理論派でならした大西鉄之祐氏は独創的な戦術で1960年代の早大ラグビー部の一時代を築いた。その大西氏が日本代表監督時代の68年、ニュージーランド遠征の際に練り上げた戦術が「接近、展開、連続」。
相手との体格差を埋めるため、できるだけ接近したところで逆を取り(接近)、1回の攻撃では突破できなければ再奪取し攻め続け(連続)、相手防御の薄い外へ外へと素早くボールを動かす(展開)攻撃。日本はこの遠征でオールブラックス・ジュニアを23−19で破る大金星を挙げ、世界の脚光を浴びた。
岡田監督が「連続」と「継続」を言い間違えていた(笑)、最初期の記事ですが。
さらに会議では、「継続」が強調された。「(世界では)動き続けるタイプの選手が評価をされない。また日本は“テンポが単調”とバカにされていたかも。でもバカにされていた部分が逆に強みになるかもしれない。一発ではかなわなくても継続で」と小野委員長。
”言い間違えた”というのは本人の後の弁ですが、この内容だと別に「継続」でもいいというか、あるいは「連続」とは別に立ててもいいようにすら思いますがそれはともかく。
正直言うと前に紹介した箇所で、横井章氏が「接近・連続・展開」の順番にこだわっていた
「いま順番、違うてきてるんや。展開、接近、連続は、大西さんが最後のほうに言われたことで、やっぱりあれは接近、連続、展開なんですよ。」
のがよく分からなかったんですが、上の説明でなるほどと。
つまり何は無くとも「接近」だったわけですよねやはり、最初は。そしてそれを!「連続」する。それでどうしても駄目なら(笑)「展開」する。または「接近」あっての「展開」。それくらい根性入っていた。そういうことですよね。
「接近」と「展開」をあんまりイーブンで語ってしまうと、ほんとにフツーのサッカー/ラグビーの話になってしまうので。
こういうこだわりはまた、他でもなくなぜ「甲府」なのかということにも繋がって来る。
今日図書館で読んで来た、『Number』最新号「岡田ジャパンに夢はあるか」

で、甲府時代の大木監督の接近/サイド寄せへのこだわりが生き生きと語られていますが。
「とにかく俺はこういう攻めが好きなんだ」(と選手にビデオを見せる様子)
「攻めが遅くなってなぜ悪い」
「フィールドを広く使ってしまったら(選手の総合力に勝る)強いチームには勝てない」
等々。
後任の安間さんは「更に狭い」という話も伝わって来てますし。(笑)
それはそれでいいんですよね。むしろ中途半端さというか明快な印象が無いのが、現在の岡田ジャパンに対する僕の評価・期待感を下げているので。
・・・・と、いうことは明日あたりちゃんと書きます。
(追記)
ちなみにその号の岡田監督のインタビューでは、僕が昨日強調した、「ヨーロッパのスタンダードなんてこの際無視だ!」(笑)という話もちゃんと出て来てますね。
基本的な狙い/言いたいことはほんと分かるんですよ。具体論や方法論に疑問があるだけで。
または流産間近の『接近・展開・連続』理論の。
あんまり侮ってるとしっぺ返しを食うかも知れませんが(笑)、それならそれで、逆に嬉しくないこともなし。本来どうすべきか、または何が足りないか。
”とりあえず”の接近ではなく、”あえて”の接近
もう一回引いてみる、岡田「接近・展開・連続」の典型像。
守備では素早く敵に接近してプレスをかけ、攻撃では敵と接近した狭いスペースからでも高い技術で抜け出しての展開を図る。日本の誇るあくなきスタミナで繰り返しプレスをかけ、繰り返し攻める。
守備はともかく攻撃(”接近”理論は基本的に攻撃戦術)ですが、敵と接近した狭いスペース「からでも」と、何か渋々というか(笑)消極的な、生じた状況に対して受身のニュアンス含みで語っているように見えますが、だとすればその時点で既にずれていると思います。接近を目論んでいるのはこちらなわけで、受身というのはおかしい。
より正確に言うと、「接近し(ちゃっ)て”から”」どうするかではなくて、むしろ「接近する”まで”」、いかに接近するか、どのような/どのように仕組んだ”接近”状態なのかが問題なんですね。
つまりいみじくも「でも」と言っちゃってますが(笑)、接近した状態では自由が利かない、特に攻撃側にはミスのリスクが増大するのは万国共通のまずは自明なことなわけで、だからこそ「プレス」という”接近”戦術が、それこそ万国共通の守備戦術として現代では用いられる。単に近いだけでは窮屈なのはどちらにとっても同じ、まずはこれが基本。
勿論同条件でも日本人はより接近向きであるという前提があるんでしょうが(後述するようにそれは少し微妙だと思います)、少なくともそれを武器として全面的に使って”世界を驚かせ”ようというのであれば、より細かい接近のディテール(大西ジャパンにはあった)と、接近状態の設定/積極的定義が必要だと思います。
なぜある(接近)状態が片方にとっては不自由であるのにもう片方にとっては伸び伸びやれる自由な状態になるのか、それはそれを仕掛けた側にその状態をどのように使うかという明確な目算があるから。
例えば僕が実例的に想起するのにはこんなものがあります。
甲府・・・・は勿論、ツーロン’02・・・・も耳タコなので置いておくとして(笑)、他に代表で言えば’99ナイジェリアWユースや、シドニー五輪予選で1ボランチ2オフェンシブ基本で戦った時のトルシエのチーム。”フラット3”自体がある意味そもそもそういうコンセプトですが、後ろの人数を省いて前にゴチャッと人数を割いた”接近”したゲーム状況で、その混雑しているはずのスペースをそれこそ「高い技術」と「敏捷性」を利してくるくると自在に少ないタッチのパスを回して面白いように突破して行ったあのチーム。(ちなみにどちらも小野伸二という特異な選手の技術が深く関わっていますね。今なら遠藤か。)
国内に目を移せばヴェルサポならば当然、’04年の天皇杯を制した1ボランチ3−5−2の”プレッシング・ヴェルディ”を、似たタイプのチームとして思い浮かべるでしょう。ヴェルディ伝統の狭いスペースでの細かいパス回しのテクニックを、よりモダンなスタイルの中で言わば”高速回転”させたあれ。相手にとっては対処に困る狭さや速さでも、ヴェルディの選手にとってはレクリエーションのようだった。
それをヴェルディがやられてしまったこともあって(笑)、それがJ2時代の松本/岸野サガン鳥栖とのマッチアップ。特に最後の試合あたりは無残で、途中からどうしようもなくなって、嬉々として細かいスペースを有効に使いまくる鳥栖の選手の横で、何やら総身に知恵の回りかねる大男にでもなったような気分でした。
今の例は日本人どうしのマッチアップですが、その「気分」を、正に”大男”たちに、彼我の身体的特性の違いを利して増幅した形で味合わせてやろうというのが、代表/国際試合における岡田or接近プランなわけですね。
ただそれは”増幅”であって、その前提としてはそもそもの攻撃戦術の明確さと(蓄積したディテールの豊かさと)、そして何より自分が仕掛ける側であるという先手の強み、姿勢の能動性が必要なわけです。そうだからこそ、同じヴェルディというチームが、状況によっては加害者(笑)にも被害者にもなるわけで。それがあって初めて、「特性」(の違い)が意味あるものとして活きて来得る。ただ接近したって何も起きません。詰まるだけ。
遠いか近いかより、ヨソ行きの間合いか自分たちの間合いか
僕個人としては、そもそもの前提となっている「日本人は技術が高いから狭いスペースでの接近戦に強いはずだ」という考えからして少々アヤしいと思わないでもないのだけれど……。海外の強豪国における「相手のDFが間近にいる状況」での体の使い方や足下の技術なんかを見てると、本当にそういった局面で日本選手が優れていると言えるのかどうか。
これはラグビー通のmurataさんが、「接近・展開・連続」について解説したサポティスタでも紹介された『うまねんblog』のエントリー中の一節ですが、たまたま引いてみただけで殊更”murata説”という必要も無いくらい、サッカー界の常識からのある意味当然の疑問・反論だと思います。実際、「プレッシャーのかかった状況での日本人選手の技術」というのは、長らく課題として挙げられているわけで。
ただこれには僕なりの反論というか逃げ道(笑)があって、一つは問題は「技術」単体ではなくて「敏捷性」とセットのものであって、つまり最初からある程度”動き”、目まぐるしく”動いた状態”を前提としているということ。
言い換えれば(ちょっと情けない話になりますが(笑))正味の技術の差が問われないような、こちらの意図した”どさくさ”状況を考えてのことであるということ。大西理論では「すれ違い」というテクニックが強調されますが、言ってみればいかに強豪国の連中とまともに向き合わないか(笑)というのが隠れたテーマとしてあるわけですね。
・・・・なんかやっぱり少し情けない気分になって来ますが(笑)、例えばこんなことを言っている人もいます。
日本代表の試合を見てると感じるのは、相手との間合いが遠い。
これはディフェンス面ではなくオフェンス面で感じることなのですが、相手からのプレッシャーに対してボールを早く離しすぎるような。
(中略)
間合いが遠いから、ディフェンスは余裕を持って対処できるわけです。
この間合いが致命的になることを悟り、タックル寸前のパスを編み出したのが大西さんなわけですが、岡ちゃんは理解しているかどうか。
(フットボール文化系『接近・展開・連続』より)
ちなみにこの人は『接近・展開・連続』は実はオシムの理論だ、その(オシムまでの)日本代表に足りないのは主に『接近』だ(↑)という、結構僕と近い論理展開をしている人ですが、僕がここで言いたいのは『接近・展開・・・・』そのもののことではなく、
・現代の日本人選手はあまり間合い(やそれに代表される局面のプレーの判断)を突き詰めて考えていない
・それは「ヨーロッパ」や「本場」のサッカーを見習おう見習おうというヨソ行きの姿勢に大きく(または一部)起因している
・”スタンダード”に合わせるばかりでは、所詮階層の下位に望んで収まるばかりである
ということ。
つまり上でmurataさんが提起しているような問題は、ヨーロッパまたはグローバルなスタンダードで見れば「問題」であるし事実ですが、要はそういうスタンダードで見なければいい(笑)、スタンダードを無化するか自分たち発のスタンダードでプレーが推移するような状況を作ってしまえばいい、それが上で言う”どさくさ”で、『接近』戦術でそれを生み出すのだということです。
これは長期の育成・強化方針としては間違い無く邪道でしょうが(笑)、今は遠くない将来の勝負の話をしてるので、勝負においては奇策も王道です。
ていうかどんなチームどんな国も、なるべく自分たちの得意な/有利な状況・間合いで戦おうとするのは当然なので、ヨーロッパ基準で言えば僕たちは下手くそです、とても2010年までには追いつきません、だから負けますと聞き分けよく引き下がっても誰も褒めてはくれないわけで。でも放っとくと引き下がりかねないのが、日本人なので。(笑)
とにかく遠い/近い自体は方便です。要は自分たち発の間合いで自分たちペースで戦うということが肝要で。言い換えれば、問題になるのは”ヨーロッパ的な近さ”ではなくて、”日本的な近さ”だということ。
それと前段の”戦術的に意図的な接近状態”という概念と合わせた、能動性と具体性が『接近』戦術の成功には重要だと思うんですが、どうも現時点までの岡田監督は、そこらへんがボーッとしているように見える。無い袖は振れない、ということを承知で苛めてますが。(笑)
勝負だ!ということは、次のエントリーでもっと根本的に語りたいと思います。それで最後かな。
北朝鮮代表戦 △1−1 (得点者:前田遼一)
中国代表戦 ○1−0 (得点者:山瀬功治)
韓国代表戦 △1−1 (得点者:山瀬功治)
一言で言うと「消化不良」かなと。
3試合1点ずつで、点が取れなかった、得点の予感が希薄だったのは確かですが、それが”行き詰まり””手不足”というよりも、それ以前にとっ散らかってるぎくしゃくしている、出せるはずの力持っているはずの手段をスムーズに出せていないというそういう性格のものに僕には見えました。
だから当面の問題としてはそれほど深刻ではないというか、まだおつりはあるというか。
更に言えば何か目覚しい「戦術」の不在(不機能)を言う前に、本来岡田監督に望まれた、「現在の日本人選手の等身大の力を、要領よく確実に取りまとめて発揮させる」という、そっちの職務がまだ充分に果たされていないということ。
その障害となっているのが上っ面の「接近・展・・・・」である、という風に話を進めたくなるでしょうが(笑)、実際のところそう言えるほどの影響力すらも既に無いかなという感じがしますが。
強いて言えば”攻撃的”を標榜する中盤の前のめり感、あるいは山瀬や羽生(遡れば大久保)といった第3のFWタイプのトップ下にデフォルトでこだわることから生じる混雑というか不安定さみたいなもの。それがあえて原因の一つと言えば言えなくはないかなと。
そうしたヴィジョン自体が根本的に悪いということは特にありませんが、FWや他の中盤の選手との関係性としてあまり上手く行ってないという現象的問題と、何よりもそれ”ありき”の感じが微妙に硬直感というか、頭の上の重しになっているみたいなところはなくはないかなと。
・・・・ま、あえて言えばです。今の段階では、何でもいいからもっとちゃんと整理して下さいねとしか言いようがないですが。
(”接近・・・・”という)「戦術」の実効性が望み薄だとすると、後は選手の組み合わせとシステムの自然的機能性の問題になるわけですが、ここまでのメンバー&当面たどり着いている4−5−1という並びの範囲で考えれば、例えば山瀬と遠藤の位置を取り替えてみる、ダブルボランチの前に遠藤を置いて交通整理に当たらせ、山瀬の瞬発力をより自由な立場で使わせてみるとか。
実質的な並びとしては4−2−1−2−1みたいな感じになりますか。
それだと遠藤の異能をもっとピンポイントで使えますし、場合によっては「E−BOX」的でもあるし、はたまた別に狙ったわけじゃないですが(笑)例のツーロンの森崎兄の役目の高級版的になったりもするかなと。
基本的には啓太・憲剛・遠藤の、ちょっとしつこいですがオシムの置き土産の3人の中核性をむしろ岡田体制になって強く意識するようになったのと、山瀬にしろ大久保にしろ、松井にしろ田中達也にしろ誰にしろ、主にアテネ世代の飛び道具たちを(前から二つ目の)”2”のところでかなり自由自在に入れ替えて使えていいかなと。みんな故障が多いし。(笑)
・・・・まあ元々1.5列目タイプが多かったから、西村/小野と、こういうシステムにしたというところもあったわけなんですけどね。場合によっては俊輔も、多少ニュアンスは変わりますが同じ位置で、より安全に(攻撃を遅らせずに)使えるかもしれませんね。ああ、そういえば水野も本田圭も。勿論安田なんかも。
と、いつしか単なる妄想フォーメーションの話に堕してますが(笑)、現状これくらいしか考えることが無い。目の前の材料からは。
やっぱこう・・・・想像以上に辛いですね。「オシムの後の岡田」というのは。格落ち感が。
オシムに”日本人として”クレームがあり、逆に岡田に”日本人として”理解するところのある僕からしてそうですから。まあそもそもその”日本人”としてのならではの仕事の方に、現実的見込みを感じないのもマズいわけですが。
”機能性の高いジーコ”で充分日本人選手は戦えるし、実際ジーコの時は「この仕事なら黙って岡田にやらせた方が確実だ」と僕は言ってたりしましたが、間にオシムが挟まると頭では納得しても体が嫌がる。(笑)
まずは「機能性」ですけどね。それ以前に。今後の予選、頑張って下さい。(お座なり?)
岡田監督の「接近・展開・連続」
守備では素早く敵に接近してプレスをかけ、攻撃では敵と接近した狭いスペースからでも高い技術で抜け出しての展開を図る。日本の誇るあくなきスタミナで繰り返しプレスをかけ、繰り返し攻める。
(『サンケイスポーツ』本紙 2008年1月8日号より)
今まで見た中ではこれが一番分かり易い/具体的/まとまっているかなと。(ネタ元)
パッと見て思うのは・・・・まんまラグビーじゃないのか?ということ。
”エッセンス”がどうのこうのというより、ラグビーのプレーの流れをそのままサッカーに翻訳しようとしているような気がします。
スクラム/ラックから掻き出したボールを横(斜め前)に展開して、そのままゴールを目指すがもう一回捕まりかけるところを(しつこく展開するかまたは)、細かいステップorパスワークでかいくぐってトライ!
・・・・みたいなプレーを無理矢理サッカーに置き換えているような。
僕が一番無理矢理/厳しいんじゃないかと思うのは、接近して半ば静止した状態から、作り直さずにそのまま「抜け出しての展開」を図るという部分。
ラグビーでこういうプレーが可能なのは、手を使うからじゃないでしょうか。足よりずっと融通が利く手でなら、密集でも止まった状態からでも、自在なコース取りでパスを出したり、ボールをこぼさずに抜け出したり出来るかもしれませんが、足でそれをやってもボールをとられるリスクばかりが高いような感じがします。コンパクトな状態ではパスが出し難いのは、日本人だろうとナニ人だろうと同じでしょう。「高い技術」の一言で解決されても。
更によりラグビーサイド/原理論的に言うと、(狭いスペースから高い技術で)「抜け出す」のは『接近』の技術であって、「展開」とは別ものではないのかと。『展開』はあくまでオープン、広い方。
はっきり言えばこれは揚げ足取りであって、たまたまある場所で行った説明に噛み付いているというところはあると思います。必ずこんな典型的な状態を考えているわけではないでしょうし、言葉では上手く説明出来なくても、実際の指導で補える/やらせられる部分もあるでしょう。
ただそれにしても・・・・と思うところはあります。
岡田監督の準備の問題
本来的な理論的技術的可能性はまた別として、岡田監督が「接近」理論をこのような直訳的な形でしか説明出来ないのは、要するに自分でも未消化だからなんだろうと思います。その気配をビシビシ感じます。(笑)
Q(急に)K(監督を)T(頼まれて)、ただやるのも芸が無いし無難にやるだけだろうと思われてるのもシャクだし、正直しばらくサッカーのことは忘れてたけど、そういえばちょっと前こんなことを考えていたなと、慌てて脳の奥から引っ張り出して来た、別に嘘ではないけど考え抜かれたわけでもない「理想」「理論」。詳細はこれから、やりながら。ああ、そういえば最近甲府がやっていたあれとかどうだろう。いい感じなんじゃないか。
そうであるのはある意味見え見えで、誰が悪いかと言えば頼んだ方が悪いと、そういう意味で岡田監督のそこらへんを道徳的には衝かないというのは、現状日本のサッカーファンの合意事項ではあるわけでしょうけどね。
ただ僕が結局問題かなと思うのは、そのことによって「接近」戦術が、大西ジャパンなり大木甲府なりという、たまたまの実例の「形」から入るばかりで、一向に本質的な部分で突き詰められない、「あんな感じの接近」「こんな感じの接近」というだけで、「接近は”こう”だからそれを活かす為に”こう”いう形を取る」というような順番の思考が全然感じられないということ。
それをやりながら見つけるということでしょうけど。”実験”のプロセスとしては、「仮説の検証」ではなく限りなく機械的な「試行錯誤」。
岡田監督が並行して盛んに「サッカーに”常”は無い」(だからシステムやスタイルにはこだわらない)と言ってるのも、ダイヤ4−4−2というニュートラルが最大の特徴なフォーメーションをメインにしているのも、なんか上手い具合に辻褄合わせだなと。(笑)
わざとやってるならそれはそれで見事な危機管理、「政治」ですが。
とにかくとりあえずの「ラグビーイメージの直接適用」から、徐々にカスタマイズまたは崩壊過程を辿っているのというのが、僕の現状認識。
後で言うように(これまでも言って来たように)「接近」理論そのものには個人的に可能性と魅力を感じているので、やり方の雑さはどうにも残念なところがあります。
タイミングと能力の問題
前回までの論考で、僕は「接近・展開・連続」(or大西ラグビー的サッカー)は見ようによっては既に前任者たちが部分的にやって来ているものかもしれないということを書きました。
それはそれである種継続性を保証するものとして歓迎すべき要素である可能性もありますが、逆にそこらへんがうまく認識されないと、変に孤立・意識過剰化するというか、要するに何をやってるのかが分からなくなる危険もある。
例えばそれこそ加茂ジャパンの後に、ああいうピンチヒッター的な形でなく岡田ジャパンが「接近・展開・連続」を掲げて登場したなら、「プレスで取ったボールをどうするか」という今より更に切実だった問題に対する一つの回答として、よりオープンに取り扱われることも出来たでしょう。
今回のタイミングだと、変な言い方ですが”オシムよりどれだけ優れているか”という、えらい厳しいハードルをクリアしなくてはいけないようなところがある。あるいは一種の「趣味」の問題として、独立した理論・方法論としての優秀性が問われる(実際に問われていると思いますが)わけですが、残念ながら既に述べたように、ろくな完成度も達成しないまま職務に就く羽目になっている。
悪くはないが今やる価値があるのか、あるいは今の観客の目に応えられるようなものなのか。この程度の”意義”で有り難がってもらえるのか。実際のところ、なぜどのように「接近」なのか。誰かちゃんと分かってるのか。
それは岡田監督の根本的な能力の問題としてもそうで、加茂の後ならいざ知らず、その後トルシエとオシムを経験した日本サッカー&代表選手たちを率いる監督として、実際に始まってみてもやはりいかにも貧相ではあるわけですよね。勝ち負け以前に与えられる予感される”秩序”の質が、高級感が。代表に行ったらきれいな服が着られると思ったのに、なんだこのノンブランドみたいなのは。ノンブランドでも暑さ寒さは凌げるでしょうし(笑)、高級感が無いから勝てないと決まってるわけでもないでしょうが。
ただここまでの経緯を見ても、やっぱり選手にリスペクトされてないなあというのは切実に感じますね。選手が自分の意見をどんどん言うのは結構なことですが、余りにもはばかりが感じられないというか。3トップにしてみる、やり難いとクレームがつく、じゃあ2トップに。1ボランチでやってみる、駄目だから2ボラにするよ?、あ、じゃあそういうことで。柔軟というよりノンポリという印象が否めませんが。
現場の最前線の選手の”やりやすさ”というのは、要するに安全な方へ常識的な方へ行くのは当然であり世の常なので、そこを敢えて押して、こういう”不自然”やこういう”リスク”が、総体として/究極的にこういうメリットや到達点に導くんだと納得させるのが基本的に監督の職分なわけですよね。当面のやりやすさに引っ張られてるだけじゃあ。
それが本当に「自在性」ならいいんですが、経緯からして理論的準備の不足によるものである疑惑が余りにも濃い。
とにかく何とかかんとかやっているという状態で。その過程で現在の代表選手たちの成熟度、特に啓太・憲剛・遠藤のそれは改めて目を引くわけですけど。
なんか微妙に夢想が止まらなくなってますが(笑)。今晩の試合までに、ちゃんと現実に戻って来れるのか。
大西ラグビーと加茂ゾーンプレス
創造性や直観力ではだいぶ見劣りはしますが、僕の知る限り、近年の日本の代表サッカーにおいて大西監督と比べ得るとしたら、やはり”ゾーンプレス”の加茂周だと思います。あれほど日本人が日本人であることをヒリヒリと感じさせながら、具体的開拓者的にチーム作りを行ったチームは他には無いし、多分二度と無いでしょう。
あれがつまりは、現在に至る「日本代表」チームの骨格です。”底”というか。
戦術的にも類似性はあります。
まず守備戦術としての前線からの果敢な”プレッシング”。強豪諸外国選手との1対1の(当時は特に)圧倒的劣勢を前提として、
1.引いて受けてしまっては個人能力でいいようにされて守り切れない。
2.局部的数的優位を作って囲い込む必要がある。
3.先手を取って相手の自由を奪って実力差を殺す。
という観点、目的から、今では半ば常識・つき物ですが、当時は画期的だった戦術。
前回の大西ジャパンの例で言えば、「極度の」「シャロー守備」というのがこれに当たるでしょう。確立以前の全早大−オ大戦用の戦術メモでも、2の「シャープな突っ込み」、5の「必ずアドバンテイジ・ラインを越えて倒す」というのが、姿勢としては共通していますか。
違いとしては、「数的優位」というのはサッカーで特に強調される要素であるだろうというのと、もう一つはこうした守備を遂行する上で、加茂監督は日本人の1対1の弱さという弱点を”補う”ことは考えていても、日本人だから出来るクオリティという”アドバンテージ”は、(大西理論のようには)特に主張はしていなかったこと。
攻撃面では加茂ジャパンの生命線は”ハーフカウンター”。プレスで取ったボールを、そこから間髪入れずにカウンター気味に展開して、相手の守備の準備が整わない内にゴールを陥れる。ほとんどそれしか選択肢として加茂監督は考えていませんでした。
遅攻は論外、ポストを使って組み立てるのすらも怖い、出来ればドリブルもしないで欲しい、取られた後が怖いから。当時はセットプレーも涙が出るほど貧弱でしたし(笑)、まあよく戦ってましたよあんなので。後に中田ヒデが入って少しは人心地がつきましたけど。
大西ジャパンとの比較で言うと、似てるのはボールを取ったところからの、「浅いライン」からの(”タメ”の理論による)反転速攻の部分。
ただとにかく手数をかけず、リスクを避け、なるべく単純に攻めることを第一にしていた加茂ジャパンと違って、「接近」という形でのリスクの取り方やパス回しの精密なコンビの研磨に情熱を傾けていた大西ジャパンの場合は、競技の違いはありますがだいぶ”クリエイティヴ””能動的”というニュアンスの、相対的に強い攻撃をしていたチームなのではないかと想像しますがどうでしょう?ラグビーに詳しい人。
それでも「個人能力が違うのだから」と諦めずに、「日本人でも出来ること」を厳格に見つめて、外国のトレンドとの照らし合わせをしながら、何とかして戦う方法に日本人監督が真摯に本格的に取り組んだ初のチームとして、この2チームには比較し得るところがあると思います。
大西ラグビーとオシム・トータルフットボール
あれ?と思ったのは、全ての原点である早稲田の”ゆさぶり”の描写を読んだ時。
直接的には明治の強力FWとの対決を避ける為のある意味「弱者の戦術」であるわけですが、結果習得される「素早くオープンに」「三度でも四度でも左右に」ゆさぶる合理的で徹底的なパス戦術は、少なくとも同格以下の相手にはそれまでにないタイプの『ゲーム支配』をもたらすのではないかと直感したわけですが。・・・・ちょうど’74オランダ・トータルフットボールがそうであったように。
そう思ってたら別の箇所で往時を知る謎の老人(笑)のこんな証言が。
「大西君のラグビーは、戦後、選手の層が苦しいときに、何とかするための方法で、わたしの知っている本物の早稲田とは違う」
「戦前、昭和十年ごろの早稲田は、あんなもんじゃない。それは見事だった。いちど球をとったら、ずっと攻めて、もう敵には触れさせないでトライをするんだ。」
だよね。そうなるよね。おじいちゃん(笑)。国内的には。
更にディテールを補足すると、ここの冒頭などで説明されている先手先手の緻密なポジショニング/走り込みなども、非常にトータル・フットボール的なノウハウという感じがします。「接近」は別として「展開」と「連続」に関しては、岡田以前にオシムで見た方が、むしろ理解は簡単なのではないかという。
「接近」のディテール
攻撃
バックスは、深く勢いをつけるのではなく浅い位置から攻撃を仕掛ける。
最大の特色は球を受けるより先にポジショニングを変えて、防御をかわす「すれちがい」である。
タックラーに体当たりするのではなく、触れられずに突破。(”接近は接触ではない”)
あらかじめ予測された拠点にフォワードがすかさず寄って、さらに攻撃方向を変えて展開する。
大枠はこうだ。浅い攻撃ラインから、「ためて」(前の選手がパスを受ける前後まで走り出さず)スタート、横流れせず、必ず一度はゴールラインに垂直のコースをとり、複数のコンビネーションで抜いていく。
(中略)
球を受けながら「すうっと」前へ出る。自分をマークする選手に、触れるか触れないか。
外側の者は、球を持つ者に合わせて動く。防御のマーカーもつられて動く。その瞬間、裏をとり、そこへパスは放たれる。
防御
防御では、極度のダッシュをかけ、球が空中にある間に思い切り距離を詰める。
裏に生じるスペースは、体重は軽くともそれだけ俊敏なフォワードが計画に沿って埋めた。
・・・・青・紫・赤で色付けした部分はそれぞれ何かのキーワード、または示唆的なイメージだなと僕が考える部分ですが、何のキーワードなのか何を示唆しているのかは、今日は言いません。(笑)
いや、だいたいは分かると思うんですけど。まあちゃんと最後に予告編を書きますから。(笑)
ダニー・クレイブンの「ため」の理論
当時世界最新のラグビー理論と早稲田戦術との共通性。(前回参照)
「接近」戦術の前提の一つ。攻撃編。
バックスの浅いラインで出ていくときに、一斉にスタートせず、タメてラインの深さを作っていくという。
タメの理論でやれば浅いラインで充分だという、それがまさに早稲田では昭和の五、六年頃にできあがって、全国制覇しています。
(大西『闘争の倫理』より)
分かりにくいかもしれませんが、要するに攻撃時パスを受けに行く時
・(深い位置から)助走距離を取ってスピードをつけることをしない
・少しずつ時間差をつけてスタートして、最短の時間で変化のあるパスコースを作る/パスワークをする
ということでしょうか。
体力/走力で優位なら、それを活かす為に助走をつけてトップスピードに乗ることを重視する。
そうでない早稲田/日本人は、手早くかつ有効な攻撃を始めることを重視する。
ダニー・クレイブンは南アフリカの人で、必ずしも日本人のように体力的ハンデからこれを考えたわけではないでしょうが、イギリス本国らの伝統勢力の鼻を明かす為の発想の転換という意味では、共通性があったということでしょうね。
「シャロー」守備
横井章氏が語る、「接近」の極意。守備編。
「相手が動く前に、つまりMV2(二乗)が増大する前に、こちらが動いて、追い込んで、弱い形にしておいて潰す。シャローでしょう。」
・・・・パッと見て誰もが連想するだろう、サッカーの”プレス”。関連性や、最近の日本ラグビー的な事情については、こちらなど。
尚も横井翁(笑)の当事者ならではの話は続きます。
近年のジャパンがいわゆるシャロー防御に躊躇するのは、前に飛び出した接点でサインプレイのパスを通されて、大きくゲインを許すのがこわいからだ。(中略)
「本当に前へ出たのを見たことない。知らないからでしょう。これはいいものだと感じたこともない。伝えられなかった私(横井)の責任でもありますが」
その「本当」を支えたものは・・・・
「スタートダッシュの鋭さ。私なんか百メートル走ったら十三秒台、(当時の相棒の)藤本も決して俊足ではない。でもクラウチングのスタートと同じで、飛び出しだけは練習で速くできる。」
ディフェンスも(中略)アタックも、ただ前へ出たのではなく、鍛え上げた格別なスタート力で、極度に前へ出たのである。
話が訓練の方に傾いてきましたが・・・・
「でも外国人には絶対できへんのやから。彼らのは、ただのショートで縦に来るだけ。」
横井翁の熱にアテられて(笑)、分かるような分からないような断片的な話を引用して来ましたが、とにかく当時の日本に、ならではの活きたノウハウやディテールがあった様子は伝わって来ると思います。
「ため」にしろ「シャロー」にしろ、理論として文字通りオリジナルであると言うよりは、それを日本人が日本人の資質を目一杯活かしてやり切った時に、諸外国の常識からは意想外の効果が生まれたという。
さて次回の予告ですが、今日(及びここまで)の内容からも既にうっすら見えて来ているだろう大西ラグビーとサッカー戦術との関連性、特に近年の日本の代表サッカー史に大きな影響を残している、「加茂ゾーンプレス」と「オシム・トータルフットボール」の2つのスタイルとの関係について考察して、それを踏まえて改めて岡田サッカーの性格や歴史的意味を絞り込んでみたいと思います。
昨日の予告は全く果たされてませんけど。(笑)
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から、『接近・展開・連続』に直接関連する部分だけを抜き書き。
賞味期限の切れない内に。(笑)
土日にかけての久しぶりの徹マン明けの疲労の残る頭には、ちょっと沸き立つものを探すのが厳しい試合でしたし。本は面白かったです。
早稲田の”ゆさぶり” 〜原点
一九三二年に「ゆさぶり」が生まれる経緯と解説は、『日本ラグビー物語』に詳しい。
相手の強引な押しまくり戦術に巻き込まれて、力を浪費することなく、一秒でも早く密集部隊からボールを移動させ、素早くオープンに回して、比較的単純な明大バックスの虚を衝くにある。(中略)
もし敵のバック・アップにより一気に抜き切れぬ場合は、再び休むまもなく今度は反対にそれを繰り返す−−−三度でも四度でも左右に繰り返す−−−これは形の上で相手をユサブルことになるので、ここにユサブリという熟語が生まれてきた。
伝統的に体格で押す明大ラグビーに対する、早稲田の対抗策。明治:早稲田の対比が、外国人:日本人の対比に重なっている。
この文章の限りでは、まずは「展開」と「連続」の話に見えます。
1952年、全早大対オックスフォード大戦の戦術 〜雛型
同年朝日新聞『ラグビー回顧』より、要約的抜粋。
1.オックスフォード大の合理的原則的エイトのオープンプレーに、テンポの早いスイングプレーと組織力で対抗。
2.FWは(日本人の身体的特徴をを生かした)低いスクラムによって体力的劣勢を支え、早い散開とシャープな突込みによってラックを支配、相手FWを疲労と混乱に陥れる。
3.バックスは接近戦を主体とし、日本人特有のスタートダッシュと巧妙なパスと接近時の鋭敏な勘を働かして、ラインプレーで相手ラインを突破する。
4.FW、バックス共に、スイングプレー独特の組織的活動を活かすことに行動の統一を行う。
5.防御は体力的走力的劣勢を補う為に、統一された迅速なラインにより必ずアドバンテイジ・ラインを越えて倒すことに専念する。
6.相手ゴール前では、有効なサインプレーにより一気に突破する。
(注)
”オープンプレー”
フィールド上でスクラム、ラック、モール等を起点にスペースの広い方へボールを展開させるプレー。
”スイングプレー”
フォワードが獲得したボールを、バックスにまわし、タックルされると再びフォワードがすばやくボールを獲得して、相手の防御ラインができないうちにボールをバックスにまわして、左右の方向にゆさぶるように攻撃する戦法。(≒”ゆさぶり”)
”ラック”
スクラムやモールなどと共に密集戦の一つ。ボールが地面にある状態で行われるという点ではスクラムに類似しているが、いったん静止状態から再開されるスクラムと異なり、プレー中に始まる点が異なる。
”ラインプレー”
バックスが組織的にラインを活動させるプレー。
”アドバンテイジ・ライン”
スクラム、ラインアウト又はラック、モールが形成されたとき、その中心を通るゴールラインに平行な想定線。一次攻撃でこのラインを超えることによって二次攻撃のボール獲得が有利になる。
(≒サッカー的には”ファースト・ディフェンスのライン”?)
・・・・大きな意義としては、「接近」が中心的概念として明示的に入って来たことか。それとスイングプレー=早稲田のゆさぶりとの結合。
1953年、ダニー・クレイブンの『ON RUGBY』との出会い ・・・・理論的補強
それは確かに革新的な内容であった。
浅いラインから方向を変えて攻める。敵に背中を向けながら球を確保する。球の獲得−展開−方向転換−連続プレーの流れで示されるモダンな攻撃ラグビーが、ページいっぱいに解説されていた。
・・・・「敵に背中を向けながら球を確保する」というのは、要するにポストプレーか。
いっぽうで大西は、クレイブンの書に没頭するうちに、「昭和十年ごろには完成していた早稲田の理論」との共通性を知り、自信を深めてもいた。
・・・・早稲田=日本基準が世界基準で通用する可能性。
展開・接近・連続 ・・・・確立 (1967年、”大西ジャパン”結成)
理論的根拠 (『スポーツ作戦講座』より)
「速やかな展開。そこからの巧緻性を充分に生かすプレーは日本人のお家芸である」
「接近とはこの巧緻性を最高に利用したプレーである」
「外人は間合いを持ってスピードに乗ると強いが日本人は短い距離での加速に優れている。彼らは長い槍を得意とする。我々は短刀であり、相手の懐に入る以外に制する方法はない」
「連続とは全員によるフォローを意味する。その根源は、体が小さくても身につけられる持久力である」
典型
体格に劣るフォワードのもみ合いの時間を極力短縮し、外へ球を「展開」、相手防御に「接近」のバックスが、動き出しのタイミングでタックルを外して縦横に突破、スタミナの優位を駆って、「連続」攻撃を仕掛ける。
・・・・「接近」のディテールについては明日。
ボール「奪取」への注目 ・・・・理論的発展 (’71年、イングランド代表との対戦に向けて)
ニュージーランドでの戦い(’67年の遠征、オールブラックス・ジュニアを破る大金星を挙げる)を通じて、大西は「まず球をとること」の重みを噛み締めていた。
「奪取−展開−接近−奪取−連続展開」
標語はこう、改められた。球さえ奪取できれば、「展開、接近、連続」の効果は実証済みだった。
・・・・ここで言う「奪取」とは、読む限り”空中のルーズボールを拾うこと”のよう。
(補足)語順は結構どうでもいい?!
オールジャパンが外国チームを相手に戦うときは、「展開・連続・接近」で行くのだと。
・・・・大西著『闘争の倫理』より。
横井はいきなり言った。
「いま順番、違うてきてるんや。展開、接近、連続は、大西さんが最後のほうに言われたことで、やっぱりあれは接近、連続、展開なんですよ。」
ちょっと不満そうであった。
・・・・2001年、元大西ジャパンの中心選手、横井章氏の言。
「展開」は上で示したように、広い意味では「オープンプレー」というラグビーの基本の一つ(の応用)であるし、「連続」はプレーの特に運用面を示すとも言えるわけで、真に独創的であり大西戦術の中心は、やはり「接近」ではあるようです。
だから岡田監督が「接近・展開・連続」という語順で説明したのは、「接近」という肝を強調する為と、本来語順はさほど重要ではないということを踏まえてのことかも。特に僕も最初は素朴にそう受け取ったように(笑)、「”接近”の後に”展開”して、更にその後に”連続”する」式の杓子定規の理解は必要無い模様。
より具体的なサッカーの実際とのすり合わせ、および本全体の感想はまた明日。
今回はともかく、理論的文脈の整理に集中してみました。
南アW杯3次予選 日本代表 ○4−1● タイ代表(埼玉)
ワープロで書いてプリントアウトしたのを後で写す予定なので、簡略版。(笑)
それはともかく。
・一言で言えば、案ずるより生むが易し。
・正直かなり心配していましたが、ジャパンの底力を、ちょっと低く見積もり過ぎていたようです。
・そんなに”機能”していたわけでもないですが、随所随所で、なんだかんだ上手く調整するものだなと。
・その最たるものが、憲剛とヤットのプレーで。
・”ダイナミック・トライアングル”(Y浅センセイ)かどうかはともかく(笑)、オシムから続く「代表チーム」の”ベテラン”としての、さすがの戦術眼というか、貫禄めいたものを感じました。
・それはそれとして、”機能”していない割りには急増チームの割りには、皆さん随分気持ち良さそうに動き回って、ひと通りの力は発揮できていたような。
・この程度のと比べても今更ながらジーコは....というのと、”ニュートラル”という、ダイヤモンド4−4−2というフォーメーションの強味は出ていたかなと。
・ただしそれと『接近』との相性は、どうなのかなという。
・....つまり例えば大木甲府の4−1−2−3、小野ツーロン’02の4−2−3−1、はたまた西村ユース代表の3−6−1と、僕の認識する『接近』チームは、一様に1or3トップで真ん中へんにゴチャゴチャっと人が集まっていて、そこからそれぞれ自然に『接近』に移行していたと思うんですけど。
・中距離/等間隔に人が並ぶダイヤ4−4−2でそれをやるというのは、矛盾とはいいませんが、かなり強力な”ソフト力””プログラム力”が要求されるような気がします。
・”ニュートラル”ゆえの対応性という利点はゆくゆくあるかもしれませんが、それ以前の分かり難さ、瞬発力不足との兼ね合いで、ちゃんとプラスになるのか。
・まあ岡田さんが僕とは違うパースペクティヴで/違うインスピレーション元から『接近』を語っているのは、分かってはいましたけどね。
・それによって内容に大きな違いは無くても、例えば(接近の)発動条件のイメージ(↑)などは違ってるんだろうなと。
・....こんな話が出来るのも今の内で、気が付くとなんてことのない、普通のチームになっている可能性が高いようにも思いますが(笑)。単なる岡田さんのチームというか。
・上でY浅センセイはいかにもという感じで、大久保の動きの質を問題にしていますが、僕はむしろ高原の方が問題な気が。
・つまりフランクフルトで身につけた、近年彼の地位を確固たるものにした”無駄な動きをしない”「ストライカー」のプレーが、”半FW”型のトップ下を擁するこのチームとは微妙に合っていないというか、中途半端というか。
・むしろ「労働者」型、「タスク遂行」型のプレーの方が、優先順位は高いのではないかと。
・特に大久保の嗅覚が、別格のひらめきを見せている現状だと。差別化という意味でも。
・レッズ/Jリーグでのプレーで、またスタイルは変わって来るかもしれないですけどね。
・・・・今更アップして、空気がずれてないか少し心配。(笑)(2/11,19:30)
この間(かん)の色々な人の書くものを見ていて改めて面白いなあと思うのは、こういう海のものとも山のものとも知れない(段階の)チームを前にした時、だから
ディテールについて書く
人と、だから
枠組について書く
人と、割りとはっきり分かれることで、実にこういうのは偽りなく”タイプ”であると思います。
「この世には2種類の人間がいる」って、よく出て来ますよね漫画とかで、こういうセリフ。(笑)
僕は勿論後者なわけですが、それに対しては「材料が揃ってないのに当て推量で全体像を描くのか」という批判があり得るでしょうし、逆に前者タイプに対しては、「枠が見えないとその”ディテール”にどういう意味があるのか判断できないじゃないか」(取り上げる目的が曖昧じゃないか)という批判があり得ると思います。
僕の”ボスニア戦についての”というあえて絞った論旨としては、要するにここがいいとか悪いとかじゃなくて、「タイ戦に向けての準備体制」の輪郭が見えたかなというのがほとんど全てですね。『岡田システム』に落とし込むことによって。
相手が相手ですから勝ち負け自体は地力で何とかしてもらうとして(笑)、とにかく敵を前にして接近・展開ごっこを繰り広げるようなそんな”練習モード”からの脱却は見えたかなという。試合っぽくなった。勿論練習も続ける必要はあるんですけど。
後はまあ、ハード(=システム)はある程度固定した方が、ソフト(=戦術)のカスタマイズにもいいだろうと。出来るならですが。(笑)
その岡田システムですが、あの後読んだサカマガの『岡田ジャパンの正しい観戦術』という記事によると、「パス交換のキーとなるトライアングルを、ピッチ上でいくつも作ることのできるダイヤモンド型のフォーメーションが好み」と書いてあって、割と知られたことでもあるのかなと。
巻の負傷でトップ下には大久保に代わって山瀬が入ったわけですが、それに対する
「彼の特徴はパスも出せるが一番は点に絡むことなので、それを出してくれた。」(J’sGoal)
という評価は、いかにも岡田さんの”トップ下”観が出ているなという感じ。
ちなみにジョホールバル当時の中田ヒデの証言によると、山口素・ヒデ・名波の逆三角形は、「3ボランチだよ、要するに」ということでした。バルサのそれとは違うけど一種の4−3−3的思想でもあるのかも。
という感じで(?)気が付いたら10年ぶりくらいに(笑)、マガジンとダイジェスト両方買うなんて古典的なサッカー・ファン的なことをやってしまったので(立ち読みで両方とも面白そうだったんですよ)、そこに書かれていた岡田/接近・展開関係の記事からちょっと抜き書きしてみます。
(マガジン)
岡田監督インタビューより
・岡田と大木は半ば偶然のカップリングで、「招聘」というより「同志」、理論レベルではなく感覚レベルでの共鳴で衝動的に話が決まった。(必ずしも「甲府」ではない?)
・「長所」と「欠点」
「例えば『日本人は言われたことしかできない』と言われるけど、良いじゃないか、言われたことをきちんとできるんだからと。あるいは『アジア人は緩急がない』と言われる。(中略)向こうのメディアは『これだけ休みなく走り回る選手(バク・チソン)は初めて見た』と絶賛する。
つまり、欠点と言われていることも、見方を変えれば良いんじゃないかと。」
緊急記者アンケート・私は初陣をこう見た!より
西部謙司
Q3.最も期待できる部分は?
(細かいパスワークの強調は)日本化を先鋭化させている感もあり、
Q4.不安な部分は?
うまくいかないと、ただの珍しい「ローカルチーム」になってしまう。
・・・・実際要は意志的な「ローカル」化をしようとしているわけですけどね。岡田さんは。グローバル化ではなく。そうじゃないと勝てないと。(上のインタビュー参照)
ただし予め断っておくと、誰も”グローバル”オシムの仕事の行く末を見届けることが出来なかったので、岡田ジャパンがどう転げようと本当の意味での方法論的比較は難しいわけですが。
一応先例としては、’02ヒディング・コリアはとてもローカルなかつ成功例ではありましたが。岡田さんの念頭にも、一つこれはあるようですけど。
(ダイジェスト)
・「接近・展開・連続」と「展開・接近・連続」
「(本家大西理論は)正しくは『展開・接近・連続』の語順」
「まず展開。スクラムやラインアウトから素早いパス回しで早く遠くに球を運ぶ。身体の大きな相手FWから遠い場所で、攻撃を仕掛ける意図がある。」
「そして接近。大西理論の肝だ。味方どうしの距離ではなく、相手との距離を指す。大切なのは『すれ違いざまに抜く』というイメージの共有だ。」
おや?『展開』を先に持って来ると、別に普通の話じゃないかという気もして来ますが。広げて閉じる。どんなに”広い”サッカーをやっても、いずれゴールは真ん中にあるので(笑)”接近”せざるを得ないわけですし。それこそオシムであっても。(勿論”接近”はそれだけの意味ではないですが)
調べてみると実際にそう(いう順番)であるよう。こことか。こことか。
この語順替えについて、特に説明を読んだことが無いんですが、とぼけているのか(笑)語呂合せ/思い付きに近いものなのか。
実は感じていた人も多いと思いますが、『接近』に比べて岡田さんの『展開』についての説明は人によって結構違うというか曖昧なところが多くて、実は僕もよく分かりません。一番簡単な答えは(大西語に依拠しつつの)「接近後の展開」なんでしょうけど、本当はもっと独自の理論化が必要な気がします。
例えばそれを『展開2』とでもすれば、『展開1』(オリジナル)−『接近』−『展開2』−『連続』というような形で繋がって、最初の段階の”フィールドを広く使う”というメリットやイメージを犠牲にする必要が無くなる気もするんですけど。
・・・・ま、ぶっちゃけ語呂合わせの面は大きい気がしますけどね。『接近』を先に持って来たのは、そのエッセンスを強調したかったから。大西理論への内的共鳴自体は本物でしょうけど。
いずれにしても、その思い付き(笑)を流産させない為にも、割りと早急に枠なり器なり、基本イメージみたいなものを用意・確立した方がいいんじゃないかと思います。その庇護の元に、内実を詰める。
それが例えば僕の言う”岡田システム”や、〜ツーロン’02的ジャパニーズ・スタイルみたいなイメージだということに論理的にはなりますが。まあ2トップと1トップの違いって意外に大きいので、後者はそう簡単には結び付けられないかも知れませんが。
キリンチャレンジカップ’08 日本代表 ○3−0● ボスニア・ヘルツェゴビナ代表(国立)
多分、いい意味で。
”ダイヤモンド”で”トップ下大久保”と聞いて、思い出し屋さんの(笑)僕が思い出したのは第一次岡田政権のこれです。これでもあります。
つまり「2トップ」の下に「飛び出し/FW型のトップ下」を置き、「ボランチタイプゲームメーカー2枚と守備型ボランチ」の逆三角形で支えるという形。(その下に4バック、両サイドは攻撃的)
中盤だけ並べるとこういうこと。
北澤
(大久保)
名波 中田英
(遠藤) (中村憲)
本田泰or山口素
(鈴木啓)
本田と素さんのどっちが啓太のイメージにより近いかは微妙(笑)。遠藤と憲剛も見方によっては逆かも知れません。
この布陣がどういう性格のものだったか改めて言うと、加茂のチームを緊急リリーフで引き継いだ(2試合目以降の)岡田さんが、主に攻撃&中盤の活性化を、守備力とのバランスを測りながら目指した布陣。
目玉はその時点でほとんど加茂のチームの構想外に去っていた北澤の抜擢とそれによる流動性の導入で、それまではちょうどここに挙げた北澤以外の4人によるボックスで、ほぼパスだけの安全第一の中盤の構成になっていたわけですね。
この類似性になぜ重要性を感じるかというと、それは僕が知る限りキャリアの中で岡田監督が唯一成功した「攻撃型のチーム改革」であり、またあの失敗の許されない状況で、実感的には加茂のそれと全く違う性格のチーム(中盤)をあっという間に作り上げたという意味で、つまりは非常に岡田監督が個人的に得意とする、手の合うチーム構成なのではないかという。
・・・・これは僕がよく言うことですが、ある監督が機能させられるチームの形なんて、実際はそんなに多くはない、好きこそものの上手なれだということです。本当に「理論」で出来るのは、一部の一流監督だけ。
岡田監督が今更”ジョホールバル”を思い出してボスニア戦のチームを作ったなんてことは思いませんが、チリ戦の覚束ない出来を見て、間近に迫った真剣勝負の気配に迫られながら。早くも動き出した現実家の血が(笑)、掲げたスローガン/コンセプトと大きくは矛盾しない範囲で知らず知らず接近(笑)して行った落とし所なんじゃないかなという。(ああ、俺っぽい分析だなあ)
もう少し真面目に2つのチームを比較すると、明らかな違いもあります。
それは特に2トップの役割で、’97年のチームの場合はまずはプレッシングのリード役というのは当然として、攻撃的には動き回って掻き回して、なるべくサイドに引っ張ってトップ下北澤の飛び出すスペースを作るというのが、最大の仕事だったわけですね。
それに対して今回は、どこまで機能しているかは微妙ですが、TBSの放送席がうるさいくらい言っていたように(笑)、ポストになってボールを落とすというのが第一の仕事。
どういう文脈でこれが指示されているのかは知りませんが、僕が思うにこれには重要な意味があって、つまりそもそも「接近」などということをわざわざ岡田さんが持ち出した理由である「狭いスペースでの日本人の巧緻性・俊敏性」、これが最も素直に出せるのは、ポストが落としたボールに”殺到”して次々飛び出しながら展開するという、そういう状況だと考えられるからです。
それは多分、僕が「トップに当てて押し上げる系が好き」な理由の一つでもあるだろうと思うんですが。つまりそこに、”日本人によるサッカー”の、一つの究極かつ独特な強味がある。
代表レベルだと(いつも挙げますが・笑)’02ツーロンU−21大会をプチ席捲した、小野現技術委員長のチーム(とその前身としての西村ユースチーム)が好例。
「中盤の密度を高めて個人よりも複数人の連携で勝負する」
「そういったことを生かすには攻撃時も選手の距離が近いほうが良い」
「ポストプレーからの展開でDFを突破する時に最も重要な意味を持ってくる」
ちょっとランダムな引用ですが、いずれも 『Variety Football コラム』 より。
細かいことは今日は書きませんが、とにかく「接近」と「ポスト」というキーワードから、僕にはどうしても浮かび上がって来る連想です。
・・・・ちなみに『甲府』という比喩だとどうも「中盤を作る」という感じで、感覚的リズム的にあんまりスムーズじゃないんですよね。ていうか甲府自身も有力なFW/ポストマンが欠けていたから、不安定だった(不安定化した)んじゃないのかという気もするんですが。
岡田さんは小野さんが「選んだ」監督ですが、僕の知る限りそれほど理論的な繋がりは深くないように思います。世代もちょっと違いますし。(岡田さん’56年、小野さん’62年生まれ)
恐らくは岡田さんの個人的なサッカーの好みと、現場にいた時の小野さんらが作っていた日本サッカーのあえて言えば本流とが、オシム(とジーコ)という異物であり孤高である人が作ったサッカーの流れに対して、間違っているというわけではないけど何か違う、別物だという違和感or差異として、間接的に共通性を発生させているんじゃないかという感じですが。
”岡田さんの好み”ということを分かり易くする為に物凄く乱暴な類型化をすると、つまり上で言った、岡田さんが”改革”した加茂さんのチームの「パスだけの安全第一」という性格は、レベルはかなり違いますが(笑)オシムのチームの特徴でもあるわけです、相対的には。
きっちりゆったりなんですよね、オシムのは(そしてジーコも)。もっとゴチャゴチャした訳の分からない勢いとその中でプレー出来る器用さが、日本人のサッカーの本質にはあって、そしてそれは外国のチームにとって厄介なものでもあり得るだろうという。そこをどう取り込むか。
・・・・ただし、「技術委員長」としての小野さんのオシム・サッカーに対するコメントには、正直僕は失望しっ放しでした。立場上擁護が基本だとしても。
昔力説していたことと違わないかい?オランダは目指さないってはっきり言っていたじゃないか。俺は覚えてるよ、何せ当時のヴェルディの監督は結構オランダな人(李さん)だったから(笑)。どうせ俺らはあぶれもんだよと。まあ多分、「オシムは発展形・現代形だ」というのが答えとして返って来るんだろうとは思いますが。
とにかく、早くもこんな常識論的な揺り戻しの議論が起こったりもしていますが、細かいことはともかくとして、やっぱり岡田とオシムは違う、もっと言えば岡田さんのサッカーが進めば進むほど、オシムからはかなり離れて行くんじゃないかというのが現時点での僕の見立て。
本質的な違いは結構ある。ただ必ずしも岡田さんはそのことに自覚的ではないような感じも。「諸外国の後を追いかけても追い付かない」という発言が、オシムの仕事に対して肯定的なのか否定的なのかは微妙ですが。ただ『本場の常識』論という”海外厨”的な(笑)立場とは、そりが合わないだろうなと。飽くまで日本人文脈。
それと大木コーチの地位の関係というのが、今イチよく分からないんですけどね。早くにバルサ4−3−3は捨てられましたが、この日のチームが僕の言うように「岡田システム」であるなら、ある意味晴れて”コーチ”に落ち着けた(笑)わけですが、ではその中で甲府で培ったノウハウはどれほど有効に使えるのか。むしろ先入観にならないか。
「ある監督が機能させられるチームの形なんて、実際はそんなに多くはない」という僕の経験則を、もう一回掲げておきますが。大木さんはそこまで汎用性を獲得した、「一流」の人なのか。
つまりツーロン云々で例示したように、「接近」そのものは全く新しくはないからですけど。別に甲府を持ち出さんでも。岡田さんのインスピレーションにはなったんでしょうけど。(ここらへんの”思い付き”感が不安)
まあもう少し見てみないと分かりませんが。








