今週のモーニング(’18.2.1)

mor180201


1月期アニメ4週目。(続編物は除く)

『ラーメン大好き小泉さん』
『グランクレスト戦記』
『刀使ノ乙女』
『刻刻』
『からかい上手の高木さん』
『バジリスク ~桜花忍法帖~』
『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』
『ミイラの飼い方』


で不動。
特に強烈な作品はありませんが、豊作と言っていいのかも。

・・・『バジリスク』はずっと見てたんですが、書き忘れてました。



『ドラゴン桜2』

まあとにかく、安定感。(笑)
時間が経とうが製作体制が変わろうが、何の関係もありませんね。(笑)
この世界"古く"ならないだけで、大したものだと思います。
別に新しい必要は無いんですよ。古くさえなければいいので。

『グラゼニ』

古くはなってないんだけど、なんかいっときの緊張感が失われて久しい感じはしますね。
僕的には、"メジャー"編が半端に終わってしまったことで、何か一つ気が逸れたかなと。
"メジャーに行く"こと自体に、「予想外」の高揚があっただけに。
本来はむしろ、国内でこせこせ稼いで行くのが、相応しい作品だったと思います。
以後は何というか、『グラゼニ』という作品を"口実"にプロ野球に関するあれもこれも描いてしまおうという、"ついで"の安易さみたいなものを、常に感じています。

『カバチ』

自分で自分に借金を返す計算になるとは。なるほど。

『ハーン』

義経はぴんと来てませんが、モンゴル人(遊牧民)たちの描き方は、割りと気に入っています。
ていうか義経、最初から大陸の人みたいじゃん。

『ハコヅメ』

パトカー見て安心する人と、嫌な感じがする人と、どっちが多いんでしょうか。(笑)
ぶっちゃけ犯罪被害者には滅多なことではなりませんが、細かい法律違反や"冤罪"の危険性は、常にありますからね。
"交番"は確かに、安心しますけど。

『鉄鍋夜曲』

別に悪くはないんだけど、余りにもありがちなストーリー。
例えば"中国人"にもっと強烈なキャラでもあれば、印象は変わるんでしょうけどね。
「夫婦関係」も、もっと掘れた気がします。ポテンシャルが無いわけではない素材というか。

『八百森のエリー』

多分"絵"的にそんなにバリエーションのある人ではないので、キャラが増えると一気にごちゃごちゃした印象になると思います。

『CITY』

特に経歴として書いてはありませんが(Wiki)、いかにも劇団経験とかありそうな人ですよね。
主にシュールさが。(笑)


テーマ : 漫画の感想
ジャンル : 本・雑誌

読書日記(’18.1.31) ~スペイン、カタルーニャ、グアルディオラ

まあまあ集まったので、スペイン特集。
ヴェルディとマンチェスター・シティという形で、最近やたらと僕に絡んで来る。(笑)





『スペインの歴史を知るための50章』立石博高・内村俊太編

前回は、中世以来のカタルーニャの独立志向が、非イベリア性、ローマ及び西欧志向という基礎を持っているらしいという話をしましたが。

p.326

言うなれば、11世紀頃の時点で、共通の過去と理念をある程度は共有していたイベリア半島の諸国家が、時代を経るにしたがって各々固有の道筋を選択していったことを暦の利用状況が示唆している。


何の話かというと、スペイン中央政府(カスティーリャ)がヨーロッパで制定された新しい暦(グレゴリオ暦)を導入して国家的統一性の強化を図ろうとしたところ、それまで曲がりなりにもまとまっていた"スペイン"がそれに対するリアクションで分裂して、かえって統一性が緩んでしまったという、そういう話。
僕が特に注目したのは、「共通の過去と理念をある程度は共有していた」の部分。古来分裂し続けて来たものが近代になって一応「スペイン」としてまとまって、それがまた最近危機に瀕しているみたいな一本道的な歴史をイメージしていたんですが、そうではなくていくつかピークがあるというか、まとまる/ほどけるみたいなプロセスを繰り返して来たんだなという。

p.335

19世紀末にヨーロッパがナショナリズムの時代に入った時に、スペインでは、国家の一体性を不可欠の前提とするスペイン・ナショナリズムへの対抗として、地域ナショナリズムが誕生し、両者の対立構図は現在まで続いている。


これもまたスペイン「統一」"挫折"の歴史。
"ナショナリズムの時代"(参考)に日本を含む各国が中央集権的国民国家形成へと動く中で、同じように影響を受けたは受けたスペインの場合は、カタルーニャを筆頭とする"各国"がそれぞれにネイション意識を高めた為、かえって地域化が進んだという、笑い話のような真面目な話。
日本も「江戸幕府」ではなくて「豊臣政権」くらいの緩い統一を前提とした時代にナショナル化が進んだとしたら、そういう可能性もあったのかも知れないですね。各藩それぞれが"国"化するという。やっぱり前提としての「統一」のイメージがあるか無いかでは、大きく違うと思うんですよね。フランスも要は"ナポレオン"(の強力な指導)によって、国民国家を形成して行くわけですし。
まあ天皇もいたし、スペインのようには多言語でもなかったので、根本的に違うと言えば、違うのかも知れないですけど。とりあえず明治政府が"頑張った"ということは、善悪別にして言えるとは思いますね。

その後結局スペインは、20世紀の「フランコ独裁」という特殊な一時期を除いては、他の西側各国並みの強力な中央集権国家は形成しないまま現在に至るわけですが。
通して読んで逆に持つ疑問としては、「スペインはどうして分裂しているのか」ではなくて、むしろ「なぜスペインは"スペイン"という統一性を一応は持っているのか」という方の疑問。
それについてこの本では主題的には取り上げられてはいませんが、それでも拾い上げてみるとまずは

1.「西ゴート王国」という"統一政権"の始原的イメージ

というものが挙げられます。
西ゴート王国とは、415年 - 711年にかけて

現在のフランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配したゲルマン系王国(Wiki)


であり、それがともかくもイベリア半島に統一的な王権を確立したこと、またキリスト教国家であったそれが後にイスラムのウマイヤ朝に滅ぼされ、それに対する"レコンキスタ"の過程で郷愁的に美化されたことによって、それ自体非ラテンの征服王朝であったにも関わらず神話的な共通イメージとして定着したと、そういうことです。"かつてスペイン(イベリア)は一つであった"と。

もう一つは、それこそこの本にはあえては書いてありませんが、要は

2.イベリア半島の僻地性

ということだろうなと。
大陸ヨーロッパと海に囲い込まれた「半島」という地理的な隔離性によって、好むと好まざるとに関わらず域内の緩い統一性共通性は意識せざるを得ず、またヨーロッパの方からは近代に至るまで常に異郷視・野蛮視を受け続けていた為、対抗上も団結せざるを得ない部分はある。仲は悪くても。(笑)
そういう言わば"消極的なアイデンティティ"としての「スペイン」は常に存在していて、ただそれゆえそれ以上には、なかなか高まらなかった。これがまあ、僕の目に映った"スペイン史"ですが。

面白かったですね。もっと色んな国の歴史を、改めて見たくなりました。
とりあえず次はイギリスか、フランスか。
「世界史」より「各国史」の方が、どうも面白い気がします。






『グアルディオラ・メソッド―勝利に導くための61の法則』ミケル・アンジェル・ビオラン

図書館にあったので読んでみました。期待したような戦術的な本ではなかったですが、"文化論"的にはまあまあ面白かったです。
作者はカタルーニャ人で、カタルーニャ人として、"カタルーニャ人"ペップやスペインを、語っています。

p.18

生粋のカタルーニャ人が持っていたコスモポリタニズム(世界は一つの共同体だという考え)は、スポーツのジャンルにおいてもタレント性とコミットメントの融合を可能にした。


これ以上は特には書いてませんが、やっぱりカタルーニャ人は、「コスモポリタン」なんですね。
僻地イベリア半島に閉じ込められながら、だからこそ逆に、切に「世界」を思う
スペイン/国を介在させずに。
後半部分が具体的に何についての話なのかはちょっと忘れてしまいましたが、ここらへん全体として筆者が言おうとしているのは、「スペイン」や「バルセロナ」の"成功"として今日語られていることの多くは、実際には「バルセロナ」単体や「グアルディオラ」個人に負うところの大きい性格のもので、「スペイン」のと言ってしまうのは問題がある、特にペップの飽くなき先進性やある種のグローバリズムは、優れてカタルーニャ的なものであって"スペイン"ではないと、そういうことのようです。
まあ"スペイン"と"カタルーニャ"の手柄争いについて口を出す立場には僕はないですが(笑)、ただ"バルサ"があくまで"バルサ"であること、そしてペップの個人的天才が余りに突出していて、「典型」として扱うのは無理があることは、ある程度は誰でも感じるところだろうと思います。
「スペイン」の中での「カタルーニャ」の突出と、更にその中での「ペップ」の突出と、二段構えの構造。


そしてそういう筆者による、"スペイン"評。

p.85

スペインでは自分たちの力やポテンシャルを信じない。(中略)
簡単に説明するとまったく何にも賭けをしない国。それがスペインだ。


スペインは「情熱的でない」ところに、特徴のある国だという。(笑)
かなり挑発的な感じはしますが、ただし見た感じ所謂"情熱の国"スペインという国際的定評を、意識しての記述には見えないんですよね。だから国内的には、実は通じ易い話なのかもしれない。定番の自虐ネタというか。またここでは必ずしも、"カタルーニャ人"として"スペイン"を叩いているようにも、見えません。
まあ日本人が明治維新を誇るように、逆にスペイン人はついに近代的集権国家を築けなかったことを、その自己変革力の無さを、恥じているのかも知れない。
スペイン文化全般も、基本的には暗いですよね。"フラメンコ"とか"闘牛"とか(笑)、明るい"情熱"というよりも暗い"情念"というタイプの文化。魅力的は魅力的ですが、"妖しい"魅力の方。
明るく建設的な"情熱"というよりも、虚無と無力感の淵から立ち上がる"狂気"に近いんですかね、スペインのそれは。ハンター×ハンターでも、「強化系」には分類されないタイプの"熱"かもしれない。(笑)

p.130

スペインはチームワークによって自分たちの能力を活性化させるのが困難な文化だ。集団意識が希薄で、誰の目にも明らかなリーダーシップに乏しい


これはまあ、"バルサ化"して欧州と世界を席巻する以前のスペイン代表を覚えているサッカーファンなら、割りとすんなり納得出来る評価ではないかと思います。
あの時は「国内事情で代表チームに対する忠誠心が乏しい」のが理由と、概ね理解されていたと思いますが、この筆者によるとそれは代表チームに限ったことではなく、"スペイン人による集団"に共通に見られる体質だと、いうことのよう。
そしてそれを改革した克服させたのが、個人の「タレント性」(↑)を集団への深い「コミットメント」(↑)に導いたのが、カタルーニャとバルサの("コスモポリタン"な?)文化だと。
まあ起源や手柄(笑)の問題はともかくとして、とにかく"集団"が苦手だったスペインが、今日では組織プレーの一つの手本として各国から研究されるようになるに至ったわけですから、仮に元が苦手であるなら尚更学びたい、日本人に何かしら伝授してもらいたいものではありますね。「自己変革」のプロセスの再現というか。
いつ見ても"鉄の掟"で動いているイタリアとか、逆に学べるのかなと思うところもありますし。

p.87

"ペップ"グアルディオラが新たに導入したことの多くは、彼がイタリアでプレーしていた時代に学んだことである。


ペップの"非スペイン"性の、ちょっと次元の違う(笑)補足。
脱スペインしてユニバーサルに学んだからこそ、ペップはあるんだと。まあ、それはそうかもしれない。(笑)
ただ正直ペップのバルサを出てからの放浪については、少し冷ややかに見ていたところがあって、いちいち本当に学び切っているのには驚きましたね。"プレイヤー"としては結局は(スペイン)ドメスティックな選手だったと思うので、どうも効果を危ぶんでしまったんですが。


さて最後にこの本のタイトルですが。
グアルディオラのメソッドとは何か。「無い」というのが実はこの本の答え。
そうではなくて、"グアルディオラ"そのものが"メソッド"であるという。言い換えればその人格が。

参考として挙げられているのが、心理療法における「クライエントセンタード」という考え方、手法。

この療法の基本的な考えは、「来談者の話をよく傾聴し、来談者自身がどのように感じ、どのように生きつつあるかに真剣に取り組んでいきさえすれば、別にカウンセラーの賢明さや知識を振り回したり、押しつけたりしなくても来談者自らが気づき、成長していくことができる」ということです。
人間は、成長・自律・独立等に向かう「実現傾向」を持つと考えます。カウンセラーは、自らの体験・意識・表現が一致していること、来談者に無条件の肯定的な関心を持つこと、共感的に理解することを大事にします。
(「来談者中心療法・カウンセリング」日本臨床心理士会のサイト)


ペップの指導もこの考え方に立っているというのが、この人の解説。
「カウンセラーの賢明さや知識」というのが、所謂"メソッド"にあたる部分。ある特定のそれを押しつけるのではなく、ペップがペップとしてチームや選手に向き合う/立ち会うことによって、対象が自ら気付き、"実現傾向"を現していくのに任せるのが、ペップの方法だと。
程度問題は分かりませんが、実際にペップがこの理論を学んで参考にしているのは、確かなようですね、この本によると。それにしても具体的な監督業をイメージすると、さすがに綺麗事な印象は否めませんが。

ただ僕自身も、「ペップには戦術が無い」ということは言いました。
それはつまり、原則は提供するけれど「こうしろ」とは言わない(のではないか)ということ。"絵"に向けて集約させることも無い。その原則を踏まえた上で、でも具体的には"クライエントセンタード"に、個々の選手やチームがその内側から「実現」させて行くものに任せている、それを管理・微調整するのがペップの仕事(の仕方)なのではないか、と、今回の話と合わせるとまとめられないことはないかなと。
もっと言うと、ペップの「願い」は確かに個々の"発露"そのものであって、「組織」というのはあくまでそれを助けるもの、決して"完璧な組織"を作るようなタイプの監督的エゴをモチベーションとはしていない、それは本当に思います。
100%フリーで出来るなら、本当にやらせるんじゃないでしょうか。そういう意味では、「教育者」なんでしょうね本質は。「カウンセラー」でもいいですけど。(笑)


こんなところです。
結構な量になりましたね。(笑)
もう一冊読んだんですが、それはまた今度に。


テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

はじめてのバレーボール(補) ~サーブレシーブ、外国人枠、ファン気質

Vリーグは昨日でレギュラーラウンド終了。次のプレーオフまで、少しだけお休み。
こちらは春高バレーシリーズの続き・・・とも思ったんですけど、なんかひと息つきたくて、バレーはバレーでもこっちのシリーズ。


結局サーブレシーブの上手い下手とは何なのか

シリーズ第一回からの宿題ですが。
小柄で俊敏な日本人は、スパイクレシーブ(ディグ)に関しては、大柄な欧米選手に比べて平均的に上手いと定評がある。
しかし一方でサーブレシーブ(レセプション)については、劣っているわけではないけれど特に優れているわけでもない、求めている精度が他国より少し厳しいのもあって、現代表でも国際試合で計算出来るのは、昨年の段階では新鍋理沙選手と内瀬戸真実選手のWSでは結局二人だけという、やや苦しい状況でした。

簡単に言うと、俊敏性と反応だけでは、レセプションは出来ないと、そういうことが言えるわけですが。
では何なのか。

一つのヒントとしては、レシーブの専門職である特殊ポジションのリベロの選手を除いた、近年の代表的なレセプションの名手二人木村沙織選手と新鍋理沙選手の二人が、揃って「バレーで一番好きなプレーはレセプション」と、インタビューで答えていることにあるかなと。(ちょっとソースは失念)
パワーと上背にやや欠け元々比較的守備的な選手だった新鍋選手はまだしも、185cmと日本人最高クラスの高身長のバリバリの攻撃選手で、若い時はむしろサーブの狙い目にされて苦しんでいたこともあるらしい木村選手まで最終的にそういう境地に至ったのは、なかなか興味深いことだと思います。

ここから推測出来るのは、誰にでも出来るわけではない難度の高いプレーであるレセプションは、一方で特有の魅力のあるプレーであり、レセプションの上手い選手は単にレセプションが"出来る"のではなくて、むしろ積極的に"好きな"くらいの選手だということです。(そしてそれが稀少だと)

ではレセプションの"快楽"とは何か。
ここからはほぼ純粋に想像ですが。
それは相手が勢い込んで打ち込んで来るサーブをふわりと受け止めて"殺す"快感、とっさの反応であるディグとは違って入念に配慮したポジショニングで"待ち構えて""嵌める"快感、更に言えば自分は"力"を使わずに相手(サーバー)にだけ力を使わせてかつそれを"無駄にさせる"快感。(笑)

まとめて言うと、"ドS"の快感、底意地の悪さの勝利。(笑)
ああ、と思う人は思うかも知れません。新鍋選手、Sですよね、意地悪ですよね(笑)。木村選手、ああ見えてSですよね。ちびのリベロの選手の届かないところにハイタッチの手を出すとか、よくやってましたよね(笑)。いつもにこにこはしてますが、あれは愛想がいいというより他人の事は気にしてないというタイプですね。
それ以前に、"受け"の快楽でもあるかも知れません。
Sが受けというのはよく分からないかも知れませんけど、受け、つまり一歩引いた状況で全体を俯瞰してコントロールする、掌中に収める、そういう快楽です。それがSの気質に合うわけです。相手の力を利用する、自分はなるべく汗を搔かない、そういうイメージも重要です。
その快楽に慣れちゃうと、必死こいて「攻撃」に行くとか、かったるくてやってられないというところはあるわけです。サッカーほどではないにしても、バレーの攻撃も成功することより失敗することの方が、ずっと多いわけで。そんなのSのプライドが許しません。(笑)
というわけで守備的な新鍋選手だけでなく、大エースの木村選手すらも、慣れてしまえばレセプションの方が楽しくなるわけです、気質に合うわけです(笑)。目覚めたわけです。(笑)

内瀬戸選手の性格はよく知らないですし、みんながみんなそこまで分かり易くそういう類型に当てはまるとは限りませんが、他にも代表にはそこまで縁が無かったですが、同年代の代表的なレセプションの名手、NECの近江あかり選手なんかも、独特の癖のある超強気な性格で知られていましたよね。だから何かしらそういう傾向はあるんだろうと思います。

技術的にはやはり、"ふっと力を抜く"というのが出来るか出来ないかが大きな分かれ目で、その為に"S"である必要は必ずしもないのかも知れませんが(笑)、ただ他人に気を遣ってばかりの真面目な選手にも、逆にただ大雑把な選手にもそれが難しいことなのは、何となく想像出来ると思います。
現役のレセプションアタッカー候補で言えば、石井優希選手は技術的には結構出来るように見えますが、プライドの高さと自信の無さが同居する神経質な性格で、"出来る"時と出来ない時が、心理状態でかなり出て来てしまう感じ。もう一人古賀選手は、ふわふわしているようでかなり融通の利かないところのある頑固な性格で、"一生懸命"上げるばっかりで余り力が抜けないので、だいぶ慣れては来ましたがまだまだ固い感じで、試合後は随分腕が疲れてしまうみたいですね。

役に立つかどうか分かりませんが(笑)他の競技の例で言えば、野球の中の「二遊間が守れる選手」、そういうタイプの"守備の達人"が、多分バレーのレセプション名人と共通するものがあるのではないかと思ったりします。(笑)
サードならバ〇でも守れるけど(笑)、セカンドとショートはね。ある種の飄々と受け流すような技術・感覚が無いと。そういう複雑微妙さが。
こんなところです。(笑)
まああんまり昔のことは分からないので、最近の例からの想像・推測ですが、満更的外れではないのではないかと、自分では思っています。

木村沙織新鍋理沙2近江あかり

左から木村沙織、新鍋理沙、近江あかりの、日本が誇るドSレセプター三傑。(笑)


Vリーグに外国人は必要か。

こちらは新しいトピックス。
別に外国人選手を排斥しろと言っているのではなく(笑)、現行の「各チーム一人」という制度下における外国人選手の影響についてという話。来季からの新・Vリーグでは、そこにアジア枠が加わるということですが、中国のトップクラスでも来ない限りそれで大きく状況が変わるとは想像し難いので、変わらないという前提で話します。

簡単に言うと、一人だけ入れるくらいなら、日本人だけでやった方が、試合自体は面白くなる可能性が高いのではないかというのが、現時点での僕の見込み。
それは先だっての春高バレーの面白さであり、ラスト2戦で大砲カルカセスを思い切って外してみた時の上尾の、いきなりいいチームになったような妙な機能性であり、また昨季の爽やかな好チームが、"世界の"ミハイロビッチを入れたことにより見る影も無いク〇チームに成り果てた今季のJTの姿であり。

それでJTは現在2位につけている(昨季は最終的に4位)わけですから、"弱くなった"とは言いません。ただ魅力が無くなったつまんなくなったということ。ついでに「全日本の強化」にどちらがいいかという話は、いったん置いておいて下さい。あくまでリーグとしての魅力試合の面白みという観点から、話しています。
勿論面白い面白くないは人それぞれなので全くそう思わない人はそれでいいんですが、ある程度以上同意してくれる人向けに上記のような"現象"の理由を考えてみると、簡単に言えば「同質性」が高くなるということでしょうね。それによって戦術的な統一性徹底性が確保し易くなって、"いいチーム"感が出易くなるし、試合の展開もスムーズできちんとした"綾"が出易いものになる。だからそういう試合をいい試合と感じる人には、少なくとも面白くなる。

これだけだといかにも縮み志向というか、ただの低レベル均衡みたいに聞こえるところがあるかと思いますが、問題はバレーボールという競技の特殊性で。
シリーズ第三回でも"階級制"というアイデアに触れてみたように、日本バレーは欧米等の世界の競争相手と比べると、極端な体格的パワー的劣勢に置かれているわけです。スポーツの常識で言えば、本来戦うべきではないような(笑)。(だから"階級制")
だから外国人を排するというのは"低レベル均衡"というより"正常化"に近い性格を持つものであり、試合が面白くなる競技性が向上するのは、ある意味当たり前なんですよね。

そしてそのことは、"外国人"そのものの性格にも、関係して来ます。つまり助っ人として呼ばれる外国人選手が、日本人選手を上回るのは、"いい選手"であることよりも何よりもまず"デカくて強い"という単純な理由が大きいのであり、勿論見習うべき点のある選手も少なからずいるでしょうが、本質的にはそうです。
だから例えばサッカーにおいてJリーグが、リーグのレベルからするとオーバースペック的な大物外国人を呼んだとして、そこで戦力均衡は確かに破壊されますがしかし同時にその選手のプレー自体の素晴らしさや味方を活かす能力などにより、サッカーとしての魅力が増すことも十分に期待出来るわけです。(そりゃメッシとか呼んではそれはやり過ぎでしょうけど(笑))

しかしバレーの場合は、"個人技の足し算"性がサッカーより強いというのもあって、大物外国人を呼んでも単にデカくて強い女が小さくて弱い女をいじめてるだけみたいな事態に、なりがちなんですよね。なかなかそこに、バレー的な"豊かさ"は生まれない。・・・少なくとも一人では。
これが同レベルで複数いれば、そちらが新たな"基準"となって日本人だけでは生まれ難い新たなバレーボールの次元が浮上して来たりすることもあるでしょうが、一人では単に、「小人の国のカリバー」です。ただただチームバランスゲームバランスが歪むだけです。
別な言い方をすると一人だけいてもそれに合わせて"レベルが上がる"ということはまずないので、だったらいっそ日本人だけで、ゲーム性の内的な充実を目指すことに専念した方が、面白いリーグになる可能性は高いのではないかということです。

久光のアキンラデウォは凄い選手だし、トヨタ車体のネリマンはいい選手だけど、見てて楽しくは別にないんですよね。唖然としたりドン引きしたりするだけで(笑)。サッカーのスーパー助っ人たちのようには。
余りにも前提条件が違い過ぎて。
そりゃ熊は強いけどそれは熊だからでしょ。マス・オーヤマの強さと比べても仕方が無い。(笑)
まあミハイロビッチはともかく、ネリマンに"熊"は少し失礼かも知れないですけど。(笑)

「全日本の強化」については、普通二つの意見があります。「レベルの高い外国人とやることで訓練出来る」という意見と、「日本人選手のブレー機会が確保されることによって育成が進む」という意見です。
僕は原理的には特にどっちとも思いませんが、ただ上で言ったように"外国人が一人だけいても駄目だ"という意味で現状前者には否定的なので、消極的に後者かな。特に若手の出場機会は確実に増えるでしょうし、日本人だけになることによる戦術性の向上によるバレー脳の鍛錬効果も、期待出来ないことはないかと可能性としては思います。ならば試合としては面白いだろう国産リーグに、現状では一票。

ちなみに今季唯一国産チームで臨んで苦戦しているNECですが、"唯一"であることによって国産であるパワー的不利の影響が余りに大きくなってしまっているので、一チームだけで効果を判定するのは難しいですし、例えばカルカセス不在時の上尾との国産対決で苦戦したように、外国人抜きならNECが強いとも、単純には思いません。やはりまず基準を揃えるところから、始めないと。
まあNECについては、ファイナル6敗退後(笑)に、まとめて書く予定です。するでしょう?敗退。


続・バレーファンのファン気質問題 ~"党派性"という病

前回「バレーファンはサッカーファンに比べても限度を越えて口汚くて狭量で引く」という話をしましたが、その理由としては主に(男性ファンが)"異性"選手を応援することにより生まれるエロス的な愛憎の濃さというものを、挙げておきました。

それはそれでだいたいそんなところだろうと今でも思ってはいるんですが、一方で"狭量さ"の描写として少し足りないなとその後思うところがあって、それは一言で言うと「党派性」の強さ、単に個々人がいがみ合っているのではなくて。
代表的な例は、例えば5ちゃんの久光スレ。今季結局全勝で悠々とレギュラーラウンドを首位通過して、さぞかし皆さん上機嫌だろうと思いきや、まるで降格チームか何かのような殺伐とした雰囲気で、特に「新鍋」派と「石井優希」派が、日夜血で血を洗う争いを繰り広げていて笑います。
傍から見ればどっちもそれぞれいい選手だろうとしか言いようが無いわけですが、とにかくあちらを立てればこちらが立たず、必ずどれかの"派"に属して相手を撃滅するまで戦わないと気が済まないようです。

「新鍋」派はまあそれでも独立自尊なところがあるのでまだいいんですが、「石井優希」派はめんどくさくて、定期的にNECの古賀紗理那選手も巻き込んでこちらでも"どちらが上か"闘争をおっ始めます。「古賀紗理那」派というのは普段は特にいないと思うんですが、ただしそういう時には決まって擁護派が登場して、よせばいいのにまともにやり合って結局"古賀紗理那を認めることは石井優希を認めないことである"タイプのおかしな論にはまって行きます。

こういうのはバレーの世界の一つ伝統のようで、いち世代前には「江畑幸子」と「迫田さおり」という二人の名アタッカーをめぐって、"エバサコ論争"と呼ばれる超粘着質な叩き合いを、今でもたまに繰り広げています。他には全日本セッター宮下遥選手をめぐっても、似たような壮絶な言い合いが定期的に起こります。
いずれも内容はほとんどテンプレなんですけど、もうなんか全然僕には笑えないプロレスです。

"オタ"と"アンチ"という言い方はどの分野でも慣用的には使われますが、バレーの場合は文字通り"オタ"か"アンチ"かに、あらゆる事象について全ての人が分類されないといけないような、そんな雰囲気です。

これらは主には選手個人個人について繰り広げられることが多いですが、他にチームや監督についても、やはり特有の湿度の高い愛憎が、表現されることが多いです。軸となるのはやはり"巨人軍"的な憎まれ役の久光製薬で、それ自体はどこの分野でもあることでしょうが、それにしても"A"というチームが好きな人は漏れなく"B"と"C"は嫌いみたいな構図・物言いがあちこちで律義に聞かれて、かなりうんざりします。現全日本監督中田久美氏をめぐっても、好きな人は決め打ち的に賞賛し、嫌いな人はひたすら馬鹿にするの二極みたいな風景が、やはり目に飛び込んで来ます。
当ブログにコメントを寄せてくれた人にもナチュラルな感じにそういう人がいましたから、もうほんと"ファン気質"というか、"習慣"なんでしょうね。

僕自身の気質としては、人それぞれ意見があるのは当たり前だし、何なら悪口雑言にも質のいいものならそれ自体として言語的快楽を認めなくも無いんですが(笑)、一方で「党派」的な物言いは、徹底的に受け付けないんですよね。分かり易く言うと、僕の意見に真っ向反対して来るしかし特に党派的でない人と、僕に献身的に味方してくれるしかし党派臭を漂わせている人がいたら、僕は後者を出禁にして前者と仲良くします。そういう人です。
とにかく嫌なんですよ。党派を選ぶよう迫られるのも嫌ですし、増して勝手に僕を党派的にくくられたりしたら、冗談半分でも基本ブチ切れます。関係性によっては執行猶予はつけますけど。

"悪口雑言"との比較で言うと、それは要するに、"表現"の段階でのノイズでしかないわけですが、「党派」的な人は、そう振る舞う習慣のついている人は、"認知"の段階で既に歪んでいる、党派的に単純化しているので、議論の根っこが腐ってしまうんですよね。だから時間の無駄なので、出禁にするわけです。(笑)
ほんと困るんですよね。本来ほとんどチームの好き嫌いとか無い人なのに、誰かに党派的に好きを表明されると、その影響でついその対象が嫌いになりそうになるので。ハリルホジッチ熱烈支持派とかもほんと迷惑なので、黙って分析だけしてて欲しい、変に感情を出さないで欲しいと、これは余談ですが。(笑)

以上、ぼやくだけぼやいて、特に解決策とかがあるわけでもあるはずもないんですが。(笑)
少ないチーム数と薄い選手層の中で、何でそんな選り好みばっかりしてるんだろうと外野的には思わざるを得ないんですが、"少ない"からこそ、そうなのかも知れないですね。よく分かりませんが。


今回はこれくらいです。
なるべくぎりぎりまで、「はじめて」「外野」という立場を貫きたいですね。その方が楽しい。(笑)
当事者になっちゃうと、それこそ"党派"性なんかも。


テーマ : バレーボール
ジャンル : スポーツ

今週のモーニング(’18.1.25)

mor180125


1月期アニメ3週目。

『ラーメン大好き小泉さん』
『グランクレスト戦記』
『刀使ノ乙女』
『刻刻』
『からかい上手の高木さん』
『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』
『ミイラの飼い方』


は、継続。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』

のみ脱落。


『ドラゴン桜2』

"もう絵は描かない"宣言が話題になりましたが、正直この人の絵だと、最初から魂は入ってない感じなので、どっちでもいいですよね。(笑)
もっと普通の漫画家がやれば、インパクトあるでしょうが。
ゴルゴのさいとうたかをさんの"ハリウッド的分業"の主張も、そもそもの作品の見た目が最初からそんな感じというか、そういうものとして読んでいるので、これも「それぞれのやり方」の範囲で収まっている感じ。
「漫画」という名前で一つにくくること自体に、無理があるというか。
むしろ早くAI漫画が読みたいなあ。(笑)

『会長島耕作』

何でしょうねこのエピソード。物語的に何か意味があるんでしょうか。
ただサメトリビアを披露したかっただけという、印象。(笑)

『グラスポ』

元寮長が今は野球部の監督をやっているというのに、変にびっくりしてしまいました。
野球も出来る人だったのか・・・。まあそうか。(笑)

『ハコヅメ』

何か今回は、単純に警官あるあるを披露しただけという、こちらも印象。
"刑事"が交通ルール分からないというのは、面白かったですけど(笑)。やっぱ忘れるんだ。(笑)
まあ弁護士だって、扱わない分野の法律は覚えてないみたいですからね。

『ハーン』

うーん。
やっぱりこう、目に見える"血沸き肉躍る"に、走り過ぎている感じがしますね。
チンギスハーン=義経説というのは要するに「伝奇」なわけですから、世界観やバックボーンをそれらしく作ることの方に、第一の"興奮"があるべきだと思います。
暴れたいだけなら野球でもプロレスでも、好きにやればいいんですよ、この前の作品のように。
どうも何か、素材と作家のミスマッチにしか今のところ見えません。
逆に普通の"歴史"ものなら、まだ何とかなったと思いますけど。

『きのう何食べた』

たまの一人ご飯の解放感に、わざわざ自炊しますかね、普段やらない人が。(笑)
そもそも内食が好きなんじゃなくて、"筧さんが作ってくれたご飯"が、この人は好きなんだと思います。
むしろほっとけば派手好きの浪費家タイプに、普段の行動からは見えますが。正に"女子"というか。(笑)

『八百森のエリー』

何にせよエリーがハイスペック過ぎてたまに腹立つ。(笑)
しかも本人全くそれを意識していない、だからこそ本物のハイスペック。

『VS.アゲイン』

引き続き、"ファンサービス"や"地域密着"がどう描かれるのか、興味深い。
多分「クラブ化」までのスケールのストーリーは、考えてないんじゃないかと思いますけどね。"ネリモフーズ"ありきの作品というか。(笑)
「客が増えても給料は増えない」のはその通り。でも「俺たちにファンなんていない」と言い切るのは、プロアマ問わず曲がりなりにもトップレベルの"スポーツ選手"として、情けない物言いだと思います。別にプロだからファンになるわけではないですからね、プレーや技能そのものに、人は魅せられるわけだから。

『特品ビーム課長』

多分面白いんだけど、よく分かんない内に終わってしまった。(笑)
もう一本読ませて。(笑)

『飼育少女』

変な生き物に入れ込む女の子って、「百合」と同様の要は"男"を除外した世界を形成している感ありますね。
まあいいんですけど。(笑)

『カバチ』

てっきり600万の2/3400万で貸し金を回収して終わるという話かと思いましたが、まだ何かあるのか。


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ジャンル : 本・雑誌

「高校」バレーの「プロ」性

春高バレーをヒントに(その2)

春高2018

(その1)はこちら

前回の終わりに"育成"について書くと予告しましたが、それはまた次回になりそうです。


春高 > Vリーグ?

とにかく面白かった春高。
それは単に、"青春"だからということではなく。
純粋にバレーの試合として、今まで見て来た(と言っても僕の場合ここ数年というレベルですけど)ものとは異質の、時には何ランクか上とも思える、面白さを感じました。
つまりは"Vリーグ"より上ということですけどね。
勿論個人レベルではさすがにVリーグの方が強い弱いで言えば強い、平均レベルは上なわけでしょうけど、ただそれと「試合」としての充実度、「チーム」としての完成度凝縮度は、また少し違う問題なので。
はっきり言って僕が見た範囲では、春高と比べるとVリーグの試合はスカスカだし、Vリーグの各チームはバラバラに感じます。元々感じてはいましたが(笑)それをある程度"日本人""日本"の問題として諦めていたところが、春高を見ておやそうでもないぞ?やれば出来るじゃないか日本人どうしによるバレーの試合でも、こんな面白いものになるんじゃないかと、目を覚まさせられた感じです。

具体的に例えばどこらへんにVリーグとの違いがあるかというと、一つには劣勢のチームの試合中の"修正"の確実さ、このまま一方的かなあと思って見ていても、次のセットでは確実に何か変えて盛り返して来る、必ずしもトップクラスのチームじゃなくても。そこに現れている「試合」への取り組みの真剣さと、修正を可能にするそもそものそれぞれのチームの完成度、"脈絡"の堅固さ。
比べると何となく勝ってダラダラ負けることの多いように見える、Vリーグとは違う。

もう一つおやっと思ったのは、所謂"二段トス"、サーブやスパイクで崩されて無理やり上げた、苦しい状態のトスに対する、スパイカーの強打率フルスイング率の高さ。Vリーグならまず軟打に逃げるか返すだけになりそうなボールでも、高校生は出来る限り全力で決めに来る。そしてそれらは必ずしも一発では決まらなくても、少なくとも一か八かのギャンブルや無様な失敗には終わらずに、流れの中での一つのプレーとして、ほとんどの場合はちゃんと成立している。"当たり前"のプレーとして機能している。
あれ?やれば結構出来るものなの?なのにVリーガーはやらないだけなの?と、ちょっと"納得"の基準が変わって来そうな感じでした。

一つにはこれは、敵ブロッカーの単純な高さの違いというものは多分あって、流れの中ではそんなに優秀でないMBでも、物理的な高さがあれば苦しい状態から限られたコースに打って来るスパイクに対しては、立派な"壁"になれるわけです。代表的には、久光の岩坂選手とかがそのタイプですが。それに関しては、選手の身長に関しては、さすがに高校に比べてVリーグの方が、確実にそういう選手は各チームいる。
ただそれだけでもないだろうと僕は思っていて、では何かというと要するに"真剣味"の違い、一本一本、その一打に懸ける気持ち、チームの勝利の為に最後の血の一滴まで絞り出す準備が整っている度合いが高校生の方が圧倒的に上なので、"失敗"を恐れる気持ちよりも苦しくても可能性を求めて決めに行く気持ちの方が勝つ、そういう風に僕には見えました。


"最高峰"の輝き

こうしたチームの凝縮感や、選手の勇気や真剣味がどこから生まれて来るかと言えば、それは春高ないし高校バレーという"舞台"自体にあるのだと僕は思います。
そこにあるのは何か(例えば"プロ")に至るただの「過程」ではないし、ただの高校生の大会、「年代別」の大会ではない。そういう相対観の中に、春高や高校バレーは存在していない。

そうではなくて高校バレーは高校バレーで一つの独立した世界でありその中の"最高峰"であり、完全燃焼するに足る、そこでの勝利に本気のプライドを抱いてしかるべき目標であるのだと思います。
そういう意味で彼女たちは、年齢とは別にその世界では「一人前」であり「成熟」していて、変な言い方をすると"プロ"なんですよね。・・・いや、真面目に、「これはゼニの取れる試合だ」と、僕は思いました。現行のVリーグより遥かに。目の前のものが何らか"最高"のものだと信じられるから、少なくとも"玄人"がベストを発揮していると感じられるから、客は納得して金を払うわけで。
Vリーグは勿論ですけど、Jリーグにも現在その納得感があるか、僕は大いに疑問ですが。

勿論いったんVリーグに入り直せば、そこでは彼女たちはやはり"子供"なわけですけど、それはまた別の話違う「世界」の話。

ここらへんで参考になるかと思うのは、これまでインタビューを読んで来たたいていは全日本にも選ばれているクラスの女子バレーボール選手の多くが、最終目標や遠大な計画の下に競技を続けて来たのではなくて、ふとしたきっかけで始めてみる→たまたま認められたりたまたま誘われたのでその上でも続けてみる→特に続けるつもりも無かったけどまた誘われたので続けてみる→気が付くと全日本に選ばれて五輪にも出たりしたみたいな、至って行き当たりばったりな(笑)選手生活を送っていることです。

一言で言えば「プロ」の無い競技の悲しさなわけでしょうが、とにかくこういう若干刹那的になりがちな宿命の競技において、また実際実業団や大学バレーの世間的存在感が薄い中で、春高を筆頭とする高校バレーは分かり易い目標であり、一つの"集大成"であり、最高レベルではないにしても「最高峰」なわけですよね。
まずそこまでたどり着く。そっから先はまた別問題。そんなピリオド感が、存在していなくはない。
分かり易く言えば、「Vリーガー」になることを夢見てバレーを始めるバレー少女はほとんどいないでしょうけど、「春高バレー」に憧れてバレーを始めるバレー少女なら、普通にいるだろうというそういう話。(笑)

とにかくだから、高校バレーは「過程」でも「子供」でもないから、そこに向けて全てが集約して行く一つの「最高」の舞台であるから、大人同様の"プロ"同様の、ゼニの取れる成熟したプレー・試合が、そこで成立するんだと思います。
・・・余談になりますが、アメリカで大学スポーツがプロ並みに売り上げを上げる立派な興行になっているというのも、春高バレーを見ていると何となく想像は出来る気がしましたね。あちらは大学ですが、やりようによっては所謂"アマチュア"スポーツ"学生"スポーツも、プロ並みの風格を備えることはあるんだろうなと。
逆に言うと「プロ」がプロであるのは年齢や経済的法律的仕様によるとは限らなくて、僕がJリーグの試合に余り"プロ"を感じられないのも、何かそれなりの理由はあるんだろうと、勝手に"納得"してしまいましたが。(Vリーグは一応"プロ"ではないので、また別の話に(笑))

「子供」と切り捨てられない立派な競技的成熟を備えつつ、しかも同時に年齢相応の純粋さや無心さ、"青春の輝き"も注がれている、一粒で二度美味しい(笑)高校バレー。
いやほんと、ゼニ取れると思います。


「高校」という単位

高校バレーの競技的充実の理由の一つには、「高校」という母体そのものの性格もあると思います。
基本的には選手の帰属感、忠誠心の濃密さがVリーグとは段違いということですが、特に「教員が担当する」という関係上、"監督"の在任年数の長さとヌシ度、そこから来る求心力戦術的徹底度が、何かVリーグとは別次元という感じ。
そういう事情はどの学校スポーツでも多かれ少なかれ見られることでしょうが、春高を見た限りでは、サッカーよりも更に、バレーの監督の"終身"感は強い感じ。流動性が低いとも言えますが。
"雇われ"度で言えば、(高校)野球 >>>>>>>>> サッカー >>> バレー くらいの印象ですかね。

それはそれで弊害はあるでしょうし、だいだい僕は(サッカーでは)どちらかというとすぐ監督を替えたがるタイプなわけですが(笑)、ただ"ベンゲルの長期政権"になら文句は言いやすくても、"アレックス・ファーガソン"くらい突き抜けちゃうと、もう何も言えないというか「そういうもの」だとして考えるしかなくなるじゃないですか。(笑)
そういう凄みです、バレーのは。"アレックス・ファーガソン"が、あっちにもこっちにもいるというか。

そして多分、それはバレーボールという競技の特性にあっているんですよね。狭いコートに6人しかいなくて、そんなに華麗な戦術があるわけでも多様性があるわけでもなくて、むしろいかにある方向性プレー原理を徹底させるか骨身に染みさせるか、理論的にという以上に職人的に研ぎ澄ますか、そちらの方に成否の比重が大きくかかる。サッカーに比べてね。求められる"正確性"も、サッカーより厳密だと思いますし。
だから長期政権があっている、監督がその部に"根を下ろしている"ことの効用は弊害より大きくて、例え古臭くても徒弟的でも、選手たちがある意味盲目的にそれに従う、信じてやり切ることから発生する力が、理論的選択や柔軟性よりもしばしば比重が大きい。

逆にそれが、多分Vリーグに圧倒的に足りないところ。Vリーグの試合が"スカスカ"で、Vリーグのチームが"バラバラ"に見えてしまうところ。例えばサッカーなら意外と成り立つレベルであっても、バレー基準だと到底足らない感じになる。
高校の監督に比べれば"腰掛け""通りすがり"の、しかもサッカーと比べても必ずしも能力や実績で選ばれているわけでもない監督では、どんな戦術も方向性も、ろくに徹底出来ない。増して選手は高校生のように純真ではないし(笑)、高校のように期限が切られているわけでも逆に("プロ"として)10年20年などという長いキャリアを見据えて自分の生活の為にやっているわけでもない。結局そのつもりはなくても、"ダラダラ"やっているような感じにはなってしまう、高校バレーと比べて。

まあ高校生が誰もかれも監督に心酔しているはずは無いですし、繰り返しますが当然"弊害"や"悪い例"も、あちこちにあるのはあるんでしょうけどね。
ただ一方で、仮に監督の個人的資質という要素を差し引いたとしても、今度は名門校のブランド・伝統への憧れやそうでなくても共に青春を過ごす仲間に対する忠誠心という形で、少なくとも"3年間"という限定の中でなら、やはりVリーグとはレベルの違う集中した帰属意識というものが高校生バレーボーラーを衝き動かしているのは想像に難くなく、それが独特なプレー密度の高さを、また担保するわけですね。

そうして積み重ねられた、名門校を頂点とする、堅固で分厚い"ピラミッド"という。(前回)


「高校」という単位 part2

ここからはほぼほぼ妄想ですが。

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今月のモーニング2(’18.1月) & 今号のイブニング(’18.1.23)

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『AUTOMATON』

"ディストピア"の設定自体はかなりありきたりな感じがしますが、対する「解決策」が意外性があるというか素朴過ぎて面白いというか。
・・・ただし単純に馬鹿馬鹿しい幼稚である疑念も捨て切れません(笑)。まあこれから。

『ゴールデンゴールド』

"福の神"自体は比較的あっさり認めたお母さんですが、まだまだ信用できないというか、結局"味方"には必ずしもなってくれない感じですね。
「会社経営の本質」についての割り切りも、なんか怖い。
あそこはまずは、もっと"共感"すべきところですよね(笑)。ああいう親だと子供は多分辛い。"間違って"はいませんが。

『エルフ湯』

のんびり連載なので記憶が曖昧ですが、こんなハードなキャラでしたっけ、エルフさん。
まあここんとこソフト過ぎたので、どちらかというとこれくらいの方が、僕は好きですが。

『1122』

昔はかっこよかったんですね、美月さん。
"不倫"は責められ過ぎるとそんな綺麗ごと言うなよと思いますし、例えば今回の小室哲哉(引退)関連報道のように、本人たちの自由なんだから責めるな(小室さんはしてないらしいですが)とあんまり言われ過ぎると、いや、でも"不倫"だろうというか、そもそもが「社会的」な"罪"なんだから、一定の公共性はあるだろうと反論したくなります。
"恋愛"は自由ですけど"不倫"は自由ではないですよね、現行の社会慣習(と民法?)では。その前提を外すのは、どうかと思います。その上でやるかやらないかは、別問題としても。
いっそ「姦通罪」復活させれば、すっきりするはしますよね(笑)。まあ現行法でも損害賠償権はあるわけですから、広義の「罪」は罪なんですけど。

『デゾルドル』

"フランスオールスター"を揃えて、オルレアン解放なんて行きがけの駄賃、このままイギリスまで進軍しそうな勢いですが。(笑)
不思議な展開。

『狭い世界のアイデンティティー』

この作品の中で言えば、意外と"普通"の業界批判。(笑)
無駄パーティー廃止論。

『作庭師の一族』

なんかこう、文体が安定しないというか、"二人"それぞれにやっている感じの作品。
多分過去の漫画文体のつぎはぎというか、"引力"から脱し切れてないまま描いているからですね。るろ剣とかを思い出しますが。



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『金田一37歳の事件簿』

実は読むのは初めてです。
堂本とともさかのドラマしか見たこと無い。
こんな"シティーハンター"的なずっこけスタイルなの?(笑)
さすがに古く感じます。

『罪の声』

ますます余りにも「迫真」に「核心」に迫る展開。
とてもフィクションとは思えない。

『めしにしましょう』

自ら"手"を動かして創作する苦しみは、パソコン時代に入っても今のところ変わらないようですね。(笑)
その内には、「思ったことを実現する」機械は出て来るでしょうけど、その時何が失われるのか、失われないのか。
動画ジャンルは比較的スムーズだろうと思いますが、静画は・・・。

『創世のタイガ』

"殺されないように殺す"こと自体は、そんなに僕は抵抗ない気がするんですよね。
むしろ経済的な"殺し合い"のような、そこまで分かり易く直接的に生存がかかっていないものの方が、僕は抵抗あります。
あと殺すことを「かわいそうだ」とは思うでしょうが、「罪」の意識というのは特に無いかな僕は。
僕なりの"宗教性"はあるけど、それはどちらかというと「どう生きるか」の方に関わるもの。消極的道徳(~をしてはいけない)ではなくて、積極的道徳の方というか。

『ムギのころ』

餓死・凍死(や虐待死)よりは、「カラスに食われる」方が、なんか抵抗ないです僕は。
人工環境における餓死・凍死は、何とも言えない、"無駄"感"手落ち"感。
交通事故は・・・カラスよりは嫌かな。でも餓死よりは受け入れられる。

『リウーを待ちながら』

なんかバタバタした話でしたが、何とも言えない魅力のある人ですね。
また読みたい。

『学生島耕作』

いつもながら、"イヤなやつ"の受け止め方が淡々とし過ぎてるだろうという。(笑)
また助けるのかなあ。
大学の"優"ってガリ勉すればそんなに取れるもんなんでしょうか。もっと別の能力が必要な気がしますが。
学部によってはそうなのかな。

『妻恋』

分かる。(笑)
僕もたまにスマホを立てかけて見る時は、塩入れの瓶を使っています。(笑)
"脚"くらいつけられないものですかね、写真立て的なやつ。


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AFC U-23選手権2018 まとめ

まずはグループリーグ。

AFC U-23選手権中国2018 日本U-21 〇1-0● パレスチナU-23 (Jiangyin Sports Center)
AFC U-23選手権中国2018 日本U-21 〇1-0● タイU-23 (Jiangyin Sports Center)
AFC U-23選手権中国2018 日本U-21 〇3-1● 北朝鮮U-23 (Jiangyin Sports Center)


潮音は1,2戦に先発フル出場
3-4-2-1のドイスボランチで、パートナーは年末のM-150に引き続いて湘南神谷
・ただすこーし、様子は違ったかなと。

・まずチーム全体ですが。
・"試運転としてはまずまずこんなもん"に見えたM-150に比べて、余り進歩していないというか下手すると退化している可能性も。
・やってることは、特に変わっていないはず。
・最終ラインから組み立ててゆっくり持ち上がって、ゴール前では加速させた複数人のコンビネーションで一気にゴールを狙う、そのイメージは一通りは共有されていると思います。
・"イメージ"というか、"アウトライン"というか。
・ただ共有されているのは本当にそこだけで、細かいところ・・・というかその「最初」と「最後」"間"をどうするのかというのが、どうも今のところ見えないし、選手も"どうするんだろう"と思いながらやっている感じ。
・そういう意味ではM-150も同じだったんですが、あの時はとりあえずアウトラインが「共有」されている安心感・安定感の方が勝っていて、その分気楽に集中して、ゴール前のコンビネーションも発動出来ていた気がします。
・粗いところがあるのも、まだ最初だからと余りみな気にしていなかったでしょうし。
・ただ年も明けてこうやってそれなりに試合も重ねていくと、段々"粗さ"も気になって来るというかあれ?全然進捗無くね?という感じで、どんどん閉塞感が強まって、むしろますます点が取れる感じが無くなって来たというか、最初とりあえずあった自信すら失われて来たというか。
・そういう意味で、"退化"しているようにも見えるという、そういう話です。

・繰り返しますが「共有」はされているしそれなりの秩序感はあるし、上手く行かなくても行かなくても(笑)、スタイルを維持し続けているのはある意味では凄いような気もしないではないです。
・"崩壊"も"自分たちのサッカー"化もせずに。(笑)
・ただそれも際どいところには来ていて、「細部は粗いけどね」とスルー出来ていたものが、段々その"細部"の綻びにいちいち慌てるところが出て来て、こうなるとちょっと、状況は変わって来るというか見方は変わって来るというか。
・要は上で言った"間"をどう埋めるのか、ということなんですけどね。
・"埋め"方についての監督の「計画」が、よく分からなくてみんな不安になってるというか。
・どうなんでしょうかね。
・簡単に言うと、「コンビネーションの構築」で埋めるのか、「属人」的技能で埋めるのか。
・森保サンフの初期を知らないので、かつてどうしてたのかは分からないんですけど。
・放送席情報だとM-150の時から繰り返し聞こえて来るのは、「一人一人が判断しろ」ということと「それぞれの持ち味をチームに活かして欲しい」の2点。
・それと試合ごとに違うことをやっている感じが全くない、スタメンすら(消化試合の3戦目以外)ほぼ固定で交代も前の"変数"部分のみという不動の姿勢からすると。
・基本的にはやはり、"待ち"の姿勢でやってる感じは凄くしますね。
・固定メンバーの奮起と化学反応待ちというか。
・つまり後者、「属人」要素重視。

・その場合今回の大会でどうも気になるのは、ありがたくも固定してもらっている、潮音と神谷のドイスボランチの機能性。
・M-150では"潮音が後方でバランスを取って神谷が攻め上がる"というのが基本的な形で、それはそれで賛否はあったんですけど。
・この大会ではそこらへんがアバウト、ないしどちらかというと神谷の方が後方でバランスを取る形が多くて、これが全然良くない
・ぶっちゃけ神谷はそこまで判断やバランスのいい選手には見えなくて、神谷を残して前に行くのは凄く不安ですし(笑)、実際チームのリズム感も悪くなってるように思います、M-150よりむしろ。
・"ボランチ"が出来るとは言っても、基本的には稲本/ギュンドアン系の、攻め上がってナンボのなんちゃってボランチだと思います、神谷は。後ろに置いておいても余りいいことは無い。
・"キャプテン"マークをつけさせているということは森保監督はそう考えていない、本当に"軸"となる"ボランチ"だと考えている可能性が高いわけですが、だとするとこの先の大きな不安要素かなと。
・"系"とは言っても稲本やギュンドアン程の、体の強さがあるわけでもないですしね。

・別に潮音にわざわざ地味な仕事をやらせたいわけではないですけど、少なくとも"二人"の組み合わせとしては、M-150の時の方がまだ良かったと思います。
・この後のウズベク戦で、終盤潮音の代わりに入った伊藤洋輝の攻め上がりが、惨敗の中僅かながらチームを動かしてみせましたが。
・でもあれ、最初から神谷がやれば良かったんだと思うんですけどね。比較対象は潮音じゃない。(笑)
・とにかく属人的にやるのなら尚更、誰を選択してどう組み合わせるのかというのは、生命線になって来るので。
・一回ちょっと、神谷の使い方は考えてもらいたいなと。"重用"するかどうかも含めて。



続いて決勝トーナメント。

AFC U-23選手権中国2018 日本U-21 ●0-4〇 ウズベキスタンU-23 (Jiangyin Sports Center)


・潮音は再び先発出場し、68分までプレー。
・相手は強いは強かったと思います。
・M-150でも同様のメンバーと当たっているはずですが、他のチームと合わせても、初めて「U-23」、少し年上であることを意識させられた相手というか。
・ただこちらが弱っていた、"アウトライン"による"漠然とした自信"が、いよいよ崩れて来ている時に最後の一押しをされた、そんな印象も強い試合でした。
・まあそれにしても駄目でしたね。
・攻撃が上手く行かないのはチーム結成以来ですけど、誤魔化し誤魔化し一応"安定"していた守備のあらも、一気に剥き出しにされてしまいました。
・一回当たったことで、向こうは勘どころを分かっていた、それで"誤魔化し"が利かなかったと、そういう印象の場面も多く見られる試合ではありました。
・キープで誤魔化しにかかる、その「前」と「後」を狙われていたというか。
・攻めはともかく"守れる"というのが、このチームこのやり方の命綱というか免罪符(?)だったと思うので。
・色々洗い直しというか、要求水準の引き上げというか、とにかく監督さんはこれから忙しくなりそう。

・まあ何というか、"重心低めで攻撃一気"という、日本がやりたいことをもっと上手くやられた感じで、そういう意味では結構屈辱的でしたかね。
・向こうの方が、組織力でも遥かに上だったというか。
・年上相手に"屈辱"というのも、逆にそもそも思い上がっていた可能性もありますが。(笑)
・とにかくアジアにしてはまともな相手で、そういう意味では"納得"しました(笑)。たまたまやられたわけではないというか。
・何となく"ミシャ式"そのものを見切られていた気配も無くは無いんですけど・・・
・あんまりそこらへんは僕は専門家ではないですし、そもそも今回のチームが"出来て"いたのかという疑問もあるので。(笑)
・そこまではちょっと、保留で。

"3-4-2-1"サッカー全般の問題として言うと。
・後ろから組み立てるのはいいとしても、そこからトップに当ててこぼれ球を2シャドウが拾うという、最も基本的なはずのパターンが、ほとんどチームの狙いとして見られないのはどうかなとは思いました。
・別に一番の優先順位にする必要は無いんですけど。
・あとそもそもの問題として、M-150では併用していた4バックを、今回全く使わなかったのはなぜなのか。
・"なぜなのか"というか、まあ答え自体は分かってるんですけど。
・改めて基本システムとして、"3-4-2-1"を据え直したということでしょう。
・ただそれによって、最低限通っていた"風"が通らなくなった、"森保3-4-2-1"のイメージの中に選手が閉じ込められてしまった、そういう印象は少しあります。
・M-150でどちらが良かったとはっきりしたことは言えませんが、ただアジア相手に3バックは必要無いというか、無駄に後ろが重くなるだけだから4バックでもいいんじゃないかなという感触は、多分選手も含めて多くの人が感じたことだったと思うので。
・今回改めて意識付け(明言?)されて、やっぱ3バックかあ、あれをやるのかあと、少し精神的に落ちた、落ち着き過ぎた状態で大会に入ったのではないか、そんな印象を受けました。
・まあ前提に想像が多過ぎますけど。(笑)
・3-4-2-1でのプレーに、目に見えて上手く行っていた部分が何かあれば、後は監督の方針ということでいいんですけどね。
・そうでもないだけに、更に言えばなまじ4バックにも手を出したりしただけに、何かモヤモヤした感じ。
・もう一回そこらへんはニュートラルに戻して、改めて決め直した方がいいんじゃないかと、この大会の結果・内容を踏まえては思います。
・最終的に3-4-2-1でも、それは別にいいんですけど。プロセスに納得感は、多分もっと必要。


・最後に潮音のプレーですが。
・さすがというところはあちこちにあり、また沈滞する攻撃を、個人的な工夫で活性化しようと、努力している場面は少なからず見られました。
・"大活躍"とは言えませんが、評価している人も結構いるようですし、監督には勿論信頼されていて、最低限の与えられた仕事は、多分やり遂げたんだと思います。
・逆に潮音がいなければ、もっとボロボロになっていたとも思いますし。
・ただどうなんでしょうね、終始ハマらない感じはやっぱりありましたかね。
・今の形のまま続けても、潮音とチームの、"輝かしい"状態が出現するイメージが無いというか。
・やはり置き所ないしはボランチの組み合わせをもう少し考えてもらうか何かしないと、"こなす"だけで"活きる"感じはあんまりないというか、そういう状態だとやはり体の線の細さも、"ハンデ"と見えてしまう場面が多くなるというか。
・まあ去年のヴェルディでも、特に後半は決して"ハマって"いたとは言えない状態だったわけで、個人としても多分過渡期にはあるんだと思いますが。
・とにかく僕は一定の評価は与えられると思いますが、評価しない人がいても不思議ではない、そういうプレーだったと思います。
・潮音個人をというよりも、このチームをこれから強くする上での、潮音の存在の必要性必須性という意味でね。
・繰り返しますがチームをチームたらしめる為の最低限の繋ぎの仕事は、出来る限りやっていたと思いますし、今回のチーム(状態)で潮音がやった以上の仕事をするのは、かなり困難だと思います。
・子飼いの森島司選手あたりも含めて、"パサー"タイプの選手は今回全くと言っていい程機能していないので、潮音のプレーに物足りないところはあったとしても、チームの構造の方の問題が遥かに大きいということは、言わないといけないと思います。
・ただまあ、"輝かしく"はなかった。(笑)
・今後も含めて結局どう使ったらいいんだろうなと、僕も悩んでしまうような、そういうところはあるプレーでした。
・とりあえず今季のヴェルディでのプレーを見ながら、また考えたい感じですが。


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