ヴェルディ、代表、グラドル、漫画、アニメ、等
それぞれの日本化(1)
2008年03月05日 (水) | 編集 |
承前
搦め手搦め手。核心の説明を避けつつ既成事実化というか。
他愛無いですが、こういう”総覧”的なことを書くのは楽しいです。


加茂周の「日本化」 (在任’95〜’97.10月)

・オフトは戦術的には一つの模範は示したが、全体としては育成・教育というよりなけなしの既存勢力の取りまとめという急場凌ぎの色合いが濃かった。
・ファルカンは純然たる「ブラジル化」
・”ゾーンプレス”という掛け声には、単に「アジアを勝ち抜く」という以上に直接的に、世界に近付く」「世界」と「日本」を対比する新鮮な視野を開く力があった。
という理由から、スタートはこことします。

加茂さんが直接やったことは、ありていに言えばヨーロッパの”先端”戦術の猿真似であり、別な言い方をすると「どれだけ近付けるか」という最初から限定的な希望しか持たない、そういう類の営為だったと思います。
ただ当時としてはそれは致し方のないことで、正直見てる側の僕などの興味も、(日本人風情が)欧州南米の強豪を相手に「いかに”サッカー”の真似事が出来るか」「”試合”らしい”試合”を成立させられるか」という、ほとんどそのレベルにとどまっていました。ボコられず引き込もらず、何とかかんとか挑戦して、90分渡り合えさえすれば。そして’95アンブロカップのあたりからの、勝つまでは行かなくても十分にそれを成し遂げた加茂ジャパンの”成果”に満足し、感動すらしていました。(ああ!思い出のスウェーデン戦)
・・・・まあ、そういう時代です。(笑)

戦術的にも”猿真似”にはそれなりの意味があって、つまりそこには日本人の生きる道はこっちだよ、南米や個人技術を重視するそっちの方向ではないよという、そういう加茂さんなりの「日本化」のはっきりしたポリシーがあった。見た目はただの「ヨーロッパ化」のようでも。
またある種余談ですが、代表での加茂さんの仕事には一つ背景というか”予行演習”があって、それは同じく”ゾーンプレス”を掲げた横浜フリューゲルスでの仕事。その際スローガン的に言っていた「これが完成すれば10年ヴェルディには負けない」という挑戦的な言葉(笑)は、当時常勝を誇っていたヴェルディの「南米」スタイル「個人」主体のそれに対する、単なるライバル意識を越えた日本のサッカー人としての異議申し立て、あいつらがのさばってるようじゃ駄目だという、敵ながら(笑)熱い気持ちが感じられました。正直ひそかに応援してましたよ、僕は。(笑)

で、近付いてそれからどうなるという展望、成算は、ほとんど無かったと思いますけどね。日本人の身の丈や限界は知っていても、可能性までは見えていなかったというか。
戦術的にも余りに「学習」の色彩が濃くて、「運用」や「利用」という視点や余裕は見えなかった。
それはそれとしてとにかく加茂ジャパンの”成果”は、代表サッカーにひとつの方向性を、ヨーロッパベースのジャパン・スタイルの実行にリアリティを与えてくれたと、そう言えると思います。


トルシエの「日本化」 (在任’98.10月〜’02.6月)

トルシエがやったことは、直接的にはオシムより遥かに露骨な「トルシエ化」、または強いて「日本化」と言うならば、「トルシエ理論の日本化」といったようなものだと思います。
ただユース/五輪/フル代表と全年代にわたって指導した影響力と、トルシエ・サッカーのナイーヴで玉砕的なチャレンジ性、及びFWやCB等のスペシャリスト性よりは戦術的な互換性・ユーティリティ性の重視、それと重なりますが”全員中盤”的な器用さとテクニックをフルに活かした攻撃スタイルという特徴が、結果的に日本人選手の特徴・長所と非常に相性が良かったことで、狙ってもなかなか出来ないような(笑)優れた「日本化」、日本人選手の能力の(一応)国際基準でのカスタマイズ/オーガナイズを成し遂げてくれたと思います。

なんかまあ、縁だなと感じるところはあります。川淵が不精してテキトーに引っ張って来た監督なのに。だいたい「日本人には守備のメンタリティがない」「ナイーヴでコミュニケーション能力に欠ける」とか、色々言ってくれましたがあんたそれ自分のことじゃないの?要するにと思ったりもしますし。(笑)
まあだからこそ分かるとか、家庭教師は自分の不得意科目の方が上手く教えられるとか、そういうこともありますけどね。ともかく手頃ないい教師だったなと。

改めてまとめると、「日本人はこうだからこういうやり方がいい」と、選んでやったわけではないという意味で、「日本化」という問題意識がトルシエの仕事の中心にあったとは言えないと思いますが、言われるままに実行してみたトルシエのサッカーが、結果的に日本人選手の特徴が国際舞台でどのように前向きに表現される可能性があるか、その大きなヒントになったということは言えると思います。

・・・・あくまでヒント/可能性ですけどね。トルシエが本来やりたいサッカーを、そのまま真のチャンピオンシップレベルでぶつけたわけでも成功したわけでもない。やり切ったのはユース/アジア/親善試合レベル。トルシエ自身の経験不足とヘタレと、戦術orチームの完成度・ディテール不足で。
やっぱ”ダニッシュ・ダイナマイト”仕様じゃないと。1ボランチ2オフェンシブで。何とかもうちょっと頑張ってもらいたかった気がしますが。小野がいればなあ。ヒデじゃなくて。

しかし随所で見せた特に攻撃面の輝きは、「日本スタイル」の可能性として、今も僕の胸の中にはあります。またユーティリティ≒ポリバレンスを基本とするチーム構成は、オシムによる追認を得て、恐らく今後も日本代表の重要なモデルとなって行くでしょう。


ジーコの「日本化」 (在任’02.7月〜’06.6月)

ジーコのやったことは、現象としては上で切り捨てたファルカンと変わらない、”栄光のセレソン”方式の暴力的・盲目的な直接移入と言われても仕方の無いものだと思います。
ただ動機としてはそこまで単純ではなくて、ジーコの言わば「反・ヨーロッパ化」は、そのままジーコなりの「日本化」でもあった。・・・・つまり「日本人はあんな極端に組織的にやらなくてもやれる」または「トルシエ(まで)の組織偏重が、日本人選手の能力を封じ込めている」と、そういう不満・問題意識を胸に代表監督の座に就いたジーコにとっては、ヨーロッパ色を抜いて(結果として)南米/ブラジルスタイルに近付けること自体が、日本人選手の能力を最高度に活かしたチーム作り=日本化であったわけで。ある意味あんなに日本人の力を”信じた”監督はいない。

その解答自体は一つの考えとして尊重されるべきですし、後で述べるように(&以前にも述べましたが)それは後任のオシムによってよりポジティヴな形で部分的に実現されたわけで、ジーコは本人そう思っているだろう、たまたまW杯本大会では結果が出なかったけど出場権は少なくとも取った普通の監督として、あるいは「日本化」プロセスに参加したいち発言者として、敬意をもって扱われるべきなのかも知れません。

しかしどうしてもそういう気にならないのが、ジーコの「日本化」手法の動機にたまたまの当たり外れ以前の曇りが、不純なものが感じられるから。ジーコの見た「日本」は、「日本」そのものではなかった。出発点がニュートラルではなかった。

・・・・要はあの時日本代表は、南米と欧州の”東西”ならぬ南北”冷戦”の、代理戦争を戦わされたんだと思うんですね。ジーコの見た「日本」は南米の/ブラジルの子供・子分としての「日本」であり、日本のそれらに影響された部分だけを見て本質と認定して、勝手に陣営に引き入れられた。南米特にブラジルのサッカー人たち(または単にジーコ個人)が、日頃今日のヨーロッパ優位のサッカー情勢に対して抱いている不満の、第三国を舞台にした復讐・巻き返しというか、正当性の証明の道具として日本代表は使われた。

そういうものが見え隠れすることにおいて、例え内容的に一部妥当性があったとしても、やはりあれは”黒歴史”であり、「日本化」プロセスの真っ当な一部分として認める気にはなれないということですね。(ま、別に僕に認めてもらう必要は無いでしょうが(笑))
勿論単純にクオリティが低過ぎて方向性以前だ、参考材料にならないという、そういう切り方をしてもいいかも知れませんが。

ジーコが”信じた”のは自分自身、自分の影。


(2)につづく。


カズと中田の違い
2006年07月15日 (土) | 編集 |
やや今更ですが、書き漏らし。

カズは「サッカー」の人。
中田は「日本サッカー」の人。


カズは「サッカー」に自分も参加したいということを基本的なモチベーションにしている。
中田は「日本サッカー」を良くしたい、あるいは「日本サッカー」を良くすることを通した自己実現/功名心を基本的なモチベーションにしている。


カズは「サッカー」という大きくて曖昧でその分包容力のあるものに身を委ねているから、特に何もなくても続けられる。「サッカー」であるだけで十分。
中田は「日本サッカー」という輪郭の可視的な有限で具体的なものに基盤を置いているので、その分行き詰まりや頭打ちが見えてしまって立ち往生する。”上”や”先”が見えなければ意味がない。


カズが「サッカー」の人になれたのは、カズの育った時代には事実上拠るべき「日本サッカー」が存在しなかったから。否応なくいきなりおおもとに焦点を合わせられた。
中田の時代にはそれなりに拠って立つ「日本サッカー」が存在したので、「サッカー」との接触はあくまでそれを媒介にしたものになった。


「日本サッカー」はその後進性・辺境性ゆえに、「サッカー」との接続が不十分である。
しかしそれが例えは「イタリアサッカー」ならば、その個性は個性として十分に「サッカー」を代弁し、「イタリアサッカー」に奉身することがそのまま「サッカー」の母胎に抱かれることになり得るので、イタリア人選手はカズ同様、ただプレーを続けるだけで全てを得られる。だからデルピエロら中田の”友人”たちには中田の屈託が理解できず、引退という選択に心底の驚きを示す。


おまけ。
カズやラモス、ジョージがヨミウリ/ヴェルディにもたらしたのは、「日本サッカー」の具体的な現実に基づかない(それはそもそも存在していなかった)、直輸入の幻想の「サッカー」であった。従ってその体現者たちが去った後、ヴェルディには幻想の「サッカー」の残骸だけが残り、いつまでも「日本サッカー」の具体的な現実との接続がうまくできないでいる。

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ウッ、ちょっと殺したい
2006年07月08日 (土) | 編集 |
ジーコ監督、W杯は相性悪い報知

同監督は5日付ブラジルのスポーツサイト「テーラ」で
どういうわけか、W杯ではいつもおかしな事が起きる。きっと自分はそういう星の下に生まれたんだろう。でも、もし明日にでもW杯に参加することになったら、また懲りずに出かけるよ」と冗談交じりに言った。


・・・・”どういうわけか”じゃねえだろ、テメエ。

こういうのって結構本気で言ってると思うんですよね。
「反省」しないのがこの人たち(ブラジル人)の強味。
正味の”認識”というよりも”脳内編集”の速度の問題でしょうが。

心の底では勿論自分も(が)マズかったと思ってなくはないんでしょうが、肝心の心の「底」と上の方との関係が、日本人あたりとはだいぶ違った作りになってるんだと思います。

多分ブラジル中探しても「いい人」は4人くらいしかいないんじゃないでしょうか。
それ以外は全員嘘つきか詐欺師。日本人基準で言えば。
ハナから信じる方が間違ってるんです。逆に善意の差別ですそれは。

『人間』という一種類のものがいるわけではないんですよね。

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徹底的に孤独な男、中田(まとめ)
2006年07月06日 (木) | 編集 |
承前

中田はそもそもリーダー”タイプ”だったか。ヒーローだったか。パイオニアだったか。
中田の孤独は不幸だったか。悲劇だったか。中田は悲運の英雄なのか。
色々含めて微妙だと思います。

中田は並々ならぬサッカーの才能に恵まれた選手で、また先見の明とそれを実現する戦略性と意志の強さをも備えた凄い男でした。
中田は日本や日本サッカーに鋭い問題意識を持ち、何とかそれをもっと良い方向に持って行こう、そのために自分が出来ることすべきことは何かということを、別に今大会に限らず常に考え折りに触れて表明・行動化してきた人だと思います。

そうした中田は他の日本人選手には出来ないような速さや激しさで自己実現を果たし、その結果突出し過ぎて理解のされにくい存在となり、また異国で戦う上での心理的・競技文化的背景をほとんど得られないまま孤独な戦いを続けてきました。


ただ中田は優れた偉大な男であると同時に、それと同じかそれ以上にやはり風変わりで偏屈な男であって(笑)、一見不幸にも見える彼の存在的な孤立は実は多分に彼自身が望んだものであるという面も否定できないのではないかと思います。
更に言うならば、彼がここまでの存在になれたのは言ってみれば日本サッカーが後れていた”おかげ”であって、その後れている日本サッカーに持ち前の先見の明で「差」や「違い」を見せ付けることによって、彼は大いにアイデンティティの基盤を固め、自尊心を満足させることが出来た。

そういう意味では彼は確かに道を切り開き、孤独に胸を痛め、追い付いてきて欲しいと願ってはいたのでしょうが、同時にナカタがナカタでい続けるためには追い付かれては困る、埋もれたくない、いち選手にはなりたくない、そういう部分も確実にあったと思います。
それが傍目には「余力」を残しながら、現役を続けられない、現役を続けるイメージ(≒”情熱”)を持てない理由の一つ。同時に文句のない実績と知性を持ちながら、どこかリーダーとしての徳に欠けるように見える理由の一つ。ではないかと。
リーダー/シンボルとしての中田
2006年07月05日 (水) | 編集 |
俺的ヒストリー編プレーヤー編

こういう怒り方をしている人もいますが、実は結構分かります。
なぜ中田が今引退しなくてはいけないかの理由の一つとして、ブランドが肥大し過ぎて身の置き所がなくなってしまったというのは無視出来ないのではないかと。そこらへんのアンバランスも含めての”情熱の喪失”(ヒデメール)。

ゲームメーカー幻想に基づいた引っ込みのつきにくいプレイスタイル(前回)と、裏腹の能力の微妙さと抱えていたいくつかの弱味と。パイオニア、唯一無二のジャパニーズ・スターとしての否応なく付きまとう体面と、同時に自ら打ち出し築き上げた常にクレバーでスマートで万事ソツなくこなすカッコイイ男というイメージの縛りと。

色々合わせて29歳の自分及びこれからの自分と、現役選手として待ち受けると予想される現実との接合にどうにも行き詰まってしまった。「ナカタ」が掲げるに相応しい、”情熱”を注ぐに足る目標と、実際に達成できそうな目標とのギャップ。

強い弱いで言えば、あそこまで能力が落ちてなおかつJ2でプレイし続けるもう一人のヒーロー「カズ」の方が遥かに強いということは言えると思います。でもそれはむしろカズの方が異常なので、彼は自分だけで自分を支えることの出来る稀な人で、例えばそもそものブラジル挑戦自体中田のセリエAとは比べるべくもない現実性の低いものでした。
従って僕のシンパシー、同情は中田の方にあって、冒頭紹介したinomanさんの言うことは理解は出来ますが、怒ることまでは僕には出来ません。


それはともかく、”リーダー・中田”が機能できなかった理由としては、こちらの方の「年齢」という分かりやすい視点の変奏として、「能力」自体も説得力に欠けていた、少なくとも口ほどのものは示せなかったというのがあると思います。
むしろ遡って年少組だったフランスの時の方が、真性のリーダーシップを発揮出来る可能性があったような。何はともあれ中田の言うことを聞いてみようと思わせるものがあった。

実際には中田以外の選手たちが「最早何でも中田(さん)の時代じゃない」と本当に思っていたとしたら、それは大いなる勘違いだったと思いますが。ただ心情・精神的にはともかく、戦術的に明らかに中田のサッカー観は本質的な部分で時の監督(ジーコ)の支持を受けていなかったので、それもむべなるかなという。あるいは中田のあの程度の近況でもって「世界に通じている」と言えるのなら、自分たちでも十分だろうと錯覚してしまったとか。まあこれは皮肉ですが。

(まだつづく)

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プレイヤーとしての中田
2006年07月04日 (火) | 編集 |
承前

#技術面

間違いなくいわゆる『ナショナルトレセンシステム』以降の日本サッカーの”進歩”の風を堂々受けて登場した新世代の選手であり、それ以前の世代と比べて最初から「世界」に通じる可能性を本質的に持った筋目の良い選手でした。
ただそれでもクラッキ/ファンタジスタ系の選手として技術一本で世界でやって行く上では不足であると、ローマ以降のキャリアや代表チームトータルでの活躍からは評価されざるを得ないように思います。

国内的にも俊輔・シンジ・松井等の後続世代の選手の方がよりスムーズに、あるいは少なくとも瞬間的にはハイレベルにそうした要素をアピールしているように見えて、気が付くと微妙にカビ臭いような年寄りの冷や水のようなそんなニュアンスを感じさせなくもないそういう存在に。
ただそれが中田の個人的才能の問題なのか世代の問題なのか、中田自身が結果的には明らかに早熟傾向を見せていて直接の比較が難しかった為に、今一つ判断が出来かねます。


#フィジカル面

その”早熟”傾向の一因でもあるかも知れないこの問題。

中田の偉大さの中心に、いわゆる「外国人相手でも当たり負けしない」フィジカルの強さがあったのは間違いのないところ。
時系列的にはイタリア挑戦の先輩であったカズが、闇雲に筋肉の鎧を身にまとって柔軟性や俊敏性を目に見えて損ねてしまったことを反面教師として、”バンパー”としての肩回りの筋肉の集中強化を中心とした最低限の効率的な強化で元々の柔軟性や俊敏性の維持に成功したと、フル代表デビューやペルージャ当時は随分褒めそやされたものでしたが。

ただその後のプレーを見ていると、結局は往時の柔軟性やそこから来る繊細なボールタッチなどはある時期を境に急激に失われ、贔屓目で見てもクラブで前をやらしてもらえないのもしかたないかなというそういう状態になっていたように思います。
それが「筋トレの影響」なのか、歴戦の疲労や年齢的な問題なのか、あるいはそれらがどのような割合で影響していたのか、実際のところは分かりませんが。

また恐らくは天性のものだろう中・長距離のダッシュ力やスタミナは、世界レベルでも十分に胸の張れるものでしたが、一方で瞬発力や受け身でのストップ力などでは度々限界を見せ、守備的なポジションや駒として便利遣いしたいタイプの監督の下での起用には結局堪えられなかったと、残った結果からは言えると思います。

・・・・ちなみに俊輔以下の後輩クラッキたちは、基本的に目に見える特別なフィジカル強化はしないという方向でやっているようですが、中田と同レベルでの挑戦はまだ誰もやっていないので是非については不明というのが実際のところだと思います。
中田ヒデ引退に寄せて
2006年07月04日 (火) | 編集 |

まずは小野に倣って自分的中田ヒストリー。


’93 U−17世界選手権出場(当時韮崎高校)
司令塔財前に従い、スペースをつく独特の感覚を武器とする半ストライカーとして活躍。
’95 ベルマーレ平塚入団
植木監督の庇護の下、特別待遇の”王様”司令塔として才能を見せる。
’96 アトランタ五輪チームに合流
「遅れて来た司令塔」として、前園中心で確立していたチームにおいて明確な役割を見出せずに散発的な活躍にとどまるが、そんな中でも本大会では結果的に唯一世界標準のパスのイメージを持った選手であることを証明。
その後ベルマーレ平塚で、最早誰の庇護も必要としない”特別”な選手、正真正銘の司令塔として存在を確立。
’97 フランスW杯出場を目指す加茂ジャパンに招集
パスもさることながら、アトランタ等の経験から自主的に強化に努めた頑強なフィジカルを活かした突進力で一頭地を抜く存在に。
’97アジア最終予選イラン戦〜’98フランス本大会〜同年世界選抜戦
速くピンポイントの長めのスルーパスに、日本人として比較を絶する実効性を示す。

’98 イタリアセリエAペルージャに移籍

リアクションメインの弱小チームにおいて、カウンターアタックのオーガナイズを一手に委ねられ、上記の持ち味を存分に発揮。また自ら見出したシュート/ゴールの必要性という課題にも迅速かつ十分な回答を示し、チームのアイドル的存在に。
’00年1月 同強豪ASローマにステップアップ
日本でいう「ボランチ」に近いイタリア流の「MF」として期待されるが、俄かに増した守備の負担にも苦しみ、思うような働きは出来ず。
’00年9月 シドニー五輪チームに本大会から合流
コンディション不良で活躍できず。
’01年6月 ローマの一員としてスクデッド獲得
MFとしては失格の烙印を押され、トップ下トッティのバックアッパーという不安定な身分であったが、いくつかの重要な試合で決定的な働きをする。
’01年7月 やや格落ちのパルマに移籍
再び主力としての活躍を期しての移籍だったが、トップ下として起用されたウリビエリ時代は世代交代中というチーム事情もあって機能出来ず、プランデッリが来てからはサイド中心の起用の中で埋没し、出場機会自体徐々になくなる。
〜’02.6月 トルシエジャパンで日韓W杯の主力選手として活躍
屈強なフィジカルと豊富な国際経験を活かした攻守両面の拠り所として最低限の役割は果たすも、戦術的に目に見えてフィットする瞬間はわずかであった。

’03 パルマ→ボローニャに期限付き移籍

ペルージャ時代よりやや下がり目の位置で同様な役割を任され、バランサー兼チャンスメイカーとしてまずまずの活躍
’04 フィオレンティーナに完全移籍
’05 ボルトン(英プレミアリーグ)に期限付き移籍

いずれにおいても攻撃的な位置では攻撃力の不足を、守備的な位置では守備力(特にフィジカル)の不足を問題視され、安定した活躍は出来ず。
〜’06.6月 ドイツW杯に至るジーコ・ジャパンの主力選手として活躍
監督の信頼は絶対的で、リーダーとしても強い自覚を持ってチームを鼓舞したが、時に浮いた存在となり、また技術的貢献も不安定であった。
同年7月 現役引退表明


小野と比べてもさすがに長い。(つづく)

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”ジーコJPN≒『ドラゴン桜』の矢島”説
2006年06月29日 (木) | 編集 |
ドラゴン桜 (12) ドラゴン桜 (12)
三田 紀房 (2006/03/23)
講談社

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ジーコ・ジャパンの批判的総括については、ざっと見ただけでも結構色んな人が面白いことや我が意を得たりということを書いてるので、僕はいいかこれ以上死者に鞭打たんでもと思ったんですが。
でもモーニング読んでる内にふと思い付いたので、せっかくだからちょっと参加。

(母親が金に飽かせてカリスマ家庭教師本田を連れて来たのに対して)
矢島「はっきり言わしてもらうと家庭教師はいらねえから。(中略)前にも言ったろ、俺は一人で頑張りたいって・・・」(中略)
本田「君・・・今のまま勉強してたらきっと後悔することになるわ。(中略)一番愚かなことは全てが終わって努力の足りなさを後悔すること。そうならないためにどうするべきか自分で考えるといいわ」

(親の力を利用することへのこだわりを桜木に指摘されて)
矢島「自分一人の力を試してみたいという考えの何が悪いんだよ」
桜木「笑わせんなよ。今・・・この状況で自分一人の力だと?その言葉にどれくらいの説得力があるのか、それがわからないほどお前はバカなのか!」

(『ドラゴン桜』12巻”112限目”より)


・・・・矢島の口にする「一人」「自分」(の力)というのをジーコジャパンの「個人」に置き換えると結構しっくり来るかなと。
ちなみに桜木の”今・・・この状況”というのは、一つは落ちこぼれが一年で東大を目指すという目標、もう一つはそのために既に桜木を始めそれこそ矢島の親も含め多くの人が協力して動いて来ているというそういうことを言っているのだと思われます。

自分が頑張るのなんて当たり前、その”頑張り”の中には使えるものは全部使うということまでが含まれて、つまるところそれら全てをひっくるめて「自分の力」だと。


要するに「個人か組織か」というようなそもそもの二項対立の虚構性が諸悪の根源だったのだと、今やほとんどの人が理解していると思いますが。
実際に存在したのは「個人か組織か」ではなくて「選り好みか(”組織”を含む)全てか」「ガキのいきがりか大人の本気か」とでも言うべき非対称な対立構造だったのではないかと。

まあ実際のところ、矢島同様日本サッカーのある部分も十分に”ガキ”だったので、ガキがガキらしい勘違いで突っ走った挙句案の定つまずいたというそれだけと言えばそれだけの話かもしれません。言ってみたい年頃だったんですね。(笑)

それとこれは”ジーコ・ジャパン”の過ちであって、”ジーコ”のとは微妙に違うと思います。つまりそれが結果的内容的に誤りや無知や貧困であったとしても、ジーコはジーコなりの「全て」をぶつけたのであって、別に手加減したわけではない。彼は彼であれを信じていたのでしょうし。

でも協会からファンから含めて、日本のサッカー界は既に明らかにあれ以外の、あれより広がりのあるものを知っていて見ていて実績を積み重ねていたのに、わざわざ不自然な自己限定をやってしまった。やらせてしまった。そういう人たち、それを支持した人たちがいた。その傲慢であり卑下(つまりそれまでの自分の否定)でもある、精神の弛みは罪だったと思います。

・・・・あ、しまった。”罪”じゃなくて”ガキ”か(笑)。ともかく反省して一緒に頑張ろう矢島クン。

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終了
2006年06月23日 (金) | 編集 |
特に前半は互いのゴール前のみを交互に行き来する展開で、フットサルみたいだなと笑いましたが。”中盤の攻防”とか”消し合い”とかいっさい関係のない、常に板っ子一枚下はゴールの真っ向勝負、実に男らしくブラジル的。そう言えば前にそうすればサッカーは面白くなるとガッツ石松が”アドバイス”してくれていましたっけ。

基本的に「ブラジルに勝つ方法」なんてものは存在しないので、いずれにせよこの試合はこの試合でしょうがないでしょうね。クロアチア戦に引き続き攻撃時の加地の異様な落ち着きぶりとか、僕推奨の玉田の万能戦士っぷりとか、いくつかいいところも見られました。三都主なんかも相変わらず切れていましたが、その分自慢のはずの中盤のクオリティの見かけ倒しが目に付いたような。


監督や協会の4年と選手の4年では貴重さが全然違うので、終わってみるとひたすら辛い部分が沢山あります。
次の4年はとにもかくにも、本番を前に「下手なりにやれることは全部やった」と胸を張れる4年間であって欲しいもの。これが自分たちの代表だと言えるように。勝ち負けに本気で一喜一憂出来るように。

気休め含みであえて言いましょう。限界を露呈したのはジーコジャパンであって、日本代表/日本人ではありません。最低でも他の国並みの努力をした上で判定されたい。後進国が自らハンデつけてどうする。


いずれもう少しちゃんとまとめたいと思いますが、J2リーグは待ってくれない、一晩寝たらまたすぐ別の”本番”。「前門」は去っても「後門」は健在。(参考
とりあえずおかげで”コメンテーター”ラモスの手(口?)が塞がっているのが僕的にはありがたいところですが。このタイミングでまたぞろ「気持ちが足りない」とか好き勝手吠えられたらと思うとぞっとします。

W杯Gリーグ第3戦 日本代表●1−4○ブラジル代表

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8年ぶりのクロアチア戦
2006年06月19日 (月) | 編集 |
4年前ジーコが就任した時、「蒸し暑い日本開催がハードワークのトルシエで、涼しいドイツがパス回し大会のシーコとは何とも間が悪い」と漠然と思ったものでしたが、蓋を開けてみればいやはや。

酷暑の影響もあって、『永遠の急造チーム』ジーコ・ジャパンの面目躍如のそれぞれが当てもなく頑張るだけの”ザ・消耗戦”となりましたが、ある意味ではこれこそが見たかったと言えなくもないかも。
少なくとも(文脈は違いますが)同様に”急造”だった山本アテネチームの途方に暮れたような戦いぶりに比べれば、よく頑張ったというかさすが年季が違うというか。

更に遡ること8年前の、今とは比べ物にならない組織力に守られながらもスキルや体格の違いに馬鹿正直にびびりながら(特に見てる方?)のフランスでの同じ相手との戦いに比べれば、確かに立派にはなったと思いますが、それを”確認”するためだけにこの4年間を使ったように見えてしまうのは何とも。

トレーニング・プロセス的なイメージで言えば、ジーコで追い込んだ後、回復して試合に向けてコンディションを整えて戦略を立てる(後半の)過程が丸々抜けてしまったなと、さては最大の戦犯はアジア予選で無駄に活躍してジーコの首を救ってしまった藤田俊哉かなとか。勿論冗談ですが。

にわかレッズファンとして言えば、三都主と小野という、繰り返しになりますがこと攻撃面に関してはこのメンバーの中でも一つレベルの違う二人の力を上手く使えていないのが残念。ていうかジーコあんた三都主ありきで作ってたんじゃないのかよ、それくらいは最後まで貫けよ余計な負担かけてんじゃねえよと思ったりもしますが、実際はいっさいそんな気の利いたことを考える余裕はないんでしょうけど。

いや、真面目に直前のキリンカップでも、長谷部も含めてレッズ組がまとめて投入されるといきなりチームのレベルが上がるように見えて、なんてことはない、レッズを中心に海外組等何人かの「助っ人」を加えれば、今からでもごく簡単に強くてしかも日本を代表するチームが作れるんじゃないかと思ったものですが。かくも膨大な時間の無駄遣い。


総体的には「頑張った」「成長した」という印象なわけですが、一方で現象面での攻撃の計算の立たなさは深刻で。とにかく攻撃に移った瞬間に余力や予感・イメージがなくて、トルシエ時代の”針の穴”ハーフカウンターを更に飛び越えて、加茂・岡田時代の”ひょっとしたら何か起きないかな”攻撃まで戻ってしまった感じ。
直接的には高原/柳沢に普通の”FW”としての働きを期待するのは無駄、やはり久保でもいないとという分かり切ったことではありますが。やることだけはきっちりやる(例えばファールを受ける)鈴木隆行はなるほど偉大だったなとか(笑)

”余力”についてはその前のボール奪取及びスタートの組み立てをいかに整然と淡々と出来るかも大きく関係していて、それだけで随分違うのかもしれません。色々含めてやはりまず組織あってこそ・・・・というような決まり文句は口が腐りそうな気がするので簡単には言いたくありませんが。ていうかジーコに足りないの「組織」というより「秩序」だと思います。手法ではなくて効果の問題。

次のブラジル戦は比較的涼しい時間帯のようですから、何とかインスピレーションでも復活させて、ジーコならではのものを思い出として残してもらいたいものです。

W杯Gリーグ第2戦 日本代表△1−1△クロアチア代表

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