2008年01月27日 (日) | 編集 |
やり難いわ書き難いわ。
キリンチャレンジカップ’08 日本代表 △0−0△ チリ代表(国立)
書くことが無いので色んなサイトを見て回っていたら、(それでも)書こうと思っていたことをあらかた書かれているのを見てしまって、ますます窮地に追い込まれてしまいました。(笑)
逆に1試合1試合、しかも限られた時間で「何か」一本方針の通ったものを書かなくてはいけないスポーツ新聞の記者さんたちは、なんだかんだ大変だよなと改めて。
この試合について言えば
肯定派:報知 「岡田ジャパン、オシムサッカー捨てた」
否定派:スポニチ 「岡ちゃん頭抱えた!攻撃的初陣不発」
中間派:サンスポ 「W杯予選タイ戦大丈夫?岡田ジャパン、格下チリ相手に悪戦苦闘」
という感じでしょうか。ちなみに今の時点だと、各紙全部合ってるような気がします。(笑)
同様にいつも思うのは、試合終了直後にコメント求められて、何か言わなくてはならずまたそこで失言かまさないよう気を付けなくてはならない、監督・選手たちも大変だなということ。
むしろ言葉に真剣な、何かちゃんとしたことor面白いこと(笑)を言わなくてはという義務感のある人ほど、つい言わずもがななことや言葉尻を捕らえられやすいことを言ってしまって、その後の仕事をやりにくくしたりするような。・・・・でも話のつまらない人は基本的に試合での仕事もつまらない気がしますけど。
とにかく”直後”だけは勘弁してやれないかなと、よく思うんですが。
だって・・・・嫌だよ俺だって、終了直後に更新するの。例えこんな何の責任も無い個人ブログでも(笑)。その時書いていることが本意なのかどうか、自分でも自信が持てない。
少し時間をくれ。出来れば一晩。脳が落ち着くまで。
NHK系のハーフタイムの監督インタビューも、あれはどうなんでしょうね。後半始まってもやってたりしますけど。
さて試合ですが。現象面については他の人たちが書いている通りです。(うわあ)
”収穫”とか、クオリティとかは時期尚早なのでいいとして、特にオシムとの比較の上での今後の自分的な注目ポイントだけ挙げておきます。・・・・余りにクオリティが低い場合は、ポイントも比較もくそもなくなりますけどね。
1.ワイドと「接近」
オシム・ジャパンのそれまでの日本代表と分かり易く違っていたことの一つは、フィールドを意図的にワイドに使っていた(使えていた)こと。
それもそれまで日本人全般の「課題」として意識されていた”一発の長いパスによる展開”ではなくて、短めのパスの連鎖によるもので、それで詰まらないように素早く展開する為に、緻密なポジショニングと考えて走ること(結果的に同じですが)が必須だったわけですね。
この(日本人の得意な)「短いパス」でかつ「ワイド」に展開するというのは、『日本化』という例のスローガンに、多分一番的確に当てはまる要素だったかなとも思うんですが。
それを岡田−大木ジャパンは捨てると、狭めると、言うわけですが。「接近」の後の「展開」というのは、どちらかというと長いパス一発というように聞こえるんですけど違うのかな。
どのみち”サイド寄せ”というくらいで、フィールドを2分割するというか、ワイドに広げるのではなくて目的の違う(物理的に)狭いスペースを2種類作るという感じですよね。「接近」用と「展開」用と。
その根本的な有用性は置くとして、1試合目ですが早速オシムの時のワイド感は失われつつあるのが見えたと思います。方向性が変わった、というよりも、キープしていたものが崩れた、という感じですけど。まあオシムだからキープ出来ていたものなので、崩れること自体は当たり前なんですけどね。
どちらにも与しない見方で見るとして、ワイドに使えていたメリットをどれくらい狭さで置き換え、そして目標としては上回れるのか。もしくはワイドさの目減り分をどれくらい補えるのか。(笑)
オシムのワイドは接触を避ける為、岡田−大木の「接近」はアジリティを活かす為と、どちらも「日本人の身体的特性」を前提としているのは同じなんですけどね。結論は対照的。
「接近」の後の「展開」は、オシム的狙いのより極端なものなのかな?無人のスペースでボールを運ぼうという。
2.足元パスの行方
オシム・サッカーのもう一つの特徴で、でも余り触れられないものとして「足元パス」(による繋ぎ・崩し)というものがあると思います。
これは実は日本サッカー的には結構な「異端」で、つまり讀賣クラブ/ヴェルディ川崎が覇を唱え、基本的にそんなようなイメージで「上手い」サッカー「いい」サッカーが一般国民的に考えられていた古典的な時代から、そうではなくてスペースに素早くボールを出して人がそれを追いかける、象徴的には”中田ヒデのキラーパス”的なイメージに、トルシエまでは(逆方向の失敗例という意味では逆説的にジーコの時代も)『進化』は考えられていたわけです。超大雑把ですが。
そうした流れを巨人オシムが、メディア・論壇(?)の歴史認識が追い付かないようなスピードと包容力で、「足元」だけど「進化」だ「先端」だと丸め込んでしまったおかげで(笑)、”人もボールも動くサッカー”という標語の下色々なものがごちゃごちゃになっていると僕は思うんですが。
それはともかくとして、オシムが足元でもちゃんと繋げて崩せていたのは、1のワイドの話と同様、ポジショニングとランニングを独特に徹底化していたからであって、それが無いと/出来ない時は、要するに古臭い駄目なステーションパスサッカーになっちゃうわけですね。
だからオシムのチームをベースにしつつ、それを崩したり不完全化して行くこれからの過程で、いずれ(チリ戦でも早速?)そのことは問題となって来ると思うんですが。
それが「問題」という形になるのか、それともオシム以前の日本サッカーの本流にある意味”軌道修正”されるようなことになるのか。あるいは文字通りに「継承」&発展・変形を成し遂げるのか。
甲府のサッカーを見る限り、大木監・・・・コーチ(笑)には大木さんなりの、「足元パス」の使い方についての見識はあるように見えますけどね。そこまで考えての起用なら、立派なものですけど。
もう少し理論的な話を書きたくなって来たので、いっそボスニア戦も凡戦ならいいなとか。(笑)
キリンチャレンジカップ’08 日本代表 △0−0△ チリ代表(国立)
書くことが無いので色んなサイトを見て回っていたら、(それでも)書こうと思っていたことをあらかた書かれているのを見てしまって、ますます窮地に追い込まれてしまいました。(笑)
逆に1試合1試合、しかも限られた時間で「何か」一本方針の通ったものを書かなくてはいけないスポーツ新聞の記者さんたちは、なんだかんだ大変だよなと改めて。
この試合について言えば
肯定派:報知 「岡田ジャパン、オシムサッカー捨てた」
否定派:スポニチ 「岡ちゃん頭抱えた!攻撃的初陣不発」
中間派:サンスポ 「W杯予選タイ戦大丈夫?岡田ジャパン、格下チリ相手に悪戦苦闘」
という感じでしょうか。ちなみに今の時点だと、各紙全部合ってるような気がします。(笑)
同様にいつも思うのは、試合終了直後にコメント求められて、何か言わなくてはならずまたそこで失言かまさないよう気を付けなくてはならない、監督・選手たちも大変だなということ。
むしろ言葉に真剣な、何かちゃんとしたことor面白いこと(笑)を言わなくてはという義務感のある人ほど、つい言わずもがななことや言葉尻を捕らえられやすいことを言ってしまって、その後の仕事をやりにくくしたりするような。・・・・でも話のつまらない人は基本的に試合での仕事もつまらない気がしますけど。
とにかく”直後”だけは勘弁してやれないかなと、よく思うんですが。
だって・・・・嫌だよ俺だって、終了直後に更新するの。例えこんな何の責任も無い個人ブログでも(笑)。その時書いていることが本意なのかどうか、自分でも自信が持てない。
少し時間をくれ。出来れば一晩。脳が落ち着くまで。
NHK系のハーフタイムの監督インタビューも、あれはどうなんでしょうね。後半始まってもやってたりしますけど。
さて試合ですが。現象面については他の人たちが書いている通りです。(うわあ)
”収穫”とか、クオリティとかは時期尚早なのでいいとして、特にオシムとの比較の上での今後の自分的な注目ポイントだけ挙げておきます。・・・・余りにクオリティが低い場合は、ポイントも比較もくそもなくなりますけどね。
1.ワイドと「接近」
オシム・ジャパンのそれまでの日本代表と分かり易く違っていたことの一つは、フィールドを意図的にワイドに使っていた(使えていた)こと。
それもそれまで日本人全般の「課題」として意識されていた”一発の長いパスによる展開”ではなくて、短めのパスの連鎖によるもので、それで詰まらないように素早く展開する為に、緻密なポジショニングと考えて走ること(結果的に同じですが)が必須だったわけですね。
この(日本人の得意な)「短いパス」でかつ「ワイド」に展開するというのは、『日本化』という例のスローガンに、多分一番的確に当てはまる要素だったかなとも思うんですが。
それを岡田−大木ジャパンは捨てると、狭めると、言うわけですが。「接近」の後の「展開」というのは、どちらかというと長いパス一発というように聞こえるんですけど違うのかな。
どのみち”サイド寄せ”というくらいで、フィールドを2分割するというか、ワイドに広げるのではなくて目的の違う(物理的に)狭いスペースを2種類作るという感じですよね。「接近」用と「展開」用と。
その根本的な有用性は置くとして、1試合目ですが早速オシムの時のワイド感は失われつつあるのが見えたと思います。方向性が変わった、というよりも、キープしていたものが崩れた、という感じですけど。まあオシムだからキープ出来ていたものなので、崩れること自体は当たり前なんですけどね。
どちらにも与しない見方で見るとして、ワイドに使えていたメリットをどれくらい狭さで置き換え、そして目標としては上回れるのか。もしくはワイドさの目減り分をどれくらい補えるのか。(笑)
オシムのワイドは接触を避ける為、岡田−大木の「接近」はアジリティを活かす為と、どちらも「日本人の身体的特性」を前提としているのは同じなんですけどね。結論は対照的。
「接近」の後の「展開」は、オシム的狙いのより極端なものなのかな?無人のスペースでボールを運ぼうという。
2.足元パスの行方
オシム・サッカーのもう一つの特徴で、でも余り触れられないものとして「足元パス」(による繋ぎ・崩し)というものがあると思います。
これは実は日本サッカー的には結構な「異端」で、つまり讀賣クラブ/ヴェルディ川崎が覇を唱え、基本的にそんなようなイメージで「上手い」サッカー「いい」サッカーが一般国民的に考えられていた古典的な時代から、そうではなくてスペースに素早くボールを出して人がそれを追いかける、象徴的には”中田ヒデのキラーパス”的なイメージに、トルシエまでは(逆方向の失敗例という意味では逆説的にジーコの時代も)『進化』は考えられていたわけです。超大雑把ですが。
そうした流れを巨人オシムが、メディア・論壇(?)の歴史認識が追い付かないようなスピードと包容力で、「足元」だけど「進化」だ「先端」だと丸め込んでしまったおかげで(笑)、”人もボールも動くサッカー”という標語の下色々なものがごちゃごちゃになっていると僕は思うんですが。
それはともかくとして、オシムが足元でもちゃんと繋げて崩せていたのは、1のワイドの話と同様、ポジショニングとランニングを独特に徹底化していたからであって、それが無いと/出来ない時は、要するに古臭い駄目なステーションパスサッカーになっちゃうわけですね。
だからオシムのチームをベースにしつつ、それを崩したり不完全化して行くこれからの過程で、いずれ(チリ戦でも早速?)そのことは問題となって来ると思うんですが。
それが「問題」という形になるのか、それともオシム以前の日本サッカーの本流にある意味”軌道修正”されるようなことになるのか。あるいは文字通りに「継承」&発展・変形を成し遂げるのか。
甲府のサッカーを見る限り、大木監・・・・コーチ(笑)には大木さんなりの、「足元パス」の使い方についての見識はあるように見えますけどね。そこまで考えての起用なら、立派なものですけど。
もう少し理論的な話を書きたくなって来たので、いっそボスニア戦も凡戦ならいいなとか。(笑)
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