2008年02月15日 (金) | 編集 |
あるいは”夢”と”現実”。ほぼ日刊イトイ新聞「さんまシステム」より。
『昨日の風はどんなのだっけ?』さんで読んで書こうかと思ってたら、サポティスタでも取り上げられちゃい(?)ました。まあ力点は全然違いますけど。
基本的には”現代における救済と幸福の技術哲学”みたいな感じで読みますが。(何じゃそりゃ)
非常によく分かる、部分と、分からない部分がありました。
「分からない」のは「理解出来ない」のではなくて、「俺(の方法)とは違う」ということです。
以下レス的にコメントを。なるべく流れ通りに書きますが、一部入れ替えています。
眠らない人・さんま
睡眠については色々と根本的な部分で分からないことが多いみたいなんですけど、大きなくくりとして頭に置いておくと面白いかなと僕が思うのは、
体が必要とするのが『休息』、脳が必要とするのが『睡眠』
という二分法。
これは科学的には必ずしも正確ではないと思いますが、なぜ睡眠が不可解なのか、「”休む”為のものだ」という大雑把な理解ではすまないシロモノなのかということを理解する為には有益な単純化かなと。休むだけなら”休”めばいいんですよ、”眠”る必要は無い。
だからなんかギネスブックに載った人とかでもいましたが(笑)、眠らないで生きることは肉体的には多分可能で、勿論2〜3時間睡眠をずっと続けるのも可能。糸井さんによるとそれは遺伝的な体質だという研究があるそうですが。
ではなぜ眠るか、あるいは眠りとは何かと言えば、最も簡単には「意識活動の休止」のことなわけですね。で、その意識活動の特徴としては、
1.生存そのものには必要が無い。
2.かなりエネルギーを食う贅沢品である。
というのが挙げられると思います。
1は勿論狭義の意味で、つまり植物状態でもそれこそ睡眠状態でも、”生きている”には違いないわけで、生命活動としては意識が無くても特に欠損は無い。
ただ少なくともヒトのような形態の生物の場合、栄養摂取には普通目覚めて歩き回って、冷蔵庫を開けるなり草原で狩りをするなり(笑)、何らか活動をしなくてはならないので(それ以前に咀嚼か)、その為の手段としては意識は必要です。ただ、それは生存そのものではない。
2はまあ、例えば体が深刻なダメージを受けると真っ先に意識を失って、エネルギーの振り分けの優先順位を下げられたりすることからも分かりますね。精神的ショックですらもちょいちょいそんなことはあって、それらが「意識活動にまで手が回らない」のか、「意識を切っている間に態勢を立て直す」のか、そこらへんのニュアンスは確とは分かりませんが。
と、素人科学はこれくらいにするとして、とにかく睡眠は意識活動に関わっていて、それの有無多寡は肉体的生存そのものではなく、そのありようを決める脳の状態に影響するだろうと。
テンションの継続と”スイッチ”
ここからはそれこそ科学ではなく、さんま(や糸井重里)の経験や内観を直接元にした話。
やはり眠らないことによって脳は変わるわけですね。決定的に足りなければ、別の箇所で述べられているジミー大西のように幻覚や知覚異常が起きるし、そこまで行かないさんまの場合でも、恒常的に変なテンションにはなる。”変な”テンションの常態化に耐えられる、またはそれを快と感じる脳だから、睡眠を要求しないのかも知れません。
特に興味深いと僕が思うのは、睡眠による中断が最低限になることによって生まれるある種の継続性と、その状態のエスカレーション。”スイッチ”が入り、次の”レベル”に行く。
スイッチが入ること自体は誰でもあるでしょうが(つまり糸井でも)、さんまの場合面白いのは入りそうな精神・神経状態を、日常として暮らしているらしいこと。”スイッチ””違う脳”自体は間違い無く「宗教体験」の類と何らか関係あるでしょうけど、それでどっか行っちゃったりしないor行ってもいちいち帰って来れる(笑)のは、元々脳に耐性があるのと、あとは多分わざわざそういう意味付けをしないからでしょうね。
で、僕の場合はどうか、またなぜこれを僕が興味深いと思うかというと、つまり僕はこういう”継続性”や変なテンションの”常態化”が不快な人なわけですね。・・・・ほら、最近よく言っていたでしょ?(ブログを書き続ける中で)定期的に「脳のクールダウン」が必要だと。連続更新自体もそうだし、また同じ傾向の文章を続けて書くという質的な連続性も不快で、むしろ切らないとモチベーションが落ちるわけですね。ただ続けてもスイッチは入らない。むしろ行き詰まる。
だから僕は途絶が、休息が、冷却が、睡眠が、積極的な意味で必要なわけです。情熱があるからこそ休みたいわけです。睡眠が小さな”死”だとすれば、死ぬことによってこそ僕は生きられる。・・・・いやほんと、ブログに限らずバリバリ前向きに活動している最中も、別に逃避ではなく、終わった後眠ることを考えてワクワクします(笑)。睡眠の価値を直観的に信じている、そういうタイプ。
(2)につづく。
『昨日の風はどんなのだっけ?』さんで読んで書こうかと思ってたら、サポティスタでも取り上げられちゃい(?)ました。まあ力点は全然違いますけど。
基本的には”現代における救済と幸福の技術哲学”みたいな感じで読みますが。(何じゃそりゃ)
非常によく分かる、部分と、分からない部分がありました。
「分からない」のは「理解出来ない」のではなくて、「俺(の方法)とは違う」ということです。
以下レス的にコメントを。なるべく流れ通りに書きますが、一部入れ替えています。
眠らない人・さんま
糸井「まあ、聞いた話だと、さんまさんの睡眠時間は1日2時間とか3時間くらいで、しかもそれが、忙しいときというよりは、毎日、そんな感じだと。」
さんま「まぁ、まぁ、そうですね。」
糸井「で、そういう、遺伝的に眠れない人は、3時間しか寝られなくても本当に平気なんだそうです。たとえ、「目を閉じて眠る」ということをあんまりしていないとしても、どこかで体は自然に休みを取って、うまく取り戻してるんですって。」
睡眠については色々と根本的な部分で分からないことが多いみたいなんですけど、大きなくくりとして頭に置いておくと面白いかなと僕が思うのは、
体が必要とするのが『休息』、脳が必要とするのが『睡眠』
という二分法。
これは科学的には必ずしも正確ではないと思いますが、なぜ睡眠が不可解なのか、「”休む”為のものだ」という大雑把な理解ではすまないシロモノなのかということを理解する為には有益な単純化かなと。休むだけなら”休”めばいいんですよ、”眠”る必要は無い。
だからなんかギネスブックに載った人とかでもいましたが(笑)、眠らないで生きることは肉体的には多分可能で、勿論2〜3時間睡眠をずっと続けるのも可能。糸井さんによるとそれは遺伝的な体質だという研究があるそうですが。
ではなぜ眠るか、あるいは眠りとは何かと言えば、最も簡単には「意識活動の休止」のことなわけですね。で、その意識活動の特徴としては、
1.生存そのものには必要が無い。
2.かなりエネルギーを食う贅沢品である。
というのが挙げられると思います。
1は勿論狭義の意味で、つまり植物状態でもそれこそ睡眠状態でも、”生きている”には違いないわけで、生命活動としては意識が無くても特に欠損は無い。
ただ少なくともヒトのような形態の生物の場合、栄養摂取には普通目覚めて歩き回って、冷蔵庫を開けるなり草原で狩りをするなり(笑)、何らか活動をしなくてはならないので(それ以前に咀嚼か)、その為の手段としては意識は必要です。ただ、それは生存そのものではない。
2はまあ、例えば体が深刻なダメージを受けると真っ先に意識を失って、エネルギーの振り分けの優先順位を下げられたりすることからも分かりますね。精神的ショックですらもちょいちょいそんなことはあって、それらが「意識活動にまで手が回らない」のか、「意識を切っている間に態勢を立て直す」のか、そこらへんのニュアンスは確とは分かりませんが。
と、素人科学はこれくらいにするとして、とにかく睡眠は意識活動に関わっていて、それの有無多寡は肉体的生存そのものではなく、そのありようを決める脳の状態に影響するだろうと。
テンションの継続と”スイッチ”
ここからはそれこそ科学ではなく、さんま(や糸井重里)の経験や内観を直接元にした話。
さんま「つねにおもしろいことを考えようとしてるから、いっつもテンションが高いんです。で、それがウケると、こう、もうひとつ、入るんですよね。」
糸井「スイッチが入って、つぎのレベルに。」
やはり眠らないことによって脳は変わるわけですね。決定的に足りなければ、別の箇所で述べられているジミー大西のように幻覚や知覚異常が起きるし、そこまで行かないさんまの場合でも、恒常的に変なテンションにはなる。”変な”テンションの常態化に耐えられる、またはそれを快と感じる脳だから、睡眠を要求しないのかも知れません。
特に興味深いと僕が思うのは、睡眠による中断が最低限になることによって生まれるある種の継続性と、その状態のエスカレーション。”スイッチ”が入り、次の”レベル”に行く。
糸井「なんですか、あの、いつもと違う脳がビリビリ動くんですよね。」
さんま「動いてますね。」
スイッチが入ること自体は誰でもあるでしょうが(つまり糸井でも)、さんまの場合面白いのは入りそうな精神・神経状態を、日常として暮らしているらしいこと。”スイッチ””違う脳”自体は間違い無く「宗教体験」の類と何らか関係あるでしょうけど、それでどっか行っちゃったりしないor行ってもいちいち帰って来れる(笑)のは、元々脳に耐性があるのと、あとは多分わざわざそういう意味付けをしないからでしょうね。
で、僕の場合はどうか、またなぜこれを僕が興味深いと思うかというと、つまり僕はこういう”継続性”や変なテンションの”常態化”が不快な人なわけですね。・・・・ほら、最近よく言っていたでしょ?(ブログを書き続ける中で)定期的に「脳のクールダウン」が必要だと。連続更新自体もそうだし、また同じ傾向の文章を続けて書くという質的な連続性も不快で、むしろ切らないとモチベーションが落ちるわけですね。ただ続けてもスイッチは入らない。むしろ行き詰まる。
だから僕は途絶が、休息が、冷却が、睡眠が、積極的な意味で必要なわけです。情熱があるからこそ休みたいわけです。睡眠が小さな”死”だとすれば、死ぬことによってこそ僕は生きられる。・・・・いやほんと、ブログに限らずバリバリ前向きに活動している最中も、別に逃避ではなく、終わった後眠ることを考えてワクワクします(笑)。睡眠の価値を直観的に信じている、そういうタイプ。
(2)につづく。
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