第7章 「接戦の演出こそスポーツビジネスの要」 より
”要”とまで言われるとそうかなという疑問も生じるので、”基本”とでもした方が広く賛意が得られて、内容にも沿っている気がしますが。
戦力均衡が観客動員を増やすか
「野球を始めとする各種スポーツに関しては、戦力バランスと需要の実証的関係を特定すべく、膨大な研究が行われている。
そのような研究は、均衡がとれているほど観客数(需要)が多くなるという仮説を支持する傾向にある。しかし、この結論は全研究に共通しているわけではなく、しかも関係は強固であることよりは弱いことのほうが多い。」 (p.214)
「経済学者は標準偏差、理想化標準偏差、レンジ、および勝率の十分位比などを適用して戦力バランスを定義しているが、ファンがこのような統計数値で測定される変化に本当に影響されるかどうかは不明瞭だ。
ファンが本当に興味があるのは、自分のチームにまだ脈があるのか、あるいは(中略)ポストシーズンに向けて脈がある状況にあるのか、ということであろう。多分ファンが欲しいのは、トップが入れ替わり、どのチームでもたまには優勝のチャンスがあるという仕組みだろう。」 (p.214)
サッカーの戦力不均衡
例 ~2004年までの各リーグ優勝回数
ポルトガル:ベンフィカ27回、FCポルト19回、スポルティング・リスボン18回、その他2回
スコットランド:レンジャーズ50回、セルティック39回、その他9チーム合わせて19回
ギリシア:アテネの3チーム(オリンピアコス、AEK、パナシナイコス)以外が優勝したのは2回
トルコ:イスタンブールの3チーム(ガラタサライ、ベシクタシュ、フェネルバフチェ)以外が優勝したのは2回
ノルウェー:ローゼンボルグBK、1991~2003年まで12連続優勝
ウクライナ:ディナモ・キエフ、同上期間に11回優勝
イタリア:ACミラン、ユベントス、インテルで42回
スペイン:レアル・マドリーとバルセロナで、73回中45回
イングランド:”プレミア”12回中、マンU8回。”FL”時代のリバプール、’76~90年の15回中10回優勝
・これらはサッカーが伝統的に戦力とその背後にある経済力の不均衡に、何ら均衡化や再分配の手だてを施さず、自由競争に任せていた結果。
・同時に昇・降格制度やカップ戦など、リーグ優勝以外のモチベーションの多様さが、そうした不均衡を許容させていた。
・また逆に優勝争い常連の強豪クラブたちも、(”メジャーリーグ”を形成せず)弱小クラブたちと同じリーグ内にとどまり続けることによって、ある意味犠牲を払っていた。
サッカーと”均衡”
アメリカのプロスポーツには、入場料やキャラクターグッズ収益のシェアリング制度、ウェーバードラフト、選手の保有枠やサラリーキャップ、奢侈税等、様々な均衡化・再分配システムがあるが、
「アメリカの経済学者は自国のスポーツリーグの再分配制度について、弱いチームの競争インセンティヴを殺いでいる点を批判する。例えばNBAでは、最初にドラフト指名権が得られるので、弱いチームはその権利を得ようと、故意に負ける例が若干ながらある。」
「もっと重大なのは、勝利で収入が増える可能性が限られた小都市を本拠とするチームの場合、オーナーはリーグが再分配してくれるあらゆる収入を、チーム力の向上に投入するより、自分のポケットに入れる誘惑に駆られてしまうことだろう。」 (p.232)
しかしサッカーの世界には、このような傾向を和らげる特徴が二つある。
「第一に、クラブは総じて通常の意味で(MLBのように)利益の極大化を目指しておらず、勝利の極大化を重視している。(中略)
勝利極大化を志向する人は(利益極大化を志向する人とは違って)手に入るものすべてを支出するだろう。この意味では、勝利の極大化を目指す人々で構成されるリーグでは、再分配はより効果的に機能するはずだ。」 (p.232)
「第二に、昇格・降格の仕組みがある。(中略)サッカーではあきらめたチームは降格がほぼ確実になってしまうため、(仮に)利益極大化を目指す人が率いるチームでも、チーム力の向上に財源を支出する誘因が作用する。」 (p.233)
つまり再分配を効果的に機能させるはずの構造を持っているサッカーには再分配制度が存在せず、持っていない(勝利極大化主義も昇格・降格制度も無い)MLB/アメリカンスポーツには有り余るほどのそれがあるという皮肉。
テレビ革命&CL創設以後、格差拡大以後の趨勢
「したがって一九九〇年代になると、小さいところを中心にクラブや管理者が、アメリカ型規制の輸入の必要性を口にし始めたのも不思議ではなかろう。給与上限、選手枠、ドラフト制、および入場料シェアリングなども口の端に上るようになっている。」 (p.234)
(補足)テレビ放映権の集団売却 (第6章より)
ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペイン以外の国では、放映権はリーグ一括で集団売却(&各クラブに分配)され、EUや各国司法・独占禁止当局による監視との緊張関係にある。が、
「イギリスのプレミアリーグでは、証言に立ったサポーターがそろって連盟側を支持した。多くのサッカーファンは集団販売を、裕福なクラブから貧しいクラブに所得を再配分する唯一の方法であると見ている。」 (p.230)
つまりは均衡化・再分配の機運自体は高まっているのだが、一方でそのきっかけであるチャンピオンズリーグの存在が、逆に規制の導入を難しくしている。
「最大の障害は、各国国内リーグとチャンピオンズリーグの二重構造にある。(中略)
たとえば30人という選手枠の制限は、国内リーグの戦力平準化には役立つだろうが、チャンピオンズリーグの参戦者にとっては、長期にわたる試合日程を消化することを不可能にしてしまう。(中略)
同じように、国内リーグにおける効果的な給与上限規制は、地方のチーム(マイナー国の意味か?)が全ヨーロッパでの競技で成功を収める可能性を奪ってしまうことになるだろう。」 (第8章 p.250)
まとめ的な最終章、「サッカーは野球に学び、野球はサッカーに学べ」は省略。
その代わりに、自分なりのまとめと雑感を付け足そうと思います。