2007年01月11日 (木) | 編集 |
![]() | メガネ男子 ハイブライト (2005/09/15) アスペクト この商品の詳細を見る |
野郎のメガネっつったらやっぱりこれか。あんまりよく分からないけど。
(前回)を承けて。
浮風の”率直”性ということ
キーワード的に乱打してますがちょっと整理。
1.「率直」ではあるが「無心」でも「天然」でもない。
・・・・いや、天然は天然なんでしょうけど。(笑)
ただやはり”怖い”コですよね。腹黒くはないですがイノセントではない。ある種血肉化した『戦略性』または『原理原則』のようなものを強固に持っている。それが意識的なものならどこかの時点ではい、甘える(甘く見る)のはそこまでと付きつけて来るでしょうし(既に少しやってますが)、無意識的なものなら結局はさんざん巻き込んだ挙句、途方もない捨て方・傷つけ方をする可能性がある。
話的にありそうなのは「黒部が心を開いた途端に興味を失って捨てる」というヤツですが。
2.普通に残酷でもある。
p.353の3コマ目の「グサッ」という擬音に、ある程度自覚的なものとして現れていますが。分かってんならやめてくれよとこっちの胸まで痛くなって来ますが。(笑)
これは初回についてのエントリーでも既に確認した通りですが、浮風はオープンで公平で、黒部のこだわりの密度そのものに価値判断抜きで興味を持って、ある意味で逆に価値を認めてほとんど勝手に近付いて来てくれる(しかも美少女!)あり難い存在であるわけです。しかし一方で「立場」としてはあちら側の、黒部が距離感を感じる”世間”側の、場合によっては”勝ち組”側の住人であるという基本は崩さない。
興味や好意は持ってくれても、共感や理解はしてくれない。
だから折りに触れて、当然のこととして、自明のこととして黒部が正に劣等感を持っている常識的な行動や責務を付きつけて来る。「なんで教室であたしに話しかけてこないのかな?」「ちょいとあんたなんでですか?(怒)」「んなこと気にせずに話しかけてきなよ〜 みんなの輪に入ってきなよ〜」「男だから」「さーみーしーいー(バタバタ)」「許せ黒部っ(中略)これはビビりのお前に課せられた試練なのだよ」「にしてもなんでちょろりと話しかける事がそんなにムズイかなあ」
細かいことを言えば、(話しかけないということは)「もうあたしの事嫌いになったの?自分からコクってきたクセに!!」という短絡や、「いざって時はちゃんと助けてくれるんだよね!!超安心した!!」という勝手な飲み込み方・まとめ方も、いずれも常識的な恋愛観・男性(の責務)観に基づいた無言の要求として、黒部のようなタイプの男の子の胸を刺し、プレッシャーとしてのしかかってくるはず。
このコは俺の味方なのか敵なのか、味方の顔をした工作員なのか、許してくれているのかいないのか。心を開いていいのか悪いのか、楽出来るかなと思ったけど全然話が違うぞ?かえってしんどいことになってるしむしろ否定されているような気がするぞ?
・・・・ここらへんはぶっちゃけ”浮風”のキャラ特性の問題なのか作者の男性/恋愛理解そのものの問題なのか、現時点では謎なので(笑)、それによってキャラとしての”黒部”の反応・行動も(僕の予想と)変わって来るでしょうが。まあおせっかいは程々にして。
ともかくいったんは黒部にとって福音に感じられた浮風の”率直”さですが、一定の限界は持っているし、またそれにより距離が近付いた分、そうでない人が発揮するより遥かに強力でダイレクトな攻撃力を黒部に対して持つことにもなっているわけです。まあ『女に救いを求めるなっ』(p343)と、言ってしまえばそういうことですけど。(笑)
2007年01月09日 (火) | 編集 |

・・・・いや、メガネかけてるのは野郎の方なんですけど。(笑)
ちょっと前見た時はGoogle検索トップだったのに、今見たら2ページ目にまで順位が落ちていた前のエントリー。門辺氏の人気に嫉妬。(2ch用語ね?to門辺氏)
そんな感じで今朝発売のイブニングに予想より早く第2回が掲載されてたので、早速感想を。またGoogleトップ目指すぞ!(趣旨変わってる)
御輿も担いだし、自称”偽者”(コメント欄1/9)とのやりとりなどもあって(笑)、どうしても親心的なものが混じりそうでどうかなとやや慎重に構えながら入りましたが、いやいやどうして。全然関係無かったですね。ご立派。普通に頭飛ばされました。
”偽者”の可能性はあっても”偽物”の可能性は心配無用なんじゃないでしょうか。
色々ありますが、ともかくもこの呼吸するように自然にマンガを描くセンスというのはそこらに転がってるものではないでしょう。これで構成ベタとか言ってたら、吐血して憤死する漫画家志望者・・・どころかプロもゾロゾロ出て来ると思いますよ。
まあこれも”偽者”の申告を信じるならば(しつこい)、訓練や技術というより勘に近い無意識的なものなのかも知れませんけどね。そりゃ担当さんの助力はあるんでしょうが、そういうレベルには。僕には。誌面からもむしろ担当を楽しんでいる感じが伝わって来ますし。(笑)
僕自身の経験からあえて言えば、ネット/サイト生活を始めて以来、定期的に見かけて来た女子(高生)系テキストサイト&ブログの良質なものが持つ、生活感=芸術性的な文体的特権性、それをそのまま商業漫画のレベルであっさりと、豪快に実現してしまったというそういう感じでしょうか。
そういう素人性無意識性を見て頭から馬鹿にしたり甘く見たりする向きが、それこそ2ちゃんなどでも散見出来ますが、実年齢のいかんに関わらずそういうのを「オヤジ」というのだと思います。
まあ僕は必ずしも精力的な漫画読みではないのでよく知りませんが、実際にはこういう性格・体質の漫画/作品(の一定レベル以上のもの)というのは、探せばそれなりにあったり見方によっては一つのジャンルを形成していたりするようなそういう気配もありますけどね。
それはともかく。
2006年12月26日 (火) | 編集 |
![]() | ZOOKEEPER 1 (1) 青木 幸子 (2006/09/22) 講談社 この商品の詳細を見る |
今号のイブニングその2。
初めに問おう。君は楠野香也が小尻だということを知っているか。
知らん?そうだろうな。日本中でこのことに気付いているのは僕も含めて両手いるかどうかだろう。キャプ画像?ないよそんなもん。誰も楠野香也の尻になど注目していないし、僕はスキャナーを持っていない。ちょいちょい出て来るから自分で確認したまえ。そして不明を恥じたまえ。
まあ僕も初めて見た時は何かの間違いだろうと思ったものだ。意味が分からないもの。あののっぺりしたデカ顔の偽メガネッ娘が、きゅっと締まった小尻を持っている理由が。
でも2度3度と見かける内に、なるほどこれは作者青木幸子さんの個人的な美意識に由来するんだろうなと今は納得している。担当の入れ知恵による読者サービスにしては狙いが渋過ぎる。喜ぶのは僕ぐらいだ。
でも考えてみれば『ZOOKEEPER』という作品自体、のほほんとした見てくれで人気があるのかどうかもよく分からない存在感ながら、内容はハードな生命論・仕事論・人間論がしっかりと中心にあり、ディープな漫画読みのハートは確実に掴む正に「隠れ小尻」持ちのような作品ではないか。
・・・・いや、今号で意表を突いて初めて香也に恋バナ的な展開が出て来たので、嬉しくて書いてしまいました(笑)。どう展開するのか想像出来ませんが。『動物のお医者さん』の菱沼さん的なテンションくらいは越えるんじゃないかとは思いますが。
2ちゃんでも「香也が萌えないのが欠点」的な意見が目立つようですが、いやいやどうして、漫画のキャラ的にはともかく、実際に存在したらなかなかのブツだと思いますよ香也は。肌とかしっとりしてるように見えるし、なんかこう味が深そうなんですよね(笑)。内面の複雑なコならではの。
まああの「目」でこちらの内部状態を観察されるのは結構しんどそうですが。予備知識があるなら率直に行けばいいだけのことですけど。
そういう駆け引き(?)の描写なんかもこれからあるんでしょうか。情けないことを言うようですが、出来れば処女設定にしてくれないとさすがにあのキャラでは騙されたような気になるかもしれないですけどね(笑)。”喪失”の瞬間の「目」的なレポートとかも欲しいですし。
ともかく小尻注意。
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2006年12月26日 (火) | 編集 |
![]() | 少女ファイト 1 (1) 日本橋 ヨヲコ (2006/07/21) 講談社 この商品の詳細を見る |
今号のイブニング。
いかん、一挙一動がツボにはまる。日本橋先生、結婚して下さい!
・・・・いや、今回の最終コマの「....フン」とか、天才的だと思いますね今更ですが。
「私は・・・・自分のプレーの個性をなくしたいです」
という大石練の天才ゆえの懊悩、魂の叫びを、「フン」の一言で受け流す監督。ありえねえ、けどありなんですね、あれでいいんですよ、通じてるんですよ。
一見無関心のようですが、興趣をそそられたからこそ「フン」というある意味では肉体的な反応を監督は示したわけで。そうじゃなければ無視するかサクサクと否定します。どのみちこうこうこうだとあの場で「解決」されても大石練は納得するわけない(監督も「答え」は持ってないでしょう)ので、あれでちゃんと練的には監督は受け止めてくれているという一定の安心感は得たはずです。
近いレベルどうしだから通じる話ですが。中学時代だったら疎外感ものでしょうが。黒曜谷に来て良かったね練。
作者的にはそんなに論理的なシーンではないと思いますけどね。注意深くはあっても直感的な、その分「スパルタ監督」の紋切り型には陥らないですんでいる描写。
ただし練の自分の”狂犬”性についての葛藤の具体的な内容に関しては、扱いを間違えると凄く陳腐になりそうで怖いですけどね。小田切ちゃんを筆頭に、現時点で十分に周りは良くしてくれている、理解して尊敬して扱ってくれているだけに、いつまで一人相撲とらせるわけにも。ガンダムから下ろされちゃいますよ。(笑)
その”良くしてくれている”もう一人の筆頭に天才トレーナーにして心の恋人式島シゲルがいるわけですが、彼の存在もまた非常にこの作品の興味深いポイントで。こんな高校生いるかよという異様に冷静で理性的なキャラで、うっかりすると出来杉クンになりそうですが。
いや、現在のところまではまだ十分に出来杉クンの危険を持っていると思いますが、キャラの由来自体は決して作話上の都合などではなく、前回書いた「”才能”というものへの特殊なこだわり」と恐らくは同根の、「理性」というものについての作者独自の感覚にあるのだと思います。
つまりほとんどのストーリーものにおいては、「理性」というのは非常に一面的に扱われる、言うなれば数学的理性も科学的理性も哲学的文学的宗教的....も全部ひっくるめて、要するに多くは主人公サイドの「感情」や「情熱」や「根性」の敵役もしくは引き立て役として存在を許されているに過ぎない。それらとのコントラストによる消極的定義しかなされていないというか。「理性」自体が持っている可能性や多様性や豊かさみたいなものは、滅多に省みられることはない。主体として考えられることはない。
ひと昔前まで『勧善懲悪』が素朴に受け入れられていたように、『勧情懲理』みたいなものが集団的無意識として存在しているということですかね。
小説ならたまに面白い描写がありますが、他のジャンルではなかなか説明上の困難もあってお約束以上のものになりにくいですね。例えば『スタートレック』シリーズなどでも、バルカン人の「理性」の扱いなんてのは陳腐きわまりなくて、正に”敵役”。理性が発達した人類=冷たくて杓子定規のパーソナリティじゃあちょっとね、SFとしては安直だと言わざるを得ません。まあ元のアイデアが随分古いので致し方ないですが。
多分作者は自然にあれを描いているので、特にシゲルのキャラが発展するようなことはないと思いますが、見てるとほっとします。人間に希望が持てます。(笑)
それも含めて、『少女ファイト』のキャラクターの多様さは驚くべきばかりで。ひたすら人物の内面を掘り進めて行く作風からは、むしろ「作者の分身だらけ」みたいになってもおかしくないところなんですが、天から降ったか地から湧いたか、全く違うソース、価値観をてんでに背負った大量のキャラたちが、それぞれにリアリティを持って存在しているのには感心します。(覚え切れないというのも現状ありますが・笑)
・・・・まあ、基本天才/エリートたちという前提はありますけどね、これも前回書いた通り。その部分が作者自身の投影部分にあたるんでしょうが。デフォルトでみんな少しずつ頭がいいし。ただ描き分けはほんと見事だと思います。
ああ、また1ヶ月後が楽しみ。
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2006年12月21日 (木) | 編集 |

モーニングの出ない木曜日。うう、寂寥感が。
というわけで、オープニングだけちらっと見て、なんかどっかの新人が書いた『恋風』みたいな寒さ身にしみるヤツだろうと素っ飛ばしてしばらく気が付かなかった、先週号の例の『Hotel』のBoichiさんの再登場作をばひといじり。
まあ率先して持ち上げた(新ブログに移植してます)責任上のフォローという意味合いが濃いですけど。
とりあえず、251ページのひとコマめの「ギイッ」という擬音は、行きがかり上仕方なく息子が母ちゃんとコトに及んだ描写だとそういう解釈でok?違うの?
だとすればまた随分淡白な扱いで。これだけで一本描けるじゃないですか。あんまり関わりあいになりたくないシーンなんで、これ以上突っ込みませんが(笑)。(この方面だけはちょっと厳しいっス、ワタシ)
全体的な印象としては、前作についてのコメント欄でオチョーさんが「人が出てこなくなってからが本当にすごかった」とおっしゃってた、その正に人が出てくる部分のみで構成された作品というそういう態かなと。物理的にもそうですが。悪くはないけど、ううーん。今日のディープは飛ばなかった。
やっぱちょっとウェットなんですかねえ、この人は。体質が。もうちょっと研ぎ澄まして欲しいような気がします。小ネタへの変な未練とか、無駄なエロ気とかも含めて、何かとっちらかってる感じ。二次情報(コメント欄参照)から色々と苦労、作家生活の危機的なものを経て今日のある人だというのが窺えますが、どうもそれで萎えてるというか八方顔色を窺う癖がついてしまっているというか。講談社で責任を持って保護と再訓練を与えてみてはどうでしょうという。
最初は「冷凍保存」の話かと思いました。例のアメリカで既に産業化されてる、不治の病の患者を未来の医療の進歩に託して先送りするというあれ。
むしろその方が話としては分かりやすいような気もしますけどね、倫理的葛藤も鮮明になるし。余計なお世話かもしれませんが。
まあその”ウェット”さ自体が必ずしも不評ではないみたいなので、もう一本くらいは読めそうですかね。そうしていただけると僕も。全体像が結び易い。まだ正直正体不明。
今作の範囲では、やはり佐藤マコトさん(『サトラレ』)の設定で話を転がす力は別格なんだなというそういう感想になってしまいますが。”SF”ってのは結局それだと思います。情緒そのもので引っ張るのはちょっと。
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2006年12月12日 (火) | 編集 |

今朝発売イブニングの新人。(藤沢とおる大賞)
面白い。つうか好き。
”好奇心少女、ミステリアス男子に接触”という担当さんのアオリコメントがなかなか的確だと思いましたが。
簡単に言うと、普通の共学高校を舞台とした、有名な猟奇/凶悪殺人犯たちを尊敬してその評伝を「偉人伝」と称して読み耽る男子『ネクラメガネ』”黒部”と、それに興味を持って強引に接近を図る容姿端麗成績優秀性格微妙な女子”浮風”との心の触れ合い(?)の話。
テーマは「率直」であることの美徳と高貴、かな。結構納得。
具体的な「率直」ポイントとしてはここら。
・法に触れることや他人の目を気にせず、自らの衝動を行動化する凶悪犯たちの率直さ。
・更に言えばそれらの行為の結果の見た目の残虐性・重大性を透かして、自らの行為の結果を冷静に観察・判断する犯人たちの透徹性。
・分からなくて気持ちが悪いから興味を持つ、そして興味があるから接近するというヒロイン浮風の行動原理の率直性。
・『自分が理解できないものを自分なりに理解するのが好きなの(はあと)』というそのヒロインの行動原理の明確な言語化と、そこから『そういう信念だから成績はいつもナンバーワンなんだね』とすなわちで繋げてみせる作者の思考過程の率直性。(笑)
・そうした率直さであらゆる価値観や思考をオープンに受け入れつつも、しかし黒部が”率直でない”自分の短所をはっきり自覚しつつかつ柔道黒帯の腕を隠し持ちながら、学校ではいじめられっぱなしに甘んじていることに対しては極めてオーソドックスに『根性なし』とキレてみせる浮風の反応の素直さ。
・自殺を特に否定はしないけど、『マニュアルなんか見て自殺したくないやいっ!』(浮風)。....これはちょい変奏曲か。雰囲気ものの発言。
色々と良いですね。(ヒロインを通して)愚かさや鈍さとは真逆の方向で「前向き」「ポジティヴ」を示すのに成功していること、成績が良いのは良いことだ、馬鹿にしたもんじゃないという教育正常化の為に重要な視点(笑)がサラリと入っていること。(4番目の項目)
・・・・いやあ、弱いコが苛められるのは勿論かわいそうですが、強い(立場の)コが苛められる方が事態としては深刻ですよね。
さて文句。
こうした率直礼賛の素敵な内容にあって、どうも迂遠な感じがしたのが主人公黒部が犯罪衝動を実行しない理由を説明した箇所。
(電車の中、目の前の”被害者候補”のOLを見て)
「ぐっすり寝てるなあ。よっぽど仕事お疲れなんだろうなあ。そんな忙しいと彼氏にもずっと会えないんだろうなあ」
「今日急にこの人が帰らなくなったらお父さんお母さん心配しちゃうだろうなあ。この人が殺されちゃったら両親すっごい悲しむだろうなあ」
などと色々理性的に考えてしまって実行には至らない(それが嫌だ)とそういう説明になっているわけですが、何かちょっと手ぬるい感じがします。
目の前の対象の具体性に躊躇うということは確かにあるでしょうが、その躊躇いの内容が「疲れてるからかわいそう」「両親が悲しむ」というのでは、どうも綺麗事過ぎて作品全体のトーンにそぐわないように思います。
「痛い/苦しいのがかわいそう」なら分かりますが、疲れてるかどうかなんてどうでもいいじゃないですか。これから死ぬんだし(笑)。同情の種類として一般的過ぎる。彼氏に会えないのがかわいそうなんて、そんなお人好しなことを考える奴がそもそも伝説的殺人犯に少しでも近付こうなんてのは間違い、(道徳や世間との)”葛藤”以前の問題でしょう。
「両親」が出て来るのはもっとイラつきました。それこそどうでもいい。今問題になってるのは正に自分自身自分個人の犯罪的衝動と、それに対する目の前の対象個人の具体的存在感のはずです。そこにおいて「両親」なんてのは不純物、善と悪のジハードに闖入してきた方向音痴のおのぼりさんです。まだそのOLが膝に抱いているバッグのブランドの方が関係ある。
どうなんでしょう、ここらへんは
1.作者門辺さんは”浮風”寄りの基本的には健全な人である。(もしくは特別に親子仲が良い)
2.逆に黒部よりも更にイッちゃってて、普通人の考える事慮る事は一生懸命想像しないと分からない、その結果が↑の一般的過ぎる内容である。
のどっちかかなとか思いますが。あるいは単に担当が分かってなくておせっかいだったか。
・・・・ところで冒頭の画像ですが、作品とは関係ありません(笑)。『門辺美沙』で検索したら出て来たものですが、どうもご本人のものみたいですね。漫画家デビュー前からネット上で(同人誌界で?)使っていたHN,PNそのままで今回載ったようで。
このブログのコメント欄も本人でしょうね。ふむ。こんなのまで検索で出て来るとはなんか怖い。
そっかあ、美沙ちゃん15歳かあ。(違)
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2006年11月17日 (金) | 編集 |
その1。
イブニング11/28号の『ZOOKEEPER』より。
主人公で動物園飼育員の”香也”は、「温度の変化を視認する」という特殊能力を持った女の子。その秘密を知る、上司である園長との会話。
ああ、これあるかも。僕がものがよく見える人かどうかは諸兄の判断に任せますが(笑)、少なくとも一度見てしまったらあることないことやたらめったら”感受”して、そこからまたとめどもなく連想・妄想が進んでしまう傾向があるのは確か。他人の影響も受けやすいし。
だから見る時以外は見ない。開く時以外は閉じる。
・・・・世の「ボケ」キャラの人には朗報?(笑)
ボケてんじゃないよ、自衛の為だよ。むしろ敏感なんだよ。
その2。
菊地秀行『魔人』第1部103ページより。
”学者”というのが具体的に誰を指しているのかは分かりません。(実在するのか?)
僕がインスパイアされたのは「前世」云々ではなくて太字の部分、「生まれ持った素質に対する環境の影響が顕在化するまでのタイムラグ」という概念。”ものごころ”つくまでの。
前世でも遺伝でも何でもいいですが引っくるめてある赤ん坊/子供が持つ「素質」と、それに対する母である”夫人”のそれを筆頭とする周囲の、現世の影響。
天使が人間になるまでの、受肉するまでのモラトリアム期間。
いいコだったのに、なれの果ては存外だなみたいな。(笑)
乳・幼児の脳は柔軟ですし、心の平安を守る為にも例えば手酷い扱いや有害な情報に曝されたとしても、ぎりぎりまではいいように解釈して世界からの悪意も世界への悪意も顕在化しないように収拾しようとする。
一度現実と正対してしまったら二度とは戻れませんが。
”環境の影響”を受け取るコップがあって、それが溢れるまではいくら注がれても表面的には何も起きてないように見える、みたいな。
ついにこぼれない、巨大な「コップ」を持った人もいるかも。
・・・・なんか菊地秀行は「ものごころ」を、”言葉が喋れるようになる”レベルのような早期の出来事に設定しているようにも読めるんですが。「自我」とか「人格」とか「思春期」的な話ではなく。
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イブニング11/28号の『ZOOKEEPER』より。
![]() | ZOOKEEPER 1 (1) 青木 幸子 (2006/09/22) 講談社 この商品の詳細を見る |
主人公で動物園飼育員の”香也”は、「温度の変化を視認する」という特殊能力を持った女の子。その秘密を知る、上司である園長との会話。
園長「それにしても・・・どうしてそうボーッとしてるのでしょうねえ。人よりよく見える目を持ってて、どうして物にぶつかるの?」
香也「クセで・・・物をよく見ないようにしてるので」
園長「何それ」
香也「真剣に何か見続けると、頭痛が起きるんです」
(香也退場)
園長「ふーん、物をよく見ないようにするクセね。(中略)あのボケた性格は必然か。あの人はあの年にして初めて、(仕事のために)対象を真剣に見る事を始めた・・・」
ああ、これあるかも。僕がものがよく見える人かどうかは諸兄の判断に任せますが(笑)、少なくとも一度見てしまったらあることないことやたらめったら”感受”して、そこからまたとめどもなく連想・妄想が進んでしまう傾向があるのは確か。他人の影響も受けやすいし。
だから見る時以外は見ない。開く時以外は閉じる。
・・・・世の「ボケ」キャラの人には朗報?(笑)
ボケてんじゃないよ、自衛の為だよ。むしろ敏感なんだよ。
その2。
菊地秀行『魔人』第1部103ページより。
![]() | 魔人〈第1部〉「眼醒め」 菊地 秀行 (1998/08) 光文社 この商品の詳細を見る |
檻のようなベビー・ベッドを覗き込み、夫人は何を夢見ているのかと考えた。
世の中のことなど何一つ理解し得ない赤ん坊にも、夢はあるのだろうか。
学者はある、いう。赤ん坊は母の胎内で、生まれる前の人生を夢見ているという。ものごころつくまで、彼は夫人の子供ではないのだ。
”学者”というのが具体的に誰を指しているのかは分かりません。(実在するのか?)
僕がインスパイアされたのは「前世」云々ではなくて太字の部分、「生まれ持った素質に対する環境の影響が顕在化するまでのタイムラグ」という概念。”ものごころ”つくまでの。
前世でも遺伝でも何でもいいですが引っくるめてある赤ん坊/子供が持つ「素質」と、それに対する母である”夫人”のそれを筆頭とする周囲の、現世の影響。
天使が人間になるまでの、受肉するまでのモラトリアム期間。
いいコだったのに、なれの果ては存外だなみたいな。(笑)
乳・幼児の脳は柔軟ですし、心の平安を守る為にも例えば手酷い扱いや有害な情報に曝されたとしても、ぎりぎりまではいいように解釈して世界からの悪意も世界への悪意も顕在化しないように収拾しようとする。
一度現実と正対してしまったら二度とは戻れませんが。
”環境の影響”を受け取るコップがあって、それが溢れるまではいくら注がれても表面的には何も起きてないように見える、みたいな。
ついにこぼれない、巨大な「コップ」を持った人もいるかも。
・・・・なんか菊地秀行は「ものごころ」を、”言葉が喋れるようになる”レベルのような早期の出来事に設定しているようにも読めるんですが。「自我」とか「人格」とか「思春期」的な話ではなく。
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2006年09月28日 (木) | 編集 |
![]() | 少女ファイト 1 (1) 日本橋 ヨヲコ (2006/07/21) 講談社 この商品の詳細を見る |
しかしまあ次から次へと。この世界は。驚かされるような人が。
別に手広く読んでいるわけでもないのに。石を投げれば天才に当たる?
隔週刊イブニングで隔号連載中(ややこしい)のバーレーボール漫画。要は月刊か。(笑)
ヒロインの高校入学時点で既にかなりテンション上がってたんですが、書くタイミング逃してました。と言っても見たところまだ展開的には序の口。ちゃんとケリつくんだろうかと少し心配。
最初は何だろうこの自虐的に暗いタッチは、絵は。どこに行きたいんだろうこの人はとか訝しく思ってましたが、のっけから立ち往生していた話が転がり出すにつれて、段々に本意が見えて来ました。
暗いのは基本的にデフォのようですね。別に悲観しているわけでも自虐しているわけでもない。「自虐自体がデフォ」という臭いも少しありますが。(笑)
要は「深い」から「暗い」という単純な話で。・・・・といっても特段価値判断ではなくて、井戸であれ、無意識であれ、光の届きにくい深いところを覗こうとすると暗いでしょ?というそういうことですが。最大の”デフォ”はその深いところを覗こうとする作者の姿勢か。
で、今回”覗か”れているのが何かというと、1つは勿論バレーボールですね。『少女ファイト』は極上のバレーボール漫画・・・・に、なるべくある漫画である。
僕自身はバレーボールには特別の興味も知識もないんですが、だからこそ逆にそれを感じます。つまり何だかよく分からないけど、バレーボールって凄く奥の深い、凄く面白いスポーツらしいという手応えが素人の僕にもビシビシ伝わって来る。特に「レシーブ」や「トス」という、俗には脇役視されるようなタイプのプレーにこめられたスキルやファンタジー、プレーのディテールが、震えるようなカッコ良さで伝わって来る。
実際はそれらは嘘なのかもしれません。カッコいいのは、面白いのは、「日本橋ヨヲコのバレー」なのかもしれません、僕には分かりませんが。多少大げさというか、超人球団的なタッチも感じなくはありませんし。どこが高校生だよ?コレというか。(笑)
まあでも、だからこそ”バレーボール漫画”として成功しているのは間違いないでしょう。少なくともここに一人、バレーボール自体への見る目が変わりつつある読者が一人いるわけですから。引き合いに出して悪いですが、例えば『キャプテン翼』を読んで、サッカー自体の面白さや凄さを予感したことは僕は一度もありませんでした。
そしてもう1つこの作品には大きな柱があって、それはジャンルにかかわらず、才能というものそのものへの興味ですね。直接的には勿論バレーボールの才能であり、後は副主人公格の整骨院の跡取り息子のマッサー/トレーナーとしての”才能”というのが今のところ作中に出て来たものですが、そうした具体例の向こうに、才能やそれを持って生まれた人間たち(の内面)への果てしなく”深い”(↑)興味を感じる。
作品自体の世界観の中心に既に才能というものの絶対性、非情さ、容赦のなさ、あるいは崇高さのようなものが前提として置かれていて、それらと日々直面して暮らしている恐らくは現実にもそうなのであろう、学生スポーツのスポーツエリートたちの我々とは一線を画した生活感が一方のテーマとして存在している。
かなりエリート主義的で殺伐とした世界で、それが冒頭述べた”暗さ”の一因でもあるのでしょうが、それが放置されているのはお高くとまっているのではなくて、作者の探求心の性急さや純度の高さによるのだと思います。
僕は未読の日本橋さんの前作『G戦場ヘブンズドア』なんかも正に”才能”や”創作”という特別なものや特別なプロセスを、特別な情熱と特別な細かさで追った作品みたいですし、そういう人なんでしょう。
かなり異様ですがすっげえ面白いです。これからも好きにやって行くとこまで行って下さい。
・・・・ただしキャラはこれ以上濃くすると本当に『アストロ』か『リンかけ』になってしまいそうなので、気を付けた方がいいと思います(笑)。スポーツものだけに。
『G戦』も読もうっと。
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2006年08月09日 (水) | 編集 |
(その1)
それはそれとして今回、あるいは(あって欲しい)今後に向けて僕が気になった点を具体的に。
新キャラ”天野”(天の邪鬼)の造型について
基本的には魅力的でしたし(女性としても)、描かされてる感もない、確かに古林さんの中から出て来た実感のあるいいキャラだったと思います。
余談っぽくなりますが、古林さんの世界というのはいかにものんびり淡く出来ているようで、実は”いい人”というのがほとんど一人も出て来ない、どこもかしこも”天の邪鬼”だらけみたいな世界だと思うんですよね。当のみのりちゃんだって、不幸でボケてるだけで、よく見れば結構うっとうしくて嫌な女ですから。(笑)
恐らく体質的に古林さんは”いい人”も”悪い人”も描けない人なんじゃないかと思うんですが。
そこからするとむしろ天野は、珍しく良心や使命感をめぐって「葛藤」したりする変にいい人というか人間的なところがあって、使いようによっては面白いと思いますが、ちょっとストーリー/基本企画上、(某北の独裁国家の特殊工作員という)”背景”がしっかりし過ぎていて苦しく感じました。
どんな奇天烈な人や妖怪変化が出て来ても構わないですが、それらがあるようなないような根拠・背景で存在し、からみあうのが『米吐き娘』の世界観で、そこらへん最後まで上手く消化し切れてないように感じました。人間・妖怪問わず、『米吐き』の登場人物に相応しいのは「類型」や「縁起」であって、下手に具体的な事情を絡めると逆に現実感が薄くなるような気がします。
『米吐き娘』は妖怪漫画か
前項とも関係して。違う、あるいはそうしてはいけないと僕は思います。
そうではなくて、妖怪と人間、怪異や神話と日常が、最低限の説明で無節操に共存・接続する面白さ、そして怖さが『米吐き娘』なのではないかと。
・・・・いや、実際見ようによっては結構怖いと思うんですよ、『米吐き』は。のほほんとした見てくれに騙されて油断してると、作者すら意図しない内に(笑)不意に異界の扉が開きます。古林さんの絵ってうまいへた以前にとても変です。子供に見せたら悪い夢を見ると思います。
話戻してともかく見たいのは妖怪と妖怪の丁々発止・・・・ではなくて、妖怪と人間、もっと言えば妖怪”たち”と人間”たち”の、しかも必ずしも”陣営”には分かれないある意味平面的なからみ。そこからの違和感とそのなし崩し的な収拾。
結局初期型が好きだと言っているだけみたいなところもありますが(笑)。でもあれはあれで実は完成された世界で、だからそこから改めて何かを生もうとか動かそうとした時に、ところでどうしたらいいんだろうという難しさがあったりするのかもしれません。
(まとめ)
ある種『番外編』『企画もの』という趣もある今回の”天の邪鬼”編の成功不成功というのは、結局のところ結末で予感させられているような天野を加えた本編、『日常編』がいかに機能するか、実現するかにかかっているのではないかと、まとめとしてはそんな感じがいいでしょうか。その為にも是非、編集部様。(笑)
まあ今回改めてマイペースであってこそという古林さんの資質は明らかになったように僕には思えるので、今後はいかにまずは多少やらされた/追いまくられた感のあった今回の作業を古林さんが整理・消化するか。そして究極的にはいかにおいそれと誰も口出しできないような密度まで”マイペース””世界観”を煮詰めるか、結晶化させるか。外野的にはそう思います。
自分を信じて、もっと厚かましくなって下さい、古林さん。(笑)
根っ子は随分頑固な人にも見えるんですけどね。足りないのは理論武装か。
現在は弱気モードのど真ん中の模様ですが(笑)、めげずに今後のご活躍を期待します。
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それはそれとして今回、あるいは(あって欲しい)今後に向けて僕が気になった点を具体的に。
新キャラ”天野”(天の邪鬼)の造型について
基本的には魅力的でしたし(女性としても)、描かされてる感もない、確かに古林さんの中から出て来た実感のあるいいキャラだったと思います。
余談っぽくなりますが、古林さんの世界というのはいかにものんびり淡く出来ているようで、実は”いい人”というのがほとんど一人も出て来ない、どこもかしこも”天の邪鬼”だらけみたいな世界だと思うんですよね。当のみのりちゃんだって、不幸でボケてるだけで、よく見れば結構うっとうしくて嫌な女ですから。(笑)
恐らく体質的に古林さんは”いい人”も”悪い人”も描けない人なんじゃないかと思うんですが。
そこからするとむしろ天野は、珍しく良心や使命感をめぐって「葛藤」したりする変にいい人というか人間的なところがあって、使いようによっては面白いと思いますが、ちょっとストーリー/基本企画上、(某北の独裁国家の特殊工作員という)”背景”がしっかりし過ぎていて苦しく感じました。
どんな奇天烈な人や妖怪変化が出て来ても構わないですが、それらがあるようなないような根拠・背景で存在し、からみあうのが『米吐き娘』の世界観で、そこらへん最後まで上手く消化し切れてないように感じました。人間・妖怪問わず、『米吐き』の登場人物に相応しいのは「類型」や「縁起」であって、下手に具体的な事情を絡めると逆に現実感が薄くなるような気がします。
『米吐き娘』は妖怪漫画か
前項とも関係して。違う、あるいはそうしてはいけないと僕は思います。
そうではなくて、妖怪と人間、怪異や神話と日常が、最低限の説明で無節操に共存・接続する面白さ、そして怖さが『米吐き娘』なのではないかと。
・・・・いや、実際見ようによっては結構怖いと思うんですよ、『米吐き』は。のほほんとした見てくれに騙されて油断してると、作者すら意図しない内に(笑)不意に異界の扉が開きます。古林さんの絵ってうまいへた以前にとても変です。子供に見せたら悪い夢を見ると思います。
話戻してともかく見たいのは妖怪と妖怪の丁々発止・・・・ではなくて、妖怪と人間、もっと言えば妖怪”たち”と人間”たち”の、しかも必ずしも”陣営”には分かれないある意味平面的なからみ。そこからの違和感とそのなし崩し的な収拾。
結局初期型が好きだと言っているだけみたいなところもありますが(笑)。でもあれはあれで実は完成された世界で、だからそこから改めて何かを生もうとか動かそうとした時に、ところでどうしたらいいんだろうという難しさがあったりするのかもしれません。
(まとめ)
ある種『番外編』『企画もの』という趣もある今回の”天の邪鬼”編の成功不成功というのは、結局のところ結末で予感させられているような天野を加えた本編、『日常編』がいかに機能するか、実現するかにかかっているのではないかと、まとめとしてはそんな感じがいいでしょうか。その為にも是非、編集部様。(笑)
まあ今回改めてマイペースであってこそという古林さんの資質は明らかになったように僕には思えるので、今後はいかにまずは多少やらされた/追いまくられた感のあった今回の作業を古林さんが整理・消化するか。そして究極的にはいかにおいそれと誰も口出しできないような密度まで”マイペース””世界観”を煮詰めるか、結晶化させるか。外野的にはそう思います。
自分を信じて、もっと厚かましくなって下さい、古林さん。(笑)
根っ子は随分頑固な人にも見えるんですけどね。足りないのは理論武装か。
現在は弱気モードのど真ん中の模様ですが(笑)、めげずに今後のご活躍を期待します。
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2006年08月09日 (水) | 編集 |
![]() | 米吐き娘 1 (1) 古林 海月 (2005/01/21) 講談社 この商品の詳細を見る |
なんか観察日記みたいですが。(笑) 参考1,2
今週発売号のイブニングをもって、短期集中全3回の連載終了。
作者HP上で長きに渡る編集部との公開バトル(?)を観覧させて頂いていたせいもあるでしょうが、全体的な印象としては、なるほどこれは今回は編集部主導だなというのがやはり強く残りました。良くも悪くもダンドリ(娘)が先に立っていて、親切というか、普通というか、そうなろうという努力が感じられるというか。
より感覚的に言うと、過去の『米吐き』が丸っこくてブヨブヨゲル状で、どちらかというと受け身に気付くか気付かないかのギリギリの遠慮深さで読者をさし招いている感じだったのが、今回のはより輪郭がカクカクしていて、かつノボリや煽りをやや慣れない手付きでそれでも目一杯に立てて、さあお客さん御覧になってって下さい、ここと、ここと、ここがこういう風に売りですよとアピールに努めているというそういう感じ。
正直ちょっと慌ただしかったかなと言うのが僕はあります。
恐らく長さ的にも多少ギリギリの部分があったのかなと思いますが、それ以上に何かいつもそわそわとエピソードの「進行」や「消化」に追いまくられて&それに付き合わされているような感覚があって、落ち着いて『米吐き』時間を楽しめなかったところがあります。仕事の心配をしながらやるRPGみたいというか。
なんかね、とにかく「説明」をしなくちゃと一生懸命なわけですが、ぷっちゃけ『米吐き娘』って、どう転んでも「内容」を「説明」されてそれで感心を誘うようなタイプの作品ではないと思うんですけどね。問題なのは”効率”ではなくて”効果”だろうというか。話を進めてる暇があったら世界を掘り下げるべきだろうというか。
ここらへん、作者日記からうかがえる、何度かの根本的な書き直しを含む無数の駄目出しの挙句にこれがいい、これでいいんだと納得しているとすれば、ちょっと編集部の見識を疑う部分がある・・・・と、まさか古林さんは思っても言えないでしょうから(笑)僕は言っておきます。
・・・・ただHPの掲示板やら、古林さんが編集部に見せてもらった読者アンケート(8/3の日記)からすると、特に違和感を感じない人や新しくその奇妙な世界(ここ大事)に魅せられる人も少なからずいるようなので、恐らく僕のような視点は今回はあまり本質的ではないのかもしれません。
特に後者の新規客の反応は重要でしょうね。新たな広がりを見せるかと言うことと、これくらいの”濃度”でも十分にインパクトを与えられるかということと。
与えられる、あるいはこれくらいでいいんだというのが編集部の判断なのかもしれません。振り返ると言わば”初期型”の『米吐き娘』というのは、いわゆる「高度な」タイプの作品ではない、(僕は特に気にしたことはないですが)むしろ稚拙という風評の方が目立つ(笑)作品であるにもかかわらず、妙にマニア受けというか、ハイブロウな読者ほどニタニタ笑って楽しめるような傾向のある作品でしたから。ちょっと扱いに困っていた部分もあったのかもしれません。
(その2につづく)
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