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国家神道は解体したのか? ~島薗進 『国家神道と日本人』 より
2016年08月29日 (月) | 編集 |



幕末・明治それ以前と進めて来ましたが、大正~昭和の戦前戦中期の言わば"本丸"を落とす為の適当な本が見つからないので、先に戦後に手を付けてしまいます。
といってもこちらはこちらで本題なわけですが。つまりそもそもの関心は、「なぜ未だに(国家)神道が健在なように見えるのか」ということだったわけで。

この本には他にも色々と参考になる内容が含まれているんですが、とりあえずはこのテーマに絞って、今回は取り上げます。

p.185

 実は国家神道は解体していない。もちろんその規模は格段に縮小した。だが、今も生きているのだ。

結論としてはまあ、そういうことなんですけどね。
問題意識は、僕と同じというか。
この人も"宗教学者"ではありますが、専門は新宗教と宗教文化史である意味門外漢で、それが近年の状況に驚いて改めて調べたという、スタンス的には実際僕と似てるのかも知れません。

では行きます。


「神道指令」と政教分離

"神道指令"とは(Wikiコトバンクより)

・1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」の通称。
・信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたもの。
・従来の神社の国家管理制、公教育の場での宗教教育、国家・地方公共団体が宗教儀式を行うことなどが禁止された。
神社は在来の国家的性格を改めて宗教法人として発足することとなった。

GHQの宗教政策、国家神道対策の要がこれ。
文面を見れば分かるように、GHQは基本的に"国家神道"の実体を"神社神道"と把握していて、特定宗教としての「神社神道」(神道)が、「国家」と癒着したことをもって「国家神道」と定義しているわけです。だからその結びつきを断つことをもって、国家神道対策としている。
しかし既に見て来たように、日本の「国家神道」は天照大神及び天皇への崇拝を軸に、そこに各神社をめぐるそれぞれの信仰や各宗及び国民の思想信条一切合切を結集してまとめ上げることによって明治期に形成された、最初から国家主導の新たな"宗教"であったわけで、"キリスト教がローマの国教化"したようなケースとは根本的に違うわけです。
こうした言わば西洋モデルの実態把握の限界が、GHQの国家神道対策を中途半端なものとして、その解体・根絶を不徹底なものにした、根・病巣を温存して今日の"復活"を呼んだ、簡単に言えばそういうことのようです。
尚最後の項について付言すると、色々経緯はありますが、最終的に戦前の日本の宗教政策において、(神社)神道は「宗教」ではなく「祭祀」であるとして、他の仏教以下の諸宗教とは完全に別枠で管理されていました。公費の支出や"公教育の場での宗教教育、国家・地方公共団体が宗教儀式"などが行われる一方で、所謂個別の"布教"活動のような宗教活動は禁止されていたんですね。だからこの神道指令によって、(少なくとも明治以来)初めて神社神道はいち「宗教団体」として他宗と同列の立場に置かれ、自力で食っていく必要(笑)と布教を筆頭とする宗教活動の自由を同時に手にしたわけです。そのことが後で述べる、『神社本庁』の成立・活動にも繋がって行くわけですが。


神道指令と皇室祭祀

そのGHQが国家神道を言わば"民間"の神社神道と同一視したことによって取り残された、見過ごされた問題の代表が、天皇家が行う「皇室祭祀」という"神道"の問題。

p.186

 神道指令とその具体化の過程についての包括的な研究を行った國學院大學教授の大原康男は、「GHQが一方で極力払拭しようとしていた天皇の神聖性や、国民の天皇崇拝意識皇室祭祀の間には直接のつながりはないと見ていた節が窺われる」(『神道指令の研究』一二〇ページ)と論じている。

大原康男ね。朝生で何回か見かけましたね。つぶらな目のおじさん(Wiki)
まだ日本の右傾化が定着する前の時期だったので、当時は"少し頭のおかしい右翼のおじさん"に見えていた部分が無いわけではないですが(ごめんなさい笑)、研究自体はまともな人のようです。
というかそういう右の人が言うからこそ、"GHQの(国家神道解体政策の)詰めの甘さ"という話に、より真実味が感じられるという。
・・・と一応島薗さんの論に従って書いてはいますが、ただミニマムに「皇室祭祀」そのものの国民的影響、"国民の天皇崇拝意識"との関係自体は、かなり薄い/無害なレベルのように、実態としては感じます。今日(こんにち)なお日本国民が皇室に一定の敬意・好意を持っているとしても、それは別に天皇が(例えば)新嘗祭を行っているからではないですし、そもそも天皇が、誤解を恐れず言えば一種の「宗教家」である、全国の「神官」の親玉であるということを知っている・意識している人のパーセンテージは、極度に低いでしょう。
ただしそれは回り回って戦後教育70年の成果(ないし欠陥)でもあるわけで、終戦直後の国民意識としては、また違うものであった可能性はありますが。

p.187

危険は天皇と神道の相互関係に存在するのではない。危険は、名目的には文武の権力を祭祀王の手中にあずけながらも、実際は国家の機構を支配している権力集団によって行使することが許されている政治制度の特殊な性質の中に存在している。
(W・K・バンス『担当者研究』p.119)

"天皇神道"についての、GHQの基本的な認識。
"W・K・バンス"というのは、神道指令の実質的な執筆者とも言われる、GHQ内CIE(民間情報教育局)の宗教課長(参考)。"祭祀王"というのは、民衆と神の仲立ちとして、祭祀を執り行うことを職能として持つ王という、一般概念。
要は神道的宗教的に厳密にどうであろうと、「天皇の政治利用」のルートを断てば良い、軍国日本の要点はそこであったと、そういう認識でしょうね。
それ自体は決して的外れなものではなかったと、"結果"を見ても思いますが。(神道指令によって)皇室祭祀が温存されることとその意味、あるいはそれ以前に国家神道において天皇及び皇室祭祀が果たしていた役割そのものを、どのようにGHQの当事者が認識していたかはまた別にして。
問題は、以後、今日に至るまで、その"温存"された皇室祭祀が、ひとまずは国民意識の表面から退場しつつも、どのように推移・変化し、最終的な影響力を持ったのかあるいは持たなかったのかということで。

p.192

「昭和、平成の天皇のほうが明治、大正天皇に比べれば、祭祀については厳しかった」
(高橋紘『平成の天皇と皇室』一三五ページ)

と、言うようなことは最近割りと聞きますね。
池上特番では、「ほらこんなに天皇は日々"祭祀"を執り行っているんですよ?知らなかったでしょう」という感じで紹介されていましたし、またつい先日の朝生でも、三浦瑠麗さんが「平成になって皇室祭祀はむしろ増えている」と発言されていました。
これに関してはただ僕は基本的には、"象徴天皇"のプレッシャーだろうと思っています。
つまり平成天皇は、新たに提起された"象徴"ということの意味を重く受け止めて、意識的に国民と直に接する機会を増やして行ったわけですが、一方で恐らくこれまである意味考える必要の余り無かった「天皇」とはそもそも何なのかということも改めて考えることになり、その一つの答えとして天皇ならではの祭祀行為を、どこからも疑問を持たれる余地無く精力的に厳格にこなすことにしたと、嫌な言い方をすると「左」「右」両方に対して100%答えようとする、そういう努力の結果ではないかと。
その結果過重"労働"になり、(生前退位希望の)「お言葉」になったという面は恐らくあって、だから「"平成天皇"モデルを唯一の基準として天皇の生前退位問題を考えるべきではない」という、旧皇族竹田某のような主張にも、少なからぬ合理性はあると思います。(イヤだけど!(笑)。人として好かんわあ、あいつ)

つまり皇室祭祀が"増えて"いること自体に国家主義的復古的「意図」は特段無いと考えられるわけですが、その一方で。

多くの皇室祭祀は伊勢神宮を初めとし、神社本庁に属する全国の神社の祭祀と対応する内容をもっている。
(中略)
今も神社神道の個々の神社では、皇室祭祀にそった神事がしばしば行われている。第二次世界大戦後に日常的季節的な皇室祭祀がほぼそのまま継続されたことにより、神社界や皇室崇敬の篤い人々にとっては国家神道の聖なる時間と空間恒常的実在感が保持されたと言ってよいだろう。

"神社本庁"については後述。
上で見たようにGHQは、「国家権力と神社神道」「天皇と国家権力」それぞれの繋がりは断ち切った。それで一通りの宗教の民主化は達成出来たわけですが、しかし皇室祭祀のありようにはほぼ何も手を付けなかった為に、それと各神社神道間の繋がりは何事もなく継続された。・・・「天皇」「国家」「神社」からなる三角形の内、「天皇」と「神社」を結ぶ"一辺"だけは、手つかずで温存されたというか。
これを(神社)神道側の立場になって考えれば、自らの"地位"の転落を認めたくない、自らに不利な状況の変化をなるべく認めたくない人間の習性を考えれば、当然殊更高い自負心をもって「天皇を中心・頂点とする日本の神道のあり方は、敗戦を経ても何も変わっていない」という認識を、時代の変化をものともせず固めようとするだろうということは、理解に難しくないと思います。
増してGHQが"無視"したように、戦後の日本人も事実上そんな領域に特別な関心を持っていなかったわけで、誰にも邪魔されず、心置きなく、新世代の「国家神道」は維持・育成されることが出来たと、そういうことかと。

p.194

二〇年に一度の式年遷宮は伊勢神宮のもっとも重要な神事の一つであるが、これに対する皇室の関与は次第に深まる傾向にある。

これは・・・どうなんですかね。
皇室に何か積極的な意図はあるのか。あるいは特殊な。
なかなか平成天皇や現皇太子の顔を思い浮かべてもそういうイメージは抱き難いですが、とりあえず(神社)神道側、国家神道的思想を奉ずる勢力が、このことに意を強くするのは想像に難くないですね。

次にでは、その"神社神道"側の、具体的な動きを追います。

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藤巻一保 『アマテラス』 ~国家神道"前史"
2016年08月17日 (水) | 編集 |



"国家神道"シリーズ番外編。

日本国&天皇家、及び日本神道自体の起源がどこまで遡れるかは別にして、いわゆる(戦前戦中の)「国家神道」という問題に直接関わるのは江戸後期以降だと考えられるので、それ以前については本質的にはあんまり関係無いと思います。
別な言い方をすると、「国家神道」は"神道"の自然な歴史的発展として出来上がったのではなく、ある時期にある人たちが特殊な意図でもってあえて作ったものであるということです。だからこそ、余り"深い"源を探る必要は無いと。

というわけで今日する話は基本的には単なる関連"エピソード"集という程度の話ですが、それでも「国家神道」とそれを構成する諸観念の起源・背景の理解には、それなりに役に立つ部分もあるだろうということで、書いておきます。
・・・ぶっちゃけせっかく読んだので(笑)。書名が大層な割りには少し期待外れだった。てっきりもっと何かの決定版かと。


古代 ~二つの皇祖神

この本の序盤では、「女神」であり「太陽神」であるアマテラスが、どのように日本の神話体系の中に"登場"し、どのように他の「女神」や「太陽神」を駆逐して特権的な存在になって行ったかというプロセスが、大量の史料と共に呈示されます。
そして最終的に導かれる結論はある意味驚くべきもので、それはアマテラスは天皇家・大和王権を形作った中心的勢力にとって本来的な神ではなく、むしろ敵対勢力の神・外来神であり、それを統一王権の確立・統治の為の方便として受容・融合して行った結果成立したのが日本の太陽神であり日本神道の主宰神でありかつ天皇家の祖としての天照大神であり、それを祀る伊勢神宮であるという、そういう話。

思い出すのは例えばキリスト教の"聖母マリア"信仰が、キリスト教の世界布教の為に各地の女神・地母神信仰を受容・統合して行った結果生まれたもので、本来のキリスト教には無かった思想だみたいな話ですが。
あるいは"大国主命"の「国譲り」という地場勢力との妥協を、体制"内部"の作業としてより密かに行ったのがアマテラス信仰であると、そういう言い方も出来るかも知れません。

ではアマテラス以前、言わば原天皇家本来の皇祖神は誰だったかというと、

p.60

タカミムスヒを捨てて、アマテラスを取るというやり方がなされたわけではなかった。
タカミムスヒは相変わらず宮中で手厚く祭られ、『古事記』や『日本書紀』は、それぞれやり方は異なるが、二神をともに皇祖神として掲げている。主神の交替は、ゆっくり時間をかけて行われたのである。

(溝口睦子『アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る』)

タカミムスヒ。高御産巣日あるいは高皇産霊。(Wiki)
古事記日本書紀双方で、神々の系譜の最初期に登場するんだけど、今日要するにどういう神かよく分からない、そういう高名だけど謎の神。それが実は本来は、天皇民族の「太陽神」であり、「主宰神」「皇祖神」であったと。その役割を、アマテラスが徐々に受け継ぎ、ある種乗っ取り、いつしか完全に中心に居座った。
ただしそれこそ敵の神であった大国主命などとは違って、タカミムスヒが自分たちの生粋の祖神であったことは否定しようがないので、"名"だけは奪うことは出来ず結果"謎の神"として系譜に残ることになったと、そういう話。

p.66

『古事記』の時点、つまり天武の時点で、皇祖神は二柱存在したのであり、天武もそのあり方でよいとしたのである。
 『古事記』に見られるこの構想と歩調をあわせるように、伊勢神宮は、まさに天武朝のころに地方神から皇祖神へと移行する。

詳しくは割愛しますが伊勢は伊勢で、大和王権以前から別の勢力の一大中心地で、それとの緊張感はずっとあったのだけど、他ならぬ"主神""祖神"の座を伊勢の神(アマテラス)に用意するという思い切った妥協で、ようやく大和の王権は盤石になったと。またはそれをやっても揺るがない基盤が、天武の頃に確保されたと、そういう話。

まあ、なかなか多方面からクレームが来そうな話ではありますし(笑)、見た感じ十分以上にアカデミックな実証性はあるように見えますが当然"定説"とまでは言えないので、こういう観点・可能性もあると、頭に置いておいて下さい。
個人的には「タカミムスビってなんなんだろう、いかにも重要なんだけどどう重要なのかさっぱり分からない」という疑問はかねてからあったので、そういうことかと、結構納得しました。世界的に珍しい、"女神が主神"という体系の成立した理由の説明("タカミムスヒ"は普通にです)としても、一つありかなと。かなり人為的に成立した(させた)"神話"だったと、そういうこと。


中世

「天照大神=大日如来」説、「天照大神=釈迦」説

この前「田中智学と日蓮主義右翼」として紹介した、天皇教と仏教体系の奇妙な野合の、実は"ソース"が中世に既にあった!!みたいな話。
いや、ほんとに"ソース"なのかどうかは分かりません。ただ「天照大神と釈迦と日蓮が同一人物である」という、田中智学の一見突拍子もないとしか思えない"奇想"が、日本文化史上、必ずしも完全に孤立したものではないらしいというのは確かなよう。

p.230

昔、威光菩薩(摩利支天、即ち大日如来の化身である)は常に日宮(太陽)に身を置いて、阿修羅王の災いを除いた。今は(大日如来の化身の)遍照金剛(空海)となって永遠に日域(日本)に住し、金輪聖王(天皇)の福を増している。(日本を代表する)神を天照尊と呼び、国名を大日本国と名づけているのは自然の理であり、そう名づけられるべくして自ずからそう名づけられたのである。

(成尊『真言附法纂(さん)要抄』11世紀)

天皇にも厚く信頼されたという、"成尊"という真言宗の坊さん(コトバンク)が書いたものですね。

p.232

大日如来は色界の頂で成道し、南浮提(なんぶだい。人間の住む大陸)が浮かんでいる海の中に天逆鉾を投入なさった。鉾が海中に差し入れられたとき、泡沫が凝って州となった。いわゆる日本国とは、これをさす。

(『渓嵐拾遺集』1311~1348)

"国生み"も、大日如来の手によるという。
こちらの"オリジナル"は、イザナギイザナミですが。

p.247-248

天照大神は、化したまいて浄飯王の太子(ゴータマ・シッダールタ=釈迦)とお生まれになった。太子は和国の神道を相承していたから、神道のことばを替えて、仏教の五時八教などの教えとして説かれたのである。釈尊は天照大神の化身であるから、神ではなく仏こそ垂迹と呼ぶにふさわしい。

これなどは完全に、"田中智学"説ですね。
前後しますが出典は、次の項で紹介している『沙石集』(1283)です。


第六天魔王とアマテラス

p.233-234

弘安六年(1283)に成った『沙石集』という仏教説話集がある。その中に、著者の無住が弘長年中(1261~1264)に伊勢神宮に詣でたおり、神主から聞かされたという話が出てくる。
(中略)
昔、この国がいまだできていなかったとき、大海の底に大日如来の印文というものが沈んでおりました。太神宮(天照大神)が御鉾を指し下して探られると、鉾の先から露のように滴りが落ちました。そのとき、第六天魔王が遥か天上からその様子を見て、「このしずくが国となり、その国に仏法が広まって、人々が生死輪廻の世界から抜け出し、手の届かない仏の世界に行ってしまう情景が見える」といって、国を滅ぼすために地に下りました。けれども太神宮が魔王とお会いになり、「私は仏法僧の三宝を口にすることも、わが身に近づけることもいたしません。速やかに天にお帰りください」と慫慂なさったので、魔王は帰っていかれました。

上と関連しますが、"鉾"を使うのがナギナミではなくてアマテラスだという認識は、こうして見るとそれなりに一般的なものだったんですかね。
"第六天魔王"とは、簡単に言うと仏教界の大サタンというか、"仏敵"の代名詞的存在です。
ここで言われているのは、まず日本国の根幹に仏教・大日如来(の印文)の存在があったということ、それを見とがめた仏敵第六天魔王が日本を滅ぼしにかかったところを、アマテラスが"仏教を近づけないから"と何とかなだめて、ようやく"アマテラスの支配する日本"という状態が生まれた、保たれているという、そういう話。

p.237

 この物語には、日本のほんらいの主人はアマテラスではないということ、および日本の神であるアマテラスは、全世界を支配する魔王にはとうてい敵わないということが、はっきりと表出している。

・・・という"仏教"説話なんですが、それを"伊勢の神主"が語っているという態になっているのが、ややこしい。(笑)

その裏には、

p.235

記紀神話の思想が真実であるなら、高天原をルーツとする天皇家や公卿たちが、野卑な国津神の血を引く荒夷(東国武士)に政権を奪われる道理はない、(中略)記紀には答えられないこの難問の答えとして、第六天魔王の説話が受容されたのである。

つまり一見すると単に仏教がこの国の支配権を主張しているように見えますが、実際には、その更に奥には、カビの生えた記紀神話では現状を理解解釈出来なくなった中世の神道思想が、仏教思想との接続によってそれを達成し、かつ仏教の権威を借りつつ一定の"貢献"を日本国の由来に対して主張しているという、そういう屈折した姿があるわけですね。
ややこしい。が、日本における神道と仏教の関係は、常にこんな感じなのかも知れない。
明治(大正)の田中智学は、たまたま今度は神道が優位な世情において、同じことを反対側からやっているだけなのかも。

付言すると、上で「日本」と「世界」が対置されていますが、基本的に"神国"として日本の特別性神聖性を主張する神道側に対して、世界宗教たる仏教側にはさすがに普遍主義的相対的観点も濃厚にあって、日本を"東海の小国"としてある意味客観的に位置付ける思想もあった。実は"愛国"の仏教家日蓮の"日本"の位置づけも、基本的にはこちらの方(普遍主義)だったらしいという。そういう意味では、戦前の日蓮主義右翼の日本中心主義は、日蓮から更に進んで(暴走して)一線を越えたものではあったわけです。
ま、これについては別の機会に、詳述出来ればと思っています。


近世
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読書日記(’16.7.20) ~国家神道をめぐる風景
2016年07月20日 (水) | 編集 |
"続き"はまだですが、その前に関連して読んだ周辺の本からの諸情報を。
先取り的な内容も多分に含まれてる気はしますが、そこらへんはまあ、場当たり。(笑)





高橋信次 『心の発見 神理編』 (1982←1971)

p.27-28

 また房州の、もと官幣中社神主は、
「日本は神の国であって、八百万の神々がおまもりしている。釈迦もイエスもモーゼも日本国を訪れたということが、古い文献に記されている」
と、もっともらしいことを私に語った。

正確な年代は書いてないんですが、最低でも1950年以降、終戦から5年以上後の話。
まだこんなことを平気で一般人("私")に教える神主がいたんですね。
「官幣中社」とは、Wiki

 官国幣社(官社)については、官幣社は国幣社よりも格が上とされ、それぞれ大・中・小の順に格が
 下がる。
 『神道辞典』などによると、官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>
 別格官幣社 となるが、官幣中社と国幣大社はどちらが上かなどの明確な規定はない。


とありますから、かなり高いランクの神社でその分戦前の栄光が忘れられないということか。
一方で地方の小さなお宮とかではないわけですから、GHQの国家神道解体の政策が、5年以上たってもこんな目立つレベルでも、大して浸透してないことを表しているようにも見えます。
「前回の"敗戦"でも、その信念の根幹は実はそれほどダメージは受けていないのではないか」という僕の直感は、満更とんちんかんでもないのかなという、そういう事例。

・・・ちなみに"高橋信次"というのは、「GLA」という日本の新々宗教界に独自の存在感を有した教団(注・"神道系"ではない)の教祖です。直接の影響下にある主な名前としては、平井和正(の幻魔シリーズやアダルトウルフガイシリーズ)、幸福の科学、中丸薫など。





『現代人の宗教(3) 金光と大本』 大場正範、宗正元、丸山照雄、出口栄二、渡辺宝陽 (1986←1975)

p.191

 第二次事件が完全に解決したのは戦後になってからです。昭和二十年八月十五日の終戦とともに、当局はあわてて、八月十五日から二十四日目の九月八日に、治安維持法は無罪、新聞紙法も無罪にし、不敬罪は残りましたが、それもその後の大赦令で白紙に戻ったわけです。(出口栄二・大本)

明治・大正の民間発の神道系新宗教金光教大本教、それから日蓮宗と浄土真宗の代表的論者(1973年当時)が一堂に会して語り合った、珍しい本。・・・金光教は、松木安太郎氏の宗教ですね。(笑)
話題となっているのは、戦前に大本教に対して行われた日本の宗教史上でも最大級の弾圧事件(大本事件)、その2回あった二つ目についての顛末。
終戦早々に当局がこんな動きをしていたとは、意外と変わり身が早いんだなというか(笑)、逆に言うと「悪いことをやっている」という自覚はあったんだろうなという。見つかったら罰せられると。
ちなみに(戦犯を裁く)東京裁判が始まるのは、終戦翌年、昭和二十一年の五月です。
公職追放令は、それより少し早く、同じ年の一月。

p.201

いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は、全世界の軍備がすっかり撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。

(出口王仁三郎 昭和20年12月30日 大阪毎日新聞朝刊)

ふーむ。
大本教の・・・どう言ったらいいんだろう、女性教"祖"に見込まれて主に外向けのカリスマとして教団の組織化や教義の整理に大活躍した、"元祖じゃないけど本家"みたいな人(笑)が、上の事件で収監されたまま迎えた終戦の年の末に答えたインタビューが、新聞に載ったもの。
大阪毎日新聞は・・・ああ、"大毎"か。オールド野球ファン感涙。(笑)
この発言の何に注目したかというと、まず大本教自体は、国常立尊を主神とする、広い意味では愛国的宗教ではあるんですが、国家神道と戦前の日本の体制には批判的で、「このままでは日本は潰れる」と予言かつ戦争反対を唱え、それもあって弾圧にあったわけです。
だから上の発言も不自然ではないわけですが、それにしてもきっぱりと反戦だなと。軍備撤廃も全面的に肯定して、これが"戦後民主主義"の"常識"に乗っかった発言なら陳腐なんですが、まだ終戦の4ヶ月後ですからね。所謂平和憲法が公布されるのは、これより更に1年後です。(1946.11.3)
興味があるのは"GHQに押し付けられた"憲法に、意外と強い前提的な国民世論があったのか、それともこれは大本/王仁三郎の独創・独走なのかということと、それから宗教勢力の"民主主義"や"リベラル""護憲"をどう考えるべきかということ。

後者はちょっと何のことか分からないかもしれませんけど、簡単に言うと「宗教」と近代的市民社会的正義としての「民主主義」は、本来無関係かむしろ対立してもおかしくないものなわけですよ。それであんまり考えなしに宗教家が「民主主義」を口にすることに僕は少なからず軽蔑的感情を持つことか多かったわけですが、これを見てもあるいはこの本で繰り広げられている各宗代表者の討論を見ても、存外確信的に日本国憲法やそれに代表される近代的理想に支持が表明されているんですよね。
一方で安倍首相のバックにいる人たちのような"宗教"も、沢山あるわけですけど。
とにかくまあ、もっと真面目に捉えるべきなのかなと、思い直しているところ。まあ個人的関心です。(笑)

p.252-253

神道国教化政策(中略)に対して一番闘ったのはだれかというと、これは真宗の人びとであるわけです。(中略)
島地黙雷という人が、神道国教化政策に反対して建白書を提出する。それが大きな力となって新政府の宗教政策は随分変わってきてる。(渡辺宝陽・日蓮宗)

真宗は戦ったと。一番"乗っかった"日蓮宗の人が言うと、重みがありますね。
浄土真宗というのは決して政治的でも現世的でもないタイプの仏教なんですが、一方で理想主義というか、開明的でコスモポリタニズム的なところが、明治の時点で既にあったらしいんですよね、若干意外なことに。
それで海外の知見も取り入れた、ある意味最先端のリベラリズムでもって、明治政府のナショナリズムと戦ったと、そういうことみたいです。上の話とも少し関係するかも知れませんが。



異端の教団 洋泉社

異端の教団―歴史の闇に封印された異端宗教の扉を開く! (洋泉社MOOK)

『異端の教団』 洋泉社ムック (1995)

p.75

 明治以来、日本の近代化は欧米先進諸国を模倣することで進められた。科学技術、学問、法制度、議会制度、軍隊や帝国主義による植民地獲得への野心、それらのすべてを日本は欧米から学んだが、ただひとつ輸入しなかったものがある。それは植民地支配の「思想だった。(中略)
意外なことに、日本の植民地支配では、それほど強い優越感や差別意識が、少なくとも政策的に強調されたことは一度もなかった。代わりに日本が選んだのは「我々は本来ひとつの民であった」という物語だった。

(「天津教と竹内巨麿」長山靖生)

これね。まあ嘘ではないんですよね、多分。
日本軍および日本の植民地支配が、比較的"紳士的"平等的であったのも。日本の植民地戦争に、"善"なる動機が存在していた意識されていたのも。
だからこその「大東亜共栄圏」であるし、「八紘一宇」である。
ただまあ一方で、"家族"主義の押し付け同一性の押し付けというのは、押し付けられる(と感じる)方からすると底なしのおせっかいであるし、分かり易い"敵意"と"征服"よりよっぽど逃げ場が無くてたちが悪いという面もある。それは日本国内の"皇民支配"の時点で、既に起きていたことですが。
加えて"善意"の部分があるからこそ、「反省」もしづらいという面がある。例えば"ナチス"のように分かり易くは。近年"事実"が色々分かって来て、尚更混乱している感もあるかと。

p.133

井上順考 明治政府は、最初に宗教政策を一生懸命やろうとして、「三条の教則」を掲げるわけですが、それはあまり有効に作動せず、宗教のチェックはむしろジャーナリズムがやるようになった。

(鼎談・新宗教誕生の秘密と異端の教団史)

「三条の教則」
 第一条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事
 第二条 天理人道ヲ明(あきらか)ニスヘキ事
 第三条 皇上ヲ奉戴(ほうたい)シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事

この「三条の教則」に反対したのが、上で出て来た島地黙雷という人のよう。

ただここでの問題は、この時点で既に"宗教のチェック"がジャーナリズムに委ねられていたということで、そうすると自然正面からの教義云々というよりも「週刊誌」的なゴシップ&あらさがしや"キャンペーン"の対象になりがちなわけで、それで随分色んな宗教が、酷い目にあっています。近年幸福の科学あたりが盛んに攻撃しているそういう状況は、実は明治からもうおんなじだったという。国家が正面から叩いたのは大本教くらいで、いかに当時の大本教の社会的影響力が特異だったかという話にはなりますが。
なぜ日本の場合"異端審問"方式にならなかったかというと、一つには「国家神道」といえ、「天皇教」と後に呼ばれたとしても、それらは直接的には"宗教"ではなかったからですね。宗教を越えた宗教、宗教を越えた"真理"。「国体」は宗派を越えるというか。だから"同レベル"におりて、国家神道が戦うわけにはいかなかった。

例の「家族主義」という問題もあります。何"教徒"であっても、「天皇の赤子(せきし)」には違いないわけで。後はだから、基本道徳の問題と言うか、"公序良俗"の問題と言うか。
「週刊誌」の出番です。(笑)

現代なら・・・"日本教"?暗黙の宗教。


「日蓮主義」「国柱会」関係も色々と面白かったんですけど、書き切れないのでまた別枠で。


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藤巻一保 『天皇の秘教』 [後] ~国家神道の確立と秘教化
2016年07月14日 (木) | 編集 |
今上陛下御退位の意思とか。
僕がキャッチアップするまで待って下さい(笑)。まだ明治の話なんです。

[前編]から続き。






国内問題としての国家神道 ~国体論と忠孝教育

そもそもなぜ国家神道ないし天皇教の創造が維新政府によって企図されたのかと言えば、要は中央集権的国民国家としての結束力・求心力を醸成する為、欧米列強における「キリスト教」に代わるものを求めたからであるわけですが、直接的にはそれは天皇とそれが代表する公への私・個人の献身を絶対化する、所謂"忠孝教育"に行き着きました。

それは「近代」主義的な普遍的合目的性と、日本的風土・伝統・思想との、独特な融合なわけですが。


「日本一家」論

根本にあるのは、「万世一系」の皇統とそれにつらなる「皇孫・神孫」たる国民という、特異に血族主義的な日本の国家観・民族観。

p.78
佐田白茅『国体一覧』(明治24年)

我が大日本国は(中略)君民悉く万世一系を伝えたる、地上無比の国体なり。

典型的には、こういう言い方。
"地上無比"とは、神聖なる王統が"万世一系"であることと、しかもそれが"君民悉く"ということ。

奥山千代松『訓蒙国体義』(明治23年)

いやしくも日本国に生れたものは・・・・・・天皇陛下およびそのご先祖はもちろんのこと、われわれ臣民とその先祖の場合も、だれ一人として神胤でないものはない。

同様に。
枚挙に暇が無いこうした思想の一つの大きな源流には、江戸期の大国学者平田篤胤の思想の存在があります。

p.79

わが御国は天つ神の特別なお恵みによって、神がお生みなされて、(中略)たしかに神国に相違なく、またわれわれ身分の賤し男女にいたるまで神の子孫にちがいない。

(『古道大意』)

こうした思想がでは"平田派"や一部の狂信的な論者のものかというとそういうことではなく、かの福沢諭吉までが、堂々とこんなことを書いています。

p.97-98

 帝室(皇室)は、日本国内にある無数の家族のうちでも最も古い家族で、起原を国の開闢と共にしている。帝室以前に日本に家族はなく、以後今日にいたるまで、この国に生まれてきた国民は、ひとり残らず帝室の支流に属している

(『尊王論』明治21年)

もう待ったなしという感じですね。

こうした思想は、一見すると「神の子孫たる日本の国民偉い」という方向にも読めそうではあるんですが、実際には逆方向、血族であり一体であるのだから、「全体」の利益が全てであるという主張としてまとめられて行きます。

p.98-99

 日本がひとつの生命体であるのなら、全体(国家=天皇)の利益は、かならず個(人民)の利益に優先する。(中略)
 諸外国とちがい、「皇国」という特殊な生命体に属する個は、個であって個ではない。全体あっての個だということが、常に強調される。(中略)それこそが、明治政府が国民に求めつづけた道徳原理である「忠孝」なのである。

"生命体"というのは、著者独特の言い方のようですが。
より一般的な観点で僕がもう一つ入れるとすると、同じ「王の神聖」を主張していても、西洋の"王権神授"がそれゆえに"王"と"それ以外"を分けてしまうのに対して、日本の"天孫"→"皇孫"という理論体系は上下の結びつきをまずは絶対化し、その後にそれをてこに結局は上の下への支配力を盤石なものにするという、複雑なというか狡猾な(?)働き方をしていると言えると思います。"対立""抵抗"の枠組みを与えないというか。


教育勅語の発布

p.99

 広い意味での忠孝教育は、楠木正成など忠臣たちの神社創建や顕彰などを通じて、新政府がスタートしたときからはじめられてきたが、日本国民ならかならずわきまえ、かつ実践に努めなければならない道徳原理として忠孝が位置づけられるようになったのは、明治二十三年に発せられた『教育勅語』以後である。

勅語の眼目は、以下の部分に集約されている。

 我が臣民、克(よ)くに克くに、億兆心を一(いつ)にして、世々その美を濟(な)せるは、
 これ我が国体の精華にして、教育の淵源また実にここに存す。


p.106

『教育勅語』の登場(明治二十三年)で、(中略)皇道教育・愛国教育の実施の道が、はっきりと開かれた

ま、特に言うことは無いと言えば無いんですけど。
ただ一つ面白いのは、ここまでの"道"が必ずしも一本道ではなかったらしいということ。

p.106-107

明治期の文部省は、意外と思われるかもしれないが、そうした皇道主義的愛国教育には手をつけず、開明的な西欧流の教育方針をとりいれてきた。
(中略)
基本の流れは、明治二十年代に入ってもなおつづいていた、そのため、忠孝を軸とする皇道教育、修身教育をもとめる朝野の皇道主義者は、切歯扼腕しながら教育の改革を訴えつづけてきた。

前回の「廃仏毀釈」の項でも、こうした官と民の"温度差"みたいなものは窺えましたね。
あの時は官が与えた方向性を、民が過剰に実施したという形でしたが、今回は「方向性」そのものに無視出来ない齟齬が見られる。("朝"野ですから"官"も一部入ってはいるんでしょうが)

総体として、明治政府の基本的なスタンスとしては、こういうものだったと著者は言います。

p.44

右に述べてきたような"天皇教"の創造は、明治時代には比較的まだゆるやかで、国家の対応も欧米列強に追いつくための近代化路線と、復古的な絶対主義バランスを巧みにとりながら、どちらにも傾きすぎないように進められた。

この項の冒頭でも言ったように、"国民国家の求心性"自体は、列強の帝国主義に対抗する為に必要な面は大きかったんでしょうし、その為に「天皇」を担ぎ出すというのもあり得るアイデアではあったろうと思います。実際に"成功"した面も大きかったでしょうし。少なくとも「強国」化という意味では。
世界史上に"後がよろしく"ない革命」の死骸累々としている中で、色々含めてこうした巧妙な施策を立案・実施し、成功に導いた明治の元勲たちはやはり凄かったと僕は思いますし、その彼らが多少の現代との常識のずれはあったとしても、そうそう非合理な動機や思想に満ち満ちていたとはとても思えないんですよね。
だからなぜ、いつ、途中から「非合理」が前面に出て来るようになったのか、それが問題なわけですが。
今回の話で言えば、バランスを取ろうとしていた、あくまで「方便」の範疇で"天皇"教を運営しようとしていた官側に対して、宣伝を真に受けた民側が突き上げを行ってついに方針を変えさせた、"一歩"を踏み出させた、そういう風景には見えますね。
太平洋戦争もそんな感じだったのかな、という想像は、どうしてもさせられますが。
これについてはまた後程。

次にその"一歩"を踏み出した一線を越えた皇国思想が、暴走して行く様子を追います。


対外問題としての国家神道 ~神国日本
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藤巻一保 『天皇の秘教』 [前] ~国家神道事始
2016年07月12日 (火) | 編集 |


"島薗進 『ポストモダンの新宗教』"を承けての。
2009年出版。
主に幕末・維新期から明治を経て大正に入るくらいまでの時期についての話で、残りの大正・昭和期については、次の著書で扱う予定とか。


天皇信仰の実際

明治(初頭)の。

p.21-22

 天皇が神であるなら、歴代天皇もすべて神でなければならない。ところがその皇霊の祭祀はもっぱら僧侶に委ねられており、皇霊が仏に従属したかっこうになっている。
 もっと驚くべきことがある。そもそもこの明治元年の時点では、御所には歴代の皇霊を祀る神殿そのものが、存在していなかったのである。

各地の天皇陵も荒れ放題(または行方不明)であったし、あくまで「明治の新政策」として、徐々に天皇の神聖化は行われた。
一般庶民にとっては天皇はただただ遠いないしは無関係・無関心な対象であり、"崇敬""信仰"の対象となり得る"お上"があるとすれば、それはむしろ徳川将軍、"公方様"であった。


教義の形成

p.33

 さきの左院(政府の立法諮問機関)の建議(明治4年)には、もう一点、注目すべきポイントがある。皇神の位置づけと序列の確定である。

  天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を以て開元造化の主神とし、
  天照太神を以て皇上万世の元祖と仰ぎ奉るべきこと

"左院の建議"の第一の内容は、上でも言った"天皇霊の祭祀""葬礼"をどげんかせんといかんという話。
あまてらすおおみかみはともかくとして、"あめのみなかぬし"なんて現代の日本人にはほとんど馴染みが無いでしょうね。僕も存在を認識したのは・・・『竹内文書』か?ひょっとして!?
でも皇国オフィシャルには天地創造の神なので、お忘れなく。
ちなみに一般には天照"大"神として知られているはずですが、神道思想系の人は"太"の字を使う人が今でも多いですね。細かい違いは、僕にも分かりませんが。

p.33

 戦前の神道家や古神道家は、『古事記』冒頭に「天地初発」の神として登場する天御中主神を、あたりまえのように天地の根源の神、造化の主神とみなして種々の論を立てているが、そのような認識は、明治時代の国民には、じつは少しも「あたりまえ」なものではなかった。
 それは伊勢の天照大神についてもいえることで、天照大神は日本を代表する尊い神様だという認識はあっても、天皇と血つながりの皇祖神だといった認識は、きわめて乏しいか、ないに等しかった。

要は「古事記」、ということですね。
江戸期の本居宣長あたりから連綿と訴えられて来た、(やまとごころを素直に伝える)「古事記こそが正典である」という主張が、明治に至ってついに公式に採用されたという。
一方で天御中主神はともかくとして"天照大神が天皇家の祖である"という設定(?)自体は、意外と現代でもうっすら共有されている知識だろうと思います。そういう意味では、皇国史観は存外勝利しているというか(笑)、明治の日本人より平成の日本人の方が、結果として"洗礼"は濃く受けているというか。

p.34

『日本書紀』が天地初発の神としているのは(中略)「国常立尊」であり、こちらの神のほうが、天御中主神より天地初発の神としてはポピュラーだった。

そして日本書紀。長らくのオフィシャル。
なんか習った記憶はあるな、この違いは。日本史の授業(笑)で。
ただいかんせん、「くにのとこたちのみこと」様が余りにも現代ではマイナーなので、左から右に抜けて行ってしまったという。
この明治政府に権威失墜させられた「国常立尊」(神)は、後に一時代を画した民間発の神道系新宗教大本教」によって復権され、以後はまたちょいちょい印象的な働き(?)を、新宗教シーンで演じるようになります。例えばこの前紹介した"最新トレンド"伊勢白山道の教義でも、天照と国常立は並び立って、重要な役割を担っています。
・・・ちょっと余談に流れましたね。

再び明治期の実情。

p.35

 とはいえ、天御中主神が天地初発の神として一般化するのはさきのことで、明治のはじめごろの説明は、まだまちまちだった。そのことは、当時数多く出版された(中略)神道啓蒙書に明らかだ。
(明治)六年の『い教大意』は「それ天地初て開し時の神を国常立尊と申し、又は天御中主神とも号し奉る」両神並記で紹介し、

"神道啓蒙書"というのが面白いですね。ベストセラーリストに並んでたりしたのかな。
例えば古事記/天御中主神派の思想統制に対してあえて"国常立尊を掲げる"(大本教などはそう)というのなら、それはそれで統制が進んでいる証でもあるわけですが、こうヌルく"両神並記"で済まされると、洗脳をかけてる側としてはいかにも歯痒い状況でしょうね。(笑)
まあさっき見たWikiによると、天御中主国常立同一神説というのもそれなりに有力なものとしてあったらしいですから(吉田神道)、上の本はその流れなのかも知れません。

p.36

「人皇に成てからの事は日本政記ぐらいの本を読だ者でも、大略は知て居ますけれども、神代の事は、国学者とでも云う筋の人で無いと、頓と知らぬ様子」という、明治三十四年の大内青巒の言葉からうかがうことができる。

"人皇"というのは神武天皇以後のことですね。
"明治三十四年"でもそんな感じかという。
ただしいずれにしても問題はあくまで「天皇」崇拝の確立であるので、主役は遥か"根源神"よりも直接の"皇祖"、つまり天照大神に対する民衆の感情・信仰。

それに関して。

p.38

 明治七年刊の『開化古徴』に、興味深い話が出ている。近ごろキリシタンの呪物と混同して、神宮大麻(「天照大神」と記したお札、いわゆる神札)を海や川に流したり、焼き捨てたりする不心得者がいるというのだ。(中略)
 神宮の大麻は、もともとは御師(おんし)と呼ばれる下級神職によって、暦などといっしょに全国各地の檀那(神宮崇敬者)に頒布されていた。(中略)
 新政府は(中略)各府県の地方官をつうじて、大麻を全国民に強制配布するようにしたのである。

明治政府挙げての皇祖崇拝キャンペーンに対する、初期の反応。
元々は"有志"の信仰としてありがたがられていた天照大神のお札を強制配布したわけですが、それに対して信仰不在による無知によって不適切(笑)な扱いをしたか、あるいは強制に対する反抗として、"キリシタン"を口実に侮辱的扱いをしたか。
いずれにしろ、いかにも取ってつけたような存在であったと、天照大神信仰は。(明治の)ある時期までは。
当然それに連なるまたはそれを"根拠"とする、天皇崇拝も。


神道と仏教
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(書評)島薗進 『ポストモダンの新宗教』  ~参院選の予習としての?
2016年06月27日 (月) | 編集 |



"(書評)"とわざわざ銘打ったのは、いつもの抜粋中心の羅列的なレポではないという意味です。(笑)
あくまで総括的紹介。

島薗進Wiki

・日本の宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科名誉教授。上智大学神学部特任教授・グリーフケア研究所所長。
・宗教を基盤に社会的・文化的事象への興味を持つ。多数の著書・論文等があり、フィールドワークも積極的に行っている。
・(専門分野) 宗教社会学、近現代日本宗教史、近現代宗教理論
・1948年生まれ

かなり有名な宗教学者ですが、例えば中沢新一的に宗教の"内容"にどんどん入って行くタイプではなくて、あくまで「社会」学の一分野的なニュアンスの濃いアプローチをとる人のようですね、少なくともこの本の範囲では。

本の内容としては、"ポストモダン"という冠からも想像出来るように、「新宗教」と総称される中でも更に新しい方、執筆当時(2001)の勢力図で最新に近い世代のもの、具体的には幸福の科学やオウム真理教(既に地下鉄サリン後ですが)、その少し前の統一教会やエホバの証人、それにGLAあたりへの関心を中心に、しかし全体としては明治以降の広い意味での「新宗教」を総攬した歴史の中にそれらを位置付けて、海外の同時期の類似の動きとの関連性にまで言及した、かなり欲張りというか"一冊"読むには便利な本になっています。

といって別に大部な本でもないので、一つ一つへの言及は至ってコンパクト、"淡泊"と言ってもいいくらいで、"学"というより"ジャーナリズム"的な印象が強いというか、「高級な別冊宝島」みたいな感はなくはないです。(笑)
その分読み易いですし、そうはいっても(別冊宝島と違って)"学"的中立は十分に保たれているので、宗教の「中」の人にも受け入れられる書き方になっているんじゃないかと思います。
ちなみに某K福のK学の某総裁(隠してない)も、何回か比較的好意的なニュアンスでこの人に言及しているのを見たことがあります。

参考までに主に言及されている"新宗教"の名前を抜き書きしてみると・・・

新しい方から

・幸福の科学、オウム真理教、ワールドメイト(深見東州)、法の華三法行、日本ラエリアンムーブメント、大和の宮
・統一教会、阿含宗、GLA、真光(系教団)、山岸会、エホバの証人、ESP科学研究所、大山祇命神示教会、ほんぶしん
・創価学会、立正佼成会、世界救世教、PL教団、生長の家、霊友会、真如苑、顕正会、妙智會教団、一元の宮
・天理教、金光教、大本(教)、如来教

といったあたり。
何らかあらかた知ってはいましたが、聞いたことがないものも多かったし、昔の宗教の内容が今の宗教の内容に思いのほか反映している、もしくは先駆けになっていることを発見しておおとなったり。とにかく"入門"としては、十分過ぎる内容になっていると思うので、そういう意味ではお勧め出来ます。
なお細かいことを言うと、教団や教義の途中からの変化がかなり顕著なGLAと幸福の科学については、いずれも"初期"の内容を対象にしていると、但し書きがついています。おおよそGLAは教祖(高橋信次)在世中、幸福の科学は"講談社フライデー事件"(1991)前後まで。


以上が"紹介"ですが、その中で僕が特に興味を持って読んだ箇所はどこかというと、全三部の内の第二部ナショナリズムの興隆です。
それはつまり何というか、参院選を控えて(笑)安倍自民の"宗教"的バックボーン(「日本会議」等)をどう考えたらいいのか、あるいはそれを筆頭とする、宗教・神道と微妙に関連したここ十数年(?)の現代日本における"ナショナリズムの興隆"をどう考えたらいいのか、なぜ未だにしぶとく神道的ナショナリズムが一定以上のリアリティを持てるのか、そこらへんについて知りたい、考える材料が欲しいと、別にその為に読んだわけでもないけれど、あえて言えばそういうことですね。

安倍自民は究極どこまでやる可能性があるのが、それを踏まえてどのような投票行動を取れば、後世に対して恥ずかしい思いをしないで済むのか、大げさに言えばまあそういう問題。

今回内容を細かく紹介する余裕は無いですが、それでもピンポイントで抜き書きを試みてみると。

p.95
ポストモダン的な宗教的潮流
 ところが一九八〇年代に入ると、新たに多様な形態の宗教的ナショナリズムの高揚がみられるようになる。それらは戦前の伝統を引き継ぐものであるとともに、世界的な反世俗主義の潮流を反映するものとも見ることができる。

簡単に言うと、むしろ新しい/最近の新興宗教ほどナショナリスティックであるし、またそれらは世界各国におけるそれぞれの宗教的原理主義の台頭とも通底する性格を持っていると、この人は判断しているということです。
その具体例。

p.100-101
真光のナショナリズム
真光の教えでは日本という国は世界発祥の地であり、世界人類は日本から広がっていったとする。(中略)
日本文化はさまざまな外来文化の影響を受けた雑多なものであるというような、日本人の主体性を見失った歴史観は誤りである。今後、世界を破滅から救う役割が日本人に課せられている。

p.101-102
ワールドメイトの霊的国防論
一九九五年の二月三日には、神武天皇と国常立大神の様の降臨により、「今年は、日本の国始まって以来の危急存亡の時である。蒙古襲来の時の二倍危険な事態となる」という知らせを受けたという。(中略)
まずは、「日本の未だ眠れる、国の守りをなす神域を早急に開き、そのご神霊を神起こすべし」。すなわち、「緊急国防神業」として、熊野大社、伊勢神宮、芦別岳、蔵王、岩木山、気比神宮、宗像大社の七つの神域で眠っている神を「熱誠の祈り」をもって揺り起こそうという。

・・・ここだけ見ると馬鹿みたいにしか見えないかもしれませんけど(笑)、つい最近でも上の二つを合わせたような教義を持つ「伊勢白山道」というブログとそれを書籍化したものが、人気を博しているようです。



僕も読んでみましたが、確かに魅力はあります。・・・"法螺話"の部分を抜いても。
というか正確には、"魅力"(説得力)があるから、"法螺話"の部分もセットで受け入れられるということでしょうね。だから遠巻きに見てるだけではなかなか分からないんですよね、これは他のどんな宗教にも言えることでしょうが。

続き。

p.103
仏教系の教団の場合
一方、(神道系のようには)日本文化の優位の主張はそれほど強くないが、今後の世界の危機を救う動きは日本から起こるだろう、その意味で日本人には世界を救う使命と資格があると説く教団もある。阿含宗や幸福の科学にそうした言説がみられる
p.131
これらは一般的な傾向を代表するものではない。たとえば、真如苑やオウム真理教や幸福の科学は神道系とは言えない。むしろ仏教に親近感をもつ教団が多いかもしれない。
p.132
幸福の科学の大川隆法(一九五六~ )は神道の民族神を中心にした民族宗教の時代は終わったと見なしている。日本の民族神は西洋や他の地域の神々に敗れた。しかし、いまや、日本から生まれた新しい宗教が世界の宗教を統一するときが来たという。(中略)
「いったん日本的論理は彼らの前に屈辱を喫したわけでありますが、今、第二弾として、日本的論理がもう一度世界を制覇する時代が来て」いる。

と、著者的なまとめとしては、「神道系を典型とはしつつも、より広範な傾向として"日本優越"論的傾向は新新宗教の間で見られて、"神道"はバックボーンとしての一つの代表例でしかない」というあたりに落ち着いているわけですが。

ただ僕の直接的な関心は"神道"なので話をそちらに寄せると、やはり神道系と非神道系では、論の基盤と立て方に違いがあると思います。
それは例えば上で幸福の科学(大川隆法)は、「民族神」の話として神道とその神々について判定を行っているわけですが、上述した伊勢白山道もそう、ワールドメイトもそう、生粋の神道系宗教思想の多くでは、高天原の神々はそもそも「民族神」ではないんですよね。ズバリ、『神』なんです。つまり、宇宙そのものの。天地創造の。理論構成はそれぞれ微妙に違いますが。
だから世界中に"色々"いる中で「日本の」神が偉いと言っているのではなくて、日本もくそもない、『神』だから偉いと言ってるんです。要は、"ヤハウェ"や"アラー"と同じです。
その『神』に最も近しい、あるいは最も純粋に直接に『神』の御心・性質etcを表現しているから、日本に優越性や"資格"があるのであって、単に民族神の力比べをしている(た)わけではないわけです。(幸福の科学はその立場)

・・・今回一緒に借りて来た本でこういうのがあるんです(笑)が



戦前からの"神道系新宗教"の大物/源流の一つ、「生長の家」の谷口雅春氏の主著"生命の実相"シリーズ・・・の内、戦後にGHQから削除命令が出ていた皇国史観・神国思想を中心的に述べた部分の復刻という、なかなかクラクラするような由来の本。
これを見ると、表題にあるように古事記の独自の丹念な読解を通じて、日本神話の"神々"が大文字の『神』であること、あるいは例えば「国生み」神話が"日本の"国生みではなくて「天地創造」そのものであることが、既にはっきり主張されています。

僕もまさか全部見てるわけでは全くないですが、島薗氏が論じる"新新宗教の共通傾向"という「横」の文脈とはまた別のものとして、戦前の生長の家(上のオリジナルが書かれたのは開戦前です)から21世紀の伊勢白山道までを結ぶ、"神道"を通じた「縦」の理論的共通性が、確実にあるんだろうなということは窺えると思います。
・・・実際には「生長の家」は、近代神道系宗教のむしろ"中興の祖"的な位置にあるはずですけどね。だからほんとの起源は更に推して知るべしというか。

ちなみにこの本ではアラーはともかくヤハウェやそれにイエスについてもちゃんと扱われていて、つまり「聖書」の「聖書」性をちゃんと認めつつ、それがいかに日本神道と合致するか、特に旧約の創世記と古事記がいかに"同じこと"を言っているかということが、滔々と、それなりに理路整然と、説明されています。"本気"なんですよ、ほんとに。


言いたいのはだから、「日本が神国である」的な主張・観念は、戦後の我々が思う以上に遥かに深い意味を持っている、単なる"自己愛"のレベルにとどまらない、"理論的一貫性"を持っているらしいということです。そのことにどうも、最近気付いたという。

そして恐らく、前回の"敗戦"でも、その信念の根幹は実はそれほどダメージは受けていないのではないかと。それは戦後の僕らがそれらについて実に無知である、真意や真価をかなり気安く見積もって来たこととの、背中合わせの事実として。"舐めて"たから、批評も否定も、ほんとには届いていないわけですよ。
そうして"温存"されて来たそれらが、例えば島薗氏が指摘するような"最近の"傾向と結び付いて、思ってもみなかった力強い思想的生命力を、今示しかけているのではないかと、そんなイメージ。

少なくとも戦前戦中とさほど変わらない本気度で思っている人たちは、確実にいるんだと思います(安倍首相の背後にも?)。必ずしも「狂気」や「無知」と、随伴しているわけでもなく。
更に言うと、言ったって本当の"戦中"派はもうあらかたこの世にいないわけですから、新たな世代にも、それなりの説得力布教力、魅力を、持ち得る/持ち得ているんだろうなと。

だから安倍自民は恐ろしい・・・のかも知れないし、あるいは逆に、それなりに確かな文化的背景or正当性を、持っているとも言えるのかも知れない。例えば欧米社会でキリスト教道徳が、未だ一定の正当性を持っているようにね。
勝手に"捨てた"と思っていたけど、別に捨てられてはなかったのかも知れない。少なくとも"決着"は、ついていなかった。
まあ分かりません。後はそれぞれが判断して下さい(笑)。僕も分からないし。

実際には政治家が本当に"信念"で活動をしているとみなすのはかなりの可能性で現実離れしているとは思いますが、ただ背後に"本気"の人が少なからずいるという方の可能性は、想定してもおかしくはないらしいなというのが、とりあえずの今の感触です。単に権力奪取の"陰謀"というだけてはなくね。(笑)


果たしてこんなんで参院選に間に合うんでしょうか。(笑)
もっと勉強しないと。(笑)


(参考)
戦時中の日本人の"本気"については、こんなのも何か参考になるかも。

 『小説 陸軍』、中空の桃源郷

手前みそですが。


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