2007年09月06日 (木) | 編集 |

オフィシャル
微妙にマンネリなので、毎回一つプッシュ作品を絞ってみようかと。続くかな。
『モダンタイムス』
色々と面白い。関連作『魔王』も読んでみようかと。
![]() | 魔王 伊坂 幸太郎 (2005/10/20) 講談社 この商品の詳細を見る |
「”全体”が見えないと”良心”が失われる」。
直接的には”想像力と知覚”ですが。
分かり易くサッカーで言えば、能力に比して「責任感」や「継続性」「包括性」の極端に欠如したプレーをすると言われる選手(某H本とか?)がこれにあたるかと。
つまり「チーム」に対してあえて(悪気があって)「責任」を放棄しているのではなくて、そもそも「チーム」という「全体」が見えないから、「責任感」が生じない、「責任」を持つ対象自体が見出せないということ。ココロというよりはアタマ、気持ちというより認識の問題ですね。
”見えない”無力感が、包括的・継続的に頭を使うという負荷の大きい作業を忌避させるというのも。
だから一般的には頭が良い・・・・というかそう自負している人ほど責任感は期待できて、それが伝統的な「エリート」という概念にも繋がっていたわけですが。
ただ最終的には知覚能力と知覚対象のサイズ・認識可能性との相対的な関係、兼ね合い、イタチゴッコの問題で(作中で言えば「想像する能力」と「製造する能力」)、現代社会はある意味「誰にも知覚出来ない」、だから責任も持たないという、そういうような話。
それこそ”道徳の再建”の問題も、「情操」や宗教の問題ではなくて、社会や個人に関する認識の修正や再設定(の成功)の問題だと思うんですけどね。すぐれて知的な問題。・・・・つまりはうまい枠組が見付かることによって初めて、安心して(笑)、照れずに、引かずに、道徳感情をスムーズに発動させることが出来る。強要しても力説しても、どうもならん。
・・・・ただし「宗教」も各々かつてはそういう知的な、それぞれの時代に画期的な人間観・世界観を提示して、それによって新たな道徳性を言わば”発明”したんだと思いますが。ただ多くは現在は枠組としての有効性が不十分で、形骸化している。
ちなみにこの『モダンタイムス』という作品自体に関しても、こういう特異な細切れ形態だけに、なかなか「全体」が見えなくてそれによる”無力感”でネガティヴな、投げやりな評価が出て来がち。(笑)
今回のように全体が見えたような、どういう作品か一応分かったような感覚が持てると、ポジティヴというかちゃんとそれなりに汲み取った丁寧な評価も出来る。
まあこれは作品と読者の普遍的な関係/問題でもありますけどね。
”謎”は好きだけど置いてけぼりはガマンならん!(笑)
その匙加減が難しい?
その他。
『神の雫』
多分初めての巨乳系美女(藤田茜)登場!・・・・ですが、芸風に無いものを仕方なくやっている感じで、初読では気が付きませんでした。(笑)
パラパラと俯瞰で見て初めて、「あ、出てる」という物理的事実に目が留まるという感じ。
まあ”グラドル”という設定の遠峯妹ですらあの程度の量感ですからねえ。とことんスリムビューティな人なんでしょう。好きですが。
『GIANT KILLING』
応援団問題。”段取り派”と”自然発生派”?
どうまとめるか興味深いですが、基本的にコメントしづらい分野です。
今までの欄外を読む限り、作者自身は”サポーター”という観念に対して、割りとイノセントな人な感じですが。枠自体の批判はハナから視野に入っていないと言うか。
『じょなめけ』
僕が聞いた限りなく通説に近い俗説によると、ヨーロッパ史上初めての”小説”は、当時発明されたばかりの活版印刷術を手に入れたある印刷屋の親父が、一通り聖書を刷り終わった後「さてあと何刷るべえ」と頭を悩ませて、結局仕方なくてめえで書いてみたベタベタのハーレクインロマンスまがいだったということ。(そしてそれはヒットした)
「版元」が掘り起こす「大人の男の読み物」の需要(と吉原)。少し面白そうな話ですね。
『僕の小規模な生活』
主人公(作者)に微妙に不快感を感じつつ、なんだかんだ楽しみに読んでますが。
ていうか出て来る人誰一人好感持てないですね。(笑)
基本的にそういう視線。
こういう出版界の裏話的な話は単純に興味深いですが、それにしても担当編集者に信頼感がないまま描き続けるのは、結構地獄でしょうね。モノがモノですし、基本単身ですし。
僕は嫌だな。だったらブログでという感じ。(笑)
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