こんな大仕事になるとは。面白いからいいけど。
第5章 「なぜ野球は儲かるのに、サッカーは儲からないのか」 より
1.儲かる野球
テーゼ1:野球は儲かる
「MLBのフランチャイズはだいたいにおいて儲かっている。筆者の確信の根拠は、野球が独占だという点にある。」
「さらに、消費者の利益を保護するために、政府が規制するのが普通なのに、野球は規制されておらず、独占者は自由に好きなだけ儲けることができる。」 (p.141)
「一九一五年にフェデラルリーグ(FL)の崩壊に伴い、MLBは競合がいない独占状態を築いた。」
「一九二二年以降、反トラスト法適用除外の恩恵も享受している。」 (p.141)
テーゼ2:オーナーたちは利益を隠す
「二〇〇四年まで、オーナーもコミッショナーも赤字であると主張し続けていた。」
(p.143)
(利益を隠す理由)
・『収入シェアリング制度』(収入上位球団から下位球団への収入移転)対策
・より多くの公的支援を受けるため。
・選手との団交対策。
・反トラスト法適用除外を継続してもらうための、議会への申し開き。
・入場料や売店の販売価格の値上げの理由付け。
MLBオーナーが儲ける(or利益を隠す)カラクリ一覧
呆れつつ面白かったので、列挙してみます。
・RPT(関連当事者取引)
「オーナーがチームと取引する企業を所有していれば、RPTができる。オーナーはいわば自分と取引するわけで、価格は好きなように決めることができるのだ。」 (p.143)
典型的かつ効果的なのは、チームとそれを放送する放送メディアを同時に所有するケース。
「(シカゴ)カブスはトリビューン・コーポレーションによって所有されているが、同社は(カブス戦を放映する)WGNも所有している。トリビューン・コーポレーションは放映権料を、市場価格を下回る水準に設定して、利益をカブスからWGNに移転しているのである。」 (p.143〜144)
つまりカブスは受け取れるはずの額に満たない放映権料しか受け取らず、その差額はWGNの支出減=利益となる。・・・・もっと力技のも。
「二〇〇二年、トリビューン・コーポレーションはカブス戦入場券を、小売価格を大幅に上回る値段で転売するため別会社を設立している。この販売会社は額面四五ドルのヤンキース対カブス戦を一五〇〇ドルで販売した。」 (p.144)
・節税効果
「内国歳入庁(IRS)はチームオーナーに対して、フランチャイズ購入価格の半分を選手契約に帰属させ、通常五年間にわたる償却を密かに認めている。ドナルド・トランプがヤンキースを八億ドルで買収したと仮定すると、その内四億ドルは五年間にわたり毎年八〇〇〇万ドルずつ償却される。
もしヤンキースに、三〇〇〇万ドルの(中略)利益があったとしても、トランプはそれから八〇〇〇万ドルの償却「費用」を控除して、五〇〇〇万ドルの損失と計上されるのだ。さらに、トランプ個人の課税所得が五〇〇〇万ドルであったとすれば、それとチームの赤字を合算すれば、課税所得はゼロとなる。」 (p.146)
・自分への報酬
「チームオーナーは給与ないしコンサルタント料という名目で数百万ドルもらっているのが普通だ。このような『給与』支払いは、損益計算書では費用に計上されているため、公表利益は小さくなる。」 (p.147)
・自分への利息
「たとえば、あるオーナーは、自分も一員となっているパートナーシップによるチーム買収に関して、出資金として一億ドル拠出する代わりに、パートナーシップに金利一〇%で一億ドル融資することもできる。(中略)
チームのパートナーシップは(中略)一〇〇〇万ドルの利息を支払わなければならず、(中略)この場合、オーナーは報酬を利益ではなく、利息というかたちで享受することになる。」 (p.147)
・チームを担保として有利な融資を受ける。
・チームを売却する。(ある計算では、収益率は普通株の平均6.9%に対して12%前後)
・・・・一部法律違反にならないのが不思議な感じですが(笑)、現状通っているんでしょうね。
とにかく野球(MLB)球団経営は儲かる、選手もオーナーの余禄ですが高給がもらえる、しかし第1章でも述べたように自治体・地元は必要以上の負担を強いられている、ファンも価格面で密かに搾取されているというのが客観的なMLBの状況。(らしい)
日本のプロ野球も、ひょっとしたらJリーグも、知らないだけで陰で似たようなことやってるのかも知れませんけどね。
個人的にはトップカテゴリーのMLBはいいけれど、3A以下はどうなんだ、全部が儲からないと「野球が儲かってる」とは言えないんじゃないかと、それを筆者がほとんど気にしていないようなのもちょっと不思議でした。ここらへんはやはり、”MLB”=野球である野球ファンと、(野球で言えば)3A2Aくらいのクラブが標準で、例外的なクラブ/リーグとしてその上のクラスを考えるサッカー・ファンとの習慣の違いを感じます。
2.儲からないサッカー
サッカーの経済あれこれ
・施設利用
「アメリカでもヨーロッパでも地方自治体はスタジアム建設に対して資金供与しているが、前者ではスタジアムの管理に関して口出ししないのに対して、後者では大きな影響力を保持している。(中略)たとえば、自治体は入場料の引き上げを認めない、あるいはラグジャリーボックスの設置を阻止する、といった口出しをする。」
「イギリス以外ではスタジアムの管理が自由でないことが、クラブの収入増加にとって重大な制約となっている。たとえば、マンチェスター・ユナイテッドの場合、一シートあたり年間一五〇〇ユーロ(一八六〇ドル)の収入があるのに対して、イタリアのクラブではわずか五〇〇ユーロ(六二〇ドル)にとどまっている。」 (p.157〜158)
・・・・あれ、ちゃんと書いてありましたね。僕が推測するまでもなく。(笑)
・目的と投資
「多額の公的資金を受領しているにもかかわらず、イングランド以外ではサッカークラブの経理は不透明と言わざるを得ない。(中略)クラブはこの不透明の陰で、様々な奇策を弄している。しかし、一般大衆を犠牲にして大儲けしたということではない。サッカークラブを支配している人々の主たる動機は利益ではなくて、チームの成功に付随する名声である。」
「ほとんどのサッカークラブでは、理事や委員も金銭的な収益を上げることが自分たちの大きな責任だとは考えていないようだ。(中略)財務担当者もチームの地位向上のために、選手向け支出に最大限の財源を割り振りつつ、収支トントンを目指すべきである、というのが共通の意見のようだ。」 (p.158〜159)
・・・・繰り返し的な話ですけど、オーナー/クラブの儲けではなく基本的に選手への投資に常に有り金はたく(笑)という慣行が、慣れている僕らには当たり前ですがMLB的な目では奇異に/馬鹿正直に映るようで。
背景的要因としては、上の『収入シェアリング制度』などによって、MLBにおいては「チームの強さ」と「儲け」の相関が必ずしも(サッカーほど)強くはないということがあります。
次はもう一つの興味深い相関の問題。
・給与と支出 〜”移籍金”という問題
「ヨーロッパのほとんどのサッカーリーグについては、クラブの給与総額だけでチーム順位の上下変動の八〇〜九〇%を説明することができる。それに対して、野球では一九九四年以降について見ると、(中略)二〇〜五〇%しか説明できない。」
「サッカーの方が相関関係が強いということは、選手は分相応の給与をもらっているという意味で、サッカー選手の市場が極めて効率的に機能していることを示唆する。」
(p.161)
「しかし、サッカー選手の相当数は移籍金の支払いを伴う移籍制度で獲得されているため、選手向けの支出総額(給与総額と移籍金の合計)とチーム成績の間に、密接な相関関係があるという保証はない。」
「移籍金の支出は(給与のように実績ベースではないので)本来的にリスキーな行為である。(中略)総収入のうち大きな部分を選手市場で(”移籍金”という形で)ギャンブルしてることを考えると、クラブの財政がしばしば不安定になるのも当然と言えよう。」
(p.161)
・・・・”人件費”という括りで一つにしがちですが、「給与」と「移籍金」(を加えた選手向け支出総額)が全く質の違う費用だという指摘は言われてみればその通り。同時に「移籍金」というシステムのある面での不条理さと。出来れば支出総額についても、相関の数値があると良かったですね。
本題の野球とサッカーの比較で言えば、儲かる/儲からないというより野球選手が根拠の薄い高給をもらっているという実態が明らかになったような。
『放映権収入の拡大とリーグ&クラブ間格差』という、近年一番大きな経済問題(にして”財政問題”の本丸)については、次章でまとめて。
第3章 「サッカーが世界中に普及した理由」 より
「イギリスのFAは希望者すべてを会員に受け入れてサッカーの普及を後押しし、アマチュアのエリート層は試合をしに世界中のイギリスの植民地や投資の前哨基地を訪れている。」
「これに対して、アメリカの野球のプロモーターは閉鎖的で独占的なスポーツリーグをどうやって成功させるかとか、利益追求にかかるコストをどう負担するかについて、たえず考えていたのだ。」 (p.62)
・・・・アメリカの野球は閉鎖的で独占的だからこそ商業的に成功し、イギリスのサッカーは開放的で儲からなかったが、儲けを度外視していたからこそ普及活動が出来た。
「ちょうど今日のゴルフが仕事の獲得に役立つように、一九世紀のビジネスエリート層がプレーしたサッカーは、商売の円滑な成功を後押ししたのである。」 (p.63)
・・・・前提として”大英帝国”の全世界的経済支配があるのは言うまでもありません。それにしてもゴルフの代わりにサッカーとは、昔のシャチョウさんたちは随分アクティヴだったんですね。(笑)
(参考)サッカーの非ビジネス性の一例
「野球は常にビジネスであったのに対して、サッカークラブはもっと社会的および政治的な目的を動機としていることが多い。(中略)スタジアムの環境よりも勝つことが重要であり、オーナーは施設よりも選手への投資に関心がある。」
「野球とサッカーの試合における座席、食べ物、飲み物の質の差は、歴然としている。野球場のオーナーは観客がお金を使う機会を最大化しているのに対して、サッカー場のオーナーはそのような機会を最小化しているようだ。」 (p.97)
・・・・”客単価”の問題は、ちょっと前にサポティスタなどでも話題になりましたね。ケースバイケースでしょうが、その1で出ていた(スタジアムの真の所有者である)「自治体に対するサッカークラブの立場の弱さ」も関係しているだろうというのは予想出来ます。施設の利用法を、なかなか自由には出来ない。
第4章 「サッカー選手と野球選手、どちらが儲かるか」 より
伝統的には野球選手。以下理由。
(サッカーの総収入の限界の問題) ・・・・国際リーグ、”メジャーリーグサッカー”の不在
「サッカーは二〇世紀前半には世界中に普及していたが、国内のリーグ戦が現在に至るまで中心となっている。」
「FIFAは(開催予定の)ワールドクラブ選手権をワールドカップと同等のものにするという野心を抱いているが、(中略)各国リーグの独占という細分化された体制の後塵を拝するしかない。」 (p.121)
・・・・何を言ってるんだろうという感じでしょうが、次で分かると思います。
「これを野球で比較すれば、NL(ナショナル・リーグ)がニューヨーク州所在のチームだけで始まり、他のすべての州もそれぞれ独自のリーグを維持するという全国的な体制下で、まったく別のリーグを創設するといった事態を想像すればいい。」
「仮にサッカーが(実際のNLと)同じように(拡大的に)発展していたとすれば、単一のヨーロッパリーグとか、単一の南米リーグとかが出現して、さらにグローバルなメジャーリーグサッカーが登場していたかもしれない。」 (p.122)
・・・・イングランドの”FL”が、漸次加盟クラブを増やしながらワールドリーグ(少なくともヨーロッパリーグ)に成長する、というような事態を考えているんですかね。
あえて言えば、野球かサッカーかというより、「広い国の(スポーツの)人」の発想だなとは思います。例えばサッカーでも同じく広大なブラジルなら、”州選手権”と”全国選手権”に分かれていたりするわけで。
とにかくサッカーの常識が野球(MLB)ファンの目からは奇妙に見える、ということですが、実はその話の前提には「アメリカ合衆国」がそれ自体として完結した一つの”世界”である、”ワールドシリーズ”は文字通り”ワールド”であるという、それはそれで奇妙な「常識」があるわけです。だから野球は世界(リーグ)性を達成していると。
これは別に傲(おご)っているのではなくて、野球の広がりの限界を受け入れているということと、現実としてあるアメリカ人の世界意識に倣って言っているわけですね。
「(サッカーにおいて)各国の有力クラブは各国のプロリーグ内にしっかりと閉じ込められている。(有力クラブは)非常に小さな地元クラブと競争することを余儀なくされ、海外チームとプレーする機会が奪われている。」
「大きなチームを国内リーグに縛りつけることによって、各国のサッカー当局は大きなチームを犠牲にして小さなチームに利益を与えているのである。」 (p.122)
・・・・これが経済学的に筆者の言いたいことで、同時に恐らくはヨーロッパの”G14”などの本音でもあるんでしょうね。その背景にはそれによる総収入の限界、つまり
(”G14”的な)「トップチームを観戦するファンの総数が少なく、平均的な入場料が低い」
という問題意識がある。
まとめて言うと”金持ち欧州リーグ”(またはその妥協案としてのUEFACL)は、「特別な」リーグではなくてむしろ「正常な」構想だと、野球(MLB)ファンの観点からはなる。
(サッカーの給与システムの問題)
「一九〇〇年から六〇まで、FLは上限賃金を設定して選手の給与を管理していたが、その上限は熟練肉体労働者の賃金を大きく上回ることはなかった。」 (p.123)
・・・・サッカー選手もまぎれもなく、”熟練肉体労働者”ではあるわけですけどね実際。別に北澤やガットゥーゾじゃなくても。(笑)
「(それは)FAのアマチュア紳士たちがサッカーにおける商業主義の台頭に反対だったためだ。」 (p.123)
「他国の選手の給与も、総じてイングランドよりも大幅に高いとは言えなかった。ほとんどの国ではリーグクラブはしばしばFAの紳士連が輸出したアマチュア『倫理』を盾に、共謀して賃金を低めに抑えていた。」 (p.126)
・・・・ある時期まではほとんどの国では”FA”と”FL”のような明確な分担システム(またはプロの独自組織)がなく、各国協会が「アマ」だと言えばそれで通ってしまっていた。
プロ(クラブ/リーグ)側にも賃金抑制の動機はあり、その結実が「残留・移籍」制度と呼ばれる選手のクラブによる専有システム。
・賃金高騰の最大の契機は、高給を餌にしたクラブ間の選手の引き抜き。
・それを防止する為に、まず選手の現所属クラブによる専有権を絶対化する。
・他クラブはJでいう「移籍リスト」のようなものに載せられた選手に対してのみアプローチ出来る。
・また獲得には元クラブの言い値で設定された”移籍金”を支払わなければならない。
・移籍そのものに選手の意思は関係無いので、賃金も特には上げられない。
選手組合運動の不発などによりこのシステムはイングランドでしっかりと確立し、FAがFIFAと結んだ国際協定に従い、運用は様々だが各国も基本的にそれに倣った。(つまり国際間の引き抜き→賃上げもかなり抑制された。)
この状況はEUの成立→ボスマン判決で決定的に崩されるまで、基本的に続いた。
なお詳細は省きますが(かなりややこしい)、サッカーと違いしばしば競合リーグが相争ったこともあり、アメリカの野球に同様の厳格な制度は確立しませんでした。
その3へ。
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原題は”How Americans Play Baseball and the Rest of the World Plays Soccer”。
・・・・うーん、これはこれで挑発的かも(笑)。”Rest”ってああた。
ちなみにサッカー部門はイギリスの、野球部門はアメリカの経済学者がそれぞれ書いているよう。”Football”ではなくて”Soccer”になってるのも、アメリカの読者を意識してのことでしょうね。
例によって特に面白かったところの抜粋&コメントで。
「はじめに」 より
「本書の執筆で明らかになったのは、あるスポーツのアイデンティティにとって極めて重要となっている伝統は、そもそも偶発的な事情から形成されたということである。野球はもっとサッカーのように、あるいは逆にサッカーはもっと野球のように、発展する可能性も十分にあったということだ。」
「伝統のなかには、スポーツの健全な発展にとって障害となったり、あるいは意義を失っているのに単に長く持続していたりするものもある。(中略)既成の伝統を支持する人は、はるか昔に亡くなった運営者が単に恣意的に制定したルールを、墨守しているにすぎないのだ。」 (ii〜iii)
なぜそうなのか。本当にそうなのか。なぜそうなったのか。なぜそうでなくてはいけないのか。そうだとどのようなメリット/意義があるのか。これからどうすべきなのか。
観念と事実、モラルと目的の区別。手段の目的化の回避。
第1章 「これだけ違う2つのスポーツ文化」 より
「野球は一八五〇年代に、上位中流階級の余暇スポーツとして出現したが、すぐに下位中流階級にまで普及した。(中略)この段階(大衆化と選手の有給化)で野球は分裂した。野球のエリート性を維持したい上流階級は、プロチームを去っていった。」
「NL(現存する”ナショナル・リーグ”)は一八七六年に、野球選手の雇用に関して統制権を行使することによって、より良いより儲かる競技ができる、という考えの運営者によって創設された。(中略)このビジネスモデルは大成功を収め、競争相手を吸収破壊しただけでなく、アメリカのスポーツリーグの手本となったのである。」
「イングランドのサッカーも地位を意識する上位中流階級によって創設されたが、野球と異なり、純粋にビジネス志向の事業には発展しなかった。一流クラブが観客からお金を取り、選手に給与を支払うようになってからでさえ、自分たちはプロフィットセンターではなく、何よりもスポーツ組織であるという原則を堅持していた。」
「(サッカーも)アマとプロを分離するという野球と同じ道をたどる可能性があった。ところがその代わりに、一連のややこしい妥協を通じて、一体性が維持されたのである。例えばアマはプロと対抗試合をしてもいいし、プロのクラプは商業活動による利益について制限を受け入れたのである。」 (p.5〜6)
結果、野球にない一体性は維持されたが、
「サッカーでは、財務的健全性を維持しながらビジネス的側面をどのように組織化するかについての学習が後手に回ってしまった。」
(以下p.7)
「アメリカでは人工動態上の著しい変化を受けて、新しい場所で野球への需要が高まっているが、経営がうまくいきそうな都市でのフランチャイズについては、チームオーナーたちは常に超過需要を確保しておけるように、拡大や移転を管理している。超過需要を背景に、MLBは各都市がフランチャイズ確保のために互いに競争するように仕向けることに成功しているのである。」
「その結果、チーム誘致がもたらす経済的社会的な利益をはるかに上回る公的資金が(スタジアム建設に)支出されている。(中略)結局、MLBの独占力が納税者を犠牲にして、スタジアムをめぐる経済を歪めているのである。」
・・・・これこそ”税リーグ”(笑)。オリンピック&FIFAW杯商法と言うべきか。
「サッカーは昇格・降格の制度があり、開放的なため、どの都市でも優秀な選手を招集しさえすれば、『メジャーリーグ』チームの本拠地になれる。このため地元に対し移転の脅しはまったく効かない。」
・・・・日本の現状では、そもそもチームを欲しがっているのが「地元」というより「有志」or「サッカー関係者」なので、それ以前ですが。学生サークルが予算欲しがってるのと大差ない。
とにかく”フランチャイズ”と”ホームタウン”は根本的に違うところがあるという話。
MLBはえげつないですが、比較してサッカーは伝統的に無策だとも言える。特に日本のような後発国の場合、サッカー的実体の薄い「地域」に「密着」しようとしている、需要の無いところに無理矢理供給しているという面が少なからずある。しかもそれを自覚していないか、経済ではなくてモラルの問題としてのみ認識している。いわく”密着の努力が足りないんだ”。
それとヴェルディの”東京移転”が良策か成功しているかどうかは、また別の問題ですが。
第2章 「スポーツがビジネスに発展する時」 より
・単発の対抗試合とカップ戦のみだったイングランドに出来たプロ「リーグ」”FL”は、当時(一八八八年)大成功を収めていたアメリカの(上記)”NL”を参考に作られた。
・それぞれのプロリーグが群立と潰し合いを繰り広げたアメリカ野球とは違い、イングランドにはアマも含めたサッカー全体の統括機構”FA”が先にあり、”FL”もその統括下に収まった。
・リーグ戦形式によりFLクラブの収益は安定化&激増したが、FAはその”企業”活動を強力に制限した。(”払い込み資金の5%を超える配当の支払いを行ってはならない””クラブの理事に対して給与を支払ってはならない”) ・・・・それによりサッカーは”儲からない”スポーツとなった。
・FAの傘下に入ることによりFLは競合リーグの出現を回避でき、また後発クラブに対する理論上無限の包容性と、「昇格・降格」システムによる「ディビジョン」制を持つ単一リーグになった。
どれだけの量になるか分かりませんが(笑)、面白いのでどんどんアップして行きます。(その2へ)
今年も書き手と読み手の最大幸福をモットーに務めさせていただく所存ですので、よろしくお願い致します。
・・・・特に掲げた覚えも無い(笑)ですが、あえて言えばこんな感じかなと。
これにはだいたい三つくらいの含意があって、
1.これで意外と(?)職業的に書いている。
つまり読み手への義務感・忠誠心や「公」的な意識が満更無いわけではない。
2.しかし目標はあくまで”最大幸福”、書き手と読み手のそれの合算である。
つまり比重はその都度違って、読者様の為(笑)あるいは伝わることを第一義に書いている場合もあれば、とにかく吐き出したいんだようるさいバカヤロウ何も聞こえない聞かないという場合もあるということ。(笑)
その意味では勿論全然職業的ではないわけですね。当然一銭ももらってませんし。(笑)
まあたいていは適当に中間あたりで収まってますけど。
3.僕が書いているのはあくまで「ヴェルディを見ている人たち」の為であって、「ヴェルディの為」ではない。
意外と重要な区別かも。ブロガー心得というか、ネット心得というか。この割り切りが出来れば、そんなにスタンスで混乱したり自問したりすることは少なくともなくなるかなあと。
本質的には「本」でも「芸術」でも別に同じだと思いますけど。ただネットはよりそこらへんがダイレクト/リアルに感じられる。
単純に僕がある程度以上の直接的な精神的な結び付きを感じられるのは、「ヴェルディ」(の選手等)という社会的実体ではなくて、それを見ている人たちの方だということでもあります。
そりゃそうですよ。僕は別に体育会系でもないですし、Jリーガーみたいな高給取り(あれでもね)でもない(笑)ですし、彼らのパフォーマンスには興味がありますが、本来的には関係の無い人たちです。自分の言葉を届けようとも届くとも、特には期待していませんしする理由も無い。
でも「サッカー/Jリーグを見る」(語る)なんて行為を、人生の重要な一部として行っているおかしな哀れな人たち(笑)なら、十分に関係がある可能性がある。それなりの確率で。
だから焦点をはっきりそこに置くのは一見詭弁/開き直りっぽいですが、実は当たり前のことだと思います。それとてあんまり過剰に実体的に期待してはいけないというか、それをやり始めるとまたターゲットを見失うことになると思いますが。特に「”ヴェルディ”を応援してるから仲間」なんてのは馬鹿馬鹿しい。どことかいうのはたまたまだから。あるいはとりあえずの枠でしかないから。あくまで1人1人の行為やスタイルが問題。”繋がり”の為の。
まああえて言えば、”ヴェルディ”の名の下に存在しているある種の「文化」への貢献ということは、結構考えていますし多少の自負もありますけど。Jリーグが言っているのとは必ずしもイコールではないかも知れませんが。
おお、書いたな。最近自分が何書くのか自分でも分からないことがままあって怖いです。(笑)
まあなかなか面白いツールですよね、ブログって。機会があったらより文化史的な考察(?)とかも書いてみたいですが。
* * * *
天皇杯決勝。広島●0−2○鹿島。
鹿島強し。非常に安定感と言うか、落とし所に落ちている感覚のあるチームですね。
基本的にはトニーニョ・セレーゾが長年かけて築いて、でもちょっとくたびれてしまっていたチームをオリベイラがメンテナンス・微調整し直して元気にさせて。古い選手と新しい選手を上手く組み合わせて。
そしてボランチ小笠原という画竜点”睛”が、「重心深めのパスサッカー」というスタイルを確信的なものに仕上げて。ほんと”小笠原っぽい”チームだなと思います。その中で本山も再び居場所をはっきり得た。
こういうのがオリベイラの仕事の仕方なのか、(たまたま)得意なスタイルなのかは知りませんが、もし前者ならオリベイラに浦和指揮させたら最強なんじゃないかと、ふと思ってしまいました。
手ェつけられないですよね、多分。
広島は勝ち進んで来たこともでも決勝で負けることも含めて、広島らしいなと。(笑)
これでACL出場権でも得れば、多少は主力残留のモチベーションにもなったのかも知れませんが。さあて。
意外と布陣が貧弱になることで、ペトロヴィッチが新たなスキルに目覚めたりとかいうこともあるかなとも思いますが。傲慢というより天然なんですよねこの人は、多分。悪気があるわけじゃない(笑)。これから学習する可能性はある。
噂の柳沢は、なんか残留フラグですね。(笑)
本題は昨日のこちらからの思い付き。歴代僕の好きな・・・・より正確には最も興奮したJチーム(のサッカー)。ちょっと考えてみました。
あまり深い意味はないというか、理屈はないです。素直な反応。”いいサッカー”ではなくて”好きなチーム”。
1位 ’06年のギド・レッズ
2位 ’96年天皇杯のレオン・ヴェルディ
3位 ’03年ボマトップ4−4−2のオジー・ヴェルディ
4位 大熊監督”部活サッカー”時代のFC東京
5位 ”N−BOX”ジュビロ
6位 ’99年初年度李ヴェルディの1st(林健太郎のゲームメイク)
7位 ’04年松永英機監督の甲府
8位 ’02年天皇杯優勝時のエンゲルス京都(と朴智星)
9位 ヴェルディをギュウギュウにしていた時間帯の(笑)加茂”ゾーンプレス”フリューゲルス
10位 ’03年就任初年度のネルシーニョ・グランパス(及び海本の攻め上がり)
・・・・3位以下の順位は割りと適当。9,10位は数合わせで絞り出した面も。
ズデンコのジェフとか’01年天皇杯準優勝の西村セレッソとかも浮かびましたが、微妙にエンゲルス京都とかぶる感じなのでタイトルとったそちらで代表。
1,2試合のタームならそれは勿論キリは無くて、ヴェルディに限っても古くは’94サンフレッチェとのチャンピオンシップで見せたペレイラリベロ5バックの”ヴェルナチオ”とか萌え萌えでしたし、かの上川がハユマを退場させるまでの’02年後期の鹿島戦の攻撃とかも結構ドリーミー。
総体的には部活サッカーとN−BOXを並べてる(しかも部活が上(笑))時点で、余りポリシーはないというか、”スタイル”の好みは無い人なのは伝わると思います。
では何かと言えば「内実」または「強度」ですね。何でもいいけどとにかくあるレベルを越えてやっている、あるいは目論んでいるその勢いに反応する感じ。”スタイル”意識とは逆のもの。(その点でベンゲル・グラとかオシム・ジェフは、”大物”監督の余裕が鼻について萌えません)
ただ上の京都−ジェフ−セレッソの話のあたりで推測できるように、1トップ2シャドー系、あるいはトップに当てて押し上げる系が好きだというのはあるんだと思います。1,2位も勿論。中盤サッカーはあんまり。
その意味ではむしろN−BOXがいかにスペシャルかということではあるかも知れません。それがなぜサラリーマン監督(鈴木政一氏)の手によるのか(笑)。’03年オジーのチームは、その2つの中間系というか、奇跡のバランス。松永甲府はどちらかと言えば中盤サッカーでしたが、同時に異様に縦に速かった。
ちなみに’04天皇杯優勝の方のオジー・ヴェルディは、”プレッシング”と”ヴェルディ”の組み合わせの効果自体は見事でしたが、結果出来上がったものはある意味想定の範囲というか、驚きはなかった。岸野鳥栖も割りとそうですね。僕がヴェルディ者でなかったら、感じ方は変わったかも知れませんが。
ま、どのみち応援するしないは、サッカーの”内容”とはあんまり関係無いですね。きっかけにはなるかも知れませんが。ヴェルディを応援するのはヴェルディだから。
代表の場合は体制が変わるとある意味”別チーム”になるので、結構影響されますが。
J1/J2入れ替え戦2nd 広島 △0−0△ 京都(ビッグアーチ) (*結果京都が昇格)
まあ、”疑惑の判定”とかで決まらないで良かったですね。特にPKとかで。
第1戦の後で、「広島はなんか、見てると色々と身につまされるところがある」と書いたのは、要するに今季の広島に、ウチの降格前の、”桐蔭ヴェルディ”の惰性でだらだらやってた頃のイメージが重なるということで。
無駄に上手い。または中途半端に(笑)上手い。でも全く迫力がない。勝つ気があるように見えない。いかなる意味でも意思が徹底されているように見えない。そして勿論守備が無抵抗に脆い。
元々の”桐蔭ヴェルディ”そのものはむしろ守備は堅かったので、基本的にはあくまで「惰性」ヴァージョンの話ですけど。でもまあ、臭いとしては結構似てます。
・・・・そうそう、FWの個人能力がチームから浮いている感じも。FWの良し悪しとチームの出来不出来があまり関係無いというか。
MF感覚が抜けなくて、なるべくファールをしない、ギリギリまで待つ守備をしていたが、結果として相手をペナ近くないしは内まで侵入させ、切羽詰まったところで結局ファールするから危険なFKを与えるし、警告も多かった。
ちなみにこれは”DF”森崎和(の最近まで)のプレーについての、ある広島系ブログの描写ですが、そう言われなければ米山の話だと思って読んでしまう緑者は多いはず。(笑)
なぜか別にMF体質ではない戸川も似たようなプレーをしますけど、理由はなんなんでしょうか。
とにかくある意味”全員MF”で構成されるチーム、とも言えるかも。(だからFWは仲間外れ)
つまるところ、要するに、まあ・・・・落ちるだろうなと思っていたという話ですが。(笑)
しかしこの日の第2戦の前半のパス・サッカーはかなり見事なもので、集められた選手の質の問題もあって(”惰性”じゃない方の)李さんのチームがこんなクオリティを実現したことは無かったと思います。個人能力や即興ならともかく、意図的で集団的なボールの運びという意味でなら、それ以後(ヴェルディ)降格までのどのチームにおいても。
だからそういう意味では、一緒くたにした失礼は侘びなければとも思ったんですが(笑)、でも結局非力で脆い印象は変わらず。攻勢じゃない時の攻勢じゃなさぶりが酷過ぎる。どちらが勝ち抜けるチームかと言えば、そりゃやっぱり京都だったよなという、そういう意味では順当な結果に見えましたね、第三者的には。
ただそれにしても降格するチームが見せるべきクオリティ、選手の質ではないよなという感想はどうしても。”べき”とか”はず”とか、そんなのいよいよとなったら屁のツッパリにもならんというのは、2年前我々は骨身に染みて分かったことではありますが。
しかし、ああ、無惨というか、むざむざ捨てられるには痛々し過ぎるものが捨てられることに・・・・と思ったら、ペトロヴィッチ留任だそうで。マ・ジ・で?(笑)
この”クオリティ”については二つ思うところがあって。
まず一つ、そのクオリティの高さが、選手の自信や安定に繋がっていない。”勝ち味が遅い”以前の問題。非力で脆く見えるのはそれででしょうね。「見せるべき芸」や「達成すべき課題」ではあっても、拠り所にはなっていない。・・・・ように見える。
勿論今季ここまでの守備の不安や勝ってない自信の無さとかも大きいんでしょうが、それ自体の中に、僕はそういうものを感じてしまいました。
そしてもう一つは、監督はこれでいい、間違ってないとマジで思っている。マ・ジ・で。だから”留任”という話にもなるんでしょうが。
言い方を変えると、予定のカリキュラム/プログラム自体は合格点に近いくらいにこなせている、教えることに成功していると思っている。それが全体としての結果に結びつかなかったのは、運など何か別の理由か部分部分のクオリティ不足か。ともかく直接自分の責任ではないと思っている。居直るというより本当に思っている。多分。
ある意味では分かりますけどね。これだけのクオリティを実現して見せたんだ、完璧だとは言わなくても”失敗”だなんて、言われる筋合いはないぜと。
だからこそ、そもそものカリキュラム/プログラム自体に決定的な欠陥or死角があるのではないかと、そう言わざるを得ないんですが。”クオリティ”を高めることでは解消出来ない類の。何か心境の変化が無い限り、今後も同じことを繰り返すのではないかと。
ペトロヴィッチが見ているのは最初から”ペトロヴィッチの現実””ペトロヴィッチのサッカー”であって、それは”現実”や”サッカー”を掴む為の方便になり得ていない。勿論他人(選手)に上手く伝わろうはずもない。(だから自信も持てない)
監督が掲げる”戦術”というのは、それを通して選手がサッカーの理解や実現に近付くそれぞれが一つの方法・手段だと思うんですが、ペトロヴィッチのそれの先にはペトロヴィッチしかいないような気がします。何か別の競技をやっているように見える、と、レッズの対戦相手としては(笑)思ったものでしたが。
ああ、今いちうまく書けない。データ不足か。
ともかく、入れ替え戦×2及びレッズ戦×2の4試合を通しての、僕の感想はこんな感じです。
基本的に余計なお世話なんですが(笑)、冒頭に書いたようにどうにも身につまされるというか甘酸っぱいところがあるので、ついつい書きたくなってしまいました。
ヴェルディはJ2に落ちて、本音を言うとそんなに期待してなかった割りには、かなり”生まれ変わった”ところがありますが、広島はどうか。
別にどんなスタイルもそれ自体は肯定も否定もする必要は無いんですけどね。その内実はどうか、スタイルとしての位置付けがちゃんとしているかどうかの問題で。目的化しているように見えるペトロヴィッチにそれが出来るのか。
最後に京都のQさんは、過去のヴェルディと湘南(平塚)での仕事ぶりから、OBながら期待どころか応援すらする気にならずに、就任後はおおむね冷ややかに眺めていたんですが、この人も何か変わったような感じは結構ありますね。
基本的に緊急措置的な仕事で全貌とか究極とかは当然分かりませんが、「決意」や「優先順位」や「単純化」といった、過去の監督業では示せなかったものをちゃんと選手に示せるようになっているように見えます。それによって京都の選手は、ともかくも常に良い準備状態で戦えていたように思います。・・・・いつか帰って来ますかね?(笑)。昇格おめでとうございます。
甲府J2降格の責任…大木監督が退任(スポニチ)
まあ前2者については、正式発表の時に書きますよ。
J2降格が決まった甲府の大木武監督(46)が、来季の契約を更新しないことが確実となった。
今季で契約が切れる同監督は成績不振の責任を取って退任する意向で、クラブ側も受け入れる方針。後任は未定だが、同監督の攻撃サッカーを継承できる人物を候補に選定を進める。
甲府は今季7勝6分け20敗の勝ち点27とふるわず、24日の柏戦で敗れて最終節を待たずに降格が決まった。
流れとしては仕方ないのかも知れませんが、凄く中途半端な施策だと思います。
落ちて切るくらいならここまでやらせるなというか。
元々落ちない為の監督じゃないだろうというか。
大木監督ありきの”攻撃サッカー”なんだから、路線変えないなら大木監督でいい。よりそれが向かないJ2で揉まれれば、自然にパワーアップして戻れるんじゃないかという。(戻れればの話ですけど(笑))
まあ「大木監督ありき」のところは見解が分かれるかも知れません。でもあの”狂気”を支えていたのは、攻撃サッカー一般というより大木監督個人の資質だったと思いますが。
でまた何らかの狂気抜きで、甲府のチーム力でJ1も意識したレベルの”攻撃サッカー”なんて出来るのかというのと、大木監督が去っても維持出来るものがどれくらいあるのかという。
と言うとなんか僕が大木監督のシンパかと思うかも知れませんが(笑)、実際に僕が一番甲府が好きだったのは、何回か言ってますがその前任の我らがOB(?)松永英機監督の時代です。
あの何と言うか、「走る李ヴェルディ」みたいな、4−4−2の端整な、しかし圧倒的な運動量と秩序立ったボールの受け渡しで、もう勘弁してくれと泣きが入りそうなくらいのいっさい空気を読まない(笑)無心なしつこさで、サイドを抉りまくる。
走ってましたからねえ。特にサイドバックは、白線でコースが引いてあるんじゃないかと思うくらい、黙々と走ってました。
とにかくドリブルや細かく繋いで中央突破もする、大木監督のそれとはまた違ったあれも「攻撃サッカー」で、そこらへんも含めて甲府のフロントがヴィジョンとして収めているのなら、問題は無いでしょうが。
でも松永時代と大木時代って、あんまり繋がっていない気がするので、結局次の監督の当たり外れの引きに全てがかかってしまうんじゃないかという。早野でも呼ぶのかという。(笑)
まあ今回のは、実際は大木監督自身の意向が大きいのかなとも思いますけどね。
ていうか「甲府vs鳥栖」楽しみにしてたので(笑)、壊さないで欲しいんですよね。
健太郎さんも楽しそうにやってたことだし。
札幌 △2−2△ 京都(札幌ドーム)
一つ上の札幌と一つ下の京都の対決。
自動昇格(2位以内)が絶対優先事項なのは間違いないんですが、同時にJ2優勝の欲も捨て切れない僕は、うっかりすると京都も応援しそうになって困りました。(笑)
勿論京都が先制してからは、100%札幌の応援に集中しましたけどね。
札幌の2−1で決まったかと思いましたが、京都もしぶといというか運が尽きてないというか。
これはやっぱあれですかね、札幌を押さえて優勝もしろという何かのお告げですかね。うん。
まあそれくらいのつもりなら、昇格もそれこそ”自動”的に果たせるってもんで。(駄目?)
しかし札幌のチビっこテクニシャン軍団はうるさい。後から後から出て来る。
仙台 ●2−3○ 湘南(ユアスタ)
なんか仙台負けそうな気はしてたんですが。やっぱりサッカーが綺麗過ぎるというか、ピンと緊張し過ぎてるんですよね。悲運が似合うというか。
湘南も基本的には同じタイプで、案の定殴り合いになって、プレッシャーの軽い分(?)湘南の勝ち。つうかいつのまにアジエルブラジルに帰ってるんだ?大事件じゃないか。
復帰のロペスがかえってバランスを崩すという、ある意味ありがちな結果でもありました。
草津 △2−2△ C大阪(敷島陸上)
敷島のハゲハゲの芝にもめげず、鳥栖とはまた全然違う、セレッソの華やかな攻撃サッカーはきらめいてましたが。いやあ、ほんとブラジルよね。1人1人の裁量が大きくって、混戦でも平気で切り返す/作り直す。チームとしての暗黙の同意がないと出来ないこと。
その中でデカモリシのがむしゃらさは貴重でもあるし、限界でもあるという。僕は小松が好き。
試合はまあ、審判と行きがかりと。ま、今年は程々に諦めて下さいな、セレッソさん。最終節はよしなに。
愛媛 ●1−2○ 鳥栖(愛媛陸上)
特に目的もなく、一応偵察気分で見物。
愛媛はきれいでオーソドックスな自力サッカーをやってましたが、鳥栖とまともに力比べになって、クオリティ差で”順当”負け。5連敗だそうですが、言われないと気付かないような感じ。
でも「これ以上はやだ」と急にウチに守りを固められたりすると困るなあ、そういう意味ではこの試合応援してやれば良かったかなと少しだけ後悔。
(鳥栖の)レオナルドはえらく馴染んでるので、買い取れなければ延長してあげようという感じ。知らない仲じゃないし。ウチはまあ、まず間違いなくボランチ(ゼ・ルイスの代わり)で一つ外国人枠埋めるでしょうね、来年は。昇格の暁には。
後はFW枠をどうするか。シウバのままなのか。
緊張感があって濃密で、リーグとしては明らかにJ2の方が面白かったっす。でもさよならさ!
草津編。
既に今週鳥栖編をやってるので、危うく忘れるところでしたが。(笑)
パッと見て、こう言っちゃなんですが意外なほど盛んな感じなので、もしやと思ったらやっぱりのどか系ライト系のシーンでした。
感触としては前にやった時のジュビロとガンバの「全国区/スター選手系」のチームと共通した感じで、なぜ草津が?という疑問はありますが、「温泉の町のセカンドチャンスチーム」としてある意味では一時”全国区”でしたから、そういう出自が関係あるのかなと。
ともかくちょっと僕の苦手な感じではありましたが(笑)、読めるブログはちゃんとあります。
『俺的RIOT』 さん
22で「いい歳」とかヌカしてるので(ブログ説明文)、ムカついて晒し上げ・・・・というのは冗談です。でもムカつきます。
淡々としているような乱暴なような妙な文体ですが、状況と感情と織り交ぜて、凄く要領良く試合評を書く人だと思います。でもなんだ「外弁慶ダービー」って。(笑)
『わにわにの毎日』 さん
チリチリって久々に聞きました。でも上の人の倍くらいの歳の方のようなので、ムカつくのは遠慮しておきます(笑)。まあ別に嘘じゃないですし。
草津が下位チームにやけに強いという話も面白かったです。サッカー自体はちゃんとやってるということなんですかね。
『ザスパ草津に一喜一憂するブログ』 さん
別におかしくはないんですが、「風助」さんと「八兵衛」さんと、2人の書き手で組んでやっているという、少し変わったブログ。
”掛け合い”とかそんなに露骨にやっているわけでもないんですが、やっぱり2人いるとなんか開放的で、風通しがいい感じはあります。僕のなんか密室そのものですけど。(笑)
文体的にはどちらかというと女の子が書きそうな感じの、そういえば”ライト系”なんですが、いつのまにかという感じで書くべきことはちゃんと書かれている、実は達人たちの宴かなという。
実際”被り”とか難しそうですけどねえ。
なんか皆さんあんまりウチに勝てるとは思ってらっしゃらないようなので、じゃあ有り難く勝たせていただこうかなという。(笑)











