ヴェルディ、代表、グラドル、漫画、アニメ、等
ラブコメとしての『じゃじゃグル』
2006年07月20日 (木) | 編集 |
じゃじゃ馬グルーミンUP 19 (19) じゃじゃ馬グルーミンUP 19 (19)
ゆうき まさみ (1999/07)
小学館

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(競馬編へ)
そんなに「コメ」の要素は強くないと思いますが、通りがいいので。
”美人4姉妹の家に居候”という初期設定はいかにも来るぞ来るぞ、男の妄想モノだぞというたたずまいでしたし(笑)。そういえば最初にこれを僕に読ませたマンガ友達は、競馬マンガを隠れ蓑に僕のラブコメアレルギー(当時)を治療してやろうという目論見があったそうです。見事的中!(笑)

リアルタイムで読んでいた連載中(単行本のみ)は、主人公(駿平)と本命のコ(ひびき)の18巻での恋の成就、19巻での初Hあたりでなんか引いてしまって、以降は割りと義理で買っていただけだったんですが、そこから結局26巻まで続いている。しかも最後は急ぎ足で結構無理矢理畳んでいるし。
つまり・・・・長いよねコレという。よく考えると。

重ねてつまり、普通ラブコメ/恋愛ストーリーというのは『成就にいたるまでの山あり谷あり』を手を変え品を変え、気を持たせて引っ張ることを本義としているわけで、”成就”と”その後”についてはよっぽど外的な大事件のような無理矢理の変転を持ち込まないと描くことがないわけです。おとぎ話流に言えば、「それからずーっと二人は幸せに暮らしましたとさ」、ちゃんちゃんというのがやむを得ない対処となる。(笑)

それを『じゃじゃグル』は基本的にそれまでと同じペース/タッチで”成就”と”その後”についても描き続けて、最終的にはやろうと思えばそのままいつまでも続けていけそうなそういう新たな構造の日常性に一応は到達している。
・・・・いや、実際”成就”しちゃったのは結構びっくりしましたね当時。これからどうするんだろう、終わるの?という。(笑)


最初からそういうつもりだったかについては微妙だと思います。冒頭のいかにもあざとい「設定」なども、むしろ”成就”を遠ざけてそれまでのあれやこれやを賑やかにするためのネタの仕込みというニュアンスの方を強く感じますし。
ただ少なくともある時点でゆうきさんが”成就”と”その後”を正面から描き切ろうと決意して、明確な意図のもとに描いていたのは確かだと思います。それがラブコメとしての『じゃじゃグル』の価値というか特異性というか。

それが「成功」だったのかというのは難しいところですが。単純に「不成功」ということはないと思います、世界観は破綻していませんし、ともかくやり切ったわけですから。ただそれで「面白く」(楽しく)なったかというとそれは何とも。
つまり上に書いたように、事実として僕は引いてしまったわけです。テンションが落ちてしまった。今回改めて特に期待の無い状態で読み返して(案の定後半の内容はほとんど記憶に無かった)、ようやく作品の意義、作者の野心に気付いて賛嘆の念は覚えましたが。

(つづく)

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ゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミンUp!』
2006年07月19日 (水) | 編集 |
じゃじゃ馬グルーミンUP 1 (1) じゃじゃ馬グルーミンUP 1 (1)
ゆうき まさみ (1995/03)
小学館

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本当は極楽山本不祥事/解雇の件で気もそぞろなんですが、かといってそれについて何か書く材料があるわけでもないので。
単なる”淫行”なの?それとも”暴行”なの?まずそこらへんきっちりしてもらいたい。(まあ”淫行”だけでも解雇事由としては十分なんでしょうか。)

『究極超人あ〜る』『機動警察パトレイバー』の名手ゆうきまさみによる、本格競馬マンガ兼王道ラブコメマンガ。1994年連載開始。
いいかげん書棚が手狭になって来たので売ろうかなと名残りの一読を始めてみたら、面白くて止まらなくて結局売れなくなっちゃいました(笑)。そうかあ、JRA馬事文化賞は取れなかったのかあ。残念。


競馬漫画としての『じゃじゃグル』

ゆうきまさみの競馬歴自体は昭和45年タニノムーティエの皐月賞に遡る(26巻より)ということですから結構なキャリアなわけですが、そこはゆうきまさみのこと、すっきりさっぱり”現代”を感じさせる、それでいて王道サラブレッドロマンもしっかり押えた絶妙なバランスの作りになっていると思います。

こういう各世代各立場に向ける公平な視線というのは、ゆうきまさみ一流の美点として代表作『パトレイバー』などでも随所に見られるものですね。
いつかの「アニメ夜話」によると”同人/オタク世代”出身のパイオニア的な存在ということですが、それでいてこのオープンさ、世界観の立体感、やはり一つ抜けた人だと思います。オタクの気持ちを十分にわかりつつ「社会」や「大人」を書ける珍しい人。

話戻して競馬漫画としての『じゃじゃグル』ですが、読んでて思うのは馬産や競馬人気質やレースの駆け引きなど、現実の競馬のリアリティを説得力を持って描写しつつ、同時に”ダビスタ”以降の(僕ら)ヴァーチャルで現代的な競馬ファンの感覚もこれまた痛切なまでに理解して表現出来ていることです。
・・・・まあ、多分ゆうきまさみ本人の中でもこの二つが分かち難く存在して、要するに”当事者”としてこれを書いているんでしょうが、その進行形の変容・結実を対象化する迅速さ明確さがいかにもこの人らしいなという感じ。すっきりさっぱりしてるんですよねとにかく。IQ高そ。(笑)

色々ありますがとりあえず主人公格の馬”ストライクイーグル”号の設定、競走人生がかえすがえすも秀逸だと思います。「あるある」「いるいる」「ああいかにも」という嘆声が、現実の競馬目線でもダビスタ目線でも、同時に矛盾なく漏れるのが不思議。
ポイントを列挙すると
・アンバーシャダイ(作中では”ダイゴアンバー”)産駒のステイヤーという「一昔前の良血」「微妙に時代遅れの”大器”」という負け犬(馬?)設定で、まずは王道ロマンティシズム/判官贔屓を押える。
・しかし本当の負け犬ではなく、軽快さこそ欠けるが広い意味でのスピード、潜在的な爆発力は十分に持つ。これは読者が競馬を知っていればいるほど深く魅力を感じられる部分。
・また「一昔前」とはいえ、アンバーシャダイ/ノーザンテースト/ノーザンダンサーという血統自体に、確かに、(当時的に)未だに、そういう潜在力&特質が存在するのは競馬的事実。決して主人公贔屓のご都合主義ではない。(これは更に通向けの味か。)
・虚弱なわけではないが不器用でかつ爆発力がある馬が、その能力を”爆発”させた時に往々にして故障を発生させてしまうのも、リアリティがある。
・競走成績もいちいちあるあるネタで楽しい。期待に応えるようで応えない、駄目かと思うと結構いい。ポイントポイントでクライマックスを作りつつ、”出世物語”に単純化はさせない程度に抑える。モデルはカミノクレッセとマヤノトップガンだとか。

・・・・最後の項目グダグダですみません(笑)。途中までいちいち書いてみたんですが、キリがないのとどうせ分かる人は説明しないでも分かるし分からない人にはいくら説明しても分からない類のことなので、結論だけでいいかと。
結局菊花賞、JC、春天、有馬とGI4つも獲っていて、多少現実のこのタイプの馬としては勝ち過ぎかなという気はしないでもありません。どちらかというとターボファイルや特殊育成なしで育てたダビスタの”超”まではつかない実力馬っぽい戦績かなという感じがします。牧場的には秋天獲って欲しかったんだけど、獲りそこないやがってこのバカみたいな。(笑)

ラブコメ編につづく)

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ついでに『BASTARD!』24巻雑感
2006年07月12日 (水) | 編集 |
BASTARD 24―暗黒の破壊神 (24) BASTARD 24―暗黒の破壊神 (24)
萩原 一至 (2006/07/04)
集英社

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買う前にアマゾンのレビューを読んで、みんな辛口だなあ、出るだけマシじゃないかと思ってましたが、なるほどこの読後感は脱力する。(笑)
2年待ってこれだけ?どうすりゃいいのこっちはという。
内容的には(『BASTARD!!』基準では)特に問題はないですし、単に出版ペースが遅いだけで実は作中時間的には決して言われるほど”展開が遅い”わけではないと思うんですけどね。


ご多聞に漏れず僕もすっかりストーリーを忘れていたので、1巻から読み返してみましたが。
うん、やっぱり面白いことは面白い。何回読んでも楽しめるシーンが沢山ある。

読み返してて気が付いたのは、余人は知らず僕にとってのこの漫画は、”萌え”というセンスの洗礼を最初に浴びせてくれた作品だったのだなあということ。どうして自分はルーシェ・レンレンのように生まれなかったんだろうと、かつては日がな鏡を見ながら嘆いたものです。(嘘)

キャラ的には他にアーシェス・ネイとかガブリエルとかがお気に入りですが、誰ということではないポイントとしては「んー」とか「じー」とか「パチクリ」とか、凝視や静止を特徴とする描写のしかたに独特の色気(とエロ気)のある人だと思います。・・・・まじめに効きますよこれ男にも女にも(笑)。”熱く”は見つめないで適度に空っぽになるのがコツですね。

最新24巻でもホビットの「あにゃー」とかは分かっていてもやられるポイントですね。単に狙いというだけではなくて、作者が心底こういうのが好きなのが伝わって来るのがいいんだと思います。


つまり・・・・何かと「絵」へのこだわりで語られがちな人ですが、実際には絵そのものというよりそれによって構成される「シーン」へのこだわり・愛を中心に描いている人なんだと思いますね。見せたいシーンがある。描きたいシーンがある。積極的な注意が及ぶのはせいぜいシークエンスかエピソードというレベルで、それで全体/ストーリーというようなレベルが掴み所がなくなる。

「風呂敷を畳めなくなっている」という評価があるようですが、それはどうでしょう。僕が見るに神智学系のうんちくや”神”や”善悪”についての諸観念は、ある意味”萌え”シーン同様に作者のフェティッシュの対象で、つまりは全然楽しんでアイデアの枯れることなくやれていると思います。ただ実現・完成する為の作業的な負担が大きくなっているだけで。(笑)

言ってみればそもそも「風呂敷」側からものを見ていない人なので、存在するのは”畳む”ストレスではなくて、あれもこれもと描きたいディテールをどう一つの作品の中で出番を与えていくかという方。
複数のエピソードが出たり入ったりしてるのも、壮大な計画があるというよりはその時その時衝動の強い方を描いているというだけなんじゃないかなと。あるいは同じことですがしっくり来ない、フレッシュじゃないものは後回しにしている。

勿論さすがにこれだけ延々描いているといいかげん本人もうんざりしている部分はあるでしょうが、「ストーリーを続けている」ではなく、「描きたいシーン/ディテールがあるからそれを描いている」と感じさせてくれる内はまだまだ大丈夫かなと思います。・・・・発表の場が確保出来るならば。(笑)
古林海月先生名言集
2006年07月11日 (火) | 編集 |
米吐き娘 1 (1) 米吐き娘 1 (1)
古林 海月 (2005/01/21)
講談社

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『米吐き娘』復活(講談社「イブニング」7/11発売号より全3回)記念。
ご本人ホームページ日記より。

2004.1.25
ウニフラッシュに熱中して8個も描いてしまいました。ふきだし一個描くのに1時間位かかるものの、画像データとして保存しておけば「ぺっ」と一発で貼り付けられます。
楽をするための苦労は楽しいです。
2004.4.23
編集長の鶴の一声で、第2回以降を別の形に描き直すことになりました。
やっぱりな、という気持ちと、今までのネームはどうなるんだという恨みがましい気持ちが半々です。
カーペットの下に隠れたくなりますが、そうも言っていられないのでプロットを練り直しています。
2004.5.13
第2回のネームがやっと編集長からOKをもらえました。「もっと妖怪を出すように」と言われたので、当初は普通の人間だった人が妖怪になってしまいました。
可愛がって育てたにわとりを自分の手で唐揚げにするような心境ですが、ちゃんと食べないと化けて出そうです。
2004.9.13
担当さんのネームについての指摘は、改善された点があればそれをほめることから始まります。次に「ただ…」と直すべき箇所について話されます。
毎度のことなのでほめられてもその後の指摘に身構えてしまい、喜びを素直に表現できないのでした。

2005.3.22
まだキャラクターデザインのOKが出ず、返事を聞いて思わず人魂を飛ばしそうになりました。
2005.8.26
連載再開に向けて約3か月で作ったネームを、リセットして描き直しています。
登山で言うと、いくらか登ったところで雪崩が起きてふもとまで押し流された感じです。
生き埋めにならなかっただけ良しとして、自分に負けないようがんばります。
2005.8.29
なかなか通らないネームを嫌がらせのように送っています。
BGMは津軽海峡冬景色です。
(注・着てはもらえぬ セーターを 涙こらえて 編んでます〜)

2006.2.7
ネームのことで担当さんから指摘されました。
「全部、ことなきを得ていますね。古林さんの癖かもしれません」とのこと。
確かに、物語を盛り上げるために主人公をわざと窮地に陥れるのが苦手です。安定志向です。リポビタンDのCMみたいな日常を送りたくありません。
火中の栗を拾うより、冷たいみかんを食べたいです。
2006.3.19
2話目のネームの、修正12回目を直しています。前回の打ち合わせでまた伏線や設定を軌道修正することになりました。壮大なテーマの感動巨編スペクタクルにしたいわけではないのに、なぜこんなに難航するのか...
ちょっと川に洗濯に行ったはずが、うっかり海に流されてしまったような気分です。


こんな愉快な古林先生の作品が読めるのはイブニングだけ!今すぐ書店・コンビニにGOだ!(笑)
・・・・こういう苦労の結果生まれて来るのがああいうものだというのが創作の神秘ですね(?)。細かい感想とかは3回終わってからゆっくり。(とりあえずさっさと2巻出して下さい講談社様)

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せっかくなので『ドラゴン桜』について
2006年06月30日 (金) | 編集 |
ちなみにドラマは見ていません。特に好きな作品というわけでもないですし。(今更?)
作中で言われていることはあらかた賛成できますし、少なくともあの文脈においては正しいと思いますが、やっていることはありていに言って洗脳ですよね、どう見ても。
大沢クンという、”洗”うまでもない優れた実例の存在がなかったら、結構嫌な感じかも。

ただそれが問題になってしまうのは、大学受験前の1年間というある特定の期間に、桜木という特定のカリスマから集中的に「教え」を注ぎ込まれてしまうからで、ああいう社会や人生についてのリアリティや一面の”真実”について、それが「家庭の教育」を筆頭とするもっと社会の多様で日常的な局面において、また子供の成長過程全体を通して諄諄と浸透して行ったなら、万々歳というかむしろ健康そのものというか。
この作品に寄せられた現役学生たちからの支持も、要するに「こんなこと誰も教えてくれなかった!」ということなのでしょうし。


ちなみに僕も文系得意科目なら軽く『宇宙人』入っていたかもしれない立派な(?)元受験秀才ですが、『ドラゴン桜』流の実践度は6,7割くらいでしょうか。・・・・別に意識してやっていたわけではないですが、大沢クンを見ていれば分かるように。やれと言われたらやらなかったかも、反抗的という意味では矢島なんて問題になりません。(笑)
具体的には「いかに楽をするか、努力をしないか」に常に知恵を絞っていたこととか、試験時間の戦略的な使い方とかはかなり自信がありました。練習より本番に強いタイプ。

ただ逆に桜木に駄目出しされるだろうなという面も沢山あって、前回挙げた12巻で言えば『私立文系頭』という指摘はかなり痛かったですね。実際に入ったのが私立文系だったのはほぼたまたまですが、確かに東大タイプではないです僕は。

(当面橋の見当たらない川を渡らなければならない時)
桜木
「一方(私文タイプ)は橋や船を探して遠回りするのは面倒臭い(から自力で渡る)」
「一方(東大タイプ)は川に入って自力で渡るのは面倒臭い(から橋や船を探す)」
「この両者の違いは情報の大切さを認識しているかだ」


桜木
「そういう場合、東大出たやつは違う。彼らは自分で新たに考えることが面倒臭いのだ。だから人が既に考えていて効果のあるものを探し、それを利用した方が楽で効率的だと考えるんだ。(そのために調べる)」
桜木
「昔からずっと生き残っているもの、それは優れたものに違いない。そう信じて後は何の疑いも持たない。」
桜木
「それを元に型を作り、出来た型に課題を次々に当てはめて処理していく。そして数をこなしていくうちに自分にあったやり方、オリジナルへと進化させていく。こうやって”自分流のルール”を作っていくんだ。」
桜木
「それなのにお前ら(私文タイプ)は自分自身の頭で考えるといって、何の型もないところからスタートしようとする。だから全然先に進まずに時間だけ無駄に食って、いつまでも形が見えて来ない。結局のところ、自分で考えてるということは何も考えてないということなんだよ。」


・・・・キーッ、やな奴桜木。死ね、死ね、死んでしまえ。
でもその通りだと思いますね。考えてる暇があったら調べるべきです、「社会性」を養う上でも。増してやネット時代ですし。
勿論ことはそう単純じゃないという反論は出来ますし、『私立文系頭』なりの(笑)対案の用意もありますが、それは本題とずれるのでちょっと。


結論は・・・・どうしましょ。「小さな桜木」や「色々な桜木」が要所要所にチョイチョイいるのが、子供が成長する上で良い社会だということでしょうか。集中しちゃうと危険ですが、親を筆頭に一人一人の大人がそれぞれにちゃんと部分的に「真理」を持っていて、それでもって自信を持って子供に立ち塞がってくれる。
選ぶにしろ反抗するにしろ乗り越えるにしろ、叩き台自体があんまりグラグラしてたり逃げ腰だったり、借り物のハリボテだったりでは話にならない。大人がちゃんと大人でいてくれないと子供は辛いです。

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Boichi「HOTEL」続報
2006年06月05日 (月) | 編集 |
この前出した救援要請に応えて下さった韓国の方がいらしたので(”お願い(2006-05-25)”)、報告します。
リンク元掲示板の投稿内容はこうだそうです。ちょっと長いですが。

投稿者: pot00
タイトル: BOICHIさん、少しずつ慣れていくようです…

実は、個人的に良い思い出も、良くない思い出もある作家さんです。
私は創始期の彼の雑誌デビュー作から注目したし、彼がいくつの短編を描いて新しい試みを描く時、彼を大きく応援したし、 PC通信の同好会時代の彼も知ってます.

しかし, その後 彼と私との考えの違いは本当にあまりにも大きかったし 個人的には彼がいくつかの問題に対して '正しい事実'が分かったら、彼が違う作品をしたんじゃないかという考えもあって。
関係人の多くの証言を通じて, 多くの良くない話を聞いたし。

いわゆる自意識過剰だと言うんですか?
そのまま自然にすれば良い事を、すごい意味を付与する… そんな感じで彼の作品を読んだんです。
(私は彼の絵に対してもあまり同意してないです)

そうした彼が日本でそれも仮名でポルノ雑誌にデビューしたという事実が分かりました。
私が読んだ彼の掲載物はポルノとしてちょっと不足だと感じました。
事実, 惜しいという考えでした。
ちょっとよく育てれば良かった人がこんなにつけられるか思ったが…

意外にポルノ雑誌をすり抜けて来て善戦しますね。
今年初に少年画譜社ヤングキングで連載を取ったようだし….(短期連載なのか分からないが…)
最近モーニング(モーニングは講談社の主力雑誌中の一つです。 バガボンドが連載されて、昔に'ファン・ミナ'のマンガが連載された雑誌ですよ)に連載した 'hotel'という短編がすごく良い評価を受けたようです。

彼が昔に好きだったSFを描いたようですね。
'久しぶりにSFに大作が出た'というマンガファンの称賛が本当にすごいですね。
http://www.shinshu.fm/MHz/67.39/archives/0000126330.html
そういえば, いつのまにか自分のホームページも作りましたね。
もうあまり隠したい気もないようです。 (別途のリンクはしないです。 自然に分かることができます)

しかしやっぱり自分の名前を正式で明らかにしなかったようですね。
事実、ある程彼が彼の弱点でもある'自意識過剰'を乗り越えたのか作品を実際に見てないので判断しにくいです。 ただ圧縮しなければならない短編の特性の上、主題が強く彼のスタイルがむしろ良いことがあって、今までもそうでした。日本でも現在としては新鮮ではないでしょうか。

ただし、この前にも同じく話したように、彼が真の話師としての作家的力量を見せたいのなら、
結局は長編で勝負しなければならないし、あの時も彼の強い意識が日本で受け入れられるか知りたいです。

最後に
ぜひ日本ではマンガより文の先に進む人にならないことと、 韓国でそうだったように日本でもぶつかりながら戦う姿を見せてくれたらと思う矛盾した希望を持って見ます。


・・・・なるほど、韓国では”幻の天才”みたいなそんな感じの存在みたいですね。それが日本で再起を図っていると。「ネームにこだわり過ぎて漫画の枠を逸脱してしまう」みたいなタイプなのかな、文面からすると。ヤングキングは見たことがないのでその前のは知りません。
人物の絵に妙な湿り気を感じたのも、ポルノ経験という前歴で何となく納得。(笑)

『ひまわりっ”健一レジェンド”』東村アキコ
2006年06月01日 (木) | 編集 |
ひまわりっ~健一レジェンド~ 1 (1) ひまわりっ~健一レジェンド~ 1 (1)
東村 アキコ (2006/05/23)
講談社

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そろそろ取り上げときますか。今週モーニング初巻頭カラーだし。

すんごく書きたいんだけどどう書いていいのかさっぱり分かりません。とりあえずは危うし!米吐き娘という感じでしょうか。
・・・・いや、でもホント掲載誌違って(米吐きはイブニング)良かったですね古林さん。(笑)

共通点としては覇気のない絵と”シュール”と言ってしまっては逆に堅苦しいくらいの底無しの脱力感と。でも表面に出ているのは怖いもの知らずと言っていいような弾けたお馬鹿ぶり。
恐らく『ひまわりっ』の方が吹っ切れているというかより本質に近い部分が”お馬鹿”にあって、『米吐き』の方は脱力の底無し沼に沈んで行きそうなのをお馬鹿を命綱に吊り支えているというそんな感じなんじゃないかと思いますが。

ともかくどちらも駄目な人壊れた人たちが、駄目なまま壊れたままでも元気に、むしろ優しく日常に受け入れられながら生きているそんな世界。
何せ舞台はそれぞれ「会社」と「役所」ですからね、日常もいいとこ、社会もいいとこ。間違いなく世間はこんなに甘くないですが、でもこれらの漫画から伝わって来る「みんな、生きてていいんだ」というほのかなメッセージ性が僕は大好きです。

・・・・むしろ世間の方が間違ってるんですよ。これは「現実逃避」ではなくて、「長々と続く悪夢からの束の間の覚醒」なんです。現実性を測る基準は長さだけではありません。だったら眠れる森の美女の立場はどうなるんですか。(?)


どうもあまり『ひまわりっ』の具体的な内容に触れられてませんね。いけない漫画評です。(笑)
ただあまりに細部が充実しててかつ複雑怪奇に多彩なので、今の段階で下手に触れ始めると逆に何がなんだか分からなくなりそうで。

とりあえず、作者の分身とおぼしき主人公”アキコ”と出入りの植木業者”健一2号”のからみの部分は、稀に見る至上の恋愛ストーリーだということだけ言っておきましょう。なぜお互いがお互いでなくてはならないのか、そのことに全く疑問の余地が無い選ばれた恋人たち。
ていうかこうじゃない恋愛なんてそもそもする必要が最初から無いんじゃないかと、そんなことを今更思ったりするちょいキモおやじです。

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テーマ:〜漫画感想〜
ジャンル:アニメ・コミック
「HOTEL」Boichi
2006年05月18日 (木) | 編集 |
hotel

今週(5/18号)のモーニング掲載の読み切りSF。

大感動、大泣き。それもどちらかというと”男泣き”の部類。
設定自体から来る骨太の感動に泣いた。
「存在論的な感動を与えるSF漫画」という意味では『プラネテス』と同種だけど、”SF”度、SFとしての純度という意味ではこちらが上。SF的想像力、いや科学的想像力自体のロマン性が与える感動というか。


わたくし事ですが年々僕の自己保存欲は妙な具合になっていて、勿論自分はかわいいんだけど自分以外はかわいくない。・・・・人聞き悪いな。(笑)
例えば自分<日本人<男<人類みたいな感じで、本来(?)自己保存欲の対象、つまり「自己」の範疇というのは(”自分”を中心とする)同心円的に広がるもので、だから”ナショナリズム”というものも可能だし、人種差別もあるし、その「同心円」を相対化するために、吉本隆明(ばななの父ちゃん)は”配偶者と自分の2つの中心を持つ「楕円」”=『対幻想』なんて概念を持ち出したりしたわけですが。

ところが最近の僕はその同心円構造がたまにしか発動しなくて、さすがに自分への執着を断っちゃったりはまだ出来ないとしても(笑)、自分の所属グループへのひいきというのはほんとに薄い感じになっている。勝つべき方、より勝ちたい方が勝てばいいし、要はトータルで何が起きてるかが問題で、その為に自分の「同心円」が負け組に回ろうが基本的にはどうでもいい。勿論限りなくケースバイケースではあるわけですが。

で、その”ケース”の最たるものが人類vs他の生き物(もしくは自然)という「グループ」の対立のケースで、僕はもう真面目に人類への忠誠心は無いので権力は持たせない方がいいです(笑)。それこそ近所の野良猫たち数匹と全人類の生死の選択を迫られたら、ノータイムで野良たちを取ります。

ただしここまで”平等”を更に越えた極端な反応が起きるのには別のエリート意識が裏にあって、要するに人類の生存や所業を宇宙・・・・は広いからともかくとして地球に対して申し訳ない、場合によっては余計なものと感じる贖罪意識みたいなものがあるわけで。まあそんなに珍しい思想でもないですが。
例えば近年の大トピックス『地球温暖化』なんかでも、典型的な”大水没”的な状況を思い描いた時に僕の頭をまずよぎるのは、「人類の生活環境の危機」のことなんかでは全然なくて、「巻き添えにしてすまん、陸上生物たち」ということだったりします。人類が滅びるのはてめえの勝手、一緒に陸を目指した仲間としてあきらめて許してくれるかなとそれが心配。


で・・・・そういうテーマを扱った漫画です。
実際にある仮説を元にした、『温暖化』の全地球的な最悪のシナリオと、それをめぐる人類と他の全生物の権利に関する壮大なプロジェクトの行方。そこに更に人類vsマシン/コンピュータ/ロボットというサブテーマが絶妙に絡みます。
勿論僕がやらかしたような単線的な自己処罰一本の思考の話ではありません。救われます。
”支配人”の「はしゃぐんじゃない!」という名セリフに泣きます。是非。

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『大使閣下の料理人』終了
2006年04月22日 (土) | 編集 |
大使閣下の料理人

今週のモーニング。寂しい・・・・。

特に一度もマイブームは来なかったですし、木曜の朝モーニングを買って、手に取った一巡目ですぐ読む確率は五分五分を少し下回るくらいでしたが、あまり予想してないタイミングだったこともあって結構なショックでした。
まあ終わり方自体は十分に納得の行くものでしたし、主人公の愛弟子青柳愛(写真)を主役に据えた新シリーズの登場の予感も結構濃厚なので、文句があるわけではないです。

基本的にはタイトルの通りで、大使公邸付き料理人を主人公とする、いわゆる”食卓外交”をめぐるあれこれについての話。
原作者西村ミツルさんは実際にそういう仕事に携わっていた方らしいですが、もう実に噛んで含めるように分かり易く(笑)、外交の現場の実際や各国の事情などを美味しそうな料理の数々と共に見せてくれる優良漫画でした。・・・・ちょっと「優良」過ぎてとんがったところがなくて、それで”一巡目スルー”の憂き目に遭うことも多かったわけですが。(笑)

でも好きでした。
優良で教育的ではあっても決して単なるウンチク漫画ではなく、最近当ブログ周辺で話題になったこととからめて言えば、これ以上ないくらい真っ直ぐでけれん味のない「青春漫画」でした、それも大人の。(ここが価値が高い)

公邸付き料理人という仕事柄、主人公は様々な国際的外交的難問やら誤解やら軋轢やらに直面して、それを料理を通して解決して行くわけですが、その「解決」の仕方が実にこう気恥ずかしいくらい真っ当で。
本当に地道に正面から問題を受け止めて、掘り下げて理解して、そして誰もが幸せになれるような解決策を示して行く。それが全く押しつけがましくもご都合主義にも見えないのがこの漫画のレアなところで。

かわすみひろしさんのやや生硬で生臭ささのない絵もぴったりで・・・・というかこういう「絵」が選ばれているということ自体、やはりこの漫画の本質が”青春漫画”にあることの証拠のような気がします。
どうでもいいですが(笑)そのかわすみさんの手による生硬な、でくの坊のような色気のない女性キャラ(たちの絵)が、個人的には結構萌えポイント高かったりします。なんか誰一人生理来てそうに見えないんですが。子持ちの人も含めて。(笑)

こういう場合、むしろ子供の絵が一番ストレートに色っぽかったりするんですけどね。

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新人の”作風”の理由
2006年04月04日 (火) | 編集 |
koikaze02

これね。ちょっと書いておきたくなりました。

>新人にありがちな「淡い」「心理描写」系の作風
何せ「新人」の話なので例を挙げにくいのですが、最大公約数的には上の画像の『恋風』みたいなイメージでいいでしょうか。内容的にも、線の雰囲気的にも。
・・・・ただし『恋風』自体はむしろ新人臭、アマチュア臭をそのまま規格化・商品化してウケてしまった変わった作品で、そういう意味では十分にプロフェッショナルですが。

さて僕の印象・前提がある程度の普遍性を持っていると仮定した上での話として、ではなぜそういう傾向があるかその理由。大きく2つあると思います。

1.くっきりはっきりしたプロフェッショナルなストーリー構成からの”逃げ”

僕自身の多少の創作経験も踏まえて言いますが(笑)、「才能」や「センス」やらとプロフェッショナルな作品であること、特に必要十分な誇張や削ぎ落としと焦点の絞り込みを加えた単純化を経た作品であることとの間には、容易に越えられない壁があるわけです。それは漫画に限らずですが。

そこには技術的練磨と自分の創作物のディテールへの愛に溺れない鍛錬と、主題や中心的な葛藤と妥協なく取り組んで、例え当初の着想から大きく変貌を遂げようとも恐れず突き進む覚悟・根気が要る。
これは非常にしんどいことなので、それこそ編集の厳しい駄目出しのような強制的契機でも無ければなかなか出来ることではない。あるいは本当はもっとやらなくてはいけないことは分かっていても、面倒だったりやろうとして出来ない時の失望を予感して、つい妥協してしまう。

こうした心の動きの1つの典型的な帰結が、「ストーリー」や「構成」の明確化からの逃げ、具体的には「情緒」や「心理」への逃げだと思います。
・・・・勿論「情緒」や「心理」もそれ自体として骨太なストーリーとして提示することは可能ですし、普通にそういう作品はいくらでもありますが、ここでは除外。「何かもっと”展開”や”追求”がありそうなのに、何となく和んで曖昧に終わり」みたいな新人のよくあるパターンの作品についての話です。

2.新人の「理想」や「志」の方向性

1で述べたように、一般にプロフェッショナルな作品はアマチュアとはひと味もふた味も違った高度な単純化・明確化を経てこの世に出て来るわけですが、当然”プロ”の作品にもピンからキリまであって、確信的な単純化によってポジティヴな効果を生み出すものもあれば、単に定型に則ってるだけで雑なものもあります。
またそれとは別に、確立したスタイル/表現法は時間と共に形式化して行きます。

そうしたものを読者として読む中で、自分でも作り手になろうとする鋭敏な読者なら尚のこと、そうした”プロ”たちの単純化の結果こぼれ落ちたものや、形式化によって掬い取れなくなったものに気が付くわけです。
そしてそもそも新しく出て来る人は前の世代の人が出来なかったやらなかったことを表現しようと出て来るわけですから、当然それらの「落とし物」や大きな構造に組み込めないものたちは、その表現内容の重要な部分を占めてくるはずです。

よって1とは逆に、理想を目指すから/志が高いからこそ、新人の書くものは淡かったり微細だったりする、そういうものに焦点を当てる傾向が強く出て来るとそういうわけです。

・・・・伝わったかな。(笑)

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