2008年09月27日 (土) | 編集 |
番組公式。
小沢一郎の顔を見ると独特の疲労感が押し寄せて来るのは確かですが、世耕(や山本一太)の喋りを聞いている時のムカツキはそれ以上。
枝野さんや片山さつきの知的誠実さや公共心には共に癒されますが、癒しや共感がより深いのは、枝野さんの方かな。”共にある”感じというか。
でも片山さつきには、常に立派な”エリート”であって欲しい。・・・・それにしてもカメラが向いてない時の、枝野さんの言葉への片山さつきの人目はばからない「禿同」反応は笑える(笑)。一緒にやればいいのに・・・・と、思わざるを得ないけど、まあ単純過ぎる夢なんでしょう。
正体不明なのがある意味唯一の期待感だった麻生太郎が、単に正体が無いらしいというのが分かってしまった議論の後で、会場内の支持率が民主に大きく傾いたのは分かり易い結果でしたね。
それにしても自民党の絶望的なのは、「若手」議員ほど人相が悪い、爽やかさが無いことで。
新しくて合理的なんじゃなくて、短絡的で尊大なだけ。
小泉改革に「抵抗」したおじいちゃん/田舎のおじちゃん議員たちは、旧来的”政治家”のカリカチュアという意味では醜悪であり、滑稽ではあったけど、少なくとも人情はあるわけで。
ではどちらがいいかというとどちらも別に良くはなくて、単なるポジとネガ。
溺愛・過保護と無感情・無関心、低次元の母性原理と低次元の父性原理を行ったり来たりしているだけで、どちらも病的で未熟なのは同じ。
森元首相とか、ほんと”おっ母さん”ですよね(笑)。小泉とかはまた、一つ次元の違う人ですけど。
例えば石原伸晃の世代とかにも、上の枝野片山のような連携(再編)の可能性は感じたものですが、いつの間にか自民党クオリティに飲み込まれたのか、それとも眠っているだけなのか。あんなに爽やかだった高木陽介(公明)も、最近急速にくたびれ始めている気がしますし。
まあ『党』の問題じゃないというのは、分かっているというか、そもそも政党って必要なのか是々非々じゃ駄目なのかという素朴な疑問は、繰り返し湧いては来るわけですが。なるべく政治や社会に期待しないで幸せに暮らしていけるようにというのが、いつもの結論(笑)ですけど、そうも言ってられない人が沢山いるのも確かで。
「景気」と「生活水準」との相関 が、構造的にひどく薄くなっているということについての経済学的な説明・議論がもっと聞きたかった気がしますが、理論的に煮詰まっていないのが討論の流れなのか、スルーされちゃってましたね。
人間的には個人的に小沢一郎以上に怪しい感じがする米民主のオバマ候補の支持率が、最近の経済・金融危機でグッと上がったらしいのは、いい人なのは確かな共和マケインが余りに古いというか伝統的なだけで新しい状況への反応能力に期待できないことへの単なる不安なのか、それとも本当に「新自由主義」や「金融資本主義」へ距離を取ろうという動きなのか。
ヒラリーは間が悪かったよね。反発ありきで好感度合戦で負けてしまった。一番「やりたいこと」があったのは、この人だったろうに。むしろ”女性候補”じゃなかったら、勝ったんじゃないかとすら思いますが。
最大の武器と目されたものが、体に合わない武器だったというか。普通に政策論争になっていたら・・・・。あるいはもう1サイクル、選挙民に考える時間があって、戦いの次元が上がったら。
ただ指導者は時代が選ぶというところが濃厚にあるので、今は中身の無いオバマが大化けすることも、十分にあり得るかと。驚かない準備もしておこう。(笑)
「資本主義」も、「近代」も、今回の危機を発展的に乗り越えて初めて、人類にとって『進歩』だったと言えるのではないかと。
今のところは、大規模ではあっても”文明”のモードの一つとしか、まだ言えないと思います。人類の幸福への寄与という観点で。つまり、イスラムの言い分にも、十分に耳を傾けるべきということですが。・・・・嫌だけど。(笑)
小沢一郎の顔を見ると独特の疲労感が押し寄せて来るのは確かですが、世耕(や山本一太)の喋りを聞いている時のムカツキはそれ以上。
枝野さんや片山さつきの知的誠実さや公共心には共に癒されますが、癒しや共感がより深いのは、枝野さんの方かな。”共にある”感じというか。
でも片山さつきには、常に立派な”エリート”であって欲しい。・・・・それにしてもカメラが向いてない時の、枝野さんの言葉への片山さつきの人目はばからない「禿同」反応は笑える(笑)。一緒にやればいいのに・・・・と、思わざるを得ないけど、まあ単純過ぎる夢なんでしょう。
正体不明なのがある意味唯一の期待感だった麻生太郎が、単に正体が無いらしいというのが分かってしまった議論の後で、会場内の支持率が民主に大きく傾いたのは分かり易い結果でしたね。
それにしても自民党の絶望的なのは、「若手」議員ほど人相が悪い、爽やかさが無いことで。
新しくて合理的なんじゃなくて、短絡的で尊大なだけ。
小泉改革に「抵抗」したおじいちゃん/田舎のおじちゃん議員たちは、旧来的”政治家”のカリカチュアという意味では醜悪であり、滑稽ではあったけど、少なくとも人情はあるわけで。
ではどちらがいいかというとどちらも別に良くはなくて、単なるポジとネガ。
溺愛・過保護と無感情・無関心、低次元の母性原理と低次元の父性原理を行ったり来たりしているだけで、どちらも病的で未熟なのは同じ。
森元首相とか、ほんと”おっ母さん”ですよね(笑)。小泉とかはまた、一つ次元の違う人ですけど。
例えば石原伸晃の世代とかにも、上の枝野片山のような連携(再編)の可能性は感じたものですが、いつの間にか自民党クオリティに飲み込まれたのか、それとも眠っているだけなのか。あんなに爽やかだった高木陽介(公明)も、最近急速にくたびれ始めている気がしますし。
まあ『党』の問題じゃないというのは、分かっているというか、そもそも政党って必要なのか是々非々じゃ駄目なのかという素朴な疑問は、繰り返し湧いては来るわけですが。なるべく政治や社会に期待しないで幸せに暮らしていけるようにというのが、いつもの結論(笑)ですけど、そうも言ってられない人が沢山いるのも確かで。
「景気」と「生活水準」との相関 が、構造的にひどく薄くなっているということについての経済学的な説明・議論がもっと聞きたかった気がしますが、理論的に煮詰まっていないのが討論の流れなのか、スルーされちゃってましたね。
人間的には個人的に小沢一郎以上に怪しい感じがする米民主のオバマ候補の支持率が、最近の経済・金融危機でグッと上がったらしいのは、いい人なのは確かな共和マケインが余りに古いというか伝統的なだけで新しい状況への反応能力に期待できないことへの単なる不安なのか、それとも本当に「新自由主義」や「金融資本主義」へ距離を取ろうという動きなのか。
ヒラリーは間が悪かったよね。反発ありきで好感度合戦で負けてしまった。一番「やりたいこと」があったのは、この人だったろうに。むしろ”女性候補”じゃなかったら、勝ったんじゃないかとすら思いますが。
最大の武器と目されたものが、体に合わない武器だったというか。普通に政策論争になっていたら・・・・。あるいはもう1サイクル、選挙民に考える時間があって、戦いの次元が上がったら。
ただ指導者は時代が選ぶというところが濃厚にあるので、今は中身の無いオバマが大化けすることも、十分にあり得るかと。驚かない準備もしておこう。(笑)
「資本主義」も、「近代」も、今回の危機を発展的に乗り越えて初めて、人類にとって『進歩』だったと言えるのではないかと。
今のところは、大規模ではあっても”文明”のモードの一つとしか、まだ言えないと思います。人類の幸福への寄与という観点で。つまり、イスラムの言い分にも、十分に耳を傾けるべきということですが。・・・・嫌だけど。(笑)
2007年07月30日 (月) | 編集 |
レベル高くね?選挙速報番組見てての一番の感想。(笑)
単体ではテレ東大橋未歩さんの”聖女”性は比較を絶するものですし、勿論華やかさではアイドル女子アナの本家フジには一歩も二歩も譲るかも知れませんが、テレ朝にはそれとは全く違った独自の良さがあると思います。
色々探したんですが結局一番良かったテレ朝公式の写真でざっと見てみますと・・・・





左から市川寛子、河野朋美、下平さやか、武内絵美、前田有紀。ここらへんが僕の特にお気に入り。他にも



左端大木優紀は特にというわけではないですが、まあ外せないところ。つづく島本真衣、矢島悠子は新しめの人で、具体的に番組で見た記憶はないんですが見た感じなかなか。
共通点としては
1.上品、お嬢さんっぽい。
2.すっきり、細面系。
という特徴がある・・・・というか、はっきりと統一性を感じますね。それなりの長期間、一本筋の通った見識によるスカウティングがなされている気配を感じます。テレビ朝日ユース(チーム)とかが存在していても不思議ではないというか。(笑)
その統一感を非常に端的に表わしているのが他ならぬこの公式のページで、写真のクオリティが高いというのと同時に、幾分か施されているだろう(笑)修正の仕方も含めて、見せ方、ヴィジュアル・センスにしっかりした方針が感じられるというか、最高度に良く運営されているイメクラというか。(笑)
・・・・イメクラで思い出しましたが、一方のフジの良さというのは”キャバクラ”的なんですよね。ちょっと俗っぽい・チャラいというのと同時に、正味のきれい汚いというより雰囲気、綺麗に感じさせる、華やかさを演出する押し出しというか。
テレ朝の方はナチュラルメイクで素材重視、ひっそりとお客様に選んでいただくのを待っている。選ぶともさ!
いやあしかし市川寛子なんてモロにスッキリ、”ちょっと野暮ったい伊東美咲”みたいだし、河野朋子もほとんど女優の品格があるし。角顔の下平が(笑)それでも縦にすっきりしているのも、ならではだなと思ったりしますし。
腹黒武内は逆にそれがまたそそるし、アホの前田はかわいくてしかたないし。見てるだけで幸せだなあ。
・・・・ああ、そうそう、旅立って行っちゃった(笑)この人

も、勿論テレ朝系の王道ですよね。
選挙の方はまあ自民党の受け止め方がヌルイというか、(瞬間的に)本気で嫌われている怒(いか)られている呆れられているというのが、相変わらず今イチ通じてない感じだなという。
思ったんですけどここんとこのいささか情動的に左右へ大きく揺れ続ける投票結果というのは、単なるセンセーショナリズでもポヒュリズムでもなくて、「好き嫌い」「感情」という形で表現された一つの日本的な”総合判断”の形なのではないかなという。実は「政策」で選ぶよりも包括的で次元が高い。必ずしも意識的なものではないとしても。
逆にアメリカの選挙民なんて、毎回懲りずに「政策」に期待して騙されているような気がしますし。
勿論根底には政治的政策的ニヒリズムがあるんでしょうが、存在もしない「解決策」や「確実性」に夢を見ず(アメリカ人はそれをやる)、ニヒリズムを生み出したような状況に対して非常に素直に反応して、高レベルのバランス感覚で際どい綱渡りをずっと続けているなという。
いい加減、それが何かに、ある程度落ち着いた「形」に結実して欲しいものですが。
「観客は一人一人は愚かだが、全体としては決して間違いを犯さない」by ウィリアム・ワイラー
・・・・みたいな、楽観的に見ればそんな感じ。
『政治家』も、『親』or『大人』も、必要なのは権威や力ではなくてまず公正さと正直さなんですよね、今や。それくらい『選挙民』や『子供』がレベルが上がっているというか、情報を持っているというか。隠しても見栄張ってもバレる。
民主党なんてむしろ選挙民の『子供』ですからね(笑)。ちゃんと育つかな。
単体ではテレ東大橋未歩さんの”聖女”性は比較を絶するものですし、勿論華やかさではアイドル女子アナの本家フジには一歩も二歩も譲るかも知れませんが、テレ朝にはそれとは全く違った独自の良さがあると思います。
色々探したんですが結局一番良かったテレ朝公式の写真でざっと見てみますと・・・・





左から市川寛子、河野朋美、下平さやか、武内絵美、前田有紀。ここらへんが僕の特にお気に入り。他にも



左端大木優紀は特にというわけではないですが、まあ外せないところ。つづく島本真衣、矢島悠子は新しめの人で、具体的に番組で見た記憶はないんですが見た感じなかなか。
共通点としては
1.上品、お嬢さんっぽい。
2.すっきり、細面系。
という特徴がある・・・・というか、はっきりと統一性を感じますね。それなりの長期間、一本筋の通った見識によるスカウティングがなされている気配を感じます。テレビ朝日ユース(チーム)とかが存在していても不思議ではないというか。(笑)
その統一感を非常に端的に表わしているのが他ならぬこの公式のページで、写真のクオリティが高いというのと同時に、幾分か施されているだろう(笑)修正の仕方も含めて、見せ方、ヴィジュアル・センスにしっかりした方針が感じられるというか、最高度に良く運営されているイメクラというか。(笑)
・・・・イメクラで思い出しましたが、一方のフジの良さというのは”キャバクラ”的なんですよね。ちょっと俗っぽい・チャラいというのと同時に、正味のきれい汚いというより雰囲気、綺麗に感じさせる、華やかさを演出する押し出しというか。
テレ朝の方はナチュラルメイクで素材重視、ひっそりとお客様に選んでいただくのを待っている。選ぶともさ!
いやあしかし市川寛子なんてモロにスッキリ、”ちょっと野暮ったい伊東美咲”みたいだし、河野朋子もほとんど女優の品格があるし。角顔の下平が(笑)それでも縦にすっきりしているのも、ならではだなと思ったりしますし。
腹黒武内は逆にそれがまたそそるし、アホの前田はかわいくてしかたないし。見てるだけで幸せだなあ。
・・・・ああ、そうそう、旅立って行っちゃった(笑)この人

も、勿論テレ朝系の王道ですよね。
選挙の方はまあ自民党の受け止め方がヌルイというか、(瞬間的に)本気で嫌われている怒(いか)られている呆れられているというのが、相変わらず今イチ通じてない感じだなという。
思ったんですけどここんとこのいささか情動的に左右へ大きく揺れ続ける投票結果というのは、単なるセンセーショナリズでもポヒュリズムでもなくて、「好き嫌い」「感情」という形で表現された一つの日本的な”総合判断”の形なのではないかなという。実は「政策」で選ぶよりも包括的で次元が高い。必ずしも意識的なものではないとしても。
逆にアメリカの選挙民なんて、毎回懲りずに「政策」に期待して騙されているような気がしますし。
勿論根底には政治的政策的ニヒリズムがあるんでしょうが、存在もしない「解決策」や「確実性」に夢を見ず(アメリカ人はそれをやる)、ニヒリズムを生み出したような状況に対して非常に素直に反応して、高レベルのバランス感覚で際どい綱渡りをずっと続けているなという。
いい加減、それが何かに、ある程度落ち着いた「形」に結実して欲しいものですが。
「観客は一人一人は愚かだが、全体としては決して間違いを犯さない」by ウィリアム・ワイラー
・・・・みたいな、楽観的に見ればそんな感じ。
『政治家』も、『親』or『大人』も、必要なのは権威や力ではなくてまず公正さと正直さなんですよね、今や。それくらい『選挙民』や『子供』がレベルが上がっているというか、情報を持っているというか。隠しても見栄張ってもバレる。
民主党なんてむしろ選挙民の『子供』ですからね(笑)。ちゃんと育つかな。
2007年06月30日 (土) | 編集 |

朝生6月号?「激論!天下分け目の参院選!だから選挙行こう!」にて、相も変わらずゴニョゴニョしている民主党を見ての感想。
なんかドキドキしますよね、民主党議員が喋り出すと。ちゃんと隣りの同僚議員や党の中央部とかと、コンセンサスを得て喋ってるのか。自民党との対立図式の中で、個別の是々非々だけじゃなく、ちゃんと着地点を見据えて喋ってるのか。「政治」になってるのか。
何が言いたいかといいますと。
社民党を応援しよう!・・・・では勿論なく(笑)。日本を社民にしよう・・・・でも直接的にはなく。
『政権交代の出来る二大政党』の自民に対する一方の対立軸として、改めて”社会民主主義”を中心的に、表立って据えるわけにはいかないのかということです。
番組中でも田原総一郎が、「社民と言われることにビクビクしている」と民主党をからかってましたが、ビクビクするくらいならいっそ・・・・なんて言い方はちょっと投げ遣り過ぎるとしても、ともかくこんな、サッカーで言えば基本スタイルが定まらないままフォーメーションやら作戦やら目先の対応に追われて迷走しているような状態はいい加減にしてもらわないと。特に今の小沢監督は一際フォーメーション厨、戦略厨ですからね。(笑)
思うんですけど。
かつて「社会主義」というのは要するに頭デッカチの舶来思想で、極端過ぎて日本の現実との接触が稀薄で、自民党とちゃんと噛み合った対立の仕方が出来ずに、結果(という繋ぎが正確かはわかりませんが)社会党はいわゆる”反対野党”として、予定調和的に存在するしかなかったわけです。
ところが今の民主党は逆に現実的過ぎて、与党自民との違いが無さ過ぎて、対立軸がはっきりしないので個別に反対したり攻撃したり粗さがし(または点数稼ぎ)することでしか存在を示せないので、結果やってることは限りなく”反対野党”に近付いてしまっている。確かに。
で、一方日本の現実の方を見るに、ご存知「格差社会」や「下流社会」の出現によって、またそれ以前のまあ平等に豊かな状態の記憶と合わせて、ある意味歴史上初めて、”社会主義”的なものにリアリティが出て来ている、何らか”社会主義”的な施策や国家ヴィジョンの必然性や可能性を、特に「主義者」でない人でもうっすら考えるようになっている、そう思うんですが。
教科書的な”学習”の対象でしかなかったヨーロッパにおける「社会主義」の出現という出来事の、普遍的人類史的な意味が実感的に推測出来るようになっているというか。
元々国民性的に、アメリカにはなれまいというのはみんな分かってることですしね。
だから「社民」と言ってもさすがに旧社会党直系や共産党系の手垢のついた左じゃどうしようもないとしても、今の民主党がいる辺りのエリアをきちんとならして、骨組組んで、マジョリティの真剣な関心の対象になれるような「社民」勢力というのは構築可能なんではないか、そう思うんですけどね。
まず帰るべき場所、理論的立場を確保してきちんと保守与党と対立軸を形成しておいて、その上で微調整なり現実化なりをすればいい。今は最初っから調整や微妙な差異の抽出の話になってしまっている。
やってみれば案外しっくり来るんじゃないかと思うんですけどね。日本の風土と人情に馴染んで(笑)。なし崩しの護送船団やこそこそ談合ではマズいですが、ちゃんと陽の光の下で理論的にやれるなら。
結果どういう選択肢が生まれるか、何が選択されるかは分かりません。出来上がったものはヨーロッパで言うところの「社民」とはまた違うものになるかもしれませんが、少なくとも今よりは遥かにまともな選択肢が生まれるのではないかと。
もっと中道的な、自民も民主も割っての「若手のまともな政治家どうしがくっついた」政党や区分みたいなものもずっと考えてはいたんですが、山本一太やら最近の河野太郎やら、自民党の「若手」の虎の威を借る厚かましさを見てると絶望的な気分になってしまって。
勿論民主の線の細さも。枝野さんへの個人的な愛は変わりませんが。
さつきとかはまあいいんですけどね。あれは一本筋の通った”貴族”ですから、そういう人として義務を果たしてくれれば。
要するに田中康生なのかなともちょっと思いますが。(笑)
ともかくアンケートを見ると、何とかとりあえず自民をどうにかしたいという機運が今までになく高まっているようですが、一方で僕の民主に対する期待感・信頼感もまたこれまでになく低下しているので、困ったなという。
2007年04月08日 (日) | 編集 |
ああびっくりした。まるで雨の降り始めのように、あれよあれよと熱が上がってしばらく状況が理解できなくなりました。
たまにある疲労性の発熱なんですねこれ。溜まった疲れを一気に出して、それで体調をリセットする。
おかげで選挙行きそびれました。
しかたないので先週の朝生日中同時放送の雑感(の転載)などを。
・中国人の議論は(クソ)丁寧
過去に散発的に朝生に出ていた中国人パネラーの発言が回りくどい/まだるっこしく感じたのは、てっきり党の意向でも気にしてるせいなのかなと思ってましたが、こうしてまとめて見るとどうやら全体的傾向、中国的知識人の癖のようで。
形から入って手続きを踏んで、しかるのちに核心的議論が開陳される、またはついに開陳されなかったりする。(笑)
「言いたいこと」や「インパクト」という”核心”と同じかそれ以上に、議論の体裁や形式がきちんとしていることが大切。
多分中国人どうしならそういうやり方の中でちゃんと応酬が成立するんでしょうが(実際本質的には日本より遥かにディスカッション大国ですし)、どうもなんかルールの整備されていない異種格闘技みたいでかみ合わないところがありましたね。かなり注意深く顔色を窺っていないと、言葉だけでは本意がどこにあるのかよく分からないことが多かったです。
ちなみに中国側の進行役として出ていた”黄海波(フェニックスTVキャスター)”の番組は、僕はBS1でちょいちょい見ていて、ある論題について賛・否それぞれ一人+中立+キャスターくらいの小規模でじっくりやるんですが、それはそれでかなり面白いし、行儀のいいまま(笑)ちゃんと激するんですよね。視聴者からの意見は明らかに日本のよりレベル高いですし。逆に朝生はもっと人数少ない方がいいんじゃないかと思ったくらい。
・「専門家の方」という言い方
その行儀の良さ、形式性は、パネラー以外の一般人も基本的に同じなわけですが、その中で特に面白かったのは「専門家の方」という言い方、及びそれへの敬意が再三語られていたこと。『田原さんは”専門家の方”が喋っているのをどうして遮るんですか?』という感じで。”批判”という以前に”驚き”というニュアンスが強かったと思いますが。
「専門家」という概念が非常に強固に生きているということ。及びそれへ最大限の敬意を示すことが習慣付けられていることを強く感じました。
上に書いたように一般人の言語的民度、それこそ「専門性」は日本より中国の方が平均して高いと思いますし、自己主張もはっきりしているでしょうが、それはそれとして権威や正統性への習慣的な従順さをやはりかなり(まだ)中国人は強く持っている。
・「素朴」と「率直」 〜”知”の主観的側面について
かなり感覚的な話なんですが。更に。
客席の日本の東大生が北京の大学生に、「今回の議論を聞いていて素朴に驚いたことや面白いと思ったことを、率直に言って下さい」みたいな質問(かなり意訳)を投げかけた時の反応が面白かったですね。一言で言うとポカーーーンという感じで。
沈黙の後促されて返って来た答えも、結局とんちんかんなもので。
思うにはっきりした、系統だった『意見』や『立場』や『問題』を言語化することには慣れていても、直観や主観を議論の場で開陳する、れっきとした”知”の問題として位置付けるという習慣を中国人は持っていないんだろうと思います。その種の偏差を抽出する訓練が出来ていないというか。常に大きな公式的枠組みを使ってしか話が出来ない。
これは勿論、今まで述べて来た”丁寧さ”や”形式性””権威主義”の問題と直接関係するでしょう。頭が悪いわけではないんだけど死角や盲点が沢山ある、構造的に柔軟性が欠けている。議論の文体が限定されている。
逆に日本人は便宜的に自分の立場を公式化することが下手、臆病な気もしますが。
まあこれは「文化差」よりもやはり近代化・西洋化してからの時間の差、個人主義的な思考への慣れの差という気がします。例え資質的に客観主義的な人でも、主観主義的な”知”(それこそ僕のような・笑)に日々触れていれば、自分の中のそういう領域を意識することは自然と出来るようになるでしょうからね。
なんつうかまだ、部分的に中世を生きているような印象はありますねやっぱり。
金庸の作品なんかもそれと近・現代との接触面で書かれているような感じがします。頭は近代、体は中世というか。そこらへんの錯綜を読んでいくのが面白い。
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たまにある疲労性の発熱なんですねこれ。溜まった疲れを一気に出して、それで体調をリセットする。
おかげで選挙行きそびれました。
しかたないので先週の朝生日中同時放送の雑感(の転載)などを。
・中国人の議論は(クソ)丁寧
過去に散発的に朝生に出ていた中国人パネラーの発言が回りくどい/まだるっこしく感じたのは、てっきり党の意向でも気にしてるせいなのかなと思ってましたが、こうしてまとめて見るとどうやら全体的傾向、中国的知識人の癖のようで。
形から入って手続きを踏んで、しかるのちに核心的議論が開陳される、またはついに開陳されなかったりする。(笑)
「言いたいこと」や「インパクト」という”核心”と同じかそれ以上に、議論の体裁や形式がきちんとしていることが大切。
多分中国人どうしならそういうやり方の中でちゃんと応酬が成立するんでしょうが(実際本質的には日本より遥かにディスカッション大国ですし)、どうもなんかルールの整備されていない異種格闘技みたいでかみ合わないところがありましたね。かなり注意深く顔色を窺っていないと、言葉だけでは本意がどこにあるのかよく分からないことが多かったです。
ちなみに中国側の進行役として出ていた”黄海波(フェニックスTVキャスター)”の番組は、僕はBS1でちょいちょい見ていて、ある論題について賛・否それぞれ一人+中立+キャスターくらいの小規模でじっくりやるんですが、それはそれでかなり面白いし、行儀のいいまま(笑)ちゃんと激するんですよね。視聴者からの意見は明らかに日本のよりレベル高いですし。逆に朝生はもっと人数少ない方がいいんじゃないかと思ったくらい。
・「専門家の方」という言い方
その行儀の良さ、形式性は、パネラー以外の一般人も基本的に同じなわけですが、その中で特に面白かったのは「専門家の方」という言い方、及びそれへの敬意が再三語られていたこと。『田原さんは”専門家の方”が喋っているのをどうして遮るんですか?』という感じで。”批判”という以前に”驚き”というニュアンスが強かったと思いますが。
「専門家」という概念が非常に強固に生きているということ。及びそれへ最大限の敬意を示すことが習慣付けられていることを強く感じました。
上に書いたように一般人の言語的民度、それこそ「専門性」は日本より中国の方が平均して高いと思いますし、自己主張もはっきりしているでしょうが、それはそれとして権威や正統性への習慣的な従順さをやはりかなり(まだ)中国人は強く持っている。
・「素朴」と「率直」 〜”知”の主観的側面について
かなり感覚的な話なんですが。更に。
客席の日本の東大生が北京の大学生に、「今回の議論を聞いていて素朴に驚いたことや面白いと思ったことを、率直に言って下さい」みたいな質問(かなり意訳)を投げかけた時の反応が面白かったですね。一言で言うとポカーーーンという感じで。
沈黙の後促されて返って来た答えも、結局とんちんかんなもので。
思うにはっきりした、系統だった『意見』や『立場』や『問題』を言語化することには慣れていても、直観や主観を議論の場で開陳する、れっきとした”知”の問題として位置付けるという習慣を中国人は持っていないんだろうと思います。その種の偏差を抽出する訓練が出来ていないというか。常に大きな公式的枠組みを使ってしか話が出来ない。
これは勿論、今まで述べて来た”丁寧さ”や”形式性””権威主義”の問題と直接関係するでしょう。頭が悪いわけではないんだけど死角や盲点が沢山ある、構造的に柔軟性が欠けている。議論の文体が限定されている。
逆に日本人は便宜的に自分の立場を公式化することが下手、臆病な気もしますが。
まあこれは「文化差」よりもやはり近代化・西洋化してからの時間の差、個人主義的な思考への慣れの差という気がします。例え資質的に客観主義的な人でも、主観主義的な”知”(それこそ僕のような・笑)に日々触れていれば、自分の中のそういう領域を意識することは自然と出来るようになるでしょうからね。
なんつうかまだ、部分的に中世を生きているような印象はありますねやっぱり。
金庸の作品なんかもそれと近・現代との接触面で書かれているような感じがします。頭は近代、体は中世というか。そこらへんの錯綜を読んでいくのが面白い。
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2006年11月13日 (月) | 編集 |

永田杏奈「出したかった」 (デイリー)
永田杏奈、基地ショット(報知)
いずれも初写真集出版の記事。おめでとうございます。
また仮面ライダーですか。そういうタイプだったかな。『バトルロワイアル』にも出てたそうです。
確か今は亡き『内村プロデュース』のアシスタントで1回出演してましたね。
”地味目の杏さゆり”という感じの、品良くエロい、控え目なオネエさんオーラがとても好印象でした。でも秘めた華も圧もあるという。化けるかな、化けないかな。
で、”化けた”かどうかは分かりませんが、こうして一瞬誰だっけ?というくらいに久しぶりに消息を聞くと、何とも嬉しいものです。ああ、生きてたんだあという。ほとんどノラ猫を慈しむ感覚ですが。(笑)
いずれ画像が出回るようになったら、是非起用してみたい一人。(写真集購入はこちら)

【エリザベス女王杯】カワカミ降着…15年ぶりGI“1位失格”(サンスポ)
カワカミ降着 本田「すべて僕の責任」(スポニチ)
一転して”悪い知らせ”。
見てましたが、まさかという感じですね。シェルズレイは関係ねえだろというのはすぐ分かったんですが、ヤマニンシュクルの方は分からなかったから。残念。
内容的には圧勝なだけに、何とか大岡裁きとか出来ないものかとつい思ってしまいますが。騎手だけでいいじゃん。 →ああ、なるほど。
いや、凄いですよ、あのアジリティとパワーを兼備している感じは。帰化して代表に入らない?という感じです(笑)。(父)キングヘイローがこんな底力を秘めていたとは。タイプは違いますが、個人的にファビラスラフィン以来の衝撃・愛を感じる牝馬でした。
ったくとんだ小牧場いじめだよとオダあげたいところですが、対象となったシュクルの(父)トウカイテイオーというのも負けずに判官贔屓ポイントだしなという。ついてねえや。
年内休養だそうですが、逆に引退でいいんじゃないでしょうか、今年の有馬出ないなら。もう能力は証明済みだし、旬を逃した牝馬にこの先これといった目標があるとも思えないし。これがケチのつき始めで、挙句何か間違いでもあったら目も当てられない。
そういえばラフィン産駒って見ないですね。出てはいるようですが。難しい。
おまけ。
ここんところの若槻千夏休養→長野翼スーパー競馬ピンチヒッターで、ここからのアクセスが今更急増しています(笑)。その後特に何も書いてないので申し訳ない感じですが。
逆に言えばまだまだマイナーなんだな翼ちゃんということで。
スーパー〜では相槌のクソ丁寧さに、真面目な性格が表れていると思います。いいコですよ、このコは。どれだけいい女か、本人が一番気づいてない感じがいいですね。皆さん何だか良くして下さってみたいな。
変わらず愛してるので頑張って下さい。
サイトトップへ
2006年10月11日 (水) | 編集 |
NHKに支払い申し出が3000件以上…受信料督促発表で
単に金が無い(または惜しい)とか、特に理由もなくとぼけられれはそれに越したことはないくらいの感じで払ってなかった従来型の不払い者(?)にしてみると、不祥事続発で国民的不払い機運が高まって、なんかよく分かんないけど名分が立ったぞとにやにやしていたのも束の間(笑)、不払いの規模が大きくなったおかげで今まで目こぼししてた分まで根こそぎ追及の手が伸びそうな気配になって来て、聞いてないよというかとんだ薮蛇だというか。
根本的にはすっぱりペイ・テレビにしてくれと個人的には思いますが。アーンドスカパーの価格設定に慣れた身としては、当たり前のような顔で月1000いくらとか気安く請求してくんなよ不浄役人(もどき)とは思いますが。
でも一方で払わない理由として「不祥事」というのはかなり怪しい理屈だよなとも当初から思ってたりして。放送内容に思想的に反対だとか、受信自体に支障が出たという類の「不祥事」じゃないんだから。裏で何やってようが、”商品”自体は問題なく届いてる。
まあそもそもそういう筋目の正しい経済行為になってないというのが、深く考えている人たちが問題視しているところなんでしょうけどね。
やれやれ。ともかく不愉快。何とも言えず不愉快。
サイトトップへ
NHKは10日、受信料不払いに法的な督促手続きを始めると発表した5日から9日までの5日間で、新規契約や支払い再開の申し出が全国で計3270件あったことを明らかにした。10日の経営委員会に報告した。(報知)
単に金が無い(または惜しい)とか、特に理由もなくとぼけられれはそれに越したことはないくらいの感じで払ってなかった従来型の不払い者(?)にしてみると、不祥事続発で国民的不払い機運が高まって、なんかよく分かんないけど名分が立ったぞとにやにやしていたのも束の間(笑)、不払いの規模が大きくなったおかげで今まで目こぼししてた分まで根こそぎ追及の手が伸びそうな気配になって来て、聞いてないよというかとんだ薮蛇だというか。
根本的にはすっぱりペイ・テレビにしてくれと個人的には思いますが。アーンドスカパーの価格設定に慣れた身としては、当たり前のような顔で月1000いくらとか気安く請求してくんなよ不浄役人(もどき)とは思いますが。
でも一方で払わない理由として「不祥事」というのはかなり怪しい理屈だよなとも当初から思ってたりして。放送内容に思想的に反対だとか、受信自体に支障が出たという類の「不祥事」じゃないんだから。裏で何やってようが、”商品”自体は問題なく届いてる。
まあそもそもそういう筋目の正しい経済行為になってないというのが、深く考えている人たちが問題視しているところなんでしょうけどね。
やれやれ。ともかく不愉快。何とも言えず不愉快。
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2006年10月02日 (月) | 編集 |
ディープ、悲願ならず=凱旋門賞で3着に終わる
月並みな言葉しか浮かびませんが、やっぱ、悔しかったっす。
なんだよ?3.5キロ差って。ハンデ戦かよ。
つうか56キロ(レールリンク)って、女の子かキミは。
こっそり1.5キロくらい載せておくのが男の意地ってもんじゃないのかね。(無理)
まあ斤量がどれだけ原因かは分かりませんが、普段海外競馬なんて見ない俄かからすると、よくも今までこんなレギュレーションに修正がなされてこなかったものだと素朴に疑問に感じてしまいますが。ひょっとして「世界最高峰」って有名無実?そういえばラムタラも結果的に大した評価じゃなかったなあ。
「抜け出して粘れず」という負け方はいかにも日本馬にありそうで嫌。
そういうタイプの馬ではないにしても、有馬、凱旋門と結局混戦では競り負けている印象が強く残ってしまって残念なので、是非現役続行してかつ出来れば海外GIで、一つは男らしい勝ち方をしてから引退して欲しいなという気がします。
こんなレースの後こそ、井崎脩五郎先生のしみじみとしたレース回顧で慰められたかったなと。
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ディープ、飛べず−。競馬の世界最高峰レースの一つ、第85回凱旋(がいせん)門賞(GI、優勝賞金約1億7000万円)は1日、当地郊外のロンシャン競馬場の芝2400メートルに8頭が出走して行われ、日本から挑戦した武豊騎乗のディープインパクト(牡4歳、栗東・池江泰郎きゅう舎)は3着に敗れ、日本調教馬としての初優勝の悲願はまたもかなわなかった。重量が3.5キロ軽い3歳牡馬のレールリンク(パスキエ騎手)が優勝した。(時事通信)
月並みな言葉しか浮かびませんが、やっぱ、悔しかったっす。
なんだよ?3.5キロ差って。ハンデ戦かよ。
つうか56キロ(レールリンク)って、女の子かキミは。
こっそり1.5キロくらい載せておくのが男の意地ってもんじゃないのかね。(無理)
まあ斤量がどれだけ原因かは分かりませんが、普段海外競馬なんて見ない俄かからすると、よくも今までこんなレギュレーションに修正がなされてこなかったものだと素朴に疑問に感じてしまいますが。ひょっとして「世界最高峰」って有名無実?そういえばラムタラも結果的に大した評価じゃなかったなあ。
「抜け出して粘れず」という負け方はいかにも日本馬にありそうで嫌。
そういうタイプの馬ではないにしても、有馬、凱旋門と結局混戦では競り負けている印象が強く残ってしまって残念なので、是非現役続行してかつ出来れば海外GIで、一つは男らしい勝ち方をしてから引退して欲しいなという気がします。
こんなレースの後こそ、井崎脩五郎先生のしみじみとしたレース回顧で慰められたかったなと。
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2006年09月23日 (土) | 編集 |
承前。
ともかくこうして、右側に軸を置いた美的な原理原則主義者安倍晋三はあり、教育基本法を改正して「美しい国」を目指すわけですけど・・・・これはかなり、僕は我慢なりません。右だから駄目だというのではなく。それならただの反対意見ですが。むしろ右の観点から見ても我慢ならない。どういうことか。
つまりですね。僕は日本語も日本民族の感受性も日本の独特の宗教的風土も愛していますし、その特異性や唯一性をもって例えば「神(の)国」とする考えがあってもそれ自体をおかしいとは思わないんですね。それも一つの矜持の持ち方でしょう。
ただそれは上で言ったように正に美意識であり情操であり、伝統であり生活経験の蓄積であるわけですよ。本来右翼とはそういうものです。理論一発で引っくり返す左翼とは違って。左翼思想は「主張する」もの、右翼思想は「生きる」ものというか。
だから誰が、どういう人が、どういう風に説くかが重要であって・・・・つまりところ、中曽根さんが言うなら分かるが安倍の若僧なんかにとやかく言われたくないということです。
中曽根さんが国を愛する心や失われつつある日本的な情操について語るのを聞くと、そうかもしれないなあとか結構神妙に聞けるんですが、同じようなことを安倍が口にすると、うるせえこのやろう、ことの是非はともかくお前に何がわかる!とどうにもムカムカイライラしてくるのです。
僕には勿論日本的伝統とそれに根ざした生活について、後輩たち(笑)に教えることなど出来ません。でもそれは安倍晋三でも同じだと思うのです。
実際には中曽根さんにさえある種の「門前の小僧」臭は感じなくもなくて、言ってみればあの人は「天皇教の最後の世代の弟子」みたいなものかなと思うんですが、安倍に至っては憧れと聞き齧りと生兵法、2ちゃんのライトなネットウヨとそんなに遠い所にいるようには見えません。
同じ比較を別な言い方ですると、中曽根さんには最初から客観的な視点があって、継承者の責任感から”あえて”語っているという面が強くあると思うんですが、安倍になると「客観化」を通り越して「断片化」という感じがするんですね。言葉の意味が周辺のごく狭い範囲としか繋がりを持っていない。背景となる生活感が見えて来ない。中曽根さんの内部にはそういう言葉が出て来る”プロセス”のようなものが想像出来るんですが、安倍のはいきなり結論の功利的な取捨選択から始まっているような、そういう薄っぺらさが感じられます。
まあどの思想も代替わりとそれによる脱落は付きものですが、こと右翼思想に関してはそれを生きている、体で思考してる感覚のないものは無意味だと思います。ちなみに石原慎太郎は確かに「体」は感じられますが、果たしてあれは「思考」なんでしょうか。何かの発作か、子供がむずがってるようにしか見えない時が多いのですが。(笑)
いずれにせよそうしたオリジナルや伝統との繋がりの怪しげな安倍氏や彼らの世代が、力を持ち、教育を司り、教えられる能力のないものを教えてそれを梃子に国造りをする。かなり気が早いですが、想像するだに寒々しい光景だと思います。そもそも右翼/保守思想のいいところは、繋がりとそこから来る包容力・安定感なわけで、安倍氏のそれは内容的には右でもスタイル的にはむしろ左、1アイデア1論理で切り取るように直線的に現実に影響を及ぼそうとする、そういう危うさが感じられます。右の陳腐さと左の浅はかさを併せ持った人というか。
こんなことが起きるのも、環境に恵まれ過ぎて自分自身の思考を育むプロセスが足りていない、「優等生」ならではだと思いますが。力を尽くすことを創造や破壊ではなくて、既得のものの見映えのいい順列組み合せを探すことだと思っている、またそれですませたいと思っている。
・・・・ただその”順列組み合わせ”の結果として出来た『安倍晋三』というアウトプットが、見方によっては現在奇妙に魅力的に人々の目に映っているわけですが。本人それほどの大物だとはとても思えませんが、何せ無駄に真面目なので世論や大衆的支持によっては何かやらかす危険も感じなくはないです。(ていうかむしろ主犯が大衆なのかもしれませんが。)
まあ「優等生」らしく、中を取って終わりという可能性も十分にありますけど。だから言っただろう”中道”だって、みたいな。(笑)
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ともかくこうして、右側に軸を置いた美的な原理原則主義者安倍晋三はあり、教育基本法を改正して「美しい国」を目指すわけですけど・・・・これはかなり、僕は我慢なりません。右だから駄目だというのではなく。それならただの反対意見ですが。むしろ右の観点から見ても我慢ならない。どういうことか。
つまりですね。僕は日本語も日本民族の感受性も日本の独特の宗教的風土も愛していますし、その特異性や唯一性をもって例えば「神(の)国」とする考えがあってもそれ自体をおかしいとは思わないんですね。それも一つの矜持の持ち方でしょう。
ただそれは上で言ったように正に美意識であり情操であり、伝統であり生活経験の蓄積であるわけですよ。本来右翼とはそういうものです。理論一発で引っくり返す左翼とは違って。左翼思想は「主張する」もの、右翼思想は「生きる」ものというか。
だから誰が、どういう人が、どういう風に説くかが重要であって・・・・つまりところ、中曽根さんが言うなら分かるが安倍の若僧なんかにとやかく言われたくないということです。
中曽根さんが国を愛する心や失われつつある日本的な情操について語るのを聞くと、そうかもしれないなあとか結構神妙に聞けるんですが、同じようなことを安倍が口にすると、うるせえこのやろう、ことの是非はともかくお前に何がわかる!とどうにもムカムカイライラしてくるのです。
僕には勿論日本的伝統とそれに根ざした生活について、後輩たち(笑)に教えることなど出来ません。でもそれは安倍晋三でも同じだと思うのです。
実際には中曽根さんにさえある種の「門前の小僧」臭は感じなくもなくて、言ってみればあの人は「天皇教の最後の世代の弟子」みたいなものかなと思うんですが、安倍に至っては憧れと聞き齧りと生兵法、2ちゃんのライトなネットウヨとそんなに遠い所にいるようには見えません。
同じ比較を別な言い方ですると、中曽根さんには最初から客観的な視点があって、継承者の責任感から”あえて”語っているという面が強くあると思うんですが、安倍になると「客観化」を通り越して「断片化」という感じがするんですね。言葉の意味が周辺のごく狭い範囲としか繋がりを持っていない。背景となる生活感が見えて来ない。中曽根さんの内部にはそういう言葉が出て来る”プロセス”のようなものが想像出来るんですが、安倍のはいきなり結論の功利的な取捨選択から始まっているような、そういう薄っぺらさが感じられます。
まあどの思想も代替わりとそれによる脱落は付きものですが、こと右翼思想に関してはそれを生きている、体で思考してる感覚のないものは無意味だと思います。ちなみに石原慎太郎は確かに「体」は感じられますが、果たしてあれは「思考」なんでしょうか。何かの発作か、子供がむずがってるようにしか見えない時が多いのですが。(笑)
いずれにせよそうしたオリジナルや伝統との繋がりの怪しげな安倍氏や彼らの世代が、力を持ち、教育を司り、教えられる能力のないものを教えてそれを梃子に国造りをする。かなり気が早いですが、想像するだに寒々しい光景だと思います。そもそも右翼/保守思想のいいところは、繋がりとそこから来る包容力・安定感なわけで、安倍氏のそれは内容的には右でもスタイル的にはむしろ左、1アイデア1論理で切り取るように直線的に現実に影響を及ぼそうとする、そういう危うさが感じられます。右の陳腐さと左の浅はかさを併せ持った人というか。
こんなことが起きるのも、環境に恵まれ過ぎて自分自身の思考を育むプロセスが足りていない、「優等生」ならではだと思いますが。力を尽くすことを創造や破壊ではなくて、既得のものの見映えのいい順列組み合せを探すことだと思っている、またそれですませたいと思っている。
・・・・ただその”順列組み合わせ”の結果として出来た『安倍晋三』というアウトプットが、見方によっては現在奇妙に魅力的に人々の目に映っているわけですが。本人それほどの大物だとはとても思えませんが、何せ無駄に真面目なので世論や大衆的支持によっては何かやらかす危険も感じなくはないです。(ていうかむしろ主犯が大衆なのかもしれませんが。)
まあ「優等生」らしく、中を取って終わりという可能性も十分にありますけど。だから言っただろう”中道”だって、みたいな。(笑)
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2006年09月22日 (金) | 編集 |
まま承前。
力さえ持たなければ特に注意を引く人ではないのですが、持ちつつあるので引かれてみます。
よく見るとホント変な人だなと。
どう変かというと・・・・うーん難しいんですが、「常軌を逸した優等生」という感じ。「優等生」なので目立たなければ全然目立たないんですが、よくよく見ると「常軌を逸し」ていて目立つという。
あのう、大変語弊があると思いますが、見てるとどことなくオウムに集った「優等生」たちを思い出すんですよね。スタート位置がとてつもなく高いだけで実は本質的には不適応で、自分の汚れない世界にしか住めない人なのではないかと。
昨日見かけた電車の吊り広告で、どこかの週刊誌が”政策のパクり屋”とか書いてましたが、”パクり”かどうかはともかく、生まれてこのかた様々な人から受けただろう”薫陶”を、涙ぐましいまでに真面目に、律儀に、必死に実現しようとしている人なのではないかなとそう感じます。
そういう意味ではこの人の中から直接出て来た「自分の考え」というのはまだなくて、場合によっては一生ないのかも。
ではそういう「自分の考え」のない安倍氏の指針や決断が何によってもたらされているかというと、それは前回もチラっと言った原理主義・・・・というと少しイメージが狭過ぎるので、「原理・原則主義」と言い換えておきますか。とにかくすっきりとした、”美しい”、曖昧さのない分かり易い論理や姿勢やイメージ。それに適うものが選ばれて、組み合わされていく。適わなければ改められる、つまり”改憲”。
「右」か「左」かは本来どうでも良かったんでしょうけど、現実の生育環境から、実際にはそれらは右のラインを中心に形成・展開されている。違う生まれをすればマルキシストになってたかもしれない。だから根っから現状肯定保守の麻生なんかと比べると、全体像が分かり難いんですが。
あるいは違うかも。元来理論・理性の「左翼」に大して、「右翼」思想は美意識や情操を大きな拠り所としている。それが”美しさ”を求める安倍氏のネイチャアにあった可能性はある。
一方で(”右”は)論理的には曖昧というか理屈を嫌うところはあって、それは「原理・原則主義」という僕の定義からは外れそうですが、そこは恐らく現在の日本人の(特に若年層の)ある種の「右傾化」とも通じるところで、少なくともこの現代の日本では、「きっぱりしたもの」や「すっきりしたもの」は主に”右”側に源泉を見出されることが多い。革命志向の無い日本の”左”は、ゴニョゴニョ女の腐ったようなこと(言い方ね)を言うばかり。ここでは論理よりも感性の方が主に働いている。
まとめて言うと、美意識を動機とする論理性、その反映としての原理原則主義ということですか。(つづく)
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力さえ持たなければ特に注意を引く人ではないのですが、持ちつつあるので引かれてみます。
よく見るとホント変な人だなと。
どう変かというと・・・・うーん難しいんですが、「常軌を逸した優等生」という感じ。「優等生」なので目立たなければ全然目立たないんですが、よくよく見ると「常軌を逸し」ていて目立つという。
あのう、大変語弊があると思いますが、見てるとどことなくオウムに集った「優等生」たちを思い出すんですよね。スタート位置がとてつもなく高いだけで実は本質的には不適応で、自分の汚れない世界にしか住めない人なのではないかと。
昨日見かけた電車の吊り広告で、どこかの週刊誌が”政策のパクり屋”とか書いてましたが、”パクり”かどうかはともかく、生まれてこのかた様々な人から受けただろう”薫陶”を、涙ぐましいまでに真面目に、律儀に、必死に実現しようとしている人なのではないかなとそう感じます。
そういう意味ではこの人の中から直接出て来た「自分の考え」というのはまだなくて、場合によっては一生ないのかも。
ではそういう「自分の考え」のない安倍氏の指針や決断が何によってもたらされているかというと、それは前回もチラっと言った原理主義・・・・というと少しイメージが狭過ぎるので、「原理・原則主義」と言い換えておきますか。とにかくすっきりとした、”美しい”、曖昧さのない分かり易い論理や姿勢やイメージ。それに適うものが選ばれて、組み合わされていく。適わなければ改められる、つまり”改憲”。
「右」か「左」かは本来どうでも良かったんでしょうけど、現実の生育環境から、実際にはそれらは右のラインを中心に形成・展開されている。違う生まれをすればマルキシストになってたかもしれない。だから根っから現状肯定保守の麻生なんかと比べると、全体像が分かり難いんですが。
あるいは違うかも。元来理論・理性の「左翼」に大して、「右翼」思想は美意識や情操を大きな拠り所としている。それが”美しさ”を求める安倍氏のネイチャアにあった可能性はある。
一方で(”右”は)論理的には曖昧というか理屈を嫌うところはあって、それは「原理・原則主義」という僕の定義からは外れそうですが、そこは恐らく現在の日本人の(特に若年層の)ある種の「右傾化」とも通じるところで、少なくともこの現代の日本では、「きっぱりしたもの」や「すっきりしたもの」は主に”右”側に源泉を見出されることが多い。革命志向の無い日本の”左”は、ゴニョゴニョ女の腐ったようなこと(言い方ね)を言うばかり。ここでは論理よりも感性の方が主に働いている。
まとめて言うと、美意識を動機とする論理性、その反映としての原理原則主義ということですか。(つづく)
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2006年09月18日 (月) | 編集 |
(承前)
そこで安倍ですが。
それこそ”右”だなんだと言われますが、基本的には普通のバランス感覚と常識を持った、それでもって世界を見ているだけのつまらない人だと思います(笑)。小泉とは全然似てないですね、少なくとも人としては。ただ「外交」と『歴史認識』だけが、個別的具体的に突出している。それについての「強硬姿勢」の印象が。
だから僕の”中道”という評価は願ったりで、そう見られなくて困っているというところがあるんじゃないでしょうか。
ではなぜそれらが突出してしまうかですが、その一因が今回の討論を通じて見えた気がします。問題は彼の『歴史認識』にある・・・・のではなくて、『歴史認識』についての『認識』にあるのだと思います。
つまり言うまでもなく歴史認識なんてものは人それぞれ立場それぞれ国それぞれだし、ベースとなる事実についての研究や啓蒙もなかなか満足の行くレベルには究められない以上、完全に「一致」したり「確定」したりというのは文字通りには不可能事に近いわけです。それは麻生の言う通りでもあるし、将来の”政府見解”について安倍が及び腰になるのが無理からぬところでもある。
ただ彼らは政治家なわけで学者ではないのですから、問題は『歴史認識』そのものではない、その正しさや絶対性ではなくて、どんな『歴史認識』であれ、それが政治的外交的にどう役立つか、機能するかなわけです。
言わば目的/ゴールとしての歴史認識ではなくて、手段/方便としての歴史認識。はっきりと事実に反するのはまずいですが、程度問題としては別に”間違って”ても”大雑把”でもいいわけです、政治的には。
そこらへんを谷垣は分かっていてちらっとそんなことも言っていた。田原総一郎がしつこく(次期首相としての安倍に)”政府見解”を迫っていたのも、要するに方便という観点からでしょう。この2人は「安定した外交関係」という大目標、要点を共有している。
ところが安倍は見る限りこういう観点が欠落、または全く注意が向かない人のようで、だから『歴史認識』について話が煮詰まると決まって「学者に任せる」と言い出すわけです。完全に目的/ゴールとしての歴史認識の方と取り違えてるんですね。それも繰り返し。しまいには苛立った田原から、「学者の見解だって一つの見解でしかないよ」と学生みたいな諭され方をしていましたが。
他にも周恩来やらGHQやらの故事を引いて田原が「いかに方便としての歴史認識で日中関係を円滑に機能させるか」という話をしているのに対して、やれそれは書面として確定してないとかこういう個別の事実とは一貫性が薄いとか、とても政治家とは思えない大局観の欠けた書生じみた反論を繰り返す。なんというか、えらく場違いに『真実』に関心のある人だなあという感じ。
先の”剛直”という新聞評を自分では”直球”と言い直して和らげようとしていましたが、非常に皮肉に本質を明確化してしまう言い換えだと思いますね。”剛”だから”直”ではないんですよね、実際。そんな開放的ではない。
むしろ律儀、糞真面目、馬鹿正直ゆえの”直”。学者か、場合によっては宗教家的な自己目的的な『真実』への忠誠心ゆえの融通の利かなさ。それが北朝鮮問題では「悪いことは悪い」と爽やかにかつ相当程度効果的に機能したわけですが、ぶっちゃけ原理主義体質ということですから一般的には。
勿論十分に頭はいいし、勉強熱心だし、「手段としての歴史認識」という観念そのものを理解出来ないはずはないですけど。言われれば分かってますよというでしょう。
でもそれ以上に体質的な”直”の影響が強くて、それが行動や政策判断のより大きな基準となる可能性が大きい。というか今までのところ言ってることは正にそういうことですから。
ちなみに小泉の方は抽象的な”真実”性なんてかけらも興味がない人だと思います(笑)。”直”ではあるけれどとことん実用主義的で、こちらはまことにご立派な政治家さんでした。話題が出るとなぜか珍しいくらい軽侮の色を見せて語りますが、「書生」臭さという意味では小沢の方に似てますね。だから反発するのかも。
いずれにしても小泉の”直”なら爆裂して突破してそれで終わるでしょうが、安倍の”直”はどこかに行き着いてそこでどん詰まりになりそうでちょっと不気味です。変に真面目なやつは怖い。
『美しい国へ』ねえ・・・・という話は長くなったのでまた今度。
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そこで安倍ですが。
それこそ”右”だなんだと言われますが、基本的には普通のバランス感覚と常識を持った、それでもって世界を見ているだけのつまらない人だと思います(笑)。小泉とは全然似てないですね、少なくとも人としては。ただ「外交」と『歴史認識』だけが、個別的具体的に突出している。それについての「強硬姿勢」の印象が。
だから僕の”中道”という評価は願ったりで、そう見られなくて困っているというところがあるんじゃないでしょうか。
ではなぜそれらが突出してしまうかですが、その一因が今回の討論を通じて見えた気がします。問題は彼の『歴史認識』にある・・・・のではなくて、『歴史認識』についての『認識』にあるのだと思います。
つまり言うまでもなく歴史認識なんてものは人それぞれ立場それぞれ国それぞれだし、ベースとなる事実についての研究や啓蒙もなかなか満足の行くレベルには究められない以上、完全に「一致」したり「確定」したりというのは文字通りには不可能事に近いわけです。それは麻生の言う通りでもあるし、将来の”政府見解”について安倍が及び腰になるのが無理からぬところでもある。
ただ彼らは政治家なわけで学者ではないのですから、問題は『歴史認識』そのものではない、その正しさや絶対性ではなくて、どんな『歴史認識』であれ、それが政治的外交的にどう役立つか、機能するかなわけです。
言わば目的/ゴールとしての歴史認識ではなくて、手段/方便としての歴史認識。はっきりと事実に反するのはまずいですが、程度問題としては別に”間違って”ても”大雑把”でもいいわけです、政治的には。
そこらへんを谷垣は分かっていてちらっとそんなことも言っていた。田原総一郎がしつこく(次期首相としての安倍に)”政府見解”を迫っていたのも、要するに方便という観点からでしょう。この2人は「安定した外交関係」という大目標、要点を共有している。
ところが安倍は見る限りこういう観点が欠落、または全く注意が向かない人のようで、だから『歴史認識』について話が煮詰まると決まって「学者に任せる」と言い出すわけです。完全に目的/ゴールとしての歴史認識の方と取り違えてるんですね。それも繰り返し。しまいには苛立った田原から、「学者の見解だって一つの見解でしかないよ」と学生みたいな諭され方をしていましたが。
他にも周恩来やらGHQやらの故事を引いて田原が「いかに方便としての歴史認識で日中関係を円滑に機能させるか」という話をしているのに対して、やれそれは書面として確定してないとかこういう個別の事実とは一貫性が薄いとか、とても政治家とは思えない大局観の欠けた書生じみた反論を繰り返す。なんというか、えらく場違いに『真実』に関心のある人だなあという感じ。
先の”剛直”という新聞評を自分では”直球”と言い直して和らげようとしていましたが、非常に皮肉に本質を明確化してしまう言い換えだと思いますね。”剛”だから”直”ではないんですよね、実際。そんな開放的ではない。
むしろ律儀、糞真面目、馬鹿正直ゆえの”直”。学者か、場合によっては宗教家的な自己目的的な『真実』への忠誠心ゆえの融通の利かなさ。それが北朝鮮問題では「悪いことは悪い」と爽やかにかつ相当程度効果的に機能したわけですが、ぶっちゃけ原理主義体質ということですから一般的には。
勿論十分に頭はいいし、勉強熱心だし、「手段としての歴史認識」という観念そのものを理解出来ないはずはないですけど。言われれば分かってますよというでしょう。
でもそれ以上に体質的な”直”の影響が強くて、それが行動や政策判断のより大きな基準となる可能性が大きい。というか今までのところ言ってることは正にそういうことですから。
ちなみに小泉の方は抽象的な”真実”性なんてかけらも興味がない人だと思います(笑)。”直”ではあるけれどとことん実用主義的で、こちらはまことにご立派な政治家さんでした。話題が出るとなぜか珍しいくらい軽侮の色を見せて語りますが、「書生」臭さという意味では小沢の方に似てますね。だから反発するのかも。
いずれにしても小泉の”直”なら爆裂して突破してそれで終わるでしょうが、安倍の”直”はどこかに行き着いてそこでどん詰まりになりそうでちょっと不気味です。変に真面目なやつは怖い。
『美しい国へ』ねえ・・・・という話は長くなったのでまた今度。
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