2008年01月24日 (木) | 編集 |
年頭の辞 (’08.1.1)
アトさんに触発されてみた (みどりのよまいごと)
書いたけど何となく言葉足らずだなあと思っていたところをさわさんがいじって下さったので(笑)、答えつつ補ってみます。緑が僕の原文、さわさんによる部分は青で。
>1.これで意外と(?)職業的に書いている。
>つまり読み手への義務感・忠誠心や「公」的な意識が満更無いわけではない。
>>まじめな人は読者よりになってしまって、独自の視点を失っていく傾向にあるような気がします。
僕が”義務感”を引き受けて”職業的”になっているのは、主に「書き続けること」自体で、内容ではないですね。供給は請け合いますがクレームは受け付けませんという感じ。(?)
その構成要件としては一つは勿論、端的に更新頻度。まあウチの場合、「読み」に来ているのか「見」に来ているのか、その配合が謎なところがあるのでナンですが(笑)。画像そのものは純然たる趣味なので、”義務”的苦痛とは無縁ですけど。”同志への呼びかけ”(遠吠え?)という意味での「公」意識はあるかも。(笑)
もう一つはトピックの選択。分かり易いところではしょうもない試合でもとにかく書く。見たら書く。意地でも書く。結構書く。似たようなこととしてシリーズものはちゃんと書く。それから誰もが話題にするようなタイプのトピックについても、触れることは必ず触れる。一度は。
後はまあ、ウケなくても書きたければ書きますが、ウケれば更に書く。これは当たり前か。(笑)
それから必ずしも今自分が書きたいわけではないけれど、これまで書いて来た内容からして、この件について僕がどう思ってるか知りたい人が一定数いるだろうなと思うことについては、多少鞭打ってでも書く。
「公」意識ということについて更に言うと、ネット「社会」におけるプレザンスそのものにはありますね。細かい内容はともかく。
それこそさわさんが言っているような”自分を見失う”パターンや、その他の理由でいつの間にかなくなるブログ/サイトへの、読者としての哀しみの経験からも、居続けること自体に一定の価値はあるだろうと。後は特に”ヴェルディ”ネット・コミュニティという枠の中で、居続ける書き続けることによって、歴史的内容的人的に、色々と接合機能を果たせるところはあるんじゃないかと、割りとポジティヴに思っている/感じています。(代表関係も意外とありそう)
”ブログ”(と2ちゃん)の時代になってからは他人の反応や思考を推測する材料は格段に増えたので、そういう意味では随分とやり易くなりましたね。mixiは知りません(笑)。携帯も。
>2.しかし目標はあくまで”最大幸福”、書き手と読み手のそれの合算である。
言葉として分かり難かった気がするので言い換えると、「書き手の幸福と読み手の幸福の合算」を、「最大化」出来る配合・内容を意識しながら書いているということですね。成否は不明。(笑)
>>私は自分の最大幸福しか求めていない気がします。
あのね、さわさんはいいんですよ、元の作りが社会的な人なので。(笑)
「私」といっても、結構自然に「公」や「他人」に向けるので。(自己評価は知りませんが)
僕はほら、洒落にならないですから(笑)。見ての通り。油断すると俗世から迷い出てしまうので。
>>相変わらず、私は真意の伝播というのはリアル>マリアナ海溝>ネットなんですね。
これについて書き出すとキリが無いというか、シリーズ記事になっちゃうんですが。
一言で言えば”それぞれのリアル”があると言うのが僕の基本的な立場・力点ですね。言葉としてはありきたりですが、かなり実感的に思っています。酒場とネットの違いは真偽や優劣ではなく、種類の違いであると。一長一短であり、それぞれに特有のコミュニケーション機能があると。上でネット「社会」と言っているのもかなり本気です。
勿論酒場とネットにはっきりした違いはありますけどね。それは『肉体』(身体)が関与しているかどうか。それによって現実”感”の濃密さに違いがあるのは確かですが、それが即ち何を意味するのかは一概には。ネットだって体は無いけど接続料金は払ってますから(笑)、現実には違いない。
もう一つは僕が常に考えているのは、「真意」の「伝播」というよりも、発した言葉がどのように受け手に「影響」を与えるか、あるいは言葉がどのように「流通」するかということですね。
極端に言えば政治家的または商人的な態度で、ある面読み手を”操作””管理”の対象として最初から考えている。勿論「真意」を受け取ってくれればそれに越したことはないんですけど、逆の立場で考えてもそれはほとんど不可能ごと。だから「真」の限定性や誤解の可能性のレパートリーも最初から考慮に入れて、今回はこういう目的でこういう言葉をこういう風に発しようというそういうプロセスが思考の中心となっている。想定外の誤解を受けるとヘコみますし、好意的or発展的な誤解を受けて、素知らぬ顔で乗っかったりもしますけど。(笑)
まあこれは別にネットに限ったことではないですけどね。言葉は伝わるというより、影響し、流通するものですよ。それ自体が一つの現実的実体として。それを俯瞰で見て、効能やリスク・コストを予測計算して、(言語的)行動を決定する。誤解も含めてコミュニケーション。嘘から出る真。
ほんとに「伝」えたければ・・・・テレパシーかなやっぱり(笑)。それでも伝わるまいと思っているところが僕はありますが。
>「”ヴェルディ”を応援してるから仲間」なんてのは馬鹿馬鹿しい。どことかいうのはたまたまだから。あるいはとりあえずの枠でしかないから。
ちょっと言わずもがなのことを言ってしまった感がありましたが、これ逆も言えるんですよね。
つまり今回の話とも関連付けていいますと、「ヴェルディを応援している」なんていい加減な共通項によって寄り集まったかなり雑多な人々によってとにもかくにも構成されている「社会」、場、それ自体に、あるいはそこで試せる様々な心理学的社会学的実験(笑)に、僕はとても興味があるということ。
・・・・いや、かなり、稀有に雑多だと思いますね、年齢的タイプ的階層的に。うっかり集まっちゃってるわけですこれは。”ヴェルディ””サッカー”という蜜に誘われて(笑)。なかなかこういう機会は無くて、これがプロスポーツリーグなんてものの重要な面白さの一つでもある。
更に言うとくだんの『肉体』付きの濃密な「社会」だと、その濃密さゆえにいちいち違いが強調されてすぐに決裂してしまいそうなものが、そこらへんが淡白なネットだと割りと緩く形を保っていられるので、好都合であると。僕自身好き嫌いは激しい方ですし。
そういう雑多な(といっても自ずと棲み分けは進んでしまうものですが)人たちに向けて、これまた雑多なメッセージをああでもないこうでもないと発信して、そのフィードバックを点検して楽しむという、そういう毎日。(笑)
>>仕事やプライベートで撃沈しない限り書き続けたいとは思ってますが
轟沈、したくないですねえ。(笑)
心理的にはたいていのことはむしろ妖人”アト”さんの(芸の?)肥やしだろうと思いますけど、中の人あんまり肉体的に強くないので、生活に追いまくられたりするとちょっと。
ご静聴、ご相伴(笑)、ありがとうございました。(補)へ
アトさんに触発されてみた (みどりのよまいごと)
書いたけど何となく言葉足らずだなあと思っていたところをさわさんがいじって下さったので(笑)、答えつつ補ってみます。緑が僕の原文、さわさんによる部分は青で。
>1.これで意外と(?)職業的に書いている。
>つまり読み手への義務感・忠誠心や「公」的な意識が満更無いわけではない。
>>まじめな人は読者よりになってしまって、独自の視点を失っていく傾向にあるような気がします。
僕が”義務感”を引き受けて”職業的”になっているのは、主に「書き続けること」自体で、内容ではないですね。供給は請け合いますがクレームは受け付けませんという感じ。(?)
その構成要件としては一つは勿論、端的に更新頻度。まあウチの場合、「読み」に来ているのか「見」に来ているのか、その配合が謎なところがあるのでナンですが(笑)。画像そのものは純然たる趣味なので、”義務”的苦痛とは無縁ですけど。”同志への呼びかけ”(遠吠え?)という意味での「公」意識はあるかも。(笑)
もう一つはトピックの選択。分かり易いところではしょうもない試合でもとにかく書く。見たら書く。意地でも書く。結構書く。似たようなこととしてシリーズものはちゃんと書く。それから誰もが話題にするようなタイプのトピックについても、触れることは必ず触れる。一度は。
後はまあ、ウケなくても書きたければ書きますが、ウケれば更に書く。これは当たり前か。(笑)
それから必ずしも今自分が書きたいわけではないけれど、これまで書いて来た内容からして、この件について僕がどう思ってるか知りたい人が一定数いるだろうなと思うことについては、多少鞭打ってでも書く。
「公」意識ということについて更に言うと、ネット「社会」におけるプレザンスそのものにはありますね。細かい内容はともかく。
それこそさわさんが言っているような”自分を見失う”パターンや、その他の理由でいつの間にかなくなるブログ/サイトへの、読者としての哀しみの経験からも、居続けること自体に一定の価値はあるだろうと。後は特に”ヴェルディ”ネット・コミュニティという枠の中で、居続ける書き続けることによって、歴史的内容的人的に、色々と接合機能を果たせるところはあるんじゃないかと、割りとポジティヴに思っている/感じています。(代表関係も意外とありそう)
”ブログ”(と2ちゃん)の時代になってからは他人の反応や思考を推測する材料は格段に増えたので、そういう意味では随分とやり易くなりましたね。mixiは知りません(笑)。携帯も。
>2.しかし目標はあくまで”最大幸福”、書き手と読み手のそれの合算である。
言葉として分かり難かった気がするので言い換えると、「書き手の幸福と読み手の幸福の合算」を、「最大化」出来る配合・内容を意識しながら書いているということですね。成否は不明。(笑)
>>私は自分の最大幸福しか求めていない気がします。
あのね、さわさんはいいんですよ、元の作りが社会的な人なので。(笑)
「私」といっても、結構自然に「公」や「他人」に向けるので。(自己評価は知りませんが)
僕はほら、洒落にならないですから(笑)。見ての通り。油断すると俗世から迷い出てしまうので。
>>相変わらず、私は真意の伝播というのはリアル>マリアナ海溝>ネットなんですね。
これについて書き出すとキリが無いというか、シリーズ記事になっちゃうんですが。
一言で言えば”それぞれのリアル”があると言うのが僕の基本的な立場・力点ですね。言葉としてはありきたりですが、かなり実感的に思っています。酒場とネットの違いは真偽や優劣ではなく、種類の違いであると。一長一短であり、それぞれに特有のコミュニケーション機能があると。上でネット「社会」と言っているのもかなり本気です。
勿論酒場とネットにはっきりした違いはありますけどね。それは『肉体』(身体)が関与しているかどうか。それによって現実”感”の濃密さに違いがあるのは確かですが、それが即ち何を意味するのかは一概には。ネットだって体は無いけど接続料金は払ってますから(笑)、現実には違いない。
もう一つは僕が常に考えているのは、「真意」の「伝播」というよりも、発した言葉がどのように受け手に「影響」を与えるか、あるいは言葉がどのように「流通」するかということですね。
極端に言えば政治家的または商人的な態度で、ある面読み手を”操作””管理”の対象として最初から考えている。勿論「真意」を受け取ってくれればそれに越したことはないんですけど、逆の立場で考えてもそれはほとんど不可能ごと。だから「真」の限定性や誤解の可能性のレパートリーも最初から考慮に入れて、今回はこういう目的でこういう言葉をこういう風に発しようというそういうプロセスが思考の中心となっている。想定外の誤解を受けるとヘコみますし、好意的or発展的な誤解を受けて、素知らぬ顔で乗っかったりもしますけど。(笑)
まあこれは別にネットに限ったことではないですけどね。言葉は伝わるというより、影響し、流通するものですよ。それ自体が一つの現実的実体として。それを俯瞰で見て、効能やリスク・コストを予測計算して、(言語的)行動を決定する。誤解も含めてコミュニケーション。嘘から出る真。
ほんとに「伝」えたければ・・・・テレパシーかなやっぱり(笑)。それでも伝わるまいと思っているところが僕はありますが。
>「”ヴェルディ”を応援してるから仲間」なんてのは馬鹿馬鹿しい。どことかいうのはたまたまだから。あるいはとりあえずの枠でしかないから。
ちょっと言わずもがなのことを言ってしまった感がありましたが、これ逆も言えるんですよね。
つまり今回の話とも関連付けていいますと、「ヴェルディを応援している」なんていい加減な共通項によって寄り集まったかなり雑多な人々によってとにもかくにも構成されている「社会」、場、それ自体に、あるいはそこで試せる様々な心理学的社会学的実験(笑)に、僕はとても興味があるということ。
・・・・いや、かなり、稀有に雑多だと思いますね、年齢的タイプ的階層的に。うっかり集まっちゃってるわけですこれは。”ヴェルディ””サッカー”という蜜に誘われて(笑)。なかなかこういう機会は無くて、これがプロスポーツリーグなんてものの重要な面白さの一つでもある。
更に言うとくだんの『肉体』付きの濃密な「社会」だと、その濃密さゆえにいちいち違いが強調されてすぐに決裂してしまいそうなものが、そこらへんが淡白なネットだと割りと緩く形を保っていられるので、好都合であると。僕自身好き嫌いは激しい方ですし。
そういう雑多な(といっても自ずと棲み分けは進んでしまうものですが)人たちに向けて、これまた雑多なメッセージをああでもないこうでもないと発信して、そのフィードバックを点検して楽しむという、そういう毎日。(笑)
>>仕事やプライベートで撃沈しない限り書き続けたいとは思ってますが
轟沈、したくないですねえ。(笑)
心理的にはたいていのことはむしろ妖人”アト”さんの(芸の?)肥やしだろうと思いますけど、中の人あんまり肉体的に強くないので、生活に追いまくられたりするとちょっと。
ご静聴、ご相伴(笑)、ありがとうございました。(補)へ
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