ヴェルディ、代表、二次元、女子バレー 他
『接近』の要訣
2008年02月25日 (月) | 編集 |
未練、というよりは、「初期型岡田ジャパン」の葬送
または流産間近の『接近・展開・連続』理論の。
あんまり侮ってるとしっぺ返しを食うかも知れませんが(笑)、それならそれで、逆に嬉しくないこともなし。本来どうすべきか、または何が足りないか。


”とりあえず”の接近ではなく、”あえて”の接近

もう一回引いてみる、岡田「接近・展開・連続」の典型像。

守備では素早く敵に接近してプレスをかけ、攻撃では敵と接近した狭いスペースからでも高い技術で抜け出しての展開を図る。日本の誇るあくなきスタミナで繰り返しプレスをかけ、繰り返し攻める。


守備はともかく攻撃(”接近”理論は基本的に攻撃戦術)ですが、敵と接近した狭いスペース「からでも」と、何か渋々というか(笑)消極的な、生じた状況に対して受身のニュアンス含みで語っているように見えますが、だとすればその時点で既にずれていると思います。接近を目論んでいるのはこちらなわけで、受身というのはおかしい。

より正確に言うと、「接近し(ちゃっ)て”から”」どうするかではなくて、むしろ「接近する”まで”」、いかに接近するか、どのような/どのように仕組んだ”接近”状態なのかが問題なんですね。
つまりいみじくも「でも」と言っちゃってますが(笑)、接近した状態では自由が利かない、特に攻撃側にはミスのリスクが増大するのは万国共通のまずは自明なことなわけで、だからこそ「プレス」という”接近”戦術が、それこそ万国共通の守備戦術として現代では用いられる。単に近いだけでは窮屈なのはどちらにとっても同じ、まずはこれが基本。

勿論同条件でも日本人はより接近向きであるという前提があるんでしょうが(後述するようにそれは少し微妙だと思います)、少なくともそれを武器として全面的に使って”世界を驚かせ”ようというのであれば、より細かい接近のディテール(大西ジャパンにはあった)と、接近状態の設定/積極的定義が必要だと思います。
なぜある(接近)状態が片方にとっては不自由であるのにもう片方にとっては伸び伸びやれる自由な状態になるのか、それはそれを仕掛けた側にその状態をどのように使うかという明確な目算があるから。

例えば僕が実例的に想起するのにはこんなものがあります。
甲府・・・・は勿論、ツーロン’02・・・・も耳タコなので置いておくとして(笑)、他に代表で言えば’99ナイジェリアWユースや、シドニー五輪予選で1ボランチ2オフェンシブ基本で戦った時のトルシエのチーム。”フラット3”自体がある意味そもそもそういうコンセプトですが、後ろの人数を省いて前にゴチャッと人数を割いた”接近”したゲーム状況で、その混雑しているはずのスペースをそれこそ「高い技術」と「敏捷性」を利してくるくると自在に少ないタッチのパスを回して面白いように突破して行ったあのチーム。(ちなみにどちらも小野伸二という特異な選手の技術が深く関わっていますね。今なら遠藤か。)

国内に目を移せばヴェルサポならば当然、’04年の天皇杯を制した1ボランチ3-5-2の”プレッシング・ヴェルディ”を、似たタイプのチームとして思い浮かべるでしょう。ヴェルディ伝統の狭いスペースでの細かいパス回しのテクニックを、よりモダンなスタイルの中で言わば”高速回転”させたあれ。相手にとっては対処に困る狭さや速さでも、ヴェルディの選手にとってはレクリエーションのようだった。
それをヴェルディがやられてしまったこともあって(笑)、それがJ2時代の松本/岸野サガン鳥栖とのマッチアップ。特に最後の試合あたりは無残で、途中からどうしようもなくなって、嬉々として細かいスペースを有効に使いまくる鳥栖の選手の横で、何やら総身に知恵の回りかねる大男にでもなったような気分でした。

今の例は日本人どうしのマッチアップですが、その「気分」を、正に”大男”たちに、彼我の身体的特性の違いを利して増幅した形で味合わせてやろうというのが、代表/国際試合における岡田or接近プランなわけですね。
ただそれは”増幅”であって、その前提としてはそもそもの攻撃戦術の明確さと(蓄積したディテールの豊かさと)、そして何より自分が仕掛ける側であるという先手の強み、姿勢の能動性が必要なわけです。そうだからこそ、同じヴェルディというチームが、状況によっては加害者(笑)にも被害者にもなるわけで。それがあって初めて、「特性」(の違い)が意味あるものとして活きて来得る。ただ接近したって何も起きません。詰まるだけ。


遠いか近いかより、ヨソ行きの間合いか自分たちの間合いか

僕個人としては、そもそもの前提となっている「日本人は技術が高いから狭いスペースでの接近戦に強いはずだ」という考えからして少々アヤしいと思わないでもないのだけれど……。海外の強豪国における「相手のDFが間近にいる状況」での体の使い方や足下の技術なんかを見てると、本当にそういった局面で日本選手が優れていると言えるのかどうか。


これはラグビー通のmurataさんが、「接近・展開・連続」について解説したサポティスタでも紹介された『うまねんblog』のエントリー中の一節ですが、たまたま引いてみただけで殊更”murata説”という必要も無いくらい、サッカー界の常識からのある意味当然の疑問・反論だと思います。実際、「プレッシャーのかかった状況での日本人選手の技術」というのは、長らく課題として挙げられているわけで。

ただこれには僕なりの反論というか逃げ道(笑)があって、一つは問題は「技術」単体ではなくて「敏捷性」とセットのものであって、つまり最初からある程度”動き”、目まぐるしく”動いた状態”を前提としているということ。
言い換えれば(ちょっと情けない話になりますが(笑))正味の技術の差が問われないような、こちらの意図した”どさくさ”状況を考えてのことであるということ。大西理論では「すれ違い」というテクニックが強調されますが、言ってみればいかに強豪国の連中とまともに向き合わないか(笑)というのが隠れたテーマとしてあるわけですね。

・・・・なんかやっぱり少し情けない気分になって来ますが(笑)、例えばこんなことを言っている人もいます。

日本代表の試合を見てると感じるのは、相手との間合いが遠い。
これはディフェンス面ではなくオフェンス面で感じることなのですが、相手からのプレッシャーに対してボールを早く離しすぎるような。
(中略)
間合いが遠いから、ディフェンスは余裕を持って対処できるわけです。
この間合いが致命的になることを悟り、タックル寸前のパスを編み出したのが大西さんなわけですが、岡ちゃんは理解しているかどうか。

フットボール文化系『接近・展開・連続』より)


ちなみにこの人は『接近・展開・連続』は実はオシムの理論だ、その(オシムまでの)日本代表に足りないのは主に『接近』だ(↑)という、結構僕と近い論理展開をしている人ですが、僕がここで言いたいのは『接近・展開・・・・』そのもののことではなく、

・現代の日本人選手はあまり間合い(やそれに代表される局面のプレーの判断)を突き詰めて考えていない
・それは「ヨーロッパ」や「本場」のサッカーを見習おう見習おうというヨソ行きの姿勢に大きく(または一部)起因している
・”スタンダード”に合わせるばかりでは、所詮階層の下位に望んで収まるばかりである

ということ。
つまり上でmurataさんが提起しているような問題は、ヨーロッパまたはグローバルなスタンダードで見れば「問題」であるし事実ですが、要はそういうスタンダードで見なければいい(笑)、スタンダードを無化するか自分たち発のスタンダードでプレーが推移するような状況を作ってしまえばいい、それが上で言う”どさくさ”で、『接近』戦術でそれを生み出すのだということです。

これは長期の育成・強化方針としては間違い無く邪道でしょうが(笑)、今は遠くない将来の勝負の話をしてるので、勝負においては奇策も王道です。
ていうかどんなチームどんな国も、なるべく自分たちの得意な/有利な状況・間合いで戦おうとするのは当然なので、ヨーロッパ基準で言えば僕たちは下手くそです、とても2010年までには追いつきません、だから負けますと聞き分けよく引き下がっても誰も褒めてはくれないわけで。でも放っとくと引き下がりかねないのが、日本人なので。(笑)


とにかく遠い/近い自体は方便です。要は自分たち発の間合いで自分たちペースで戦うということが肝要で。言い換えれば、問題になるのは”ヨーロッパ的な近さ”ではなくて、”日本的な近さ”だということ。
それと前段の”戦術的に意図的な接近状態”という概念と合わせた、能動性具体性が『接近』戦術の成功には重要だと思うんですが、どうも現時点までの岡田監督は、そこらへんがボーッとしているように見える。無い袖は振れない、ということを承知で苛めてますが。(笑)

勝負だ!ということは、次のエントリーでもっと根本的に語りたいと思います。それで最後かな。


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