っちゃいけない。少なくともすぐには。行為としては。大人だもの。(笑)
でもそれが「意見」以前だと感じた場合、てめえ要するに知らないだろ、興味ないだろ、言うてみい、俺の目を見て言うてみい?と感じた時は、これはもう、怒っていいんじゃないですかね。それ以上、その人の魂の堕落を進行させないためにも。(笑)
いや、まったく。興味がないことについて言葉を紡ぐと口が腐りますよ。魂が泣きますよ。それを聞くのも見るのもね。ああ、嫌なもん食った。
要するに、アングルが、興味を感じる/面白いと感じるポイントが探せるのなら、語る価値、資格は最低限あるんじゃないかという話ですけどね。
まあ出来れば好きなものについて語った方がベターだとは思います。ポジティヴな方が。
そして『ヴェルディ』なり『日本代表』なり、ぶっちゃけ名前くらいしか同一性が保証されていないような対象に「定点」的にへばりつくことによって、ネガティヴな、あるいは本当には興味の無い事柄について語る危険性や不健康がかなり増大するのは確かなことだと思います。
僕だって”サッカーブログ”というのを基本定義としていなければ、かなりの確率で褒める記事ばかりになると思いますし。それこそ”所長さん”みたいに(笑)。あれはむしろ、無理矢理褒めてるきらいすらありますが。(笑)
好きで語っているはずの「漫画」でも、”モーニング”という「定点」を持つことによって知らずネガティヴな内容が増えてますし。あるいはその時たまたま思い付きで書いた記事の方が、明らかに反応もフレッシュで好意的なようですし。(笑)
だからアングル以前に、語るべき”対象”自体をその都度「発見」して行くのがやはり理想なんでしょうけどね。ただそれだとなかなかベース/ペースが出来ないし、傑作を書くプレッシャーで(?)すぐ煮詰まるし。そうしてどれくらいの良サイトが消えたり更新不定になったりして来たか。(まあそれ以外の理由もあるでしょうが)
まあ「定点」だからこそ掘り出せるディテールがあるのも確かですしね。継続性自体が一種の目的、サッカーは(も)ブラッドロマンだ的な主張も出来なくはないと思いますし。
語るべき対象はあるか、語るべき対象なのかどうかなんてことをいちいち考えてると、実は「ない」んじゃないかという結論にどんどん、重力に引かれるように落ちて行く傾向もありますし。(笑)
ええ、何の話でしょう。まあだいたい分かりますね。(笑)
ともかく反町ジャパンを語るべき対象として認定するのは、現状非常に難しいということです。その前の山本ジャパンの時点で、既に「定点」性の力をかなり借りていましたし。そろそろ注射の効果が。燃料投下、お願いします。(笑)
念の為、以上全てこれを承けての話です。
北京五輪最終予選 日本U−22 ○1−0● ベトナムU−22(国立)
「嫌だから見ない」という選択の必然性が、すぐそこまで迫って来る。(笑)
目に見えるものだけで言えば、変わらず3−5−2で、平山の軸も不動で、家長が柏木に変わっただけで、そもそも何かが大きく変わると考えられる材料が見当たらないような気がしますが。「トップ下家長」自体が、元のチームを”変える”為に投入されたカンフル剤だったわけですし。
あれだけ悲愴感溢れる大騒ぎして、仮にも3つも準備試合があって、出て来た答えが結局これというのは自信があるのか発想がループしているのか。
まあ変えりゃあいいってもんでもないんですけどね、ただ例えば”企画”を”審査”される立場たる反町監督(実際そんな風に見える)が、馬鹿な想像ですが仮に事前にこの試合/この予選に向けての「企画会議」に出席していたとして、こんな企画を”プレゼン”しておいそれと通るとはとても思えませんが。(笑)
すいません、馬鹿なこと言って(笑)。でもどうにも不思議というかずっこけてしまったもので、単純に。思い切ったことを”試す”とすれば、逆にこの相手しかいなかったわけですしね。
また逆に前のやり方がこの相手に「通じた」として、それがその後の相手に通じる保証も何ら得られないわけですし。うーむ。
・・・・で、通じたんでしたっけ?
まあいいですよもう、このチーム自体は。何か一定レベル以上のものを見せて来るまで、むしろ放置するのが思いやりという感じ。無理にアングルを探しても。
あのですね。「嫌」だから、あるいは「嫌い」だからというのは「見ない」・・・・というより正確には「語らない」(「見る」だけなら誰にも影響無いわけですし)理由には必ずしもならないと思うんですよね。「嫌」だ「嫌い」だというのは立派な感想・反応ですし、「主張したいこと」の元にもなり得るわけで。ネガティヴではあっても。
では何がいけないか、黙するべきケースかというと、それは「興味がない」「見出せない」場合。余りにも知らない、知る気もない場合がこれに準ずる。
これはまた、スポーツに限らず企業的なタイプの”マスコミ””ジャーナリズム”の一番不愉快な部分、下種に感じる部分でもあります。自分の何らか個人的に思い入れのある対象に対して、何ら興味も見識も知識も無い人間に、「こういうことがありました」という以上の”コメント”をつけられる瞬間の不快感、殺意。『取材不足』みたいなものも、広い意味ではここに入るかも知れません。
ある自分も一家言あることについて誰かが自分とは全然違う、あるいは間違っていると思われる意見を述べているのを聞いた時、そりゃまあぶっちゃけ腹が立つことは少なくないですよ。実際には。人間だもの。(笑)
ただそれが何がしかその人なりの「意見」、個人的なコミットメントのあるものであるならば、腹は立っても怒っちゃいけない。少なくともすぐには。行為としては。大人だもの。(笑)
でもそれが「意見」以前だと感じた場合、てめえ要するに知らないだろ、興味ないだろ、言うてみい、俺の目を見て言うてみい?と感じた時は、これはもう、怒っていいんじゃないですかね。それ以上、その人の魂の堕落を進行させないためにも。(笑)
いや、まったく。興味がないことについて言葉を紡ぐと口が腐りますよ。魂が泣きますよ。それを聞くのも見るのもね。ああ、嫌なもん食った。
要するに、アングルが、興味を感じる/面白いと感じるポイントが探せるのなら、語る価値、資格は最低限あるんじゃないかという話ですけどね。
まあ出来れば好きなものについて語った方がベターだとは思います。ポジティヴな方が。
そして『ヴェルディ』なり『日本代表』なり、ぶっちゃけ名前くらいしか同一性が保証されていないような対象に「定点」的にへばりつくことによって、ネガティヴな、あるいは本当には興味の無い事柄について語る危険性や不健康がかなり増大するのは確かなことだと思います。
僕だって”サッカーブログ”というのを基本定義としていなければ、かなりの確率で褒める記事ばかりになると思いますし。それこそ”所長さん”みたいに(笑)。あれはむしろ、無理矢理褒めてるきらいすらありますが。(笑)
好きで語っているはずの「漫画」でも、”モーニング”という「定点」を持つことによって知らずネガティヴな内容が増えてますし。あるいはその時たまたま思い付きで書いた記事の方が、明らかに反応もフレッシュで好意的なようですし。(笑)
だからアングル以前に、語るべき”対象”自体をその都度「発見」して行くのがやはり理想なんでしょうけどね。ただそれだとなかなかベース/ペースが出来ないし、傑作を書くプレッシャーで(?)すぐ煮詰まるし。そうしてどれくらいの良サイトが消えたり更新不定になったりして来たか。(まあそれ以外の理由もあるでしょうが)
まあ「定点」だからこそ掘り出せるディテールがあるのも確かですしね。継続性自体が一種の目的、サッカーは(も)ブラッドロマンだ的な主張も出来なくはないと思いますし。
語るべき対象はあるか、語るべき対象なのかどうかなんてことをいちいち考えてると、実は「ない」んじゃないかという結論にどんどん、重力に引かれるように落ちて行く傾向もありますし。(笑)
ええ、何の話でしょう。まあだいたい分かりますね。(笑)
ともかく反町ジャパンを語るべき対象として認定するのは、現状非常に難しいということです。その前の山本ジャパンの時点で、既に「定点」性の力をかなり借りていましたし。そろそろ注射の効果が。燃料投下、お願いします。(笑)
念の為、以上全てこれを承けての話です。
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